| 裁判員制度はやっぱりいらない!10・2全国集会 かけはし2009.10.19号 |
十月二日、裁判員制度はいらない!大運動は、四谷区民ホールで「裁判員制度はやっぱりいらない!10・2全国集会」を行い、四百五十人が参加した。
集会は、八月三日以降、東京地裁から全国の地裁で強行された裁判員裁判の実施と実態の検証、反対運動の集約と今後の方向性を提起した。
開会挨拶が呼びかけ人の今井亮一さん(交通ジャーナリスト)から行われ、東京地裁の裁判員裁判を傍聴したことに触れながら「検察は、モニター、CG画像などを使って『わかりやすく』やっていた。しかし、それはプレゼンテーション合戦でしかなく、裁判員にわかりやすい気分にさせているだけだ。新自由主義統治機構に国民を組み入れていくのが目的だ。拙速裁判、公判前整理手続きなどえん罪が増えていくだろう。裁判員制度は廃止しかない」と批判した。
藤田正人弁護士は、「はじまった裁判員裁判 その実態」と題してレポート報告が行われ、「その実態は、『市民参加』という名の刑事裁判ショー そして、簡易・迅速・重罰の『お白州』だった」と結論づけた。「お白州」とは江戸時代の奉行所の法廷のことだが強行された裁判員裁判は、似たような実態であることを批判した。具体的には密室で公判前整理手続が行われ、新たな証人・証拠の削減となり、裁判員の参加によって糾問的質問の連発、裁判官が裁判員に強引に質問させたり、被告人の防御権保障と真実究明のための当事者主義の原則が完全に捨てられ、重罰化の傾向が強まったことなどを取り上げ、被告人の権利が踏みにじられたことを取り上げた。
さらに「市民参加の偽装に徹底的に利用される裁判員」であることが「選任過程」、「審理過程」で明らかとなったことを強調し、とりわけ性犯罪事件では「ご都合主義的な秘密主義の徹底」「真実に基づく処罰とはほど遠い、極端な『ラフ司法』」であり、外国人事件裁判では法廷通訳人の問題について取り上げた。
今後の裁判に対して藤田さんは、「裁判員裁判が始まったばかりだけでこれだけの問題が列挙できる。これから審理が続々と全国で開始される。裁判員の負担は極限的になる。三日〜四日で終わらなければならない裁判員裁判によってえん罪が増えることは必至だ」と警鐘乱打した。
呼びかけ人の斉藤貴男さん(ジャーナリスト)は、「裁判員裁判は、『わかりやすかった』というが、つまりビジュアル化、ワイドショーというのが実態だ。裁判、報道も含めてリンチではないか。鳩山政権に対して制度見直しを言っていかなければならない」と訴えた。
パネルディスカッションでは秋田光治さん(愛知県・弁護士)、藤原隆里さん(台東区町内会)、今川和子さん(松戸市民)、ス労自主の棚橋竹三郎副委員長が各運動現場の報告と制度廃止にむけて今後も粘り強く取り組んでいこうと決意表明した。続いて福岡、岡山、大阪、東海、神奈川、埼玉、千葉から報告。
集会のまとめとして呼びかけ人の高山俊吉弁護士は、「各地で学習会を行い、その参加者がさらに周辺の人たちに呼びかけ運動を広げていこう。そこを拠点とし、横に結びつけていこう」とアピール。最後に事務局次長の川村理弁護士が「集会宣言」を読み上げ、「制度廃止の日まで、国会に、政府に、最高裁に、そして権力翼賛の日弁連執行部に、私たちの怒りを叩きつけましょう」と訴え、参加者全体で確認した。(Y)
読書案内 柳原浩 編 桂書房(1300円+税)
「ごめん」で済むなら警察はいらない
--えん罪の重層的構造を再現
本書は、「時間を返せ!人生を返してくれ!」と訴える富山えん罪国賠原告の柳原浩さんと支える会の協働作業で誕生した。権力犯罪を糾弾し、国家賠償請求裁判闘争勝利にむけた決意宣言書である。
柳原さんは、二つの強かん事件の犯人だとでっち上げられ裁判後、刑務所に下獄。出所してから真犯人が逮捕され、富山県警と地検が「誤認」逮捕を認め、柳原さんが再審で無罪となった。裁判員制度の実施強行直前においてあらためてえん罪事件の問題を浮き彫りにした。
