| 2009けんり総行動実行委 かけはし2009.7.6号 |
| パナソニック争議1日行動 資本の非道許さぬ連帯を! |
【郡山】六月二十二日、争議団、争議組合が主体となり、ともに支援連帯しつつ共同で取り組む東京総行動が、2009けんり総行動実行委員会の主催で実施された。
午前中は、みずほ銀行本店(倒産した光輪モータースの背景資本)からパナソニック東京支社(松下プラズマディスプレイ偽装請負裁判)―ニチアス本社(アスベスト被害、団交拒否)―パナソニック電工東京本社(偽装、違法派遣不当解雇撤回裁判)のコースと昭和シェル石油(賃金差別・不当配転・転籍)―フジテレビ(不当解雇)の二コースから国土交通省前で合流し国鉄一〇四七名解雇問題の解決を求める取り組みが行われ、午後からは、NTT(不当解雇)―住友重機(賃金差別)―日本基礎技術(不当解雇)―教育情報研究所(不当解雇)―リゾートソリューション(アスベスト被害・不当労働行為)―東京都庁(再雇用拒否、解雇、学園再建等)―私学振興事業本部(不当解雇)の三コースからトヨタ本社(フィリッピントヨタ解雇・団交拒否)―総行動交流会の日程で行われた。
パナソニックは
解雇撤回せよ
このうちパナソニック電工東京本社行動は午前七時半から開始された。この日の行動に備えて作られた立入禁止の看板、ガードマンが配置される中、宮城合同、ふくしま連帯ユニオン、佐藤昌子さんを支援する会、全国一般全国協など三十人が出勤する社員にビラを配布。「私は、福島からバスに乗せたお客さんを何度もこのビルのショールームに案内して来ました。十八年間のはたらきと生活を踏みにじった会社を許すことはできません。パナソニックは私をショールームに戻してください」偽装派遣を告発し直接雇用を求めて裁判に立ち上がった佐藤昌子さんの訴えが、高層ビルの間に響き渡った。
続いてパナソニック東京支社行動には、大阪、福井、福島で闘う松下プラズマディスプレイ裁判原告吉岡力さん、パナソニック若狭偽装請負裁判原告河本猛さんパナソニック電工裁判佐藤昌子さんの三原告と支援がそろって登場、大阪高裁判決に従い吉岡さんを直ちに職場に戻せ、と迫った。
かならず勝利し
社会を変える!
十一時過ぎからのパナソニック電工東京本社に対する抗議行動には百人近くが結集。けんり総行動の佐々木実行委員長、全国一般全国協中岡委員長、洋服の青山裁判原告小泉さん、宮城合同労組星野委員長、プラズマディスプレイ裁判の吉岡さん、パナソニック若狭の河本さん、国労九州門司闘争団西本さん、韓国非正規労働者連帯会議のパクさん、東京管理職ユニオンの安部誠さん、働く女性の全国センターの伊藤みどりさんが支援連帯・激励のマイクを握った。
その中で佐々木実行委員長は「パナソニックやキャノンなど日本資本が東アジア全体に大量の非正規労働者を作り、そして大量の首切りを行った。偽装請負、偽装派遣に対する各地の闘いを束ねてがんばる」と語り、伊藤みどりさんは「一九八五年の派遣法・均等法、年金法の改悪で一般事務の女性は派遣を選ばざるを得なくなった。今、日本経団連はワークライフバランスの名で多くの女性が担っている事務労働の労働時間見直しで日雇化、雇用の細切れ化を打ち出した」と資本の新たな攻撃に対し注意を喚起した。原告佐藤さんは、「派遣の問題に風穴を開けるために必ず勝利する。雇用責任を果たさせるために、社会を変えるために、ショウルームに戻させるために、このビルの前に何度でもやってくる」と改めて闘いの決意を表明した。
こうした行動に対しパナソニック各社は、原告・組合の要請、団交申し入れを拒絶、対応は警備会社に押し付け、責任あるものは出てこない。派遣切りに対する社会的非難が高まっても、どこ吹く風、労働者を踏みにじり続け利益追求に走る大企業の姿勢をまざまと示した。資本の非道を許さない社会的連帯による闘いの強化が必要だ。七月下旬には三原告呼びかけによるパナソニック闘争全国キャラバンが取り組まれることになった。(N)
