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初の裁判員裁判を強行                 かけはし2009.8.24号

私の拒否からみんなの拒否へ

制度廃止へ記者会見とデモ


 東京地裁は、八月三日、全国で初めての裁判員裁判を強行した。六日にも裁判員裁判での初判決だという。地裁での裁判員裁判と判決をスタートに全国の裁判所で裁判員裁判を次々と強行していく。
 裁判員裁判の強行に抗議して「裁判員制度はいらない!大運動」は、この日、記者会見と「私の拒否からみんなの拒否へ みんなの拒否は裁判員制度廃止へ!」を掲げて東京地裁を包囲する霞ヶ関デモを行った。
 記者会見は川村理弁護士(事務局次長)の司会で始まり、抗議声明「裁判員裁判の無謀な実施を糾弾し 廃止に向け運動の大展開を訴える」を読み上げた(別掲)。
 呼びかけ人の斉藤貴男さん(ジャーナリスト)は、「裁判員裁判は、現状の司法状況がなんら変わっていないにもかかわらず、国家の意志として市民が市民を裁くことを強制するものだ。それは被告人へのリンチにつながる。犠牲者を増やしてはならない」と強調した。
 今井亮一さん(交通ジャーナリスト)は、「制度によって裁判が変わるかのように言われている。密室の公判前整理手続きなどが変わったと言えばそうだ。しかし制度の目的は、新自由主義社会では犯罪が増える、だから国民一人一人の自己責任で統治主体へと関与させるためにある」と批判した。
 高山俊吉弁護士は、「『裁判員裁判を楽しもう』という本や裁判員裁判のゲームソフトまで出ている。人権を無視し、ゲーム感覚で裁判を行おうというのだ。異様な時代である。立法段階から欠陥が指摘されてきた。そうであるからこそ今日、推進派は制度実施を強行しなければならなかった。なぜなら八割の国民が不安や反対を表明し、やがて国に抗議の矢が向かうことをかわすところにある。廃止に向けて運動を取り組んでいこう」と訴えた。
 裁判員候補者である井上実さんは、「憲法違反の裁判員制度に反対です。呼び出しに対して拒否します。たとえ過料の罰則が適応されようが認めることはできない。制度廃止を訴え続けていく」と表明した。
 最後に武内更一弁護士(事務局)は、今後の行動計画について報告した。
 会見終了後、日比谷公園霞門に移動し、デモがスタート。霞ヶ関一帯にわたって「人を裁きたくない!みんなの拒否は裁判員制度廃止へ!」のシュプレヒコールを響かせた。 (Y)

