| コレア政権の性格と社会運動の展望 かけはし2009.11.16号 |
新自由主義的な石油・鉱山
開発への抵抗と闘いが拡大
マーク・ベッカー |
エクアドルのコレア政権は、米軍への基地提供協定の打ち切り、不正な債務の支払い拒否、アマゾンの保護等の進歩的政策を実施し、注目されているが、一方で、石油・鉱山開発をめぐって先住民団体との対立が拡大している。九月末から十月初めにかけて、水の利用に関する法律をめぐり、先住民の権利の保護を要求する先住民組織がゼネストを行い、高速道路の封鎖解除のために動員された警官隊と衝突、先住民組織のメンバーが死亡した。その後、政府と先住民団体との話し合いが始まっている。以下はコレア政権の性格と、コレア政権に対する先住民運動の立場についてのレポートで、米「アゲインスト・ザ・カレント」九〜十月号に掲載されたもの。筆者はトルーマン州立大学の歴史研究者、主に二十世紀のエクアドルにおける先住民運動と農民運動を研究している(編集部)。
4月大統領選挙で再選
二〇〇九年四月二十六日の大統領選挙で、ラファエル・コレアは絶対多数の得票を得て再選された。彼は民族主義的なレトリックと教育・医療などの社会的支出の増額の組み合わせによって広範な大衆的人気を獲得した。この勝利は、古い政治体制が完全に崩壊したと思われるこの国におけるコレアの支配を強化した。
大手のメディアはコレアの勝利をラテンアメリカにおける社会主義のもう一つの勝利であると報じた。わずか一カ月前には、エルサルバドルの大統領選挙で、かつてのゲリラ闘争組織ファラブント・マルティ民族解放戦線(FMLN)のマウリシオ・フネスが勝利し、この国の歴史で初めて、左派が政権に就いた。
左翼の側の根拠なき楽天主義と、右翼の側の過度の恐怖と、野心的政治家のオポチュニズム(機会主義)によって刺激されて、社会主義はラテンアメリカでは、ますます支配的な言説とみなされるようになっている。エクアドルのコレアは、ラテンアメリカにおける左傾化の中に含めてもよいのか、それとも彼をこの流れに含めるのは希望的観測の結果なのか。
アナリストたちは最近、ラテンアメリカの「多様な左翼」について語っている。そこにはチリの新自由主義的社会主義者のミチェル・バチェレット大統領から、ボリビアの先住民の社会主義者エボ・モラレス、ベネズエラの国家中心主義的社会主義者ウーゴ・チャベスまでが含まれている。一方、南米の小国エクアドルの新しい大統領が左翼の運動の一部として温かく歓迎されたのは、これが初めてではない。
二〇〇一年に軍隊と先住民組織によるクーデターに失敗したルシオ・グチエレスが二〇〇三年に大統領に選出された。これはチャベスが政権に就いた過程の再現のように思われた。しかし、彼はすぐに新自由主義の方向へと進み、彼の社会運動の基盤と対立し、最終的には二〇〇五年四月に、「フォラヒドス(無法者)の反乱」と呼ばれる大衆蜂起によって打倒された。グチエレスは依然としてエクアドルの大衆の一部、特に福音主義キリスト教徒の先住民共同体において大きな支持を得ているが、今では左派の大部分は彼を中道右派のポピュリストとして非難している。
外国の多くのオブザーバーはコレアの権力の強化をラテンアメリカにおける広範な左傾化の一環として祝福するか、悲嘆に暮れるかのどちらかだが、エクアドルの社会運動の中では、彼のポピュリスト的な立場への批判が強まっている。
コレアは彼の政権の下で新自由主義の暗い夜は完全に終わったと宣言したが、先住民運動は彼がエコロジー的に重要な東部アマゾンの盆地における石油の採掘をはじめとする大規模な鉱物採掘を通じて、基本的には同じ政策を継続していると非難している。
コレア大統領と新憲法
