| ヘゲモニーと統一戦線(上) かけはし2009.10.5号 |
急進的民主主義の諸限界を歴史的な観点でとらえ返す
ダニエル・ベンサイド |
左翼運動ではしばしばヘゲモニーという用語が使われる。そこには、革命を広い背景の中でとらえ返す重要な切り口が含まれている。しかしそれだけに元々多義的だった。自律的な運動が多様に展開される現代、そこにはさらに新たな意味が加えられようとしている。以下に紹介するベンサイドの論考は、このヘゲモニー概念を歴史と現実の運動と対照させつつ多角的に検討している。論考を貫くものは、危機に満ちた現代が求める労働者運動の政治的再構成の諸問題である。掲載は二回に分け、次号には簡単な解説を付す予定。(本紙編集部)
一九七〇年代、ヘゲモニーという考えは、「ユーロコミュニズム」諸政党がプロレタリアート独裁を真剣な討論を行うことなく放棄する口実として役に立った。しかしながら当時ペリー・アンダーソンが述べたように、グラムシにおいてその概念は、戦略的防衛(あるいは消耗戦……日本においては一般的に陣地戦と表現されている―訳者)から戦略的な攻勢(機動戦)への
避けがたい非連続的な跳躍的移行と変換を、排除していなかった(注1)。
問題出現の歴史的背景
この概念は、一八四八年革命(フランス―訳者)についてのマルクスの考察から姿を見せる。彼にとって、ルドリュ・ロランとラスパイユは、各々民主的プチブルジョワジーと革命的「プロレタリアート」の代表者だった。ブルジョワジーの連合を前に、プチブルジョワジーと小農民の革命的諸党は、一つのヘゲモニックブロックを形成するために、彼ら自身を「革命的プロレタリアート」に結び付けるべきだった、とされる。すなわち彼は以下のように書いている―「復活したナポレオン王朝に対する絶望とともに、フランス農民は自分の分割地にたいする信仰からはなれ、この分割地のうえにたてられた全国家機構は倒壊し、プロレタリア革命は合唱団をうる。あらゆる農民国においては、この合唱団ぬきのプロレタリア革命の独唱はとむらいの歌となる」(注2)―。勝利を内包した「合唱団」対葬送を告げる辞世の歌というこの対抗関係は、一八七一年に再度姿を見せている。そのときコンミューンは、「フランス社会のあらゆる健康な諸要素の紛れもない代表」と定義され、「コンミューンの革命」は、「他人の労働を糧に生きてなどいない社会の全階級」を表している。
十九世紀末からロシアの革命家たちが、反独裁の労働者と農民の同盟における、またブルジョワ民主主義革命の指揮における、プロレタリアートの指導的役割を特徴づけるために、ヘゲモニーというこの言葉を使用した。一八九八年からこうしてパルビュスは、異質性の高い都市住民に及ぼす多数派としての力だけにとどまらず、「道義的ヘゲモニー」を確立することがプロレタリアートにとって必要となる、と想定した。レーニンに従えば、これこそが、社会民主主義者が「住民のあらゆる階級に向かわなければならない」理由だ。何故ならば、「その犠牲となる者がどの階級にあろうとも、あらゆる虐待、専横や抑圧や暴力のあらゆる兆候に対決して立ち上がることに労働者がもし慣れていないとすれば」、労働者の意識が真に政治的になることはないだろうからだ。注意を引きつける者が誰であろうとも、労働者階級のそれを見る見方の精神や意識は、もっぱら、あるいは主としてであってさえ、それ自身だけでは社会民主主義的ではない。労働者階級は、現代社会のあらゆる階級の相互関係について正確な知識を持つ必要があるのだ。このレーニンは、「純粋社会主義」の主唱者であったゲードのドレフュス事件に対する姿勢よりも、ジョレスのそれにはるかに近い。
