| 革命勝利から60年の中国 かけはし2009.11.2号 |
二〇〇九年十月一日、中華人民共和国は建国六十年を迎えた。封建制を打倒し、列強諸国の侵略に抗い、軍閥支配を終わらせ、日本帝国主義をたたき出し、国民党を台湾へ追いやった中国民衆と中国共産党の勝利は全世界の人民の勝利として歴史に刻み続けられている。それから六十年、中国は大きく変容した。以下の論考は、現在の中国を階級矛盾と社会闘争の立場から論じたものである。(本紙編集部)
ストライキで民営化を粉砕
八月十一日の『瞭望』(新華社発行の週刊誌)に掲載された文章は、通化鉄鋼(以下、通鋼)事件(訳注1)が「労使矛盾が『臨界点』に達している」ことを示すものだと指摘している。なぜならそれは「一つには労働者の自発的な大規模集団行動、二つには労使衝突における暴力化の傾向」という二つの特徴を有しているからだと言う。
この文章は、第三の特徴については述べていない。それは、労働者が集団的な実力行動を通じて勝利し、「四年も解決できなかったことが三時間で解決した」ということである。長年来の労働者による苦難の闘争が導き出した総括、すなわち「大きく騒げば大きく解決し、小さく騒げば小さくしか解決しない、全く騒がないと全く解決しない」を裏付けるものである。通鋼労働者の勝利は、濮陽市の林州鋼鉄公司の労働者を鼓舞した。かれらは市の国有資産管理委員会の副主任を軟禁して、会社と市委員会の譲歩を引き出し民営化政策を放棄させた。(訳注2)
『瞭望』は通鋼事件を「わが国の労使関係発展の象徴的事件である」と論評している。だがその意義はそれだけに止まるものではない。
専制主義的な共産党政権
六十年前の革命の勝利は、歴代の支配者が不可避的にとりつかれる思い込みを中国共産党にも抱かせることになった。すなわち歴史の発展を支配することができる、という思い込みである。そしてこの党は、これまでのどの支配者よりもその思い込みが強い。
「現代化」という総目標から考えると、中国における工業化促進の方法は粗暴ではあったが、六十年後の今日から見て、それは確かに成功したといえるだろう。その代償がいかほどのものかについては考慮せず、またその選択肢が社会主義に忠実であるかについても、この政党にとっては根本問題ではないようではあるが。
総じて、ソ連邦崩壊のような存亡の危機を回避した共産党の支配下にある中国は、米英でさえもご機嫌を取らざるを得ないほどの大国となった。
階級的観点からすれば、それはさらに威風堂々として周囲を圧倒し、すべての階級が中国共産党の足下にひれ伏して祝福している。かつて共産党が地主階級とブルジョア階級を消滅させようと思えば、実際そのとおりになった。そして現在では、ブルジョアジーを復活させようと思えば、それは階級としての復活を果たした。共産党が労働者階級を「主人公」に封じれば、労働者階級は大いに喜んだ。だが共産党が官僚ブルジョアジーのために資本主義を復活させると、労働者階級は二重の苦難を奉じることとなった。
六十年来、共産党は一切の階級の上に君臨し、まるで粘土をこねるようにそれぞれの階級の模範をつくりあげた。ときにはその模範自体も解体してしまった。復活した私的資本が官僚資本家よりも功績をあげたとしても、その自主的組織は一切認められない。資本主義復活は当然にもいくばかの隙間をもたらし、権利擁護を求めるNGOなども登場し始めた。しかし特務機関の監視の下、常に消滅の淵にあるか、あるいは一切の自主性を発揮することができないかのどちらかである。民間の自主組織を消滅させるということについて言えば、中国共産党はこれまでのどの専制主義的王朝をも上回っていると言えるだろう。
ピークに達する階級矛盾
