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国際アピール ともに公正で効果的な気候条約を      かけはし2009.7.6号

気候変動はわれわれを地球の限界に直面させている!

 今年十二月にコペンハーゲンで開催されるCOP15(国連気候変動枠組み条約締結国会議)に向けて、各国間の駆け引きが続いている。とりわけ最も責任を有する「北」の先進諸国は、中期・長期の削減目標をカットするためにありとあらゆる策をもてあそんでいる。以下は、大衆的な圧力によってこうした資本の目論見をはねかえすための運動を呼びかけ、賛同署名をつのるアピールである。気候変動を止めることと平和で公正な世界のための闘いと一体である。(本紙編集部)


「北」は「南」に対し
エコロジー的債務

 われわれは地球市民として、すべての国、すべての大陸の市民の仲間たちに、社会的公正を尊重しつつわれわれの気候を救うための共同した動員を訴える。
 気候変動の危険性についての意識は、とりわけ「北」と「南」の双方の一定の諸国において近年大きな発展をみせた。しかし二〇〇九年十二月にデンマークで開催されるコペンハーゲン会議の日程に向けて始まった公式提案のいずれも、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第四次調査報告が引き出した結論にかなったものではない。
 気候変動に対する闘いは、社会的に公正で、エコロジー的に効果あるものでなければならない。
 公正とは、先進国と開発途上国間の、そしてこれら諸国内部においても、共通でありながら差異のある責任の原則を尊重することを意味している。「北」は「南」に対し、エコロジーの面でも気候の面でも債務を負っている。汚染した側が支払うという原則に従ってこの債務を解決しなければならない。
 効果的とは、まず優先的に、地球温暖化を産業化以前の時代に比べて二度以下に維持すること、あるいは可能な限り短期間でこのレベル以上に抑えることを意味している。
 IPCCの第四次調査報告によれば、社会的公正と環境的効果の両条件を共に満たすためには、以下の目標が採用されなければならない。
――先進国は一九九〇年との比較で温室効果ガスの排出量を今から二〇二〇年までの間に二五%〜四〇%、二〇五〇年までの間に八〇%〜九五%削減しなければならない。
――開発途上国は、参照シナリオとの対比で二〇五〇年までにすべての地域で、また二〇二〇年までに多くの地域(アフリカを除く)で、排出量上昇曲線を「実質的に逸らす(減らす)」ようにしなければならない。
――現在から二〇一五年までの間に世界的排出のピークに到達するようにしなければならず、二〇〇〇年との比較で全排出量を現在から二〇五〇年までの間に五〇%〜八五%減少させなければならない。

米国のプラン
はまやかしだ

 バリで採択された「ロードマップ」(2007年12月)は、IPCC報告のページに正確な形で参照されており、そこではこうした目標が言及されている。しかしそれ以後、われわれは何を見てきたのだろうか。
 日本の洞爺湖で開催されたサミット(2008年)で最先進国のG8は、二〇五〇年までに総排出量の五〇%削減を決定した。それ以上の正確さもなく、「北」と「南」の責任の差異もなく、二〇二〇年にむけた目標もなく、である。
 二〇〇八年十二月に欧州連合が採択した「エネルギー―気候パッケージ」は、二〇二〇年までに二〇%の排出削減を目指している(他の先進国の同等の努力と、開発途上大国の意味ある参加により国際的協定がなされた場合には30%)。この目標は、努力の実質的な部分が開発途上国の炭素クレジット(「汚染権」)の購入によって代替されるというものであり、それだけいっそう満足のいくものではない。
 大統領選挙中にバラク・オバマによって提案されたエネルギー―気候プランは、米国の排出量を二〇五〇年までに八〇%削減するという約束を含んでいた。しかしこのプランによれば、今から二〇二〇年までに米国は京都議定書で振りあてられた最も穏健な目標にすら到達しないことになる。
 われわれは、エコロジー的に不十分で、社会的に不正な協定の危険性に関して警報を鳴らす。
 われわれは、核エネルギーやバイオ燃料といった幾百万人もの人類の物理的生存を危険にさらすテクノロジーの大規模な実施に向けた、軽率きわまる暴走の危険性に警報を鳴らす。
 予防原則は絶対的に尊重されなければならない。短期的経済利益と金融的利潤への関心が、人類の短期的・中期的・長期的な根本的ニーズに優先するのを受け入れることはできない。
 間違ったエネルギーの利用、ならびに有害で不要な生産がもたらす廃棄物は、とりわけ先進諸国での排出削減の巨大な貯水池となっている。