コレアは若手経済学者であり、大学教授であリ、イリノイ大学ウルバナ・シャンペイン校の学位論文では「ワシントン・コンセンサス」として知られる新自由主義的経済政策を強く非難した。彼の出身は社会運動ではなく、社会的公正に関する関心によって動機づけられたカトリック左派である。
コレアが最初に政界で注目されるようになったのは、グチエレス政権崩壊後のアルフレド・パラシオ政権の財務相としてだった。コレアはその地位で人気を高め、二〇〇六年の大統領選挙に勝利した。
政権についたコレアは、ベネズエラのウーゴ・チャベスの戦略を踏襲しようとしているように思われた。憲法改定を通じて権力を強化し、次に新たな選挙を実施して再選を確保し、より有利な議会の構成を実現するという戦略である。
コレアは、チャベスと同様に、伝統的な政党の支持を受けない独立的な候補として立候補した。いずれの国においても従来の「政党政治」は深刻な信用失墜に陥っていた。エクアドルでは、一九九六年以降、四年間の任期を全うした大統領は一人もいなかった。アブダラ・ブカラム(1996〜97年在位)、ハミル・マワ(1998〜2000年在位)、ルシオ・グチエレス(2003〜05年在位)の三人の大統領は大衆的な街頭デモによって政権を追われた。
二〇〇七年四月十五日、コレアが就任してから三カ月後に、エクアドルの有権者の八〇%が、憲法制定議会を招集するための国民投票で賛成票を投じた。コレアはAP(国家同盟)と称する新しい政治運動を創設し、同年九月三十日の憲法制定議会選挙で過半数の議席を獲得した。
一年後の二〇〇八年九月二十八日に、コレアの大きな影響力の下で起草された新憲法が投票数の約三分の二の賛成で承認された。ベネズエラの一九九九年の憲法と同様に、エクアドルの新憲法は国の政治機構を根本的に作り直すものであったため、新たな地方選挙、議会選挙、大統領選挙が必要となった。
憲法制定議会における長期間にわたる激しい論争を通じて起草された憲法は、より広範な社会階層に開かれた参加型の政治体制の基礎を提供している。新憲法は新自由主義を拒否し、教育、社会的サービス、医療により多くの資源を割り振ることを支持している。それはまた、ベネズエラの憲法と同様に、ジェンダーの平等に配慮した言語表現を採用している。さらに、民主主義的な参加を拡大して、十六〜十八歳の人たちや、エクアドルに五年以上居住する外国人、国外に住むエクアドル人にも選挙権を付与している。
新憲法はまた、自然の権利や先住民の言語を擁護し、さらに、非常に象徴的な姿勢として、先住民のコスモロジー(宇宙観)を国の統治に組み込むことを意図して、多民族主義を擁護している。新憲法はまた、ボリビアのダビ・チョケワンカ外相から「スマク・カウセイ」(「より良く生きる」のではなく「良く生きる」)という考え方を借用している。「スマク・カウセイ」には、従来の発展戦略、つまり他者や自然との調和の中に生きることを目指すのではなく、資源の利用を増やしてきた戦略への明確な批判が含まれている。
エクアドルはまた、ベネズエラの先例に従って、統治のための五つの機関を設けた。憲法は、行政、立法、司法機関のほかに、選挙委員会と市民参加・社会的管理評議会を設けることを規定している。市民参加・社会的管理評議会は、検事総長、監査長官などの公職者の任命に責任を負う。
新しい機関の目的は、市民参加を拡大し、政治の透明性を改善することであるが、反対派はそれがコレアへの権力の集中を強化する可能性があると批判している。この制度の提唱者たちは、慢性的に政治的不安定を経験してきたこの国に安定をもたらすためには強力な執行体制が必要であると主張しているが、社会運動団体は、それによって社会運動団体の政策決定への影響力が損なわれることを懸念している。
選挙結果とバランスシート
コレアは二〇〇九年四月二十六日の大統領選挙で、五二%の得票を得て勝利した。この勝利の重要性はどれほど強調しても足りないぐらいである。エクアドルで民政が復活した一九七九年以来初めて、一人の候補が決選投票を不必要とする高得票を獲得したのである。
