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ウリ法研究会への執拗・悪質なデマ           かけはし2009.12.14号

警察・言論・政治圏一体となり
所属判事の無罪判決のみ問題視

来年の総選挙で政権交代が必至
主要三党が労働者攻撃へ
アラン・ソーネット

 最近、裁判所内のウリ(わが国の)法研究会をめぐって政治圏や言論が、かまびすしい。きっかけは11月6日、ソウル南部地裁で下されたある判決だった。同地裁のマ・ウニョク判事が、昨年末に国会で篭城を行った容疑で起訴された民主労働党の議員補佐陣12人に公訴棄却の判決を下したのだ。公訴棄却というのは、起訴は誤りだったという理由で検察の起訴内容に対して実体的審査を行わずに裁判を終えることを意味する。(別記事参照)

ソウル大の「親睦会」がルーツ

 検察は「納得できない」として直ちに反発し、〈朝鮮日報〉や〈東亜日報〉も激怒して乗り出した。〈朝鮮日報〉は11月7日、「荒唐無稽な公訴棄却判決」という見出しの社会面トップ記事で、「同じ事案なのに判事によって180度異なった判断が出てきたのだ。(中略)裁判所内のいわゆる『進歩』傾向の判事の集まりである〈ウリ法研究会〉のメンバーのマ判事は……」と報道した。攻撃は11月9日にも続けられた。今度は社説で「去る7月、同じ容疑で起訴された民労党党職者に同裁判所の他の裁判部が罰金70万ウォンを宣告した判決とも180度異なる」と訓戒した。翌日には「マ・ウニョク判事がノ・フェチャン進歩新党代表の後援会の集まりに出かけ後援金を出した」と報道した。〈東亜日報〉もまたマ判事の過去の前歴を暴いて紹介した。
 検察や保守言論が乗り出したのだから次は政治圏の番。アン・サンス・ハンナラ党院内代表は11月11日、最高・重鎮連席会議で「今回の判決は、そもそも話にならない」し、「多くの国民は、ウリ法研究会が司法の政治化をもたらすのではないのかとの心配をしている。かつて軍において私的組織であるハナ会の弊害を経験したことがあるが、それを(教訓の)鏡としなければならない」と語った。
 このように、わが社会にあってかなりの程度に力を行使している集団たる警察・言論・政治圏の共助の結果、ウリ法研究会には「不穏な組織」という烙印が押された。ウリ法研究会は、そもそもどんな組織であって、そんな攻撃の標的となっているのだろうか?
 ウリ法研究会の出発は第2次司法波動の時までさかのぼる。1987年の6・29(民主化)宣言を経て誕生したノ・テウ政権が過去に協調的関係を維持していた大法院(最高裁)長を留任させようとするやいなや、全国の裁判官の半分近くがこれを糾弾する連判状を回して乗り出した。結局、国会の承認が否決されたキム・ヨンチョル大法院長が辞退し、イ・イルキュ大法院長が就任した。これを契機に、署名を主導した人々が主軸となったウリ法研究会が発足した。1988年のことだった。

ノ・ムヒョン政権
時に脚光あびる

 ウリ法研究会のルーツは、さらにさかのぼる。1984年ごろ当時判事だったカン・グムシル元法務部長官とカン・シンソプ弁護士(75年度入学)らの親睦会がその出発点だったと言う。この人々らに加えて、少し前まで大法院長の秘書室長を担ったキム・ジョンフン弁護士、オ・ジナン弁護士、ユ・ナムソク、イ・クァンボム・ソウル高裁部長判事らが創立メンバーだった。
 当時の集まりの性格を伝えるのが「ウリ法」という言葉だ。会の初期から参加していたある弁護士は、「ウリ法を研究してみよう、という趣旨で何人かが集まっていたもので、勉強し、また共に遊びもした。休日・夜勤勤務手当をキチンと計算して支給してくれ、という勤労者たちの集団訴訟問題や、当時の民法の体系や大きな衝突をもたらしていた賃貸借保護法をどのように適用するのかについて集中的に討論していた記憶がある」と語った。
 暗鬱だった軍事独裁の時期に外国の法ではなく、わが国の法を研究してみようとして集まり、第2次司法波動が直接的結成の契機となっただけに、ウリ法研究会の構成員らは心情的に司法部とわが社会の民主化を念願する人々だった。けれども、その活動や考えは徹底して体制内的だった。裁判官という職業の保守的な特性上、当然の結果でもあった。
 そのようなウリ法研究会は参与政府の時期に裁判所の内外で注目の対象として浮かび上がった。会員だったカン・グムシル、キム・ジョンフン弁護士らが法務部長官や大法院長秘書室長などの要職に上りつめ、保守言論の照明を受けたのだ。もちろんウリ法研究会はこのような評それ自体を重苦しく思っている。何人かの人がそのような位置に上りはしたものの、ウリ法研究会とは関係のない個々人の活動であったからだ。
 けれどもイ・ミョンバク政権発足後、「具合の悪い視線」は一層、ひどくなった。権力を握った人々は気にくわない判決が下されるたびにウリ法研究会に対する視線が険悪になった。疑惑のまなざしはシン・ヨンチョル大法院判事のソウル中央地法院(地裁)院長再任時代の裁判介入の論難を経つつ、いっそう大きくなった。
 当時、青瓦台(大統領府)民政首席室ではウリ法研究会の会員名簿把握に乗り出しもした。法曹界の事情に明るいある法曹人は、「政権初期には青瓦台側が『民主社会のための弁護士の会』の名簿を探し求めていたが、その後はウリ法研究会所属の判事たちのリストを探し回った」「その時、なぜそのようなものが必要なのか気になっていたが、今になってみると何となく分かる」と語った。