だが、中国共産党がいかに強大であっても、歴史の真の支配者になることはできない。自らが搾取階級に後退してしまった現在においてはなおのことそうである。その専制主義的体質から、何をするにしても徹底してやりつくす(自分自身を縛る規律の強化を除いては)。それゆえ全国の労働者農民に対する搾取もピークに達している。だがこの状況はまた、階級矛盾の不断の先鋭化を導いている。それは、古い言葉でいえば、かれらの意志から独立したものなのである。
いまでは、中国の街頭で役人と庶民のいざこざを目撃した人のほとんどが、事件の詳細を理解するまえに役人のほうが悪いと直感するような社会状況になっている。これについては調査や研究の必要などなく、真剣に思考をめぐらせる必要もなく、そう言えるのである。これが官僚と民衆の矛盾の調和が不可能な兆候である。
この党は自らを万能であると考え、労働者人民を絶境に追いやり、結社の自由と言論の自由を圧殺しさえすれば、永遠に労働者人民をどうにでもできると考えている。だがここ十年来の経験は、結社の自由がなくとも、労働者人民の抵抗は各地で発生し、ストライキを制限する政府の法律を実質的に打ち破りつつあることを物語っている。
この十年、政府はそれらのストライキを、実質的な影響力を持ったり地域へ拡大しないよう制限することで満足してきた。だが通鋼の暴力事件は、影響力の拡大を制限することがますます困難になっていることを明らかにした。
この事件以前において共産党は、国有企業労働者の抵抗はとっくに片付け終わったと考えていたことだろう。出稼ぎ労働者の抵抗は、あちらこちらで発生はしているが、起きては沈み、大きな影響力を持つことはほとんどなかった。都市にルーツを持たない出稼ぎ労働者は、一体化した階級意識を打ち固めることが難しく、それゆえ異郷での仕事のために一切をなげうって抵抗することも難しかった。
このような事情から中国共産党は、国有企業労働者であろうと出稼ぎ労働者であろうと、その抵抗に対して、軽々しくは考えてはいないものの、「一切の不安定要素は萌芽状態において取り除く」ことが可能であると考えていた。よもや、国有企業労働者の抵抗が捲土重来し、その勢いも拡大するなどとは考えてもいなかったのである。国有企業労働者の抵抗は、いったん拡大すればその影響力はきわめて大きい。それらの企業は往々にしてその地域における大型企業であり、労働者はコミュニティーを基盤としていることから団結力も強い。ストライキの影響が拡大すれば、現地の政治と経済に対する影響は大きなものとなる。
もし今後、国有企業の労働者と出稼ぎ労働者の闘争が肩を並べて発展すれば、その影響力は非常に大きなものになるだろう。短期的には、孤立したエピソードとしての通鋼事件が労働運動高揚の前触れとなるかどうかの判断は難しい。だが長期的には、抵抗運動の高揚は不可避である。ついでにいえば、それは官僚専制主義に対する必然的反発である。
この間、中国共産党は、若干の民衆優遇策で階級矛盾の調和を図ろうとしている。部分的には一定程度の効果がある可能性は排除できないが、根本的には何ら問題を解決することはできない。なぜなら、部分的改良の政策は、すべて官僚機構を通じて実施されるが、それは強盗に金庫番を頼むようなものである。官僚は常に次のことを忘れているか、思い出したくないようである。
官僚機構は問題解決の方法ではなく、それ自身が問題の所在であるということを。結局、たとえ当局がどれだけ結社の自由を制限したとしても、階級闘争はやはりその路を自ら切り開く。これこそが通鋼事件の示したことである。
政府にはもうだまされない
この事件からは、さらに労働者の思想的発展を見出すことができるだろう。それは少なくとも一部の国有企業労働者がこれまでの敗北の教訓をいくばかりか学んでいることを明らかにしている。それゆえ、政府の甘言には簡単にはだまされず、逆にすぐに抵抗することができ、しかも直接行動によって成果を勝ち取ることができた。かれらは曹征路の小説「那兒」(訳注3)で描かれていたような国有企業の労働者、すなわち訳の分からないままに政府のペテンにだまされて、無一文の失業者になってやっとその事態に驚愕する、というようなことはなかった。
