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日本、54年間君臨した権力が崩壊            かけはし2009.9.28号

政権維持を可能にした「自民党
的なシステム」はどうなるのか

 「憲政史上、3度目の大事件が起こった」。
 前日に行われた第45回衆議院総選挙が作り出した興奮に日本列島が揺れていた8月31日、朝日新聞社が発行している週刊誌〈アエラ〉の尾木和晴編集長(50)は〈ハンギョレ21〉のインタビューで、こう口火を切った。彼は「(近代日本を作り出した)明治憲法や(第2次大戦以後、今日の日本を築いた)平和憲法制定に匹敵するほどの大事件だと見ることができる」。そうだ。なんと54年間君臨してきた権力が崩壊した。半世紀ぶりの政権交代だ。尾木編集長は「いま日本国民は期待と不安感を同時に感じているだろう」し、「このような政治的緊張感も事実上、初めてのこと」だと語った。日本はまさに転換点に立った。
 「自民党のこの半世紀を俗に『55年体制』と呼ぶ。1955年、左派・革新系の躍進と統合の動きに対抗するために、鳩山一郎が率いていた民主党と吉田茂が率いていた自由党が保守合同を通じて自民党を結成した。その時から自民党は『万年与党』として固定化した」。イ・ジュンギュ明治学院大学・国際学研究所客員研究員は「半世紀にわたって日本社会を圧倒した保守的政治の構図が55年体制だ。今回の選挙で強固なものと思われていたその体制が逆に壊れた」と語った。充分に「歴史的」だと呼ぶに値する。
 クォン・ヒョクテ成均館大・日本学科教授も同様の分析を下した。彼は「今回の選挙で最も重要な点は『55年体制』が最終的に解体された、ということだ。既に1990年代に解体されるべき条件にあったのに、この間、自民党は延命しながら持ちこたえてきたという側面がある」と指摘した。何のことか? 日本社会が「失われた10年」という長期不況の入り口にさしかかった1993〜94年、「55年体制」がしばし揺らいだことを指して言っているのだ。当時の状況をより詳しく見てみよう。

10%の支持動向と政権交代

 1980年代から1990年代へと移る過程で自民党は2つの問題で困惑を味わわなければならなかった。
 消費税(付加価値税)の導入をめぐる世論の反発が激しかったし、「リクルート・スキャンダル」(職業情報・広告会社であるリクルートが自社の非上場株式を政界関係者に配った後で上場し、巨額を手にした事実が明らかになり論難となった事件)を代表とする腐敗スキャンダルも絶えなかった。1993年夏、ついに事は起こった。宮沢喜一政府に対する不信任案が可決されたのだ。自民党内部の造反が目立った。その年の7月に実施された衆議院選挙で自民党は院内第1党を維持はしたものの、「55年体制」の確立以来、初めて議席の過半数を得ることに失敗した。異変だった。
 そのスキを衝いて「万年野党たち」が機敏に動いた。日本新党を筆頭に社会、公明、新党さきがけなど8つの政派が連立政府を構成することに成功したのだ。「38年ぶりの政権交代」。マスコミが騒ぎ立てる中で1993年8月、細川護熙政府が登場した。けれども長くは続かなかった。連立政府発足の当初からさまざまな雑音が絶えなかった。結局、8カ月余りにして政治資金流用疑惑が起こるとともに細川総理は電撃辞任し、それから2カ月後、社会党と新党さきがけが手を引き「非自民連立政府」は幕を下ろした。自民党は、やはり底力があった。すぐに社会党を引き込んで「自社連政」を構想し、権力の座に復帰するに至ったのだ。しばしの休止期をこじ開けて「55年体制」は強固な生命力をつないだ。
 自民党の最大の敵役だった社会党が没落の道に踏み込んだのも、この頃だった。「敵との同衾」によって自ら支持基盤を壊したのが禍根だったのだけれども、クォン・ヒョクテ教授は「1990年の半ばに政治改革の一環として導入された小選挙区・比例代表制が直接的な契機となった」と指摘する。実際に法改正後に行われた最初の選挙(1996年、第41回衆議院総選挙)で社会党は議席の半分を失い、群小政党へと転落した。自民党は踏ん張った。クォン教授は「1996年の選挙を含め小選挙区・比例代表制の導入以降に行われた4回の選挙で自民党はずっと30〜40%台の得票率を維持し、これを通じて議会権力を掌握しつつ『55年体制』を維持した」のであり、「社会党の没落を招いた小選挙区・比例代表制が、13年余ぶりに今回の選挙で自民党を権力の座から引きずり下ろしたのだ」と指摘した。
 〈時事通信〉が8月31日、日本選挙管理委員会の資料を基にして報道した「確定得票率」の内容を見れば、このようなクォン教授の説明は説得力を増す。〈時事通信〉の報道を見ると、民主党は地域区で合計3347万余票を得た。得票率は47・4%、2005年に実施された第44回衆議院選挙の際に得た36・4%より、ちょうど11%増えた数値だ。比例代表選挙でも民主党は2984万余票を得て42・4%の得票率を記録した。その前の選挙では31%の得票率だったので、増えた得票率は11・4%分で地域区と似通っている。反面、2005年の選挙でそれぞれ47・7%(地域区)と38・1%(比例代表)の得票率を記録した自民党は今回の選挙で38・6%(地域区)と26・6%(比例代表)を記録した。地域区で9・1%、比例代表で11・4%が減ったわけだ。
 議席数はどうか? 民主党は地域区で実に169議席増の221議席を占めた。比例代表でも26議席を加えて87議席となった。議席総数480のうち、113だった議席が308へと3倍近くに膨れあがった。反面、自民党は地域区で実に155議席を失い、64議席しか手にできなかった。また比例代表でも22議席を失い、55議席を占めるにとどまった。296議席で衆議院を圧倒していた巨大与党が113議席の野党に転落したのだ。
 地域区、比例代表のいずれも、たかだか10%内外の支持率の違いを示したのにもかかわらず、結果は致命的だった。小選挙区・比例代表制の導入が作り出した「風」の威力だったのだ。今回の選挙結果に過度の意味付与をするのは穏当ではないとの指摘が出てくるのも、このためだ。クォン教授は「いささか品悪く言えば、今回の選挙結果は10%余りの有権者が自民党に背を向けた、ということにすぎないと見ることもできる」し、「逆説的には、日本の有権者たちが、大いなる不安感を持つことなしに民主党に票を投じたのも自民党との政策的違いがさしてなかったからだ」と指摘した。