ドレフュス事件がもった意味についてのジョレスとゲードの間の論争に、ヘゲモニーという用語がたとえ見られないとしても、にもかかわらずそこには、その論理が現れている(注3)。「ブルジョワジーそれ自身のあまりに極端な知的道徳的退廃を防ぐことがプロレタリアートの利益の一部であるという、そのような時はある、とジョレスは言明する。…そしてこの戦闘において、まさに戦闘だったが、プロレタリアートは、それ自身のために、また文明化と人間性のためにその任務を果たした。まさにそれ故に、プロレタリアートはブルジョワジーが守ることのできなかったブルジョワ的自由の後見人となった」。彼は正しかった。しかしゲードも、ブルジョワジーが支配する政府への参加にはらまれる成り行きとあり得る結末に対する警告に関しては、間違っていなかった。
ジョレスにとっては、党の力が成長する程度に応じてその責任もまた大きくなった。そうであれば、「ブルジョワ社会の仕組みを統制するために、また」「革命の基礎作業」である「改良の諸計画において可能な限り協力するために、ブルジョワ政府に席を占めるべき」時はやってくると思われた。ゲードの場合はそれとは反対に、ブルジョワ政府内の一社会主義者は一客人以上の者では決してなかった。歴史の皮肉は以下のことを確定した。すなわち、非妥協主義者のゲードは彼の経歴を、民族主義的かつ愛国主義的同盟の政府における閣僚として終え、一方ジョレスは、この同盟にとっては将来のおそらく障害として殺害された、ということだ。
グラムシは、統一戦線のこの問題を、近代国家建設の歩みにおける、政治的文化的ヘゲモニーの獲得としてその目標を定める形で拡張した。すなわち、「近代の君主は、知的道徳的革新の布告者であり組織者でなければならず、またそれ以外ではあり得ない。そしてその革新は、近代文明の優れた全体的形態の現実化に向かう民族的―民衆的意志のその後の発展のための領域を創造することを意味してもいる」(注4)と。問題へのこの接近方法は、「東」における革命闘争を特徴付ける機動戦から、西においては「ただ一つ可能だと思われる」消耗(あるいは陣地)戦への移行、という一つの見通しの枠内で採用されている。そして「これは、統一戦線の概念が意味するもののようにわたし見えるものだ…しかしイリイッチには、彼の定式を拡張する時間がなかった」(注5)と述べている。
ヘゲモニーについての言及にはらまれたこの拡張された含蓄は、革命情勢に関わる理解をはっきりさせることをわれわれに可能とする。つまりそれに従えば、ある革命的情勢は、二つの非和解的な階級間の、その二集団だけに限定された衝突には還元できない、ということだ。賭けられているものは、全体としての国の未来に関わる一つの見通しの中で、社会の全構成要素間の相互関係のある種全般的危機を解決することだ。イスクラを「全ロシアのための新聞」にするために闘う中でレーニンは既に、「効率的な集団的組織者」を支持して主張するだけではなく、国全体の尺度に立った革命構想を特定の集団の中に閉じ込める、委員会の人間がもつそのような地方主義的偏狭性にも反対した。
一九二三年のドイツ革命の敗北の後そして戦後の革命的波の退潮を受け、任務は、情勢を常に革命的と告げ永久的な攻勢を主唱することではなく、政治的にまた労働組合の分野で根深くかつ容易には溶かしがたく分断されたヨーロッパ労働者運動の、搾取され抑圧された諸階級の多数を獲得することを通じた、ヘゲモニーのための長期的な闘いを理解することとなった。統一の中で動員することを追求する「労働者統一戦線」の戦術は、この目的に対応していた。
日々の心配事から始まり政治的権力の提起に至る一団の「過渡的諸要求」に関する綱領的討論は、ここから自動的に引き出される結論だった。この論争は、共産主義インターナショナル(CI)五回大会期間中の、タールハイマーとブハーリンの間に生まれた議論の尽きない対立の主題だった。しかしそれらの論争は、ソ連とCIにおける連続的な粛正の進展の中で、最初は二義的な水準に引き下げられ、次いで議事日程から消失した。