ラテンアメリカにおける大統領選挙はほとんどの場合、多くの政党が競合し、上位二候補による決選投票か、または議会による勝利者の決定が必要とされる。たとえば、一九七〇年のチリの大統領選挙でサルバドール・アジェンデはわずか三六%の得票で勝利した。二〇〇五年にボリビアでエヴォ・モラレスが五四%の得票で勝利したが、一人の候補が過半数の票を獲得したのはこの国の歴史上はじめてのことだった。
エクアドルの現憲法では、第一回投票で当選が確定するためには、五〇%以上の票を獲得するか、四〇%以上の票を獲得し、かつ第二位に一〇%以上の差をつけることが要求される。多くの小政党が競い合うエクアドルの政治状況の中で、第一回投票で一人の候補が二五%以上の票を獲得することは稀である。
今回の選挙でコレアの最大の競争相手は中道派の愛国社会党(PSP)のルシオ・グチエレス前大統領だった。彼は二八%の票を獲得した。グチエレスの得票の大部分は、アマゾンの先住民居住地域(この地域の各県では大差で勝利した)と、中央の高地のボリバル、チムボラソ、ツングラウアの各県の福音主義の先住民居住地域からの票だった。選挙が近づくにつれて彼への支持が高まった。カトリック教会の最も伝統的な部分を含む反政府・保守派は「オプスデイ」に結集し、グチエレスをコレアに勝てる最高の候補として支持した。
グチエレスは、彼を当選させないために大がかりな不正が行われた証拠があると主張したが、選挙管理委員会はこの申し立てを却下した。しかし、外国からのオブザーバーたちは、コレアがメディアの注目を独占したことは選挙の公正さを損うものだと批判した。
第三位となったのは、億万長者のバナナ農園主で、右翼の国民行動制度改革党のアルバロ・ノボアである。彼は二〇〇六年の選挙では、もう少しで勝利するところだった。二〇〇九年には、右翼が完全に信用を失っていたにもかかわらず、民営化や、外国資本への開放、富裕層への減税等の旧態依然の新自由主義的政策を掲げて立候補し、一一%の票しか得られなかった。これは彼の四度にわたる大統領への挑戦の中で最悪の結果だった。
左翼も、右翼より成功したわけではない。「倫理と民主主義」(RED)のマルタ・ロルドスの得票はわずか四%だった。彼女は一九七九年にエクアドルに民政を復活させた進歩的大統領で、二年後に不可解な飛行機事故で死亡したハイメ・ロルドスの娘である。REDは、労働運動のリーダーや左翼活動家を結集した。彼女のキャンペーンは、コレアに対する攻撃に重点を置き、彼の「市民革命」プロジェクトに対する対案を提起できていなかった。
もう一人の左派候補のディエゴ・デルガドの得票はわずか一%にとどまった。彼はコレアの社会主義の信条を強く批判した。左翼の多くの人たちは、保守派が勝利する危険を冒すよりも、コレアを支持することを選んだ。全部で八人の候補が大統領の座を争った。
左翼の多くの人たちは、制憲議会の議長を務め、大衆的な人気があるアルベルト・アコスタに立候補を要請した。彼は、コレアの圧倒的な人気を前に、左翼をコレアに対抗して結集させることが非現実的であると判断して、立候補を辞退した。
先住民の政党であるパチャクティは大統領選挙に候補を立てず、どの候補も支持しなかった。二〇〇六年の選挙では、パチャクティはコレアとの提携を試みたが失敗し、党のリーダーのルイス・マカスを立候補させたが、わずか二%の得票にとどまった。
コレアは有権者の多数の支持を得たが、彼のAPは議会で少数派となった。二〇〇六年の選挙ではコレアは政党の支持や国会議員との連携なしで選挙キャンペーンを展開した。三年を経過して、コレアの個人的人気は依然として高いが、コレアはまだ彼の新しい党をまとめるのに苦労している。