佐藤昌子さんの発言
人間としての尊厳を奪い返し差別をなくす
労働条件切り
下げ転籍通知
会場にお集まりの皆様、日々の活動ご苦労様です。
今日はお忙しい中、三・二大阪集会に続き、パナソニック裁判交流会に貴重なお時間を割いてお集まりいただきありがとうございます。心より御礼申し上げます。
私が、闘争を始めて十カ月が過ぎました。東京、大阪、仙台など各地の集会にお呼び頂き、温かいご支援に勇気を得て参りました。私が不当な転籍に抗議して、組合に加入し団体交渉を申し入れたのは昨年の夏で、世界的金融危機の起きる少し前でした。違法派遣が社会的に問題視される中、電工でも派遣切りが始まっており、昨年三月、多くの派遣の仲間が職場を去りました。怒りを感じながらも、何もすることができませんでした。
八月になり、グループ内企業HEGへの大幅な労働条件切り下げでの転籍の通告を受けました。「十月からは、HEGから出向し契約社員として同じ仕事する」という内容でした。「それが嫌なら自ら辞めろ」と。「法令順守が求められてきたので、このまま働いてもらうわけにはいかない。新入社員も雇えない」とまで言われました。
だましうちで
雇い止め解雇
一カ月間悩み続けました。拒否の選択は、正直仕事をなくすことも覚悟しなければできない選択でした。それでも闘おうと考えたのは、どんなに頑張っても認められることもなく、モノのように扱われ「派遣はいつでも切れる」といわれながら働き続けることに「絶望と怒り」を感じていたからです。しかし、パナソニックグループは私をだまし交渉の最中に、雇い止め解雇・転籍拒絶を強行しました。「返答日に私が返答しなかったため働く意思がないものとみなした」というのが転籍拒絶理由でしたが、返答日の前日に「明日の返事はいいです。団体交渉の後また話をしましょう」と言ってきたのは、松下電工の所長でした。
私が転籍するはずだったHEGに同じ十月から、私が仕事を教えた入社二・三年目の同僚たちは、正社員として採用されることが決まっていました。HEGは、社名変更前はSFGという会社で、一九九一年に、私と一緒に採用された元同僚たち全員が、正社員として採用された会社です。パナソニック電工は、「入社当時、非正規としてABMになるか、転勤はあるが正規社員のSFGになるかを選択させたが、自ら転勤のないABMを選んだ」と主張しています。夫がくも膜下出血で倒れ、私は資格を取り、安定した収入の得られる正社員になるためにずっと頑張ってきました。やっと得た正社員での採用でした。自ら非正規を選ぶことなどありえません。同僚は誰一人そのようなことを聞いてもいません。
18年間も続いた
会社の違法行為
社員以上に数字を上げ、そのために家庭も犠牲にしてきました。十時頃までの残業は恒常的で、営業所の数個しかない鍵の一つを持たされ、社員が帰った後も一人で残り、十一時、十二時に施錠することさえありました。社員の人達は「佐藤さん営業所には誰もいなくなります。後よろしく」と言って帰って行きました。
賃金に反映されない休日出勤やサービス残業はあたりまえ、労働基準監督署が入ってからは、残業にならないように、仕事を自宅に持ち帰りました。お客様を獲得すればするほど仕事量は増え、スタッフの数が少ないため、昼休みもまともに取れず、弁当を持ち帰ることもたびたびありました。派遣と社員に仕事の区別など全くありませんでした。そうやって一時的・臨時的派遣で十八年近くも働いてきました。この期間が違法行為の連続であったことを、仕事を奪われてからはじめて知りました。
派遣先の事前面接と派遣先の特定、五年間の偽装請負そして偽装派遣。私がABMの社員に初めて会ったのは入社八年目でした。全く同じ業務なのに雇用契約書が「事務機器操作」から「インテリアコーディネイター」に突然変わったことについては、「業務が重複すれば変更は妥当」と開き直っています。今回提出した準備書面二では、派遣元の責任とされている、年休申請、研修も派遣先がおこない、派遣元の雇用契約書とは全く関係なく、私と派遣先との合意で、「始業・終業時間、三六協定の時間外・休日労働の範囲、業務の種類」が成立し履行されていた事実から、黙示の労働契約の存在及び長年の労使慣行による労働契約の成立を主張しました。