プロレタリアート独裁に対する反対の中で、「ヘゲモニー」に関する言及は議会制民主主義の単なる拡張やあるいは諸制度を通過するある種の長征へと切り縮められ、ユーロコミュニストは『獄中ノート』に込められたメッセージを水で薄めた。力の革命的検証についての上昇と下降、戦略的思考の分野を拡張しながら、グラムシは、プロレタリア独裁の問題をヘゲモニーという問題含みのものに柔軟度を許す形で接合した。「西側の」社会では、ヘゲモニーの先行的獲得なしには、すなわち、一つの特定階級のその集団に限られた利益を守るだけではなく、同時に社会的諸関係の全体的危機に全般的な対応を提供できる、そのような新たな歴史的ブロック内部における支配的/指導的役割をはっきりさせることなしには、権力獲得は想像できない。
革命はもはや一つの社会革命だけではなく、不可分に、民族的にかつ民衆的に一つの集団的意志を打ち固めるよう宿命付けられた、「知的道徳的革新」でもある(注6)。この展望は、「国家の衰亡」についての理解をわれわれが改めて検証することを要求する。なぜならば、その革命的画期は国家の急速な縮小には導かず、古い共同体国家に対立して、一つの政治的国家、一つの新たな倫理の創出に導くからだ。
したがってヘゲモニーという観点はグラムシにとって以下の内容を伴う
つまり、不満諸類型の単純な質的差をもたない足し算ではない、一つの歴史的なブロックの支配階級を包囲する柔軟性のある接合。
ポストモダンの混乱と歪曲
全体としての社会的諸関係と民族の歴史的危機を打開できる政治構想の定式。
一九七〇年代末に、ヘゲモニーという観点に対する混乱した依拠は、革命的変革に関する現代の諸条件への応答だけにとどまらず、プロレタリア独裁の検証抜きの清算が残した大きく口を開いた真空を埋めることに対しても権利を主張した(注7)。次いで、国家と党の正統的マルクス主義は明らかにその生命力を使い果たした。
この問題は一九九〇年代、異なった文脈の中で再浮上した。勝利を勝ち誇る新自由主義が描き出した水平線に突破口を開くために、エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフは、その解釈を曲げ、強い結びつきをもたない行動主体の一つのつながりとして、あるいは、中心的と思われる一つの対立だけに自らを従わせることを拒絶する社会的主体の一つの連合として、その概念を考えた。多かれ少なかれ戦術的であり可変的な諸連携の構成要素内部における一つの階級の排他的なヘゲモニーは、それ以降「同等な価値をもつもの」の連なりによって置き換えられることになる。
性差別主義、人種主義、差別、そして環境破壊に対する諸闘争は、左翼的なヘゲモニーを発揮するあるブロックを確立するために労働者の諸闘争に柔軟に接合される必要がある。困難は、この柔軟な接合にはらまれるさまざまな法則的枠組みの中にある。ブルデューはこれに対して、さまざまな社会的分野間に仮定される「同族関係」を手掛かりとして対応する。
しかし、客観的な論理による一つの全体としての社会の構造化―まさにそのようなものとしての資本による構造化―をすべて放棄するとするならば、柔軟な接合あるいはヘゲモニーはただ、ある前衛、あるいは倫理的な主意主義の指令を意味することしかできない。これこそ、ジジェクとラクラウの間で行われた論争の中心だ。後者が想定しているものは、階級という概念を保持しているように思われるある種の一番目戦略であり、いくつもの新しい社会運動が代表する諸アイデンティティーの重なりをその第一番目と調和させ、列挙される一連なり(「古き良き労働者運動」を忘れることのない、人種、ジェンダー、民族性、その他諸々の運動)の中にそれを置くことを試みている。
しかしながら、マルクス主義的な階級概念をこの列挙的連なりに、連なりにおける単なる環となることも構わないというほどに統合することは困難だ。そのときプロレタリアートは、その特別の役割を失うことになるだろう。それに代わる戦略は、労働者階級に関する理解の拡張を追求することのように思われる。その場合は、その中に分割線をもたない賃金稼得階級あるいは一体としての民衆というマグマにプロレタリアートを溶かし込み、こうしてその戦略的な機能をもう一つのやり方で失わせる危険を冒すことになる。