二〇〇九年一月二十五日に実施された国会および地方議会の予備選挙は、困難と混乱に満ちていた。APはいかなる意味でもイデオロギー的に均質な、あるいは強固な党ではなく、それはこの党の最大の強さでもあり、最大の弱さでもある。それは広範な人民を結集しているが、その多様性は同時に、党を左派と右派に分裂させる要因ともなる。
四月の投票に向けた準備の中で、コレアはいくつかのポピュリスト的な経済政策を導入した。たとえば対外債務の返済条件の変更などである。これは議会における彼の支持者の選挙での成功を助けることを大きな目的としていたと思われる。APが国会議員の選挙で過半数を獲得できなかったことは問題を複雑にしている。特に、グチエレスのPSPが第二党であリ、非常に対立的な立場を取っていることを考えればなおさらである。
APは、制憲議会で保持していた三分の二の議席には遠く及ばないものの、依然として国会の最大政党である。小さな左派政党との連携を確立すれば、過半数の支持を得ることができる。そのような連携が脆弱なものであることは間違いない。しかし、新憲法は執行権力を強化し、議会の力を弱めており、コレアは議会をコントロールできなくなっても、政令や国民投票を通じて統治を続けることができるかもしれない。
キリスト教社会党(PSC)等の伝統的政党は引き続き支持を失っている。実際、一九七九年の民政の復活に大きな影響力を発揮し、この三十年間活発に政権を争ってきたすべての政党、つまりPSC、左翼民主党(ID)、人民民主党(DP)、エクアドル・ロルドシスタ党(PRE)はほぼ消滅した。
PSCは大統領候補を立てず、国会議員選挙と地方選挙に力を集中した。長年にわたってコレアの左派ポピュリスト政権に反対する勢力の拠点だった沿岸部の商業都市グアヤキルでは、保守派のPSCの市長ハイメ・ネボトが楽々と再選された。
しかし、グアヤキルにおいてさえ、政治的忠誠心は、階級の分岐に沿って分裂し、貧困層はコレアを強く支持している。市長にはネボトに投票した人々の多くを含めてである。キトでは、深い地域的分裂を反映して、APのアウグスト・バレアが市長に悠々と当選した。
政府に反対する先住民運動
コレアへの支持の多くは、都市の専門職の人々からのものである。彼の左翼としての評判にもかかわらず、エクアドルの左派の先住民運動は、反コレアの陣営に深く移行した。彼が資源の採掘を促進する新しい鉱山法を支持したため、先住民活動家たちはコレアが新自由主義的政策によって統治しようとしていると批判してきた。さらに、コレア政権の下で、先住民運動は分裂を深めており、活動家たちは大統領が先住民の組織的な力量を破壊しようとしていると非難している。
最大で、もっともよく知られている先住民組織はエクアドル先住民連合(CONAIE)である。CONAIEは一九八六年に、エクアドルのすべての先住民を代表することを目的に、地域の先住民組織の連合体として設立された。CONAIEは一九九〇年に、全土の白人エリートたちを心の底から震撼させた先住民の土地と権利のための蜂起によって全国的な舞台に登場した。
エクアドルでもっとも戦闘的な先住民組織は、おそらく、CONAIEの高山地域の加盟団体であるエクアルナリ(エクアドル・キチュワ民族連盟)だろう。エクアルナリは一貫してコレアよりも左の立場に立ち、コレアがエクアドルの新自由主義的過去と完全に決別してはいないことを批判してきた。これらの組織はさまざまな方法で自分たちの要求の実現を迫り続けている。たとえば、水源を保全・保護するために「水に関する法」を提案している。