小泉改革のブーメラン

 それにもかかわらず「55年体制」の終末がもたらした衝撃は充分なほどに大きい。いわゆる「1億総中流(日本国民のすべてが中産層という意味の)」の神話は既に1990年代の半ばには崩壊状況だった。21世紀に入っての「格差(2極化)社会」の暗雲が日本の社会を覆っている。自民党の過ぐる半世紀を主導してきた派閥政治も、政治資金法が改正された1990年代半ば以降は威力を失っていった。いわゆる「バラマキ」(公共事業を乱発する、機嫌とり行政)を通じて支持基盤を固める利益配分政治も長期不況の長いトンネルを過ぎる間に効用は尽きた。政権交代は、したがって時遅しの感さえある。
 このような脈絡から「自民党破壊」を叫び2005年の選挙を圧勝に導いた小泉純一郎元総理に注目する人々もいる。2つの側面からだ。第1に、小泉元総理が急激な規制緩和や民営化を推進しながら社会的格差を深め、民心の離反をけしかけた。第2に、改革の刃を党内部にもかざしつつ、半世紀の間、自民党を支えてきたつっかい棒を1つ、2つと除去しながら自民党の没落を加速化した、というのだ。実際に小泉元総理は改革を語るときには「わが手で自民党をぶっ壊す」という表現を口ぐせのように口にした。イ・ジュンギュ研究員は、こう診断した。
 「小泉元総理が党権力を掌握できたのは党内改革の一環として代議員らが大挙、総裁選出権を持つことになったからだ。このために小泉元総理は派閥から自由であることができたし、改革を叫ぶことができた。構造的限界に逢着していた自民党は小泉元総理という『劇場型政治家』の登場によって、いささかではあれ回復の勢いを取り戻すかのように見えた。その『幻想』の頂点が2005年の選挙だった。2006年9月、彼は舞台から引き下がり、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎などへと続いた後任者たちは『破壊された』党を再建する能力がなかった。結局、臨界点をかなり過ぎた自民党の限界が極端な形で現れたのが今回の選挙だ」。

新たな政治システムの模索

 選挙戦略でも自民党は民主党に圧倒された。自民党は外交安保政策を争点とし、「不安の心理」を広めたけれども、怒る民心に後押しされた民主党は自民党の間隙を攻めたて票を固めた。実際に自民党は選挙運動期間中ずっと「責任」を強調し、「われわれが間違ったことは多いけれども、民主党が執権して不安になるよりは良いではないか」式に有権者に迫った。言わば「暮らせないから代えよう」という民主党に対抗して「旧官が名官だ」と叫んだ形だが、「旧官」(自民党)を「名官」とは考えない国民が多かったことは選挙結果から明らかとなった。専門家らが「今回の選挙は基本的に自民党追放選挙」だと規定しているのも、このためだ。
 「1955年体制は崩壊したけれども、(一部で言われているように)2009年体制が打ちたてられたと見るには、まだ早い」。御厨貴・東大教授は〈日本経済新聞〉9月2日付への寄稿文で、こう指摘した。彼は「自民党政権の崩壊は単に政治の問題ではなく、自民党的なものと重なり合うすべての日本のシステムが崩壊する契機とみなすこともできるだろう」と付け加えた。「企業の政治献金を断つことになれば現在のように財界が日本社会で占めている存在の意味も薄まるだろうし、自民党と特殊な関係を構築してきた官僚システムも今日の形態で残ることはありえない」というのだ。さらに彼は「自民党的なさまざまなものの崩壊は自民党自らに劇的な変化を要求している」し、「仮に4年後の選挙で民主党が政権を失ったとしても、政権を引き継ぐ政党が自民党だとの保証はない」と強調した。