こうして「新しい社会運動」は、労働者階級に基礎を置く社会主義と頭文字のRをもつ革命の定義を、深刻に試練にかける。これに対してスラヴォイ・ジジェクは以下のように応じる。すなわち、階級闘争を二次的な水準に後退させるように見える政治的主体の拡散は、グローバル化した資本主義という具体的な関係の中における階級闘争の単なる結果にすぎないと。言葉を換えれば、階級闘争は、アイデンティティーや共同体の諸類型からなる万華鏡の中に溶けることはできず、ヘゲモニーは、等価物の目録の中に溶けることはできない。
社会的行動主体の政治的変転
階級間の境界の腐食が進行しつつある一つの社会に対する単一党という観点をアメリカのジャーナリストに正当化するスターリンのインタビューに触れながら、トロツキーは『裏切られた革命』の中で以下のように述べている。すなわち、「ここから明らかになっていることは以下の考えだ。つまり、諸階級は均質であり、その境界は鋭くきっぱりとひかれている。そして一つの階級の意識は社会におけるその位置に厳密に対応する。党の階級性に関するマルクスの教えはこうして戯画に変えられている。政治意識の動力は官僚的秩序の利害の中で歴史的過程から排除されている。
実際は諸階級は異質である。それらは内部的な対立によって引き裂かれ、諸傾向、諸グループ、諸党の内部的闘争を通す以外の方法では、共通の問題の解決に達することはできない。`一つの党は一つの階級の部分であるaとの想定は、一定の条件をつければ、あり得るかもしれない。しかし一つの階級には多くの`部分a―ある部分は前を見ある部分は後ろを見ている―が存在する以上、一つの同じ階級はいくつもの党をもつ可能性がある。同じ理由によって、一つの党はさまざまな階級の部分に依拠する可能性がある。一つの階級に対応した単一の党という事例は、政治史の全過程において見出されることはない―もちろん、読者が政治の見かけを実体と見なさないという条件の下でだが―」(注8)。こうして彼はいわば新たな道に方向を定めた。階級が政治的代表性の多元性を可能とするならば、そこには、政治と社会の間の何らかの相互作用がある。
第二インターナショナルの理論家たちは、経済的断片化が階級の統一を阻止し、その政治的再構成を不可欠としているということに留意してきた。しかし彼らは、この再構成では社会的な行動主体の階級的特性を定めることができなかった、ということを悔やんだ。ヘゲモニー概念はこの空白に対応しているように見える。それは、機械的進展と一方向の歴史的向きという幻想と手を切ることを、歴史的な不確実性を考慮に入れることを要求する。グラムシは、人が特定できることは闘争だけであり、その結果ではない、と語っている。
社会と政治の間に維持される距離は、反対に、決意による可能性としてのその柔軟な接合を想定可能とする。こうしてトロツキーは、生きた歴史的諸力を認識する代わりに、固まりきった社会的諸類型の囚われ人のままであるとして、彼の敵対者を非難した。彼は、社会学的な形式的諸類型への政治の分割を、理論的な遺骸と見た。
それ自身の類型に従って政治を考えることの欠落の中で(ボナパルチズムや全体主義についての力強い直感的な識別にもかかわらず)、しかし彼は、この謎めいた「生きた歴史的諸力」
を呼び出し、生きているものの創造性に向けそれらに訴えることに甘んじた。当時彼にとっては、レーニンにとってと同じく、ある種時期外れの革命、ドイツ革命やヨーロッパの革命を待ちつつ、来るかもしれないものを耐えて待つべく運命付けられた一つの例外としてのロシア革命以外には、何らかの他の結果はまったくなかった。そしてその待たれた革命は来なかった。
