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フランソワ・サバドとのインタビュー(中)        かけはし2009.7.20号

欧州の危機と反資本主義派の役割


論議に値しない
ケインズ主義

――銀行の大規模な救済と、数日間のうちに数千億ユーロを銀行に注入した資本主義国家の能力は、公共サービスの「赤字」を国家は処理することができないという二十年以上にわたって持ちだされてきた論議の信用性を失わせました。
 資本に好都合な国家の介入が広範に白日の下にさらされ、だれもがそれを見ることができます。こうして新自由主義イデオロギーはその正統性の多くを失い、空論家たちは、なにかよりましなものを求めて、一部の人たちが「福祉国家」再生の可能性として提出したケインズ主義を掘り出しています。こうした転換を思い描くことができるのでしょうか。

 ケインズは少なくとも言葉の上では舞い戻っていますが、行動や政策としては別問題です。われわれは、すでに起きてしまったことと、まだ来ていないこととの間に位置しています。すでに起きてしまったこととは、新自由主義モデルがあからさまな危機に陥っているという意味です。今やイデオロギー的観点から新自由主義を支持している政府はありません。彼らはすべて、複合的解決策、社会的諸政策の挿入を伴う国家介入政策の再導入などを語っています。しかし、おそらく危機が依然として過小評価されているために、われわれがいまだ手にしていないものはオルタナティブ・モデルなのです。
 欧州のブルジョワジーは、経済が再出発するのを待ちながら、襟をたてて危機が過ぎ去るまで待ち、彼らが今まで行ってきた経済政策の主要な基準を保持しようとしています。しかし、銀行救済、産業・金融の集中と再組織化政策において、いっそうの国家介入がなされていることは明らかです。これはレーガンやサッチャーの「もっともっと小さい国家」というウルトラ自由主義的言説に比べれば変化しています。
 民営化と規制緩和を行ったのが国家自身だったことを忘れるべきではありません。これは資本主義国家、ブルジョワ国家の新しい配置図でした。われわれは、言葉と現実を混同すべきではありません。「小さな国家」などは存在しませんでしたが、経済的・社会的諸関係の再フォーマット化という目的で国家の社会政策の縮小、経済的・金融的規制の縮小が行われました。国家は決して姿を消しませんでした。
 現在、国家はシステムを救済するために存在しています。「社会国家」の再建など決してありません。それが第二次大戦後の国家再建との注目すべき違いです。伝統的ケインズ主義に従った公共サービスの再確立、社会保障の再確立、需要の再生などありません。ケインズ主義についての論議に意味がないと私が思うのはそのためです。
 われわれが一九三〇年代後半の米国の経済政策や、戦後期の欧州を参照点として政策のケインズ主義的性格を評価すれば、現在の措置がはるかに及ばないことを見ることができます。われわれがすでに多くを語ったもう一つの例は、タックス・ヘイブン(租税回避地)とG20です。協力に同意した者が構成するブラックリストからグレーリストまでをわれわれは持っていますが、タックス・ヘイブンは根絶されませんでした。しかしそれはきわめて簡単な措置なのです。タックス・ヘイブンに居を定めるすべての銀行を閉鎖すること、国家の側からの権威を持った行政的介入をもってそのように行動することで十分なのです。
 どうしてそうしたことがなされなかったのか。タックス・ヘイブンが多国籍企業の金融回路の経営に統合されているからです。最近、これらタックス・ヘイブンでかなりの位置を持っているフランスの三つの大企業グループ――ミシュラン、エルフ・トタール、アディダス――が批判されました。もしタックス・ヘイブンに攻撃をかけるのならば、資本をそこでリサイクルし、こうしたオフショアセンターを通じて税制上の優遇措置を追求する政策を実行し、そのようにした展開している多国籍企業の政策全体を攻撃することになります。これこそ産業資本主義と金融資本主義の相互浸透の具体的例証です。
 多国籍企業、資本主義の核心、つまりは最大限利潤の追求に攻撃をかけることなくして金融資本主義を攻撃できないのは、こうした相互浸透があるからです。われわれは、経済政策転換に関するあれこれの意向や宣言の限界がここにあるのを見ることができます。この三十年間にわたって資本主義によって築かれた諸関係のタイプが固定した限界があるのです。
 最後に、ケインズ理論があったにもかかわらず、政府の経済政策の選択はイデオロギー的議論や理論的構築の結果ではないことに留意しなければなりません。政治的変化を強制したのは権力闘争だったのです。そして、真の「ケインズ主義」的再構築が行われたのは、不幸なことに、恐るべき価値破壊と戦争のための物資生産の後だったということを忘れないようにしましょう。それは再建の問題、さらに言えば軍事産業を基礎にした再建という問題だったのです。


