| 在日イラン人活動家とのインタビュー かけはし2009.7.20号 |
「改革」派と手を組む時代は終焉
労働者の独自の組織化が必要 |
六月十二日のイラン大統領選挙で現職のアフマディネジャド大統領が「改革」派のムサビに大差をつけて「再選」されたとの発表は、不正選挙に抗議する大規模な大衆的決起を引き起こした。その規模は一九七八年末から一九七九年にかけたシャー打倒のイスラム革命以来最大のものだった。政権側はこの大衆的決起に血の弾圧を行い、多くのデモ参加者が殺され、負傷した。この闘いの意味と今後の展望について在日イラン人活動家のエサン・カーヴェさんにインタビューした。(本紙編集部)
長い戦争の結果
軍事化された社会
――さる六月十二日に投票が行われたイラン大統領選の結果は、事前の予測ではアフマディネジャド現大統領とムサビ元首相との間での接戦が予測されていたにもかかわらず、発表された結果はアフマディネジャドが六〇%以上の票を獲得しての「圧勝」でした。これに対してムサビ支持陣営から「不正選挙」だとの声が上がり、首都テヘランをはじめ百万人以上が結集する巨大な反政府決起が拡大し、数百人もの人びとが軍・警察・革命防衛隊の弾圧によって死傷したと報じられています。政権側は厳しく報道管制し、インターネットも切断されています。日本をふくむ西側のメディアはこの対立を反米のイスラム主義・強権主義政権に対する親米改革派の闘いと描き出していますが、社会主義者としてのあなたの立場からすればどのように分析されますか。
まずイランは長い戦争の中で、きわめて軍事化された社会になっているということです。イラン・イラク戦争の八年間に革命防衛隊の勢力がきわめて強化されました。
イラン革命が起きた三十年前、イランは資本主義の国家になっていました。資本家のための国家を作ったのは独裁者であり、オイルマネーがそれを可能にさせました。一方、資本家たちは「資本家のための政府」ではなく、古典的な意味での「資本主義政府」を作ろうと願っていました。資本家は革命に参加し、労働者は違った目的で革命に参加しました。しかし労働者は勝利することができませんでした。
革命後最初にできた政府は「イラン自由闘争」の指導者、メフディ・バザルガンによる政府でした。この政府が成立したことによって、自分たちの政権を作るというイランの資本家たちの長年の願いがかなったのです。しかしこの政府は事実上、革命後変化した事態をコントロールすることができませんでした。資本は国外に流出してしまいました。各工場では労働者の評議会が優勢になり、社会における左翼勢力が日ごとに増していました。イランの資本蓄積のプロセス全体が支障をきたしてしまいました……。こうしてバザルガン政権は崩壊し、政権は革命評議会のコントロール下に置かれ、その最初の義務は革命の成果、労働者、左翼、自由主義者たちに血の弾圧を行うことでした。イラン・イラク戦争の始まりは、この義務を果たすのに絶好の機会でした。
イラン・イラク戦争の中で作り上げられたのは資本主義のための政治、もっと使われている言葉で言えばはボナパルティズム政権でした。マルクス主義の用語ではボナパルティズム政府とは、資本家の利益のために資本家に対しても独裁を行使する政権ということになりますね。
ハタミ政権と
「革命防衛隊」
戦争が終わった後、ラフサンジャニ大統領の下でイラン国内の資本は不足しており、海外からの投資と先端技術を必要としていました。そのためにラフサンジャニはブルジョアジーの国際社会に合わせて経済を動かしました。このなかでイランの資本家は自信を回復し自らの政府を作ろうという機運が生まれたのです。こうした流れの中でハタミがブルジョアジーと手を組んで大統領になったんです。ハタミの八年間は必ずしも資本家の思う通りにいかなかったんですが、その中で大きな対立が生じたのは革命防衛隊の力を弱めようとする動きです。
革命防衛隊は相当の資産を所有しており、イランでは「金融・軍事オリガルヒー(Oligarchy、少数特権集団)」やマフィアとも呼ばれています。それは一つのシステムです。イランの資本家の間では彼ら「オリガルヒー」への対応をめぐって分裂が起こりました。一部の大企業の資本家は革命防衛隊と一緒になって、日本語でいうと「被抑圧者財団」という名の財団を作りました。非常に「革命的」な名称ですが、実際は逆で、「帝国主義」と言ってもおかしくはない。その資産は想像もできないほど巨大なもので、何千もの企業、兵器工場、航空・海運会社、港湾産業、銀行、イランの軍事生産のほぼすべてを傘下におさめています。つまりこの財団は、経済をコントロールしているとともに軍事もコントロールしているのです。