抗議声明
「裁判員裁判の無謀な実施を糾弾し
廃止に向け運動の大展開を訴える」
裁判員制度はいらない!大運動
2009年8月3日

 本日、東京地方裁判所が、圧倒的多数の国民の声を踏みにじり、裁判員裁判を強行しようとしていることに、私たちはあらためて強く抗議します。
 制度発足後の各種調査の結果を見ても、裁判員制度に対する反対・消極の世論は衰えていません。「義務でも参加したくない」人は64%を超え、制度導入で刑事裁判が「悪くなる」と考える人は70%に上りました(毎日JPネット世論調査、09年5〜6月実施)。「法に触れても拒絶する」という強靱な反対者が依然として25%を超え、進んで応じるという積極参加派はたった14%以下です(内閣府世論調査、同上月実施)。制度発足状況下におけるこのような状態を前に、これでも「制度の理解が進んだと考えている」と言い逃れる法務省見解ほど空疎な強がりはありません。私たちはあらためて断じます。「あなたたちのもくろみはついに破綻した」と。
 国は、制度実施に向けた準備期間中も、国民を納得させる導入理由の説明を一切しないまま今日を迎えました。その結果、国民は、この制度の本質が、「市民の司法参加」とはまったく異質の、被告人処罰という「司法作用への強制動員」であることを見抜くに至っています。「人の運命に影響することはやりたくない」「判断が難しい」「裁判に関わらねばならない理由がわからない」。これらの受け止め方は、すべての国の方針への危惧や不信や批判を表現するものであり、上記の世論動向はその傾向をリアルな数字で示しています。
 性犯罪被害者や暴力団関係案件の特殊性や複数事件の分離併合の問題などが各方面で論じられるようになりました。一部の国民だけが裁判員裁判に熱心に参加することになる異様さも問題にされ始めています。この国の裁判が日本国憲法の予定する刑事裁判とは大きく異なるものに変わろうとしているという見方を、ようやくマスコミもとり始めたと私たちは考えています。今や状況は終焉の始まりとも言うべき事態にあります。
 私たちは、深刻極まる事態が山積みしていることを知りながら暴挙に突入する政府・最高裁を、怒りを込めて糾弾し、「裁判員制度はいらない!大運動」をさらに力強く展開することをここに宣言します。
 私たちは、全国各地でくり広げる実施反対行動の冒頭の取り組みとして、本日、正午から、東京地方裁判所を包囲するデモを強く要求します。
 私たちは、国会・各政党・各国会議員が、国民の声に真摯に応え、裁判員制度の廃止に向け直ちに具体的な行動を開始することを強く要求します。
 私たちは、裁判員への取り込みを予定されている一人ひとりの国民、裁判員に裁かれたくない一人ひとりの被告人、裁判報道を厳しく規制されるマスコミ、この国の司法の破綻を憂える法曹その他の司法関係者など、すべての皆さんに、裁判員制度の廃止を要求してともに立ち上がるよう衷心から呼びかけます。
 力を合わせて裁判員制度の廃止を求める歴史的な行動に取り組みましょう。これこそ本当の「市民の司法参加」です。


裁判員裁判判決に抗議の記者会見
真相究明の努力を失わせる
秩序維持のワイドショーだ

 八月七日、「裁判員制度はいらない!大運動」は、日本弁護士会館で東京地方裁判所が全国で初めての裁判員裁判を強行し判決を出したこの日、抗議の記者会見を行った。
 記者会見は武内更一弁護士(事務局)の司会で始まり、抗議声明「『市民参加』のショー 第1号裁判員裁判 反対世論をさらに広げ、その力で制度廃止へ」を読み上げた。
 三日の裁判員裁判を傍聴した今井亮一さん(交通ジャーナリスト)は、「検察は、モニター、CG画像などを使って『わかりやすく』やっていた。しかし、それはプレゼンテーション合戦でしかなく、準備も金もない弁護側は不利だった。公判前整理手続きをやりシナリオを作り、予定どおりの結果でしなかった。報道は、『わかりやす』くなった裁判などと宣伝しているが、プレゼンテーション合戦で裁判員にわかりやすい気分にさせているだけだ。国民の意識を変えさせるための裁判員裁判が目的であることがあらためて明らかとなった」と批判した。
 斉藤貴男さん(ジャーナリスト)は、「予想通りの展開だった。まるでワイドショーではないか。裁判によって真相究明する努力が失われ、秩序維持のためのワイドショーだ。市民参加と言っているが、全く市民のチェック機能がはたらいていない。裁判官に導かれた判決だ。司法制度改革は、構造改革の最後の要だと位置づけられている。貧困と社会的格差に反対だし、当然、裁判員制度も廃止しなければならない」と強調した。
 高山俊吉弁護士は、「判決のための評議は密室で行われ、その中身が全くわからないままだ。実質的に判決は、裁判官のリードによって出された。結局、検察側の主張通りだった。従来のままであった。裁判員の記者会見で『不安』『量刑判断がわからない』などの意見があったが、それは苦役の強制でしかないことを明らかにした。裁判は、事件の背景に踏み込まず、四日間で切り上げることを優先してしまっている。これは重罰化の促進であり、被告人に対するリンチだ」と厳しく指摘した。
 最後に武内さんは、八月から十月にかけて埼玉地裁を皮切りに全国の地方裁判所で裁判員裁判の強行に抗議していく取り組み、さらに十月二日、全国集会(東京・四谷区民ホール/午後六時)を開催することを報告した。     (Y)

