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ドイツ/ポルトガル                  かけはし2009.10.26号

急進左翼の躍進と罰を受けた社会民主主義

議会選挙が表現したもの
新自由主義政策――選択はコピーより本家本元がまし
ジャン・マレウスキー、フランソワ・サバド


 ヨーロッパの既成の政治的勢力関係が大きく変動し始めている。最も顕著な点は社会民主主義諸勢力の急速な縮小。その中で、ドイツとポルトガルでは、社会民主主義の左に立つ勢力が議会においても無視できない力をもつことになった。以下に紹介する論考は、その政治的背景と意味を探っている。(本紙編集部)


 二〇〇九年九月二十七日に行われたヨーロッパの中心と南部―ドイツとポルトガル―での議会選挙は、社会民主主義にとっては歴史的な選挙上の逆転を印した。ドイツでは、社会民主党(SPD)が支持票の三分の一、あるいは四百五十万票以上をこの五年で失い、今回記録した彼らの得票率、二三%は、一九四九年以来で最低だった。ポルトガルでは、現職首相のホセ・ソクラテスの党である社会党(PS)が、支持票の五分の一、あるいは五十万票以上を失い、得票率三五・五六%となった。この党は、もはや議会の絶対多数派ではなくなった。この結果は、一九九一年以来最低のものだった。
 SPDは二〇〇五年、キリスト教民主同盟―社会同盟(CDU―CSU)と共に、アンゲラ・メルケル(CDU)率いる「大連立」政権に入った。歴史的に社会的と名付けられてきた諸制度の解体政策に一九九八年から二〇〇五年まで従ってきた後、さらに、ドイツ憲法を侵犯し軍隊を対外干渉に使った(コソボ)後、そしてそのために既に選挙での支持縮小を味わった後のことだった。この党は今、その対価を支払っている最中だ。ある世論調査によれば、今回SPDを見放した選挙民は、棄権を選ぶ(160万人)か、CDUへの投票(62万人)によって、どうせブルジョア政策に従わせられるのならばそのコピーよりも本家本元の方がましと決めたか、あるいは、野党諸組織を選んだ(78万人が左翼党へ投票、71万人が2004年以来政権から出ていた緑の党に投票)。
 ポルトガルのPSは、二〇〇五年に議会の絶対多数を獲得したが、ホセ・マヌエル・デュラオ・バローゾ(中道右派の社会民主党―PSD)(EUの現理事会議長―訳者)の反社会的な改良反転政策を継続し、むしろ深めた。この政権はいくつもの危機を前に、公的な金融政策の代わりに、国家資金援助による銀行家救出の方を選んだ。そして、当局の数字によっても失業は五十万人を超え、その半数近くがいかなる失業給付も受けていない中で、解雇と全般化された職の不安定化を促進するために労働法を解体した。さらに、教育の反動的改革に着手し、いかなる前政権もあえて手をつけることをためらったような、市民サービスに対する公然たる戦争に取りかかった。社会党支持者は大挙して棄権を選んだ(棄権率は、登録有権者の39・46%という記録的水準にまで達した)が、また左翼(何よりも左翼ブロックへ)と右翼(自由市場主義のCDS―PP)に転じた。
加速する左翼
間の分極化

