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韓国はいま 集示法―毒素条項改正の「第1歩」     かけはし2009.10.19号

夜間集会を禁止した10条に
違憲の判決、他にも問題条項

 日の出前や日没後には集会・示威(デモ)をすることができないとする「集会ならびに示威に関する法律」(集示法)10条は、早くから市民・社会団体などが毒素条項として指摘してきた。
 辛うじて幸いなことに9月24日、憲法裁判所が憲法不合致の決定をすることによって該当条項は遅くとも2010年6月末になれば、その生命は終わる。今やボールは国会に投げ返された。夜10時だとか11時だとか誰が見ても明白な夜の時間帯を決めて、それ以降の夜間屋外集会を禁止するのか、それとも最初からそのような関連条項はなくしてしまうのか、そこは国会が判断しなければならない部分だ。
 この際、これまで毒素条項とみなされてきた集示法の他の条項も一緒に手を入れるべきだとの声が高まっている。憲法的権利である集会・デモの自由を警察が恣意的に翻弄しながらも憲法の衣を装って勝手気ままに仕立てている諸条項だ。

主要道路での集会禁止

 まず、警察署長が主要都市の主要道路で開かれる集会・デモを交通の疎通を理由として禁止できるようにした12条が第1に挙げられる。主要道路は大統領令で定めるようにしているが、九月現在、ソウル、釜山をはじめ春川、木浦、晋州など21都市の89の主要道路が含まれている。
 ソウルの場合、西大門区チャハ門前から光化門〜南大門〜ソウル駅〜三角地を経て漢江大橋南端までの道路が1番目のリストにあがっている。九老区梧柳洞から汝矣島を経て鍾路〜清涼里〜忘憂里に至る道路も対象だ。退渓路、南大門路、三一路、東華門路、大学路、テヘラン路などに至るまで、警察署長の判断によって集会・デモを禁止できる道路は、ソウル市内の大きな道路という道路を含んでいる。
 実際に警察はこの条項を、吊るした干し柿を抜き食いでもようするように、楽しんで使っている。昨年、警察が禁止通告した集会・デモ299件のうち交通の疎通を理由にあげたものが69件にもなった。場所の競合を理由として禁止した140件に次いで2番目だ。キム・キチャン高麗大教授(法学)は「交通確保の価値が集会自由の価値よりも重要であることはありえないにもかかわらず、わが国は交通の妨害が絶対価値であるかのように、集会を抑圧する口実として活用している」と批判した。
 場所の競合を理由として警察署長が集会・デモを禁止することができるようにした8条2項も同様だ。法は明らかに「その目的から見て互いに相反したり妨害となると認められれば」禁止通告できると制限しているものの、警察の目にはこの制限規定さえ見えない。
 警察は去る8月、統一関連団体である「平和と統一を開く人々」(平統人)がソウル・光化門のKT前で光復節集会を開こうとして申告した集会を禁止したが、その理由はKT光化門支社が同日、キャンペーン性の集会を行うと前もって申告した、というのだ。光復節の集会とキャンペーン性集会が相反したり妨害となるだろうと見る警察の認識水準が疑われるケースだ。
 結局、ソウル行政裁判所は、「平統人」が警察の禁止処分を取り消してくれ、として出した訴訟で「警察の集会禁止処分は憲法が保障している集会の自由に対する過度な制限」だとして平統人の主張を認めた。警察は3カ月前にも平統人側が同じ場所で開こうとした集会を同じ理由で禁止し、裁判所はこの時も警察に禁止処分を取り消せ、と判決を下した経過がある。

警察は「禁止」を乱発

 「集団的な暴行、脅迫、損壊、放火などによって公共の安寧秩序に直接的な脅威を及ぼすことが明白な集会またはデモ」を禁止できるようにした5条も、警察は愛用している。
 「民主社会のための弁護士の会」のパク・チュミン弁護士は「検察は夜間集会の禁止条項に対して違憲の決定が出されそうなので9月初め、パク・ウォンソク参与連帯協同事務処長ら、いわゆるキャンドル関連団体幹部らの罪名に集示法5条をさし込むという公訴状の変更を行った」のであり、「この条項に対しても違憲法律審判の提唱を推進し、裁判所が受けいれなければ憲法訴願(違憲訴訟)を出す方針を論議している」と語った。(「ハンギョレ21」第780号、09年10月12日付、チョン・ジョンフィ記者)


労働研究院長の変わらぬ「所信」
「労働3権は憲法からはずせ」
「政権に合わせてこそ存続できる」


 ある労働団体のトップが国会に出席して「私有財産権」をなくそうと言ったら、どうなるだろうか? おそらくパルゲンイ(アカ)として追われるか世論の叱咤によって取り返しのつかない「致命傷」を負うかも知れない。反対に韓国の労使関係・雇用などの労働問題を研究している国策研究機関長が国会で労働3権(団体権、団体行動権、団体交渉権)を憲法から除外することが自身の「所信」だと発言すれば、どうなるだろうか?