提訴する前、派遣の裁判が負け続けていることも聞かされていました。でも支援して下さる方々の「敗訴を乗り越えよう」という声に励まされ立ち上がることができました。労働者の権利を奪い返したい。あたり前に生きたい。ただその一心で闘いに踏みだしました。
裁判を続ける中で、派遣の裁判が派遣法違反だけでは勝てないことを思い知らされました。パナソニック電工は「たとえ違法性があったとしても行政罰にしかすぎない」と強気の構えです。派遣労働者は現在の派遣法のもとで、雇用関係において事実上無権利の状態に追いやられています。第三回口頭弁論の進行協議で、裁判長から、「組合や運動のこともあるでしょうが、どちらが勝っても高裁、最高裁へと進み長期化が予想されるので和解も視野に入れてほしい」と示唆されましたが、「判決を下さい」ときっぱり答えました。鈴木弁護士が、「佐藤さんの言う判決とは、勝利の判決です」と付け加えてくださいました。
私は自分の闘いを人間としての尊厳を奪い返し、格差をなくす為の闘いだと考えています。
私は全国の闘う仲間に連帯を求めます。
ひとつひとつの闘いを結集して大きな社会運動をつくり「貧困へのスパイラル」を断ち切って、人が人らしく生きられる社会を実現するために共に闘いましょう。
これからも温かいご支援よろしくお願いいたします。
声明
われわれはイラン民衆の側にある
社会的公正と平等の実現へ
第四インターナショナル執行ビューロー
いつわりの大統領選挙後の六月十三日以来、幾百万人ものイラン民衆は「独裁に死を」と叫んで怒りを表明している。イランの人びとの動員は、体制の危機を増幅させている。残忍な弾圧により、すでに死傷者は数百人に及んでいる。われわれはイラン民衆の側にある。
権力頂点から
のクーデター
アフマディネジャドの大統領再選出馬の発表によって、権力内のさまざまな分派間の隠された戦争は、公然たる戦争に姿を変えた。四人の候補者が選挙戦に参加する資格を得た。この四人は、イスラム共和国の三十年に及ぶ血まみれのバランスシートへの責任を分け持つ体制の高官である。しかし最高指導者と権力を持つ一味は、第一回投票の前に勝者を指名していた。分派間の大きな緊張、危機と社会的不安定の情勢の中で、指導者が民衆によって否定されることは考えられないことだった。同様に、革命防衛隊の集中にある巨大な経済的・金融的利益や、元大統領ラフサンジャニの一派が支配する経済の重要な部分を支配したいという願望は、アフマディネジャドとその仲間たちが権力と特権を放棄するのを不可能にさせた。石油収入、国家の富と権力の支配をめぐるこの闘いにおいて、ハメネイとアフマディネジャドは、彼らのライバルを追放しようという正真正銘のクーデターを実行した。
民主的自由と
勤労人民の主張
経済的困難、失業の増大に直面する中で、インフレの高まり、腐敗、身内びいきはますます耐えがたいものになった。ムッラー(イスラム法学者)体制の息苦しい重圧から逃れ、権利のために闘う青年と女性への抑圧を終わらせようという民衆の決意は、労働者の固有の要求といっそうからみあうようになっている。イラン民衆の勇気ある動員は、体制内部の分岐を際立たせ、体制を弱体化させている。
民衆の正当な要求に対して、体制側は流血の弾圧、大量逮捕、ジャーナリストの取材禁止、電話網やインターネットの切断という形で回答した。イスラム共和国が強制している包囲状態は現実のものである。テヘラン、バッシジでは治安警察部隊、革命防衛隊が紛争を取り締まるために市内を制圧している。しかしそれも無駄なことだ。権力への拒否は深く浸透しており、抵抗運動は多様な形態をとっている。イラン民衆の怒りと決意を弾圧によって消し去ることはできない!