 社会民主主義の後退は急進左翼諸組織、左翼党と左翼ブロックに選挙上の空間を切り開いた。
 左翼党―民主主義的社会主義党(PDS、旧東ドイツの国家政党)と「労働と社会的公正のための選挙対案」(WASG、SPD政権の政策に失望した社会民主党党員と労働組合員、及び革命的左翼と社会運動活動家が創立)の合同の成果―は、得票率一一・九%、七十六議席と、重要な前進を印した(前回2005年9月には、同8・7%、54議席)。そして今回初めてこの党は、旧西ドイツ地域で平均八・三%という得票率を記録した(そして旧東ドイツ地域では26・4%)。この党は、「社会的国家の再構築」、特に時給十ユーロの最低賃金支持とアフガニスタンからのドイツ軍撤退を、その選挙キャンペーンの中心に置いた。左翼党はまた、九月二十七日同時に行われた州議会選挙でも、ブランデンブルグ(旧東ドイツ、27・2%)とシュレスヴィッヒ―ホルシュタイン(旧西ドイツ、6%)の両州で好成績を残した。直前の八月三十日の州議会選挙でこの党は、既に躍進を果たしていた(旧東ドイツの2州、ザクセン州の20・6%とチューリンゲン州の27・4%と並んで、旧西ドイツのザールラント州では21・3%)。
 左翼党のこの結果は、新自由主義の諸政策を前にした社会的抵抗、並びに有権者の一部、労働組合運動と社会運動の左翼に向けたある種の分極化、という要素を反映している。深刻に絡み合った経済危機、そして伝統的な諸政党の危機は、急進的な左翼の上に結果として一つの空間を開いている。
 しかしこの状況はまた、左翼党の内部に今後の方向に関する政治的な論争を呼び起こしている。党は分裂している。その多数派は一種の制度的な進入を追求し、ベルリン市で既に起きたことだが、SPDとの連携の下に資本主義の危機の管理を望むと思われる。オスカー・ラフォンテーヌ(元SPD党首、当時のシュレーダー首相との路線闘争に敗北し閣僚を辞任、後離党した。その後WASGを組織し、現在左翼党の共同代表―訳者)は、SPDと緑の党との連立によるザールラント州統治という考えをまだ捨てていない。それらの連立は算術的には、チューリンゲン、ブランデンブルグ、ザクセンーアンハルトでもまた可能となるだろう。
 それらの方向は、ドイツにおける政権形成政策に向けた、左翼党の紛れもない統合への道を開くと思われる。そしてそれは、東ドイツ時代の党の姿に郷愁を覚えつつ、この結果を、彼らが従わざるを得なかった隔離の時代がもう十分に経過したと考える人々にとっては、彼らの大望を現実化するものでもある。
 逆説的だが、左翼党の成功は、こうして新旧の左翼間の分極化を加速する可能性が高い。反資本主義的な左翼は少数派だ。前に控える危機に対して、彼らは、党の確保点―NATOからのドイツの脱退という要求、そしてそれは、ドイツの政権に向けた党の統合に対する一つの障害として残っている―を守るだけではなく、同時に来る諸闘争における代替方向を定式化する、この双方を行う能力を持たなければならない。
 逆にポルトガルで前進したものは、新しい急進左翼、明確な反資本主義勢力だ。三つの反資本主義勢力(毛沢東主義を起源とする人民民主連合、第四インターナショナルポルトガル支部である革命的社会党、そして共産党から左に分裂した潮流であるポリティカ21)の連合から姿を現した左翼ブロックは歴史的な成功を刻んだ。二〇〇五年の選挙における三十六万四千四百三十票(6・35%)に対して五十五万七千九十一票(9・85%)という結果を基に左翼ブロックは、その議席を倍増させた(16議席)。何よりもこの党は、議席をリスボン、ポルト、セツバルだけではなく、アベイロ、ブラガ、コインブラ、ファロ、レイリア、サンタレムでも確保し、真に全国を代表するものとなった。そして、全国規模で共産党(44万6172票7・88%で、2005年比で1万4千163票増、1議席増の15議席だった)を上回る第四位の大きさをもつ政党となった。左翼ブロックにとってこの成功は、十月十一日に予定されている地方選での成績を高める助けともなるはずだ。
 議会多数派、あるいは政権に関する左翼ブロックとポルトガル社会党間の協定の可能性という、特に選挙運動最終盤に提起された問題に対しては、フランシスコ・ルカ(左翼ブロック代表であり、革命的社会党メンバー)の回答は明快だった。それは三つの文字で概括され得る、つまり「NAO」(ノー)だ。この立場は、来る政治的な戦闘においては、ヨーロッパの全反資本主義左翼にとって一つの立脚点であり、模範例だ。 選挙結果発表後にルカは、次に迫る未来を思い起こさせつつ、三つの緊急優先目標を広く訴えた。
 「第一は、ホセ・ソクラテス(社会党首相)が失業給付を取り下げた人々に対する社会的な失業援助だ。強力な左翼は、雇用の不安定化に対決し新労働法の廃棄を求める闘いにおいてより好条件の位置に着いているだろう」と彼は語った。
 第二は現在の教員評価制度に終止符を打つことだ。「議会絶対多数を失い多数の票を失っても、社会党は勝利を叫び立てるだろう。しかし今日、マリア・デ・ルーデス・ロドリゲス(現教育相)は議席を失った。われわれは教育のために立ち上がってきた。われわれはその闘いを続けるだろう」。
 左翼ブロックの第三の優先目標は、大資産に対する課税だ。それは、最低給付年金の四十年勤務後の完全年金に向けた漸次的統合に対する資金投入のためだ。左翼ブロックの歴史的強化によって、「いかなるものも以前と同じとはならないだろう」、ルカはそう語った。「左翼ブロックは今とは違う社会を求める左翼であり、闘いの左翼だ。それは、社会党の絶対多数がもたらした専制と尊大に制裁を加える……われわれがいる位置は、空港の私有化のような新たな私有化に対決する位置であり、公共サービス破壊に対決する位置であり、全国的な公衆衛生部門の破壊に対決する位置だ」と彼は結んだ。
 今回の結果を評論し、左翼ブロックの前議員であるアルダ・ソウザは以下のように書いている。「議会では、左翼ブロックと共産党は合わせて有権者の一八%を代表する三十一議席を確保している。社会党の左にこのような結果が生まれたことは、かつて一度もなかった。議会少数派として社会党は、左翼の諸提案―われわれが提案し、またわれわれの綱領と選挙民の委任から生まれるそのような―の通過を選ぶか、それともPP(国民党)という形をとった反動的な右翼との連立を選ぶか、いずれかを余儀なくされるだろう。政治的枠組みはより分極化されている。来る数カ月に政治的社会的闘争は成長するだろう。それらは左翼ブロックを当てにできる。そして党は今までよりも強い」と。
経済危機の持続
と政治的不安定