レーニン主義者の主張においてヘゲモニーは、階級連合内部の政治的指導性を表す。しかし、政治の領域は、あらかじめ想定された社会的利害の直接的かつあいまいさのない表現として考えられたままだ。しかしレーニンその人は、絡み合った複雑さの、ドンぴしゃにタイミングを合わせる、置換と凝縮からなる一つの戦略ゲームとして実践される政治の、いわば巨匠だった。システムの諸矛盾は、予測できない形(たとえば、一つの学生闘争、あるいは一つの民主的抗議)の下に、人が期待できようもなく破裂する可能性がある以上、そうであるしかなかった。世界大戦の中に、権力に向かう掃き清められた道に沿った社会主義への行進途上に挿入された、嘆かわしいが単なる迂回路を見た正統的社会主義者とは異なり、彼は、特別な介入を必要とする周期的発作性の危機として、この戦争を考えることができた。
社会的基盤と政治的指導性の間の本質的適合を仮定する正統主義とは対照的に、レーニン主義者のヘゲモニーが「第二インターナショナルの伝統の中にあるいかなるものよりも潜在的に民主的」(注9)な政治を想定している理由こそ、これである。
党と労働者階級の間に区別を置くことは実際に、政治の相対的自律性と多元性という展望に道を開いている。すなわち、もし党がもはや階級と混同されないのならば、後者は代表性の多元性をもつ可能性が生まれる。一九二一年の労働組合論争においてレーニンは、論理的に、国家機構との関係で労働組合の独立性を支持する必要を感じていた人々と共にあった。その結論すべてが引き出されているわけではないとしても、その問題をはらんだ緒論点は、「対立と破裂点の多元性」を示唆している。実践的に提起されしかしその後無視されたヘゲモニーという問題は、こうして、「権威主義的変転」と階級にとっては党の代用概念に行き着くことができた。ヘゲモニー概念の両義性は実際に、民主的急進化という意味の中にか、権威主義的実践のそれの中にか、どちらかに落ち着かされるに違いない。 その民主的な意味においては、それは、諸対立の多様性を共に結び付けることを可能とする。その際は、民主的任務が革命課程のブルジョワ的段階にのみ奉仕するとは限らない、ということを認めることが必要となる。ヘゲモニー概念の権威主義的意味においては、各々の要求の階級的本性が逆に、経済的下部構造によって先験的に(ブルジョワジー、プチブルジョワジー、プロレタリアート)固定される。ヘゲモニーの機能はそのとき、環境という風景の中で揺れ動き移り変わる諸連携という、「日和見主義」的戦術に切り縮められる。他方において複合的不均等発展の理論は、「純粋社会主義」を犠牲にする形で、「ヘゲモニー獲得の任務の絶え間ない拡張」を必要とするかもしれない。 (つづく)
※ 筆者はフランスの最も卓越したマルクス主義哲学者の一人であり、精力的に著述してきた。LCRの指導的メンバーでもある。
【注】
【注1】ペリー・アンダーソン、『アントニオ・グラムシの二律背反』、『ニューレフトレビュー』、一九七六年十一・十二月号
【注2】K・マルクス、『ルイ・ボナパルトのブリューメル十八日』
【注3】ルモンド紙、二〇〇三年五月十六日付
【注4】グラムシ、『現代の君主』
【注5】グラムシ、『獄中ノート』
【注6】「知的道徳的革新」という考えは、レナンとペギからとられている。彼らの考えは、ソレルを仲介にイタリアで反響を見出した。
【注7】エチエンヌ・バリバール、『プロレタリア独裁について』、マスペロ社、一九七六年、参照。ルイ・アルチュセール/エチエンヌ・バリバール、『共産党内にもはや永続化されていないもの』、マスペロ社、エルネスト・マンデル、『ユーロコミュニズム批判』、そして『ジャン・エランステインとルイ・アルチュセールへの回答』、『ラ・ブレッシュ』一九七九年
【注8】L・トロツキー、『裏切られた革命』
【注9】E・ラクラウ/C・ムフ、『ヘゲモニーと社会主義戦略』、ヴェルソ社、二〇〇一年。ダニエル・ベンサイド、『変化する世界』、テクチェル社、二〇〇三年、の中の「戦略の芸術としての政治」参照。(「インターナショナル・ビューポイント」09年7・8月号)
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