だれが危機の
ツケを払うのか

――最近のインタビュー(「インターナショナルビューポイント」09年4月号、本紙未訳)でアメリカのマルクス主義エコノミスト・ロバート・ブレンナーは、第二次大戦以後実施された衝撃緩和策は、一九五〇年代、六〇年代、七〇年代のケインズ主義政策も、それに続く借金と金融投機に基づく政策も、工業生産の過剰能力の「危機による解消」を妨げ、それによって製造業への投資利益率の新たな上昇を妨げ、利潤率を引き下げている事実を強調しています。
 彼によれば、現在の世界的危機への資本主義的解決策――それは利潤率の上昇をめざした措置を意味します――は、必然的に過剰生産能力の「解消」、つまりきわめて利潤率の低い産業の大規模な清算を、大規模な失業と労働コストの大幅な低下、したがって直接・間接の引き下げによって行うことを含みます。
 これは「福祉国家」とは大きくかけ離れたもので、こうした敗北を労働者階級に強制するものであり、資本、とりわけ欧州の資本は、あなたが実際にふれた国家による権威主義的介入に基礎を置かなければならないでしょう。あなたの意見は、民主主義的獲得物が脅威にさらされているということなのでしょうか。

 まず初めにロバート・ブレンナーによる評価についてです。強調すべきポイントは、われわれが工業の過剰生産能力について語るのならば、それはどこを問題にしているのでしょうか。
 われわれが帝国主義センターの過剰生産能力について語るのならば、彼のテーゼは十分な根拠のあるものですが、考慮に入れなければならない付加的な要素があります。それは歴史的次元での政治的変化でした。
 ロシア、中東欧諸国、そしてなかんずく中国での資本主義の復活です。われわれの判断を地球全体に基礎を置いたものにすれば、そしていわゆる「新興諸国」――ラテンアメリカとインド――の、資本主義に開かれた新しい市場、新しい領域を考慮に入れれば、過剰生産能力について語ることはできるのでしょうか。
 さらに、これは中国が提示している問題の一つですが、この国の資本主義的資本主義的発展力学は、世界資本主義を危機から抜け出させないにしても、その危機を封じ込め、限界づける能力を持たないのでしょうか。われわれが見てきたように、デカップリング(他の資本主義諸国と中国との分離――中国は世界危機の影響を受けないという仮説)という事態はありません。
 輸出面での新興諸国の依存を前提にすれば、帝国主義センターにおける危機は、中国を含めて成長率の低下をもたらしました。しかしそれは一定の限定された範囲においてです。なぜなら中国は依然として相対的に高い成長率を維持しており、国内市場を構築しようとする動きを見ることができます。それは経済を再発展させ、あるいは少なくとも危機を封じ込めるのに十分なのではないでしょうか。
 しかしもちろん現在の危機は、価値の大規模な破壊であり、われわれは自動車産業、そして工業部品の供給、下請けなどそこに依存した部門などにおいてそれを見ることができます。また不動産、サービスなどの他の部門でも、この過剰能力の大規模な破壊を見ることができます。それはまさに行われていることであり、社会的攻撃の観点からするとそれは何を意味しているのでしょうか。なぜなら問題は、だれがこの危機のツケを払うのか、ということだからです。
 失業があります。とりわけ一連の諸国での公共部門における賃金カットがあります。こうした情勢の中で、危機のレベルは、ブルジョワジーが一連の経済的救済措置――銀行への補助、短時間労働に関わる措置など――でそれを封じ込めようとするところにあります。しかし危機が深まれば、それは最もありうる想定の一つなのですが、よりいっそうの強力な攻撃、権威主義的措置を伴った攻撃がもたらされる可能性があります。
 さらに、われわれは、一連の諸国で、まさに過酷な手段の使用を主張する権威主義的・外国人嫌悪症的で反動的な右翼潮流の台頭を見ています。こうした対決政策は、不可避的に権威主義的措置を伴うものでしょう。