富山えん罪事件の経過は次のように展開をたどった。二〇〇二年一月十四日、氷見市で強かん事件が発生(第一事件)。続いて三月十三日に強かん未遂事件が発生した(第二事件)。県警と氷見警察署は、犯人の似顔絵と柳原さんが似ていると「断定」、逮捕状なしで勤務先で身柄拘束し、夜遅くまで取調べを強行(4月8日、午前9時から午後11時)した。柳原さんは身に覚えが全くなかったため否定し続けた。二回目(九日)も苛酷な取り調べが行われた。長時間にわたる脅迫、いやがらせ、騙し、誘導などの人権無視が繰り返された。取調べの刑事は、県警本部刑事部捜査第一係長・長能善揚。三回目の取調べ=拷問の中で長能は、亡くなった柳原さんの母親の写真を見せながら「写真を見て、オマエは、やっていないと言えるのか」(本書の「いきなり警察が来た」から 柳原浩/聞き手・鎌田慧〈ルポライター〉)と何度も大声で脅迫し続けた。柳原さんは、極限的な身体精神状況の中で「写真を見ているうちに、くやしくてくやしくて、たまらない気持になり、一言『ハイ』と言うと逮捕状を持ってきて逮捕」となった。そして、五月五日、第二事件は証拠不十分でいったん釈放されるが、警察の敷地内で第一事件で再逮捕される。
柳原さんは、「怖いというのが頭に残っているものですから、何を言ってももうだめだという感じもあったので、『はい』といったら、そのまま既遂と未遂も、両方の容疑で逮捕です」「敷地から出ないうちに取調室に戻されてから、もう地獄に突き落とされた気分でした」と怒りに満ちた回想を行っている。
富山地検高岡支部は二事件とも起訴した。起訴検事は松井英輔。富山地裁で公判が始まり、十一月二十七日、懲役三年の実刑判決。その後、「『自分自身も悪いことをしたから刑務所に行かなければいけない』と思い込ませて、自分自身を殺して行くんです」と述べ、服役の悔しさを我慢しながら福井刑務所に下獄する。〇五年一月十三日、仮出所。七月十九日に実家に戻る。
ところが強制わいせつ事件で鳥取県警に逮捕(06年8月1日)された松江市の真犯人O被告が十一月、二事件を自供する。〇七年一月十九日、富山県警と富山地検が「誤認」逮捕を公表。富山地検高岡支部は同年二月、柳原さんの無罪を確定させるため、再審を請求した。十月十日、再審では無罪判決を言い渡した。
警察庁、検察庁は、自らのミスを認めて検証結果を明らかにした。しかし、なぜ捜査や起訴を間違えたのかの原因をえぐり出すものとは、ほど遠いものだった。そもそも「誤認」逮捕と称しているが、事件日時に柳原さんは自宅の固定電話から電話をしていた。アリバイは成立していたのであった。しかし警察はその電話記録を入手していたにもかかわらず、隠蔽し続け、柳原さんを犯人にでっち上げるために荒唐無稽なストーリーを練り上げ、強引に認めさせたのであった。権力犯罪であることは明白であり、富山県警と地検は、全情報を開示し、社会的に検証されなければならない。
警察は自己の犯罪をいまだに直視できない現れとして、柳原さんとある県警幹部と会った時、その幹部は「うちも悪かったが、あんたも悪い」などと暴言を吐いていた。つまり、「あんたが『自白』したから警察が間違えてしまった」と言いたいのが本音なのだろう。
えん罪事件を成立させていく弁護人の役割も厳しく批判している。国選弁護人は、柳原さんが犯人だという前提で「被害者のところにお金を払えば執行猶予がつきますよ」などと接見で言い出してくる始末だ。親族が柳原さんの承諾なしで被害者に示談金を払ってしまうとともに弁護士は、「もうお金も払ったから、大体いい方向に行くから、裁判官から何をいわれても認める方向でいきなさいと。決して裁判官に対して否認しないほうがいいですよという感じなんです」と権力犯罪に加担していく有り様が柳原さんの証言によって描き出されている。
このように本書は、柳原証言によってえん罪を作り出す裁判所・検察・警察・マスコミ・弁護士の役割がみごとに再現されている。また、代用監獄の廃止や取り調べの可視化の必要性を訴えている。富山えん罪国賠裁判は、富山県警、地検による違法捜査の全容を解明し、えん罪の原因を究明していく闘いだ。すでに富山国賠を支える会が発足し、〇九年五月十四日、百四十七人の代理人弁護団により、富山地裁に国賠提訴し、裁判闘争が果敢に取り組まれている。支える会は、「柳原さんにかけられたえん罪被害を人ごととはせずに、二度とこうした不当な権力行使が起きないよう、多くの市民が支援の環を拡げ、行動してくださるよう」にと呼びかけている。支援・連帯していこう。(Y)