CONAIEは、四月二日に開かれた大会の決議の中で、その立場を鮮明にした。この決議は次のように述べている。「コレア政権は、右翼から生まれ、右翼と共に統治し、在任期間中、その姿勢を維持するだろう」。この決議は、政府がCONAIEと競合する組織を設立しようとしていることを非難し、政府の役職に就いたり、コレアの選挙キャンペーンに参加した者は除名すると言明している。政府が「われわれの組織のやり方を尊重していない」という理由によってである。
CONAIEは特に、コレアの資源採掘の政策、特に大規模な鉱山および石油の採掘を非難している。なぜなら「それは自然に反し、先住民と対立し、憲法に違反し、スマク・カウセイの政治を脅かす」からである。彼ら・彼女らはコレアの憲法を、彼の不当な政策と闘うための道具として活用しようとした。
CONAIEは、大統領選挙で特定の候補を支持しないと宣言した。当初は左派のマルタ・ロルドスと折衝していた。大統領候補を支持しないことは、前回の選挙の際の方針からの明らかな転換である。前回の選挙では、どの候補も支持しない場合、各候補が先住民の票を獲得するために農村地域に群がってくるだろうという理由で、支持する候補を決定した。
一九九五年にCONAIEは、先住民とその同盟者が公職に立候補するための政治運動としてのパチャクティの設立を支援した。しかし、二〇〇三年におけるグチエレスとの短期間に終わった同盟はあまりにも惨憺たる経験だったため、CONAIEとパチャクティはもう一度そのような同盟を結ぶことには非常に警戒的になった。しかし、CONAIEは地方選挙や国会議員選挙ではパチャクティの候補を支持した。
歴史的には、パチャクティは地方選挙において、はるかに大きな支持を得ていた。しかし、今回の選挙では、多くの票をAPに奪われ、国会では一議席を辛うじて確保したにすぎない。
CONAIEとその加盟組織であるエクアルナリのほかに、二つの競合する先住民組織がある。全国農民・先住民・黒人組織連合(FENOCIN)と、エクアドル福音派先住民団体評議会(FEINE)である。FENOCINは、一九六〇年代にカトリック教会が、共産党系のエクアドル先住民連合(FEI)の支持基盤を掘り崩すために行った活動をルーツとしている。
FENOCINは一九七〇年代に教会と決別し、急激にラディカル化し、社会主義的な立場を取るようになった。現在、この組織はコレアと同盟を結んでおり、委員長のペドロ・デラクルスをはじめ主要リーダーがAPの代議員となっている。FEINEは、保守的な傾向が強く、最近ではルシオ・グチエレスと同盟を結んだ。
過去において、CONAIE、FENOCIN、FEINEの三つの組織は、時には先住民の利益の増進のために協力し、時にはそれぞれの基盤となっている民族の利益のために激しく対立してきた。現在、おそらくこれまでのどの時期よりも深く分裂している。
中南米と21世紀の社会主義
コレアは非常に熱心に二十一世紀の社会主義について語ってきたが、その具体的な内容についてあまり明確にしていない。コレアは二〇〇九年一月にキューバを訪問した際、「階級闘争、唯物論的弁証法、全資産の国有化、市場の否認などの歴史によって反証されたドグマ」を拒否すると発言した。
伝統的に社会主義と結び付けられてきた基本的な要素を無視する一方で、代替の構想を明確にしないことによって、コレアが二十一世紀の社会主義にどのような意味を与えているのかについての疑問が生まれている。
ベネズエラのウーゴ・チャベスも同様の批判に直面している。二〇〇五年にブラジルのポルトアレグレで開催された世界社会フォーラムにおいて、チャベスは初めてベネズエラの革命を社会主義革命と呼んだのだが、このときチャベスは、新しい解決策は、より人間的で、複数主義的でなければならず、国家への依存をより少なくしなければならないと述べている。しかし、チャベスもコレアも、彼らの政治的目的を進めるために、政府によるより強力な統制に依存してきた。