富を再配分し
天然資源の共有

 現在、未来にわたってあらゆる人びとの真のニーズを平和的に満たすことを可能にする再生可能エネルギーが存在している。それらを利用することを可能にする知識も存在している。
 銀行システムを救済するのに投資された驚くほど巨額の資金は、財政的手段が欠けているのではないことを示している。われわれの気候を救い、すでに気候の異変による被害を受けている人びとにたっぷり支援するために、こうした資金が大規模に動員され、民主主義的管理の下に置かれるよう、われわれは訴える。
 気候変動は、われわれを地球の限界に直面させている。公正と平等の権利という精神で、それらを尊重する以外に受け入れられる選択肢などない、ということがきわめて単純な事実である。
 富を再分配し、天然資源(たとえば水)と知識を共有すること。なぜならそれらは人類の共有資産だからである。さもなくば気候のカオスは、どこにおいても全世界の貧しい人びと、とりわけ女性と子どもを犠牲にして、暴力、戦争、社会的不正を激化させることになるだろう。文明の選択はわれわれの手中にある。
 二〇〇九年十二月のコペンハーゲン・サミットにあたって、われわれはあらゆる人びとに、あらゆる場所で、全世界の政府を大衆の民主主義的で平和的な動員の圧力にさらすよう呼びかける。ともに、IPCC第四次報告で描かれた結論に従って、効果的で公正な気候条約を要求しよう。

ジャン・マリー・アリベ、フランソワ・ウタール、リカルド・ペトレラ、ダニエル・タヌロ

連絡先:
climatejusticeappeal@gmail.com




映画紹介
羽田澄子演出作品 2008年キネマ旬報ベスト・テン文化映画第1位
『嗚呼 満蒙開拓団』
責任を取らない日本政府の姿が浮き彫りに
        

 映画『嗚呼 満蒙開拓団』が完成したという新聞記事を目にした時から、この映画はぜひ見にいかねばと思っていた。
 私の父が戦中に農業高校に在学していた時、学校が満蒙開拓青少年義勇軍に行くように生徒たちに勧めたが、父は「他人の土地を奪って開拓するのはいやだ」と海軍航空隊に志願してしまったという話を聞いていた。私の故郷は静岡県の農村地帯だが、「満州開拓」に行かなければならないほど貧しい土地柄でもないので、こうした所まで国家の意志が貫徹していたことに驚いた。
 また、江東区に夜間中学をつくる会が長年やっている自主夜間中学に中国残留邦人の孤児たちの呼び寄せた家族がたくさんやってきたし、今でも来ている。「満蒙開拓団」とは何であったのか、残留孤児はなぜつくられたのか。それを知りたいと思っていた。

 残留孤児たちが戦後補償を求めた裁判で、東京地裁がその要求を却下した。国の責任をあくまで追及して闘うと宣言する孤児たちの闘いの場面から映画は始まる。そして、中国のハルピン市郊外の方正県に、五千人近い死者たちを葬る「日本人公墓」があることを紹介する。
 一九六三年に、食糧危機に陥った中国政府は荒地を開墾して、自分たちで食糧を確保するよう命令を出した。中国人と結婚した残留婦人の松田ちゑさんが荒地を開墾していると累々とした白骨の山を見つけた。それは満蒙開拓団員たちのものだった。彼女は埋葬したいと県政府に申し出た。最終的には中央政府の周恩来首相が「あなたたちも日本軍国主義の犠牲者だ。皆さんは現在中国の社会主義建設のために積極的に努力している。墓碑の建立は人民政府の手でやる」と許可し建設された。現在は「中日友好園林」として関連する品を展示する陳列館もあり、管理人が常駐している。
 残留孤児たちを生み出した責任を回避する日本政府と孤児たちを育てた中国の人々の対比があざやかになり、いっそう日本の戦争責任の問題が浮かびあがる。映画はこの「日本人公墓」を訪ねる日本人ツアーの参加者の残留孤児や関係者へのインタビューでつづられる。
 そこでは「満蒙開拓団」が作られていく歴史的背景が浮かびあがっていく。