b富山国賠を支える会
http://toyamakokubai.googlepages.com/home
新しい反安保行動をつくる実行委員会
安保の歴史的変質
再検証、巻き戻し問う
九月二十二日、新しい反安保行動をつくる実行委員会は、「今こそ日米安保条約を問う」をテーマとした集会を、東京・文京区民センターで開催した。一九九五年九月、米兵による少女への性暴力事件を契機に沖縄で広がった大規模な「島ぐるみ」の反基地闘争に連帯した運動を「本土」で作り出すために、一九九六年二月に結成された反安保実の第十三期の出発集会となったこの日の集会には七十三人が参加した。
おりから自公政権に代わって鳩山三党連立政権が発足した。三党連立政権は「緊密で対等な日米関係」を基礎に「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地の在り方についても見直しの方向で臨む」と「連立政権合意書」でうたい上げた。これは来年で五十年を迎える現行安保条約そのものを問い直し、その廃棄を提起する課題を、「本土」の労働者・市民に提起するものだ。
世界対応安保へ
そして密約秘匿
集会の最初の報告は武藤一羊さん(ピープルズ・プラン研究所)が行った。武藤さんは一九五二年に発効した第一次安保が「アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する」(第1条)という形で日本国家の中にアメリカを「取り込んだ」ものであり、自衛隊は「国軍」ではなく米軍の「予備兵」という位置づけであったこと、さらに一九六〇年の安保改定が国連憲章の縛りをかけた上で、日本が米国の「冷戦体制」に実体的に参加する意味を持ったものであることを改めて確認するとともに、その構造全体が一九九〇年代の「冷戦構造」崩壊と「ソ連の脅威」消失の中で、大きく性格を変えてきた経過について説明した。
一九九五年の在沖米兵による少女への性暴力と巨大な反基地のうねりは、一九九六年の安保再定義、SACO合意による新基地建設へのすりかえによって「うっちゃり」を食らった。そして日米安保は根本的に変質し、「世界の中での日米安保」として米軍の世界戦略に日本が無条件に従い、参加するものになっていった。それは一九九七年の日米ガイドライン、さらに「ブッシュの戦争」を経た「米軍再編」において、日本の自衛隊を日本の主権を超えて米国が直接に指揮するものへと煮詰められることになった。
こうした中で武藤さんは、オバマ・鳩山の日米新体制に対し、原則から出発して政策的にどう巻き返すか、と訴えた。その場合の巻き返しは六〇年安保のところにまで戻すというのではなく、六〇年安保からも「ずらした」地点への巻き返しでなければならない、というイメージを提案した。
次に弁護士の日隅一雄さんが、沖縄返還に伴う日米間の「密約文書」(返還に伴う諸経費の一部の日本政府による肩代わり支払い)の開示請求に、国側(外務大臣、財務大臣)が文書不存在を理由に不開示を決定したことに対し、不開示決定の取り消し、文書の開示を求めて起こした裁判について報告した。
この「密約」問題は、「思いやり予算」の原型として今日にも引き継がれているのだが、それは@国民への嘘であることAジャーナリズムの弱体化を示すものであることBさらに「情報公開」の不徹底さを示す事例でもある。
裁判の経過を報告した日隅さんは、裁判長が国側に「米国にある文書が日本にはないのか。ないのだとしたらなぜないのか」と異例とも言える突っ込んだ質問を行っており、また「密約」の存在を認めた当時の吉野外務省米国局長を証人として喚問することになった、と語った。
質疑応答の後、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの上原成信さん、「防衛大綱を問う集会」実行委の杉原浩司さん、「『韓国併合』ら一〇〇年 真の和解・平和・友好を求める2010年運動」の渡辺健樹さん、〈天皇即位20年奉祝〉に異議あり!え〜かげんにせーよ共同行動の桜井大子さんからアピールがあった。
第13期反安保実は、多くの人びとや運動と連携しつつ、安保五十年にあたる来年六月に向けて安保を問い、廃棄に向かって踏み出すための企画を呼びかけている。(K)
|