労働者は意気阻
喪していない

――資本主義的諸制度が取ろうとしている措置は、危機のツケを労働者に支払わせることを目指しています。あなたが述べられたように、一連の諸国において彼らはとりわけ公共部門の賃金を切り下げています。アイルランドでは、政府が公共セクターの労働者の賃金の七%カットを決定し、ラトビア政府は一月に賃金を一五%切り下げ、ハンガリーの調整プランは、市民サービスの賃金支払いを十三カ月停止することをもくろんでいます。
 現在の欧州中央銀行総裁ジャン・クロード・トリシェは、三月初め欧州諸国政府に「とりわけ公共部門の賃金に関して、旧慣にとらわれない大胆な予算を継続する」よう要請しました。ハンガリーやラトビアの政府は、こうした目論見に反対する動員に直面し、アイルランドではきわめて強力な動員――二月二十一日の十二万人デモ――がありましたが、決定された措置は適用され続けています。労働者はこうした攻撃に対して、どのように自らを防衛できるのでしょうか。

 採用された一連の措置は、かなりの程度の攻撃となっていますが、このレベルの攻撃は、フランスのような国にはまだ及んではいません。欧州の社会的・政治的情勢はかなり不均等です。
 一九二九年の危機を参照点とすれば、その時の危機の激しさと社会的対決の暴力性の間に関連があります。われわれは当時、革命と反革命、ロシア革命の衝撃波が生み出した革命運動とファシズムやナチズムの勃興と関連した反革命運動との激突を見ていました。
 現在の危機の深まりのゆるやかなペース――一九二九年とは異なり、全般化された崩壊は存在せず、危機は莫大な社会的・経済的コストを支払って封じ込められています――は、資本の攻撃のレベルでも社会的抵抗のレベルでも、よりゆるやかな動きをもたらしています。こうした突然の転換、きわめて先鋭できわめて集中した激突を見せた一九三〇年代と比べれば、現在の事態はより「スローモーション」であり、少なくともリズムはそれほど急速ではありません。それはより対照的な情勢をもたらしています。
 すでに一定の部門では恐怖や不安があるかもしれませんが、意気阻喪状況、敗北によって労働者が意気阻喪するという情勢はありません。今回の経済危機の最初の数カ月で、どの国でも労働者階級の敗北は存在しませんでした。それどころか、大きな不均等性があるとはいえ、むしろ社会的抵抗を見てきました。
 第一にわれわれは、一連の諸国において社会的・政治的な分極化を見ています。一方の社会的抵抗では、闘争に参加している民衆がおり、他方、反動的で外国人に反感を持つ、レイシスト的な潮流の勃興が見られます。イギリスでは「英国の雇用は英国人労働者に」というテーマで一定のストライキが起きるという反応が見られ、イタリアでは北部同盟と外国人に敵意を持つナショナリスト潮流の前進に支援されたきわめて特有の権威主義的政権であるベルルスコーニ政権が存在しており、幾つかの国でもファシスト的ないし準ファシスト的組織の発展を見ることができます。経済危機と、階級闘争、ラディカル性の間には機械的関連は存在せず、事態はもっと複雑なのです。
 現在、一連の諸国においては重要なストライキ、行動デーがあり、二〇〇八年末にはギリシア青年が爆発的に決起し、さらに今年の初めにはポルトガル、イタリアで巨大な動員が行われ、フランスでも行動デーの動員が進められました。後者の三つは重要です。私は、フランスの情勢はそのラディカル性、社会的勢力のレベルでかなり例外的なものにとどまっていると思いますが、それは全般的情勢の一部なのです。そこでは、労働者は社会的システムと結びついて抵抗の能力を保持しています。そうした社会システムはかなりの程度解体されているとはいえ、きわめて重要なセーフティーネットが残っており、労働者運動の一連の制度的・組織的獲得物が存在しています。それは抵抗の要素があるということを意味します。
 中心的な問題は、雇用の防衛、レイオフの禁止、賃金、公共サービスの防衛といった緊急プログラムを軸に、こうした問題に関して政府の大きな後退を負わせるために、幾百万の労働者、失業者、青年をいかに団結させるかということです。つまり一連の緊急措置を政府に強制することです。そうしたことが可能かどうかは問題として残されているとはいえ、われわれはここ数カ月でその解答を見ることになるでしょう。いずれにせよ、社会的・民主主義的であり、エコロジー的でもある緊急プログラム――なぜなら危機に直面する中で、こうした問題はすべて結びついているからです――を軸に団結することは最初のステップです。(つづく)

【訂正】本紙6月29日号5面「足利事件」記事1段15行目「足利県警本部長」を「栃木県警本部長」に訂正します。

(フランソワ・サバドはフランスの反資本主義新党[NPA]全国政治協議会のメンバーで、第四インターナショナル執行ビューローのメンバー。インタビューアーは『インプレコール』編集長のヤン・マレウスキ)
(「インターナショナルビューポイント」09年6月号)


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