先住民の知識人や、パブロ・ダバロスのような熱心な支持者たちは、二十一世紀の社会主義や、地域統合、ボリバールが夢見たラテンアメリカの統一などのレトリックの先を見るなら、地上の現実は、多くの場合、全く違って見えると論じている。
たしかに経済への国家の関与が見られ、とくに医療や教育などの重要な領域でそれは顕著である。しかし、基本的な経済モデルは依然として、その方向性において資本主義である。コレアは依然として資源採掘企業にエクアドルの発展を託しているだけでなく、彼の政策に反対する人々に対して国家の治安部隊を使って攻撃している。彼は、彼に反対する人々にテロリズムの嫌疑をかけている。
もっとも大きな注目を集めた事件として、コレアはアマゾン東部のダユマでコレアの資源採掘政策に反対している人々を「テロリスト」と規定し、その捜索のために軍隊を派遣した。環境NGOのアクシオン・エコロヒカもまた、法律上の承認の取り消しの脅しに直面した。これは、この組織がコレアの石油政策に反対しているからだと考えられる。激しい大衆的抗議に直面したとき、コレアは速やかにこの措置を撤回し、政府はこのNGOの登録を、もっとその活動内容に対応している別の省庁に移そうとしただけだと説明した。
APはこれまでの政治体制を解体し、左翼的な主張をもって登場したが、ダバロスによると、「実際には、(コレア政権は)別の形での新自由主義の継続である」。これはこの政権が掲げている分権化、自治、競争、民営化のテーマを見れば明らかである。「コレアは引き続き伝統的なクライアンティズム(利益誘導)的、ポピュリスト的政策に従っており、それはラディカルな、あるいは社会主義的な社会の再建として正当に評価できる政策とはかけ離れている」。
ダバロスは、結論として、コレアはいかなる意味でも左翼ではないし、彼の政府は進歩的と呼べるものではないと述べている。ダバロスによると、コレアはむしろ「資源採掘に関わる企業や多国籍企業と同盟を結んでいる右翼による改革を代表している」。
コレアの勝利の後、アマウタイワシ先住民大学の学長であるルイス・フェルナンド・サランゴは、コレアが彼の綱領のラディカル化について語っていることを批判して次のように述べている。「二十一世紀の社会主義とは何か?
真の社会主義はどうなるのか? 二十一世紀の社会主義にはその要素はほとんど見られない」。彼はむしろ、「社会主義と名付けられるかどうかに関わりなく、多民族によって平等の原則に基づいて構成される国家の建設を可能にするような根本的な構造的変革」を提唱している。
CONAIEのリーダーで、二〇〇六年にパチャクティの大統領候補となったルイス・マカスは、コレアが「市民革命」を、基本的には自由主義的で個人主義的なモデルの中で進めようとしていると批判している。それは新自由主義的過去との根本的なイデオロギー的決別を伴っていない。これに対して、先住民運動は二〇〇六年の選挙キャンペーンで。政府の構造をより包含的なものに変えるための「制憲革命」を主張した。
コレアも新憲法の制定を提案することによって先住民活動家を出し抜き、さらに進んで、エクアドルを多民族国家として宣言するというCONAIEの長年の要求を支持した。CONAIEはコレアがこの問題の主導権を取り、CONAIEがこれまで保持してきたスペースを奪ったことに憤慨しているが、それは理由のないことではない。
同時に、コレアはそれを左翼に対する人質として保持している。なぜなら、彼を批判することは、彼を右から攻撃することに同じぐらい熱心なオリガーキー(寡頭階級)に利用されることになるからである。
世界社会フォーラム
二〇〇九年一月に、ブラジルのアマゾン地域の町、ベレンで開催された世界社会フォーラムの中で、他のラテンアメリカの左派大統領? ブラジルのルラ、ベネズエラのチャベス、ボリビアのモラレス、パラグアイのルゴ? と共に、ビアカンペシナ(「農民の道」、農村における運動の国際的ネットワーク)の代表との会合に出席した。