セミナーの取り消しに発展

 パク・キソン韓国労働研究院長が9月17日、国会政務委員長で自らの所信を堂々と披瀝したとき、労働担当の記者たちは、むしろ何とも感じなかった。彼の強硬な「語録」は既に労働界では広く知れ渡っていたものだから、その程度では何ともないと考えるほどだった。
 昨年8月、新たに赴任した彼の「所信」は2カ月後の10月、既に1度、問題となったことがある。国策研究諸機関を管掌している国務総理室傘下の経済・人文社会研究会が開いた「新たな発展戦略模索のための国政の課題セミナー」でパク院長は「非正規職法の効果と改善の方向」について問題提起をする予定だった。ところが彼が準備した問題提起文の内容が問題となり、セミナー自体が取り消された。彼はその提起の中で「非正規職法は否定的な効果が余りにも大きいから改善する必要がある」として「(現行2年となっている)期間制勤労者の使用期限制限を、はなから廃止しよう」と主張した。
 すると討論者として参加しようとしていた韓国労働組合総連盟(韓国労総)では大騒ぎとなり、セミナー前日に韓国労働研究院を訪れて激しく抗議した。パク院長はその翌日、韓国労総を訪問して謝罪したことが伝えられた。韓国労総関係者は「価値観の違いは認め得るけれども、労働研究院長の座としては違うのではないのか」と語った。
 実際のところパク院長にとってもふんまんやる方ない点もある。彼は先の大統領選挙で「ニューライト知識人百人時局宣言」に参加した経済学者だ。彼は今年、労働研究院がストなどによって取りこんでいた中でも、スウェーデンで開かれる自由主義者たちの集まりであるモンペルレン協会(The Mont Pelerin Society)に行こうとしたほどに「所信派」だ。新自由主義の信奉者フリードリッヒ・ファンハイエクが1950年代に作ったこの集まりは社会主義と労組を敵対視することで知られた。
 問題は彼がいかなるはばかりもなしに個人の所信を繰り広げるという所にある。ユ・ウォニル創造韓国党議員が明らかにした資料を見れば、彼は労働研究院内で「労組に与えられた労働3権はなくならなければならないというのが私の所信であり学者としての良心」だと語ったという。また「すべての正規職を非正規職にしなければならない」だとか「労働研究院を公共部門の構造調整の模範事例として作っていく」とも語った。
 労働研究院のある研究委員は「労、使、政すべてにバランスのある視角を持たなければならない労働研究院の責任者として、職責よりは学者的見解をそのまま持ち出すことが問題」だと語った。パク院長は今年7月の記者懇談会で「私が追求しているのは国民経済中心の労働政策」であり「政権が代われれば、その時その時の必要に合わせてこそ研究院の存続が可能となる」と語った。
 これほどになれば、経営界の人々もめったに口にできない発言を、労働研究院長が事もなげにしてくれるわけだ。反面、彼は自分と考えの異なる研究員らが外部の討論会に出ていったり言論に寄稿するのを妨害した。
 状況がこうなると労働研究院の博士級の研究員らはパク院長の一方的な経営に抗議し、今年7月に労組の組織を試みもした。研究院の他の研究委員は「実際のところ保守的な研究委員も少なくないが、それらの人々までが労組に加入したのを見ればパク院長(がいかなる人物であるか)を理解できるだろう」と語った。
 結局、韓国の労使関係を研究している労働研究院は今年、20余年の歴史上、初めての全面ストに突入もした。これまで数多くのストの現場から1歩身を引いて研究をしていた研究員らがパク院長のおかげで「労働者教育の場」であるストライキを体験することによって学んだわけだ。今年はパク院長のせいで労働研究院の研究実績が例年よりも少ない方だという。来年からはストという「生きた教育」を経験した労働研究院が、いかなる報告書を出すのか気になるところだ。(「ハンギョレ21」第780号、09年10月12日付、イ・ワン記者)



コラム
つまらない話


 ♪つくしのきわみ、みちのおく、うみやまとおく、へだつとも、そのまごころは、へだてなく、ひとつにつくせ、くにのため♪
 ♪千島のおくも、おきなわも、やしまのうちの、まもりなり、いたらんくにに、いさおしく、つとめよわがせ、つつがなく♪
 「蛍の光」の三、四番である。原曲のスコットランド民謡(久しき昔)もたいがい迷惑な話だ。
 衆院選で圧勝した民主党が、組閣を終え、華々しくデビューし、世間の耳目を集めているのを見聞きして、この「歌」を思い出してしまった。入り口は優しく、出口は危険なのだ。「蛍の光」の作詞者は複数いたのである。また、戦犯になった「桃太郎」の話も良く知られている。
 「国家公務員の天下りは全面禁止」を民主党は主張している。だがそれは、至る所に蔓延(はびこ)っている独立行政法人や公益法人等とそれへの補助金の削減、という全面的な再編合理化とセットでなければならないのは言うまでもない。
 地方自治体も同様に、昔ほどではないにしも、今なお天下り天国であることには変わりはない。係長級以上の「幹部職員」は定年後も、外郭団体を含む様々な「職場」を斡旋してもらうのである。共済年金が支給されるまでの期間だ。ヒラの職員より高額の賃金、ボーナス、退職金、年金等を受け取るにもかかわらずである。
 ヒラ職員には、定年後は何の恩恵もなく、年金を受け取るまで、ハローワークを走り回らなければならない。もっと言えば、官製ワーキングプアと言われる臨時職、アルバイトを増大させる一方で、管理職の減少は虫メガネで捜さなければわからないほどなのだ。
 さらに、大々的に導入された「指定管理者制度」が、正職員の大幅削減を強行しながら、他方で外郭団体がその受皿になり、そこへ幹部職員が「幹部」として天下るという構図がつくられてきているのである。
 国家公務員の天下りは、現在、約四千五百の法人に二万五千人だという。地方自治体幹部職員の天下りの数を合わせると、想像を絶する数になる。
 民主党は言うにおよばず、社民党、共産党もまた、地方の「天下り天国」は見て見ぬふりをしている。課長補佐以下の幹部職員を組合員に持つ、自治労や自治労連は、闘うことを放棄しているのである。「名ばかり労働組合」と揶揄されてもしかたがない。
 だが、このような、限りなく身内を暖かく優遇し、他を切り捨てる、政治や社会的風土を解体、再編することなくしては、本当の社会変革はないといえるだろう。(灘)


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