十年前、四千万の国有企業労働者がレイオフに直面したとき、多くの労働者が、事態をはっきりと把握できずに悲鳴を上げた。「どうして中央政府の改革政策はいつも労働者を攻撃するんだ?」と。通鋼労働者でさえも二〇〇五年の時点では、いささかなりとも事態を把握していたにもかかわらず、闘争の決心は固くはなかったことから、多くの労働者がレイオフされた。このような痛恨の教訓を汲み取ることで、労働者がレイオフされるのは官僚搾取階級の本質であることをいくらかでも理解することができた。
労働者だけに止まらず普通の庶民の間でも理解が深まっている。警官を殺害し死刑になった楊佳に広範な同情が集まり、役人の性暴力から身を守るためにその役人を殺害した玉嬌が刑事罰を免れ、買収合併先の建龍社の経営陣の陳国君が通鋼労働者に撲殺されたのちに省政府が「建龍社の経営参入は永遠にない」と約束したことなどを鑑みれば、官僚も自らがすでに民衆の非難の的になっていることに気が付いており、筋が通らず劣勢に立たされ、矛盾の一層の激化を恐れている。それゆえ腰を低くして譲歩している。もちろん事後の弾圧や報復はあるだろう。しかしだからといって、通鋼労働者の輝ける勝利とそれが引き起こした波しぶき、そして労働者の思想的な発展を打ち消すことはできない。
おそらく人びとは、誰が人民の友であるのかについては分からないかもしれないが、誰が人民の筆頭の敵であるのかについてははっきりと分かっているだろう。そして、なぜこの敵が実力をもってしか人びとに主張を押し付けることができなのかについても一層はっきりと理解している。
とはいえ、決して自らを偽ってはならない。現段階は、労働運動の高揚期ではない。通鋼事件は依然として単独のエピソードに過ぎない。民衆の憎悪は深いにもかかわらず、多くの人びとは為す術がないと感じており、抵抗するものは少数で、成功の事例は更に少ない。中国共産党の支配に対する自信は単独のエピソード的事件では動揺しない。だが、この事件が新たな段階の始まりの予兆となるかもしれない。
十年前、ある国有企業のレイオフ反対闘争のなかで弾圧に当たっていた警察は拡声器でこう叫んだ。「八九年の大規模群衆事件(1989年春の民主化運動:訳注)でさえも押さえつけることができたんだ。お前らなんか物の数ではないぞ!」そして「物の数ではない」労働者たちはみなおとなしくレイオフされた。だが今回の通鋼と林鋼の労働者たちは断固として官僚たちの威風を打ち壊した。これは恐らく、八九年民主化運動の敗北が生み出した恐怖感が徐々に打ち消され、階級的義憤が増大していることを反映している。
御用メディアは危機を感じとっている。組織がなくとも労働者は抵抗し、そして勝利してしまった、と。『瞭望』や「東方早報」などのメディアは自問自答している。「なぜ従業員代表大会と労働組合は労働者の意見を反映させる力を発揮しなかったのか?」と。当たり前だ!それらの機関は単に企業経営の付属物に過ぎないからだ。「珠江晩報」は「従業員代表大会が自立しないなら、いっそ無くなってしまった方がいい」という大見出しをつけた記事を報道した。だが喜ぶのは早い。これらの報道の本当の目的は、労働者を困難な法廷的闘争の過程にのみ引きずり込み、反抗精神をその過程で押しつぶしてしまおうという意図があるからだ。
よりよく権利を守るためには抵抗が必要であり、よりよく抵抗するためには組織が必要である。それは最も困難な道でもある。だが階級闘争は威風堂々と進むだろう。その流れに従うものは栄え、逆らおうとするものは滅びるだろう。労働者大衆は自ら道を切り開くに違いない。四川大地震の被害者や毒粉ミルク被害者らがさまざまな組織を結成していることを鑑みれば、長年にわたり労働規律の薫陶を受けてきた労働者たちが、この関門を徐々にでも突破することができないと考える理由はないだろう。