闘いは新たな
局面に入った
イランにおける闘争の新局面が切り開かれている。われわれのあらゆる支援が向けられるのは、女性であり、労働者であり、青年であり、自らの生命を危険にさらすことをためらわずイスラム共和国を拒否しているすべてのデモ参加者である。自然発生的なストライキが幾つかの企業で起こっており、とりわけテヘランではストライキの呼びかけが増大している。ゼネラルストライキの決定的な問題は、この対立の波に乗ろうと試みているムサビによってではなく、イラン労働者自身によって提起されている。この運動への労働者階級の登場は、イスラム共和国を打倒し、帝国主義とシオニストの攻撃に立ち向かう新しい民主主義的で社会的な共和国を樹立するのに必要な結束と力を与えることができる。
真の民主主義的諸権利、ストライキ権、自由選挙権、労働組合や政党結成の自由、ならびに社会的公正や女性と男性の平等を求める闘いは、国際的連帯に基礎を置くものでなければならない。彼らの闘いはわれらの闘いである!
(「インターナショナルビューポイント」09年6月号)
新自由主義政策のジレンマ
「改革派」と「保守派」の抗争それ自身は、一九七九年以降にホメイニの下で確立されたイスラム教聖職者による独裁的権力の枠組みの中での抗争である。この権力は、一九七八年から七九年にかけての、パーレビ国王の独裁体制に対する巨万の民衆の革命的決起を背景として成立した。
しかし、その一方で、この権力はクルド人の民族自決権のための闘いや、石油労働者をはじめとする労働組合・左翼政治組織の徹底的な排除と暴力的解体の上に確立された独裁権力である。この権力は当初、主要産業の国有化、土地の分配、教育や医療の充実によって社会的矛盾を緩和し、対外政策においては反米・反ソ(旧ソ連)、あるいは反帝民族主義を前面に掲げてきた。
反西洋(イスラム教の原理への回帰)とポピュリスト的な国内経済政策は、反民主主義的・反革命的な強権的独裁支配の本質を隠蔽する上で、きわめて効果的だった。国有企業を通じた収益は、政治権力に近い聖職者たちを潤し、また、革命防衛隊やイスラム教の地域組織の強化を通じてホメイニ支持者の政治的基盤を強化した。
一九八〇年代末に、対イラク戦争の終結(89年)とホメイニの死去(同)のあと、ラフサンジャニ大統領の下で新自由主義的な改革が導入された。経済五カ年計画、IMF・世界銀行の融資の導入、公有地の民営化と都市開発への規制の緩和(建設ブームと住宅バブルをもたらした)、貿易の自由化、技術者・専門家の活用等を通じてイラク戦争による荒廃からの復興をはかったのである。革命と戦争の中で国外に逃れていた資本家たちも次々と帰国した。新自由主義的な改革はその後のハタミ、アフマディネジャド政権の下でも一貫して追求されてきた。これは中国やマレーシアをモデルにしていると言われている。
経済改革、とくに国有資産の私有化は腐敗をもたらし、また、貧富の格差を生み出した。「改革派」は国有部門の非効率、不透明性を非難してきたが、実際には民営化は多くの場合、国家権力に近い層への低価格での払い下げという形態を取っている。高位の聖職者は私腹を肥やしてきた。とくにラフサンジャニは莫大な富を蓄積してきたことで知られている。
「この二十年間、一連の私有化を特徴づけている不正と不透明性は、メディアや政府の報告の中で一貫して批判されてきた。元の国有企業の管理者が新しい経済エリートに加わった。彼らはこの過程の受益者だった」(ラミネ・モタメド・ネジャド「イラン―お金とイスラム指導者」、『ルモンド・ディプロマティク』誌6月号)。この点では、ロシアや中国における民営化のプロセスと酷似している。
今日でもイランでは国有部門がGDPの三分の二を占めており、民間部門は三分の一にすぎない。国家予算の多くの部分が国有部門への補助金に充てられている。
アフマディネジャド政権の下で、民営化は重要産業や金融セクターにも拡大している。「MERIP」レポート〇九年春号のカベフ・エフサニ「強奪による生き延び│イスラム共和国における公共財の私有化」によると、民営化をめぐる政府と反政府派の対立は、政策の正当性をめぐってではなく、国有資産の評価と分配の方法をめぐる対立である。〇七年から〇九年の間に七八億ドル相当の国有資産が民営化されたが、そのうち三十三億相当分が一般企業・個人に売却され、三十億ドル相当分がホメイニ基金や民兵組織、年金基金を通じて低所得層や年金生活者(退役軍人・戦争遺族など)に配分された。「公正な分け前」と称するこのプログラムは、「改革派」、「保守派」双方から、政治的買収であると批判されている。