ハタミ派はこの財団に手をつけようとしました。そこで「オリガルヒー」の側は、この時も大統領選挙で「クーデター」を行い、実際にはラフサンジャニが勝っていたのにアフマディネジャドを政権につけたのです。調査ではアフマディネジャドの支持者は十分の一もなかったとされています。
「最高指導者」と
政治システム
アフマディネジャドは前回も「金融・軍事オリガルヒー」にかつがれて大統領になりました。その後、石油価格が高騰し、「オリガルヒー」は儲けたおカネをほとんど奪って、その立場はいっそう強くなりました。
今回の選挙ではイランのブルジョアジーと「改革」派が手を組んで、彼ら「オリガルヒー」を倒そうとしていました。「改革」派は圧倒的に支持されていました。ところが選挙の前に軍の最高司令官フィルズ・アバディが、革命防衛隊とともに、どんな手を打っても選挙でアフマディネジャドを退陣させるようなことはさせないと宣言したのです。
私が今回の事態を権力者の側からの「クーデター」と規定すると、最高指導者が支持している権力の側がなぜクーデターを起こすのか、と聞かれるのですが、そこには誤解があります。「最高指導者」というと最高の権力を持っていると思う人がほとんどですが、実はそうではありません。最高指導者の立場は、対立した問題に審判を下すことです。ホメイニ以来現在に至るまで、そうでした。審判が出されたら反対意見の持ち主も従う。
しかし今回、最高指導者のハメネイはその立場を崩してしまったのです。今までは最高指導者が何か発言したら、みんなそれに従いました。今ではハメネイが指示を出しても反対派は初めから無視しています。つまりその時点でイランの政治システムそのものが終わったということでしょう。もはや「最高指導者」の立場は以前のようなものではありません。最高指導者の諮問会議ももはや存在していないに等しいのです。
支配者内の
二つの派閥
「改革派」は今まで選挙だけをあてにして闘ってきました。デモなどは犯罪的だとして統制してきました。しかし今回、彼らの対立の中で国民が立ち上がりました。これで話は全く変わりました。今まで支配体制内部の対立だったものが、国民が舞台に登場したのです。アフマディネジャドもムサビも社会主義者や労働者を弾圧し、非人間的なひどい搾取をしており、あらゆる権利を拒否しています。選挙中どちらの陣営からも労働者の権利擁護についての話はありません。
この時期、労働者階級の立場を主張してイラン社会における自らの責任を果たすべき時期でした。しかしデモへの弾圧が吹き荒れる中で、今度こそ労働者のストライキ、全国闘争で政府を打ち倒そうという希望が出てきたときに、社会主義者や労働者の動きはまだはっきりとした形で現れていません。もちろんデモには小さな工場で働く労働者はかなりの人数で参加していました。そこでは小さな会社の社長と労働者がいっしょに参加するという形をとっていました。それは、このデモでは依然としてブルジョアジーのヘゲモニーが働いていることの現れです。このヘゲモニーを打ち破って社会主義的労働者が立ち上がるには、自動車、石油など大工業の労働者の参加が必要です。
こういう時代はふだんなら何十年もかかる活動が一日、二日で遂行できる情勢が作り出されます。三十年前の革命の時もそうでした。それまでイランの労働者には必要な組織がなかったのに、あちこちの工場で政治的・経済的組織が形成されていきました。その時大きな波及力を持ったのは石油労働者の声明でした。支配者は石油労働者のストライキを最も恐れています。
いまそうした闘いが始まれば多くの労働者は殺されるでしょう。今は無理をすることなく、かつ油断しないようにしたうえで、支配者の中の二つの派閥のために闘うことなく、彼らの犠牲にならないようにして自分の目的のために力をつけていこうと考えているのではないかと思います。
双方とも「中東
の警察」をめざす
メディアはアフマディネジャドを反米とか反帝とかまちがった形で伝えていますが全くそんなことはありません。ムサビもアヒマディネジャドもイランの資本主義の利益を体現しています。双方とも三十年前に倒されたシャーと同様に、イランが「中東の警察」になりたいと考えています。シャーは冷戦の中でその立場をアメリカから与えられました。
シャーの体制が倒れ、ソ連が崩壊して以後、中東では「警察」の役割を果たしたがる国が多数現れました。トルコ、イスラエル、サウジなどです。アフマディネジャドも「改革」派もそうした「中東の警察」になるための競争に参加しようとする点で、違いはありません。