この五人の中で、コレアは市民社会との結びつきがもっとも弱い大統領だった。ルラとモラレスは、言うまでもなく、大統領になる前は労働運動のリーダーだった。ルゴは牧師で、解放の神学の影響を受け、農村共同体で活動していた。チャベスは軍の中で昇進し、その経験を使って大衆的な人気を広げてきた。
それに対してコレアは、アカデミーの世界の出身だが、フォーラムに出席した五人の大統領の中では、現在の経済危機に関して最も深い、最も真剣な分析を示した。彼は最初に、新自由主義とワシントン・コンセンサスを批判し、「われわれは魔法のような瞬間にいる。新しいリーダーと政府が存在しているのである」と語った。
コレアは、一般的に資本主義は効率を重視し、社会主義は公正を重視していると言われていると指摘し、しかし、社会主義は資本主義よりも公正で、かつ効率的であると主張した。彼によると、ラテンアメリカ諸国は前進するためには国家的な発展計画を必要としており、エクアドルの新憲法はそのプロセスの一環である。
彼は先住民文化のためのプロジェクト、パチャママ(「母なる大地」)への支援を呼びかけ、今ではよく知られるようになった「スマク・カウセイ」の呼びかけを繰り返した。「われわれは環境への責任を負い、資源を次の世代に残す必要がある」とコレアは述べた。
彼は次のように主張した。資本主義は危機に陥っており、ラテンアメリカは新しいモデルを模索している。それはラテンアメリカの人々に尊厳をもたらすようなモデルである。エクアドルは依然としてベネズエラが呼びかけている「米州のためのボリバール・オルタナティブ」(ALBA)への加盟に抵抗しているが(そのことについてチャベスは、フォーラムの席上で公然とコレアに不満を述べた)、コレアはそれでも、ラテンアメリカの統合、「ラテンアメリカ合州国」を提唱した。
コレアは結語として、「われわれは変革の時代にいる。オルタナティブなモデルはすでに存在している。それは二十一世紀の社会主義である」と述べた。彼のレトリックの多くは、フォーラムにおける支配的な論調を反映していた。フォーラムにおいては、人々の感情は新自由主義的政策と反対の方向へと決定的にシフトしていた。
コレアはまた、自身が「人民」と一体であるとアピールするためにポピュリスト的な論法を採用する点でも、五人の中でもっとも熱心だった。コレアは先住民運動について肯定的な発言を行い、アフリカ系エクアドル人が経験してきた社会的排除の歴史について語った。このすべてが、資源の採掘をベースとしてエクアドルの経済を建設するという彼の決意をめぐって、社会運動との間での緊張関係が高まっている中でなされたのである。
コレアは批判に誠実に答えるのでなく、先住民活動家や環境活動家を「子供じみている」と非難している。大統領の発言から三日後に、先住民のテントの総括集会で、長年にわたるリーダーであるブランカ・チャンコソは、いかなる犠牲を払ってでも資源の採掘を進めると宣言しているコレアと同じ国に生きているのは「悪夢」だと非難した。
おそらく現在のラテンアメリカの大統領の中で、広範な人々から左翼とみなされており、フォーラムでもっとも激しい非難を受けたのはニカラグアのダニエル・オルテガ大統領だろう。彼は特に、女性の運動との全面的な闘争に入っている。
多くの左翼に問われる課題
ベネズエラにおけるチャベスの先例に習って、コレアは「石油ポピュリズム」を基盤として大衆的人気を集めようとしてきた。これは石油の輸出による収入を社会的なプログラムの資金に充てる政策である。しかし、石油価格の下落はこれらのプログラムを危機にさらす恐れがある。同時に、インフレの拡大が、コレア政権のこれまでの業績の一部を掘り崩す恐れもある。