 一九三二年に、日本の傀儡として「満州国」が建国された。人口三千万のうち日本人はたった二十万人。一九二九年の世界大恐慌を受けて、日本の国内は輸出の中心であった生糸の値が暴落し、農村は極度の疲弊に陥った。人口増と貧困に苦しむ日本人を「開拓民」・中国人支配の道具、そして対ソ戦の楯として、満州に送り出す計画が一九三六年、広田弘毅内閣によって立てられた。それは二十年間に、百万戸・五百万人を送り込むという一大国家プロジェクトだった。送り出しは敗戦間際の七月ころまで行われ、二十七万人にもおよんだ。
 もっとも精鋭と言われた関東軍は戦局が悪化すると南方や沖縄に送られた。兵隊が足りなくなると、開拓団の男性たちが招集された。関東軍は対ソ戦に対して、大連と長春、図們(トモン)を結ぶ線まで後退させる作戦を秘密裏に立てていた。しかし、この事実は開拓団には知らされていなかった。開拓団は老人と婦女子のみになっていた。
 八月九日、ソ連の参戦があった。その日から将校たちやその家族、満州国役人たちは列車を独占して、いち早く逃げた。残されたのは満蒙開拓団員だ。開拓団員の犠牲者は七万二千人、未帰国者は一万一千人と推定されている。当時満州にいた日本人は百五十五万人で、引揚の犠牲者は二十四万五千人。開拓団員の犠牲者は三〇%近くにのぼり、いかに犠牲者が多かったかがわかる。侵略者の一員であった「開拓民」はソ連軍や土地を奪われた中国人に襲われただけでなく、沖縄戦での集団自決のように、自ら子どもたちを殺したり、自決をしていった。

 羽田監督はこの「日本人公墓」に関係した残留孤児たちを尋ねて当時の様子を聞きだしている。
 乳飲み子や老人たちが足でまといになると、親が子どもを殺す。あるいは「生きて辱めを受けない」という戦陣訓の教育の結果、集団で自決していく。難民、流浪民となり、零下四十度という厳冬の酷寒にさらされ、飢えと栄養失調、発疹チフスなどで次々と死んでいった様子が語られる。
 ハルピンにたどり着けばなんとか帰国できるとハルピンの近くで関東軍の物資補給基地があった方正に殺到した。しかし、そこでもたくさんの犠牲者が出た。地面は凍っているので掘ることが出来ず、遺体は枕木のように積み上げられた。犬やカラスが死体をついばむ。春になると腐敗し、腐臭が出たので、県政府が三日三晩石油をかけて燃やした。それでも、生焼きで残ったのでまた焼いた。この作業を手伝ったという人は「地獄だった」と証言している。

 残留孤児の人たちは日本に帰国しても平穏な暮らしが出来たわけではなかった。日本政府は積極的な支援をしたわけではない。ここでも棄民政策の延長だった。まず、高齢になって帰国したので日本語を覚えるのに苦労し、さまざまな差別にあった。
 「ほんとに日本に帰ってきて苦労したよ。子どもが日本人の子どもに殴られたり、かまれたり、体はあざだらけでね。託児所の先生が『あんた何しに中国に行ったの、なんでほんとの日本人なのになんでよその国に行くの』って」。

 
 夏近くなると戦争もの映画が流行る。日本のイ号潜水艦を扱った『真夏のオリオン』もそうだ。この映画の宣伝のために、自衛隊の現役の潜水艦に試乗させ内部の様子を公開したり、モデルとなったイ58号の生き残りの隊員たちを尋ねて、いかに艦長がすばらしい人間であったかをアピールしていた。こうした映画に比べて『嗚呼 満蒙開拓団』は地味なドキュメンタリー映画ではあるが、「戦争」がいかなるものであったの、国家が民衆に与えた理不尽さと戦争責任をとらない、その真実を知る点で比較にならない程重要だ。岩波ホールは金曜日の午前中というのに、七十歳を超えた戦争体験者で満杯であった。     (滝山五郎)


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