違いは、ムサビたちが海外投資や技術の導入のために、資本が国外に流出しないように、資本蓄積のプロセスができるようにするためになどの理由で平和が必要だし、帝国主義や周囲の国との和解が必要だとしているのに対して、アフマディネジャドは、この四年間にかなりのカネが流入し、イランはそれ自身七〜八千万人の人口を持つ大国であり、レバノンや他のイスラム諸国に強い影響力を持っているので、欧米に対する「和解」ではなく、欧米にこの強い立場を認めさせようとしているところにあります。両者の目的は同じです。労働者や社会主義への敵対に関しても同様です。ただやり方は違います。
また欧米のメディアも選挙に対して何百万人もの抗議が起きるまでは、不正選挙・クーデターに対して何も言いませんでした。それはアフマディネジャドを支持していたといえるのではないでしょうか。大きな動きになって無視できなくなったから、この動きを利用するために報道するようになったとしか考えられません。
共和国の不安定
な時代の開始
――報道によれば、今の段階で大きな反対運動は当面のところではあれ収拾しています。「再選」されたアフマディネジャド政権が安定するかどうかは分かりませんが、今後の事態の推移について、どうお考えですか。
二つの派閥、「改革派」と「オリガルヒー」があります。レーニンは「革命情勢」に関して「支配階級がこれまで通りのやりかたではやっていけなくなる」という条件を挙げていましたが(「第二インターナショナルの崩壊」)、まさに政府は「これまで通りのやり方」ではやっていけません。今やこの二つの派閥の共存は不可能で、どちらかが完全に相手を倒さなければならなくなっています。「オリガルヒー」は軍の力に支えられています。「改革」派の戦略は、これまで選挙しかなかったのですが、これからは「改革」派は国民の動きに関心を払わざるをえない。しかしこれは「改革」派にとって大きな矛盾です。労働者は「改革」派のために「オリガルヒー」を倒すのではなく、どちらも倒そうとするでしょう。
ムサビが最初に首相になった時、十万人以上の死刑が執行されました。そのほとんどは自由や社会主義のために運動してきた人びとです。革命的状況になった場合、国民は彼ら「改革」派も倒すでしょう。だから「改革」派はとても複雑な立場に置かれています。「改革」派は国民の力がほしいのですが、その力を完全にコントロールして思った通りに動かさないと彼らにとって「国民の力」は危険すぎるのです。彼らは「オリガルヒー」を恐れているのですが「国民の力」をもっと恐れています。
彼らの声明を見たら、選挙については不満を表明しているものの、システムを崩壊させようとは思っておらず、最終的に政権の門戸をそれぞれのブルジョワジーの代表に開くことをねらっていました。今の運動の中でもイスラムやホメイニを守る、と言っています。彼らは「革命防衛隊は必要な機関であるのに、弾圧のために使用するとその立場が悪くなる」というような言い方をしています。
今や僅かな民主主義の前進のためにも労働者の独立した闘いが必要であり、貧しい人びとと手を組んで自分たちの目標を明らかにした自分たちの旗を持つ必要があります。
今、チェスで言えばどちらも前に進めない状況です。とりわけ「改革」派は何をするにしても国民の運動が必要です。しかし彼らは運動とのズレが自分たちにはねかえってくることを恐れ、システムを崩さないように平和的な方法を求めています。だから事がおおげさにならないようにするでしょう。しかし労働者がいったん立ち上がれば話は全く変わってきます。こうした局面で労働者の指導者が「改革」派と手を組めば、もっとも悪い状況に陥ってしまうでしょう。
今こそ社会主義と自由を求める労働者にとっていいチャンスだからといって「改革」派と手を組んだら、そこからは何も利益を得られないでしょう。
そしてもし事態が収束して「オリガルヒー」が完全に勝ったならば、新たなイスラム共和国が始まります。それは「改革」の時代の終わりです。今まで女性の運動、学生の運動、クルド人の運動は、ブルジョワ「改革」派と手を組んでやっていけると思っていましたが、これからはささやかな改革でも社会主義的労働者と手を組むしかないから、イスラム共和国の不安定な時期が始まると思います。 (7月4日)
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