新自由主義の導入に伴う富裕層の形成と、教育の普及の結果としての新しい知識人・テクノクラート層の形成は、イスラム共和国の基本である聖職者による支配の弛緩をもたらす。一方で失業が増大し(失業率は約40%と推定されている)、貧困が拡大している。公式統計によると、貧困ライン以下の人口は八百万人に達している(総人口は7千4百万人)。
このまま新自由主義政策を進めていくならば、社会的矛盾がイスラム共和国の土台を引き裂きかねない。この点においては、中国における共産党独裁下の「改革・開放」政策と類似した矛盾を抱え込んでいる。このジレンマの中で、アフマディネジャド政権はポピュリスト的政策と強権的支配の強化をはかってきた。アフマディネジャド政権はまた、核開発を推進し、反帝国主義・反シオニズムを煽り、中東地域における影響力を強化することを通じて、国内の結束を強化しようとしてきた。
反政府運動と新たな可能性
ホメイニの死後の二十年間、「改革派」と「保守派」の抗争は繰り返されてきたが、今回の大統領選挙をめぐる抗争は、大衆の闘争への参加の規模において一九七八〜七九年の革命以来最大である。
とくに、若者がデモの主力となっていることが注目されている。若者たちはインターネットを駆使して、自由と民主主義的スペースの拡大を求める機運を結合し、共感を組織してきた。不正選挙への怒りが、革命防衛隊の暴力的弾圧を契機に、「独裁者に死を」と叫ぶラディカルな反政府運動へと急速に発展した。アフマディネジャドだけでなく、最高指導者のハメネイや革命防衛隊が闘争の対象となったのである。闘争の拡大は革命防衛隊や民兵の間にも動揺を引き起こしつつある。この事態を前に、「改革派」の指導者たちは大衆運動の発展を抑制しつつある。
六月二十日のデモ以降、大統領選挙をめぐる抗争は終息しつつある。しかし、今回の大衆闘争の中で、イスラム聖職者による独裁そのものと対決する闘いの新たな可能性が表現されていることに注目しておくべきである。
第一に、女性の運動が果たしてきた重要な役割である。ハタミ大統領の下で、民主主義的権利の抑圧が一定程度緩和され、さまざまな非政府グループの活動が可能になり、その中でいくつかの女性グループが形成された。アフマディネジャド政権は、この改革を逆行させ、女性の権利をはく奪してきた。大学入学者における女性の割合に上限を設ける、一夫多妻制への規制を緩和する、政府の「女性の参加のためのセンター」を「女性および家族問題センター」に改組する、前政権の下で刊行されてきた研究文献を廃棄する、女性グループへの補助金を廃止する等の政策を導入しようとしてきた。これに対抗して、女性の権利の拡大を求める「百万人署名運動」が草の根の運動として、警察や民兵による暴力的弾圧に抗して果敢に展開された。この運動が、大統領選挙を前に、ムサビを支持する連合組織を設立したが、解散を強制された(「ガーディアン」6月23日付)。
第二に、新たな労働組合運動の発展である。五月一日には独立的労働組合・労働団体がテヘランでメーデー集会を開催し、約二千人が集まった。警察の介入によって多くの参加者が負傷、逮捕された。この弾圧に抗議して国際労働組合総連合(ITUC)などの国際的労働団体が六月二十六日、イラン大使館への抗議行動を行った(「労働情報」6月15日号より)。
第三に、詩人・画家で女性の権利を一貫して主張し続けているザフラ・ラフナバルド(ムサビ元首相の妻)、映画監督のモフセン・マクマルバフをはじめ広範な知識人・文化人や、在外イラン人の組織が国際的な連帯運動を組織している。アフマディネジャドは民主化要求を欧米諸国からの介入であると非難しようとしており、一方で欧米諸国の間ではイランへの介入・圧力が検討されている。これに対して彼ら・彼女らは、イランのことはイラン人自身が決定できるということを全世界に向けて宣言している。
イランにおける民主化の闘争の拡大は、中東地域における非宗教的左派の再生のための重要な可能性をもたらすだろうし、イスラエル・シオニストやサウジアラビアをはじめとするアラブの反動諸国家にとって重大な脅威となるだろう。
イランの民主化闘争に注目し、支援運動を組織しよう。(6月29日 小林秀史)
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