青瓦台がリスト把握に乗り出す

 政権の集中的なうらみを買っているものの、ウリ法研究会を攻撃している人々も具体的な過ちについては論理的な話を出せずにいる。保守言論はシン・ヨンチョル大法院判事の背後にウリ法研究会がいるかのように論じたけれども、当時の裁判介入の論難の触発剤となった集示法違憲を提唱した判事はウリ法研究会所属ではなかった。シン判事が他の裁判官らに送った電子メールの流出に関連した判事もウリ法研究会とは程遠い関係だった。
 遠い話をするまでもなく、ソウル南部地裁の判決だけ見てもウリ法研究会に対する魔女狩りの証拠は明らかだ。〈朝鮮日報〉は記事や社説で「同じ事案に対して罰金70万ウォンを下した判決」を挙げてマ判事とウリ法研究会を攻撃したが、この70万ウォンの有罪判決を下した判事もウリ法研究会の所属だった。無罪判決を下した判事がウリ法研究会の所属であることをわざわざ印象づけながら、有罪判決を下した判事がウリ法研究会の所属であるという事実には目をつぶったのだ。デマ記事の中でも極めてタチの悪いデマ記事というわけだ。(「ハンギョレ21」第787号、09年11月30日付、イ・スニョク記者)


公訴棄却判決は度を越した
恣意的選別起訴への警鐘


検察は「差別起
訴は当然」と主張

 最近、ウリ法研究会をめぐる論難の原因となったマ・ウニョク判事の判決は法理的な面でも大きな意味を帯びている。けれども大方のメディアでは、判決文自体に注目するというよりは事後の論難だけを主として扱った。判決自体をのぞいてみよう。
 昨年末、政府・与党がメディア法と韓米自由貿易協定批准同意案を職権上程する動きを示すやいなや、民主党所属の議員らや補佐陣120余人は12月26日から国会のローテンダーホール前で座り込み篭城に突入した。12月30日には民主労働党議員補佐陣10余人が篭城に合流した。キム・ヒョンオ国会議長は同日午後8時40分、国会内の秩序維持権を発動し、2009年1月3日と4日に強制退去を試みもした。
 国会議長は結局、1月4日午後11時ごろ、メディア法などを職権上程しないと約束し、民主党は1月5日未明1時に篭城を解放した。けれども民主労働党の補佐陣は篭城を続け、同日未明3時15分ごろ国会警衛らによって強制解散させられた。
 「職権上程の放棄と篭城の解放」という政治的妥協の中で事件はまとめられたけれども、警察は最後までその場を守っていた民主労働党の補佐陣らを暴力行為などの処罰に関する法律の共同退去不応容疑で起訴した。
 マ・ウニョク判事はこれについて「同一事件の被疑者たちを差別取扱いし(中略)、検事が訴追裁量権を顕著に逸脱して公訴権を乱用した公訴権乱用に該当」するとして、公訴棄却の判決を下した。国会議長が秩序維持権を発動した12月30日から6日間、民主党・民主労働党の補佐陣や党職者らが共に「退去不応状態」にあったのに、最後の2時間の間の「退去不応」だけを別個に切り離して民主労働党の補佐陣だけ起訴したのは社会的身分に伴った差別を禁止した憲法第11条1項に反するというものだ。
 けれども検察は差別起訴は当然だと主張する。イ・ヨンニョル・ソウル南部地検次長検事は「デモを盛んに行っていれば警察が解散を勧告する。そうすれば付和雷同して街頭に出てきた人々は帰るけれども、そうでない者はその場を守るのではないだろうか。結局、それらの人々だけが警察に連行される」のであり「家に帰れと言った時に帰った人々は集示法(集会ならびに示威に関する法)違反の行動があったにもかかわらず立件しないのは当然なことではないのか」と語った。
 ここでマ判事が指摘した選別起訴は公訴権の乱用ではないとの大法院(最高裁)の判例もある。ソウル高裁のある部長判事は「(マ判事の判決が)2審で覆される可能性が大きい」と語った。