コレアは二十一世紀の社会主義のための政策を進めることを公然と語っているが、産業の国有化に向けた動きは何もしていない。経済開発を基盤にして政府を強化し、環境や人民の権利に適切な関心を払わないことによって、彼は支持を減らしたが、一方で、経営者の間では「現実的」という評価を獲得しつつある。
コレアは、もう一方では、大衆的人気を持続させるために、多くの政策提案を実際に実現している。彼は米国にマンタ空軍基地の前進作戦拠点(FOL)を貸与する協定(今秋に期限を迎える)を更新しないことを約束し、米国政府は撤退準備を進めているようだ。
昨年十二月に、コレアは対外債務のうち三十億ドル以上を不履行にした。彼はこの債務が軍事政権との契約に基づいており、不正かつ不当であると主張した。多くの人々は彼を支持し、彼はエクアドルの主権を擁護していると評価した。コレアは、教育や医療への支出を三倍に増やしたほか、シングルマザーや小農民への給付金を増やした。これらの措置は彼の支持基盤の拡大に非常に役立った。
コレアはチャベスの戦略を模倣しようとしているが、彼の政策はチャベスほどラディカルではない。現在ラテンアメリカで政権についている多くの左翼の中で、コレアは穏健派を代表しており、あいまいな立場であり、ベネズエラにおけるチャベスのラディカル・ポピュリズムやボリビアにおけるモラレスの先住民社会主義よりも、ブラジルのルラ政権やチリのコンセルタシオン(「民主主義のための政党盟約」)政権に近い。
大衆運動にとっての危険は、コレアが左翼の言葉を利用しながら、基本的には右翼の立場から統治するというポピュリストの危険である。このような文脈の中で、社会運動(エクアドルにおいては、歴史的には先住民運動を意味する)が動員と関与を持続することが、個人的人気に依存するポピュリスト政権に対するチェック機能として依然として重要である。もしコレアが彼の政権の希望に満ちた約束のいずれかを実現に向けて進めるとすれば、それはこのような下からの、左へ向けた圧力によってだろう。
コレアが依然として例外的に高い大衆的支持を得ている地域は、近年、一連の大統領を非常に好意的に迎え、その後まもなく、彼ら彼女らの階級的利益に反して統治するに至ったリーダーたちを激しく非難してきた地域である。チャベス(および、ある程度まではボリビアのモラレスも)は、政府を弱体化させようとする寡頭階級による試みにもかかわらず、強力な大衆的支持を維持することによってこの傾向に抗してきた。
コレアはカリスマ的なリーダーだが、エクアドルの人々の心理の中では、カリスマは長続きしない。エクアドルの歴史上の軍事独裁者かつポピュリストであるホセ・マリア・ベラスコ・イバラは五回大統領に就任したが、そのうち四回は、貧困層に対する約束を反故にしたために政権を追われた。最近では、アブダラ・ブカラムがおそらくもっともカリスマ的なリーダーだったが、彼の政権は一九九六年の選挙で勝利した後、わずか七カ月しか続かなかった。カリスマだけでは政治的安定を保証できない。
エクアドルでこの十年間に十人の最高責任者が短期間で政権を失った後、コレアは、もし二〇一三年まで現在の連合を維持し、再選を勝ち取るなら、十年間にわたって政権を握っていることになる。コレアは、彼の「市民革命」が国を変えるまでには八十年かかるとも言っている。
エクアドルをラテンアメリカで最も不安定な国の一つから短期間のうちに安定した国に変え、執行権力に対する強力な支配を維持する上で、コレアはチャベスの統治スタイルを模倣することができたと思われる。この権力がだれの利益のために役立つのか、特に、それが歴史的に周辺化されてきたサバルタン(下層大衆)の生活を向上させるために活用されるかどうかは、まだ答が出ていない。
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