来年の参院選挙が試金石

 岡本厚月刊〈世界〉編集長は「今回の選挙は、これまで変化をおそれていた日本国民が遂に政権を代えたということに意味がある」「言い換えれば『この政権は大したことない』と思えば、いつでも再び変えることができる、という自信感を有権者らが持つに至ったということ」だと指摘した。さらに同編集長は「民主党は自ら出した社会保障の公約を実行せざるをえない状況に置かれた」のであり「(権力の交代期に)速やかに政治的安定を図る一方、福祉政策などにおいて短期間に目に見える変化をもたらすことができなければ、逆に政権交代の対象となりかねない」と見通した。
 北村肇〈週刊金曜日〉編集長も同じ考えだ。彼は「有権者たちは長くは待たない」「来年7月に予定される参議院選挙が民主党政権の長期執権を占う試金石となるだろう」と見通した。(「ハンギョレ21」第777号、09年9月14日付、東京=ファン・ジャヘ専門委員、チョン・イナン記者)




 半世紀ぶりの政権交代をなし遂げた日本の民主党は極右傾向の自民党に比べて「相対的進歩性」を備えているとの評価を受けている。過去史の問題に関連して民主党政府は「転向的な態度の変化」を示すだろうという期待感が高まっているのも、このためだ。
 実際に鳩山由起夫次期総理は選挙運動期間に「(内閣の)靖国参拝はないだろう」という点を何度も明らかにした。けれども民主党の「相対的進歩性」に懐疑的な反応がないわけではない。極右と改革(革新)派が共存しているのが民主党の現実だからだ。このために一部の専門家は「自民党に比べて保守的色合いが薄いという表現が、より適切だろう」と指摘する。
 民主党の外交政策の方向を代弁する表現が「普通の国家論」だ。選挙の勝利直後に幹事長に任命され、再び正面に立った小沢一郎前代表が1993年に著した〈日本改造論〉で前面に掲げた主張だ。日本も他の国のように国際社会に積極的に参加して寄与すべきだとの話だが、ここには軍事的側面も含まれる。例えば、国連レベルの決議があれば、自衛隊の海外派兵も可能だ、との論理だ。これは第2次大戦の敗戦以後に作られた平和憲法の下では不可能な主張だ。
 日本が小沢前代表の望み通りに「普通の国家」たろうとすれば、憲法の改定が避けられないわけだ。自民党もまた憲法改正のためにあらゆる努力を傾けてきた。けれども簡単ではなかった。歴史問題と外交政策が衝突したからだ。過去史をめぐる極右的あり方を事とする一方、平和憲法の改定を推進すると言うのだから内外からの激しい反発を招かざるをえなかった。そこで、だ。新たな民主党政府が歴史問題と外交政策を分離して対応する場合、わが政府としては自民党政権の時節よりも逆に困惑するような状況を迎えかねないとの憂慮が出てきている。イ・シンチョル成均館大・東亜学術院研究教授は、こう指摘する。
 「鳩山政府は植民地支配や侵略戦争についてある程度は認め、謝罪し、歴史教科書の歪曲や独島(注、日本政府の言う竹島)の領有権問題などで妄言を慎むことによって過去史の問題を整理しようとする可能性が大きい。これに関連して民主党の支持基盤である日本国内の『良心的リベラル』陣営が昨年から韓日合邦百周年を迎える2010年に合わせて日王(注、天皇)の訪韓を推進してきた点もよくよく注意して見なければならない。日王がかつての植民地の中で唯一、訪問できていないのが韓国だ。日王の訪韓を契機に過去史関連の論争に終止符を打ち、未来の関係へと論点を移して行こうとする意図と思われる。この過程で徹底した真相究明や責任の追及なしに過去史の問題が希釈される可能性が高い。状況がはるかに複雑で対処しがたいこともありえる、ということだ。自民党の没落に拍手しているばかりではなく、これに対する戦略的悩みをしなければならない時だ」。(「ハンギョレ21」第777号、09年9月14日付)


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