 急進左翼のこれらの成功が例え希望を支えるものだとしても、この選挙から現れている諸政権は賃金労働者に攻撃的なブルジョア政権となるだろう。それらの政策は、あらゆるものを犠牲に利潤率の引き上げを追求するだろう。ブルジョアジーとその閣僚―ホセ・ソクラテスのような社会民主主義者であれ、アンゲラ・メルケルのようなキリスト教民主主義者であれ―は、彼らの政策の中にある種の「ケインズ主義的な転換」を思い描くようなことは決してない。
 その逆に彼らは、「収益性の回復」と、この目標の中で労働力の搾取を高めることを追求する。それ故彼らがこの選挙から読み取ることは次の事実だ。つまり、例え彼らの党が敗北を味わったとしても―CDUはPSPと同様に、特にバイエルン州で得票を落とした―、今回首位となった党は彼らであり、統治の継続が可能、ということだ。彼らは、一時野党の立場にあったことによって生き返ることになった小さな右翼諸党―ポルトガルでは、CDS・PP、あるいはドイツでは自由民主党―を当てにできる。そしてそれらの党の絶えず繰り返される唱和(「より少ない税」、「より小さな国家」)は、社会民主主義諸政権の年月を経て、新しい理念として立ち現れる。

 急進左翼の新星は、ヨーロッパの南と北で、死んだ、あるいは死につつある大きな星の外見上の光度を縁取りとして、何としてもきわめて明るく輝かなければならない。
▼ジャン・マレウスキーは、反資本主義新党(フランスNPA)のメンバーであると共に、『インプレコール』誌編集者、かつ第四インターナショナル(FI)執行ビューローメンバー。
▼フランソワ・サバドは、FI執行ビューローメンバーであると共にフランスNPAの活動家。彼は長期にわたって、フランス革命的共産主義者同盟(LCR)全国指導部の一員だった。(『インターナショナルビューポイント』09年10月号)
               


ヨーロッパ青年キャンプを開催
中南米・東欧諸国からも参加
反資本主義左翼の問題を討論
NPA青年書記局


 今年、ヨーロッパ国際青年キャンプは、ギリシアで開催され、全ヨーロッパから四百六十人の青年が参加した。フランスのNPA(反資本主義新党)からも百六人が参加した。

460人の
青年が参加

 毎年、前LCR(革命的共産主義者同盟)が所属し、今日、NPAがその関係を保持し続けている第四インターナショナルは、反資本主義的で革命的な青年活動家を結集する一週間のサマーキャンプを組織している。
 第四インターナショナルに所属する組織のメンバーやシンパ組織や友好関係にある組織のメンバーなどが、ギリシア、イタリア、スペイン、フランス本土、マルチニック、ポルトガル、ベルギー、スイス、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、オランダ、フィリピン、メキシコ、ブラジル、トルコからやって来た。
 今年は、ポーランド、ロシア、ベラルーシ、クロアチアなどの東欧諸国からも参加したという点に注目しなければならない。こうした出会いの機会に、青年活動家たちは、自分たちの闘争経験を交換し、全世界で青年と労働者が受けている攻撃について語り、資本主義を打倒するために資本主義の機能とメカニズムのよりよい理解を育むことができた。

抵抗する力に
再び自信を持つ

 今年は、経済危機についての討論を深め、危機が全世界の労働者にもたらしている悲惨な結果の度合いを測る機会となった。大量の解雇、爆発的に拡大する失業、強まる抑圧、公共サービスと教育の分野での新自由主義的な対抗改革、などが危機の結果となっているのだ。教育分野における類似した改革が、フランス、イタリア、スペイン、クロアチアで行われてきた。
 全世界の至る所で重要な闘いが存在していることを確認することによって、キャンプ参加者たちは自分たちの抵抗する力について再び自信を持てるようになった。昨年十二月、ギリシアは、警察の弾圧や青年の生活条件が損なわれる将来に反対する青年の大規模な反乱に見舞われた。教育の分野では、とりわけ大学において、重要な闘いがフランスやイタリアで展開されている。大学の学部が、クロアチアやスペインでも占拠されている。

フランスNPA
の経験を共有

 資本主義の危機と伝統的左翼の右傾化の進行に直面して、抵抗を組織する能力のある党を建設することが中心問題である。ギリシアでは、革命的左翼は、十二月の反乱を中心として革命的左翼が結集しているし、スペインでは伝統的左翼から独立した党が結成され、欧州議会選挙の時に政治の舞台に登場した。
 こうして、サマーキャンプは、反資本主義の新党の建設をめぐる意見の交換の重要な機会となった。フランスのわれわれ青年活動家は、NPA(反資本主義新党)結成の過程についてのわれわれの経験を他の国の青年活動家と共有してもらうことができたし、われわれ自身は他国の経験を学んだ。NPAのよりいっそう多くの青年活動家が今後、青年キャンプに結集し、それを通じて生きた国際主義を経験するものと期待している。(『トゥテタヌー』22号、09号9月17日)


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