抗議声明
市民参加のショー 第1号裁判員裁判反対世論をさらに広げ制度廃止へ
裁判員制度はいらない!大運動
2009年8月7日


 裁判員裁判の全国第1号事件が、去る八月三日から六日まで東京地方裁判所で強行されました。三日、私たちは、東京地裁前で、裁判員候補者の方々を含め制度反対を訴える二千枚余りのビラを配布し、同時に地裁と霞が関一帯に抗議の声を響かせる四百五十名のデモを繰りひろげ、マスメディアへの記者会見を開催して、私たちの行動の趣旨を広く国民に呼びかけました。
 四日間にわたる第一号裁判員裁判は、かねてから私たちが懸念していたとおり、「市民参加」という名の刑事裁判ショーの実態をあらわにしました。

 b百人のうち四十七人しか呼び出しに応じていないにもかかわらず、「予想以上に多くの人に来ていただき、大変ありがたく思っている」と秋葉裁判長は候補者待合室であいさつし
 b呼び出された候補者の多くが「裁判員から外れてほっとした」という感想を述べ
 bマスコミでは、二日目から「裁判員自身の質問」が焦点とされていた。「市民参加」を装うには必須不可欠の要素であったからである。おそらくそのために繰り返された「休廷」には、「密室で何をしているのだ?」との非難の声があがった。
 b三日目、裁判員のひとりが「体調不良」で欠席。その三日目冒頭の被告人質問では、裁判長の指示によって裁判員一番から六番が、その順に質問を行い、マスコミはこれを「最も裁判員裁判らしいこと」としてとりあげた。
 b検察官の求刑は懲役十六年、被害者の意見は二十年。判決は十五年となった。

 以上のような事実が示すものは、「市民参加」のことさらな演出です。刑事裁判における「当事者主義」の原則を踏みはずして、裁判員に冷静・公平な判断者ではなく、「国民の常識」の名をかりて被告人を弾劾する「糾問官」の役割を担わせることです。被告人は、検察官に加えて、〈九人の裁判官〉から追及され、さらに遺族の処罰感情を直接ぶつけられました。
 「市民参加で刑事裁判がよくなる」と強弁する制度推進側の偽りと焦りがむき出しに現れていました。
 犯罪事実は争わず、量刑(情状)だけを争点とする裁判でも、四日間(審理日数は実質二日)では粗雑に過ぎる裁判です。被告人・弁護人(あえて言えば裁判員も)の負担を無視して突っ走る「簡易・迅速・重罰」裁判とは、一体何のための制度なのでしょうか。
 「裁判がわかりやすくなった」と評価する一部の声もありますが、わかりやすさは、裁判員制度を導入しなくても実現可能であり、また実現すべきものです。むしろ懸念されるのは、審理内容の単純化や証拠軽減のため、真実の究明が犠牲にされるおそれです。本件の「わかりやすくなった」はずの審理は、はたして事件の真相に少しでも迫れたのでしょうか。
 しかも、判決は、事実認定も量刑も検察官の主張にほぼ沿うもので、明らかに重罰化を一層押し進めるものと言わねばなりません。
 「被告人の防御権の行使を十分に保障しつつ、真実を究明する」という刑事裁判の原則はほとんど省みられず、ドラマの台本のように「公判前整理手続き」で決められた時間割に従い、目撃証人への形ばかりの反対尋問と、それと表裏をなす被告人に対する糾問的な質問によって、法廷は刑事裁判儀式、一種のショーと化しました。これはもはや、人間の生命や人生そのものを左右する「裁判」と呼べるシロモノではありません。
 「嫌な思いや『不完全燃焼』という感じのほうが多く残りました」という、三日間傍聴した五十五歳の主婦の言葉(8月6日『朝日新聞』)が象徴的です。
 この制度は廃止するしかないということが、ますますま明らかになりました。一層広汎な国民的運動で、裁判員制度を廃止に追い込みましょう。


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