形式ではなく現実から出発を
労働運動の前衛は座して待っていてはならない。何らかの動きをはじめなければならないだろう。だがそれは長期的な展望に立つべきであり、また現実から出発しなければならないだろう。海外の一部の友人たちは「独立労組を組織せよ」とアドバイスしている。それは政治的には正しいだろう。しかしあまりに大胆で荒っぽい提起である。
労働者の抵抗が普遍的に登場していない中で、「独立労組の組織化」が直接的な行動目標となることは困難であり、もし実践したとすればすぐに政府から「非合法組織」として粉砕されてしまうということを、はっきりと理解すべきである。「独立労組」という目標は、現段階では一種のイデオロギー教育の域を出ない。もちろんそれが例外的ケースとしてありえることをわれわれも排除しない。だがあくまで例外であり一般化することはできない。
状況に応じて、比較的弾力性のある「自主的団結の発展」という方針を用いるべきだろう。それは、初期において発展する組織は、かならずしも労働組合的な性質を持っているとは限らないし、正式な名称や組織形態さえもないかもしれないからだ。あるいは労働組合の場合でも、組織や名義の上では官製労組から独立していないかもしれない。
国内外の経験は、労働者が階級的独立性を勝ち取る長期にわたる闘争において、組織形態の上で臨機応変に対応してきたことを明らかにしている。最初の段階から、完全に独立した労働組合を発展させてきたケースもあれば、執行部に対して民主的選挙を迫り、選挙の結果、執行部を変えさせたというケースもある。名前の上ではこの労働組合は政府系労働組合に属しているが、現実は現場労働者の自主的組織として活動している。独立労組が登場していなかった一九八〇年代の台湾でも上記のような二つのケースが存在した。
今日の中国において、力関係は依然として労働者に不利である。それゆえとりわけ後者のケースを排除することはできない。この後者のケースにおいても当然ひとつの前提がある。つまり進歩的労働者が中心となって教育、鼓舞、調整を行っているということである。これにはどのような名義や形態もありうる。
総じて、いわゆる「独立」は、その言葉に拘泥してはならない。重要なことは、表面的な組織名称ではなく、実質的にどうなのかである。現実から出発しよう。形式ではなく実質を重視しよう。小さな範囲から大きく発展させよう。その具体的な方策は労働者階級自らが模索するだろう。この区別ができずに、お題目ばかりを唱えていると、良かれと思ったことが逆に禍を引き起こすことにもなりかねない。
2009年9月1日
訳注1 通鋼事件 今年七月二十四日、中国東北部の吉林省通化市にある同省最大の国有企業、通化鋼鉄グループの労働者や家族らが実力闘争によって合併民営化計画を断念させた事件。争議に巻き込まれた経営者一人が労働者らによって撲殺された。事件の詳しい経過および先駆社の評価などについては、アジア連帯講座ブログの当該記事「中国:国有企業の民営化合併案をストライキで粉砕」を参照。
http://solidarity.blog.shinobi.jp/Entry/544/
訳注2 今年八月、河南省濮陽市林州鋼鉄公司の労働者と家族四千人が、国有資産の売却、解雇およびその補償額などに対する不満から四日間にわたり抗議行動を行い、工場のゲートを封鎖し、役人を軟禁した。五千人の警官隊と対峙した後、当局が企業売却計画を凍結した。
訳注3 中国の作家、曹征路の短編小説。国有の掘削機械工場の労働組合委員長が、民営化に伴う国有資産の流出を阻止しようとするが失敗して自ら命を絶つというストーリ。労働者にだけしわ寄せされる国有企業改革に対する批判が込められている。『当代』二〇〇四年第五期に掲載された。
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