時代の変化と
新しい論理

 だが良心的兵役拒否の判決などで見られるように、時代の変化とともに誰かがまず新たな論理の判決を下し、この判決が2審で破れ、また別の裁判部で新たな判決を下すなどの過程を経ながら判例が変わっていくというのは当然だ。
 今回の事案を見ても、占拠者の大部分が脱落するとともにどのみち解放されるレベルであったし、最後まで残った人々が新たな暴力を行使したわけでもなかった。事案が政治的に解決され、国会事務処長も「処罰を望まない」と語ったはずだ。
 検察の選別起訴は過剰だとの指摘を受けざるをえない状況だ。ある高位裁判官は「マ判事の判決は余りにも性急ではある」としつつも「検察が良識のある組織であるならば反発に先立ち(処罰が)どれほどひどかったからこそそのような判決まで出てきたのではないのかということを、まず自らふり返ってみることが先ではないのか」と語った。
(「ハンギョレ21」第787号、09年11月30日付)



コラム
一年を振り返って

 師走という何か忙しく、一年を振り返りたくなる時期になった。年越し派遣村とイスラエル軍の大規模空爆・ガザ侵攻とで年が明けた。リーマンショックによる金融危機・大不況の到来。大量の派遣切りが起こり、寮からも追い出される事態が刻々と伝えられた。日雇い派遣の最大手グッドウィルなどとの現場の闘いとそれをもたらす労働者派遣法の抜本改正を求める運動や反貧困のさまざまな分野の闘いが合流して年越し派遣村が実現し、政府の責任を追及し、厚労省の講堂を開放させた。貧困を可視化させ、政治が緊急に取り組むべき課題とさせた。派遣村・反貧困の運動は全国に広がり、ネットワークを実現させていった。
 リーマンブラザーズによって買収された京品ホテルが廃業にされようとしたのに対して、労働者は組合を結成してホテルを占拠して自主営業を続けた。一月に、その京品ホテルに対して、立ち退きの執行が行われ、組合と警察の実力対決に発展した。これもテレビに大きく報道され、この時代の労働者とグローバル資本との対決を明らかにした。
 小泉の新自由主義政策によって痛めつけられた多くの人々は八月総選挙で、民主党を押し上げ、政権交代を実現させた。鳩山連立政権は最初、ムダなダム建設や航空行政の見直しなど大型公共事業の見直しに着手し、人々が長年求めてきたものを実現するかのような動きを派手に行った。
 しかし、その後の沖縄普天間基地移転問題でのあやふやな態度に象徴されるように、鳩山政権はあらゆる問題で、人民の側につくのか大資本・グローバルな帝国主義の道に追随するのかで揺れることになった。こうしたことは、この国が反共・日米同盟としてとってきた戦後の外交や大資本優先の内政が、誰の目にも明らかのように根本から問われている。
 労働者派遣法が抜本改正されれば、偽装請負や製造業派遣はできなくなる。自動車や電機産業の輸出産業依存の経済のあり方の転換が求められている。国鉄一〇四七人解雇問題の解決をするのかどうか。公共事業の民営化問題が根本から問われている。有識者懇談会の意見書を受けて、アイヌ民族を先住民として認め、謝罪と補償を行う新たな諸施策、新法の制定ができるのか。外国人参政権が実現できるのか。医療など社会保障、教育、農業問題の転換ができるのか。どの分野でも今までにないような実現への可能性を秘めた激しいせめぎあいが続いている。大資本や大金持ちに対し大増税させることができるかどうか。その意味で時代の大転換期に突入したことを実感させる一年であった。
 オバマによるアフガンへの米兵三万人の増派はさらなる敗北と撤退を強制させるだろう。北朝鮮では突然実施されたデノミ政策に反発して商店が店をしめ、中国・丹東との貿易量が半減したという報道がある。次に向けた大きな変化を予測させるものだ。国内外の人々とつながり、「平和・平等・貧困の撲滅」をめざして、明日を切り拓こう。(滝)


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