| 韓国はいま 蔚山で候補者を統一できるか かけはし2009.3.16号 |
組織統合は多くの時間が必要
まずは選挙連合が実験台? |
民主労働党の分裂
08年2月3日、民主労働党臨時代議員大会で、「一心会事件」関連党員の除名を核心とする非常対策委員会(委員長シム・サンジョン前議員)の党革新案が否決された。チョ・スンス前議員が17代大統領選挙惨敗の原因を自主派の「従北主義」や「覇権主義」と規定しつつ出した分党論が広がっていた当時、これを阻止しようとする平等派の最後の試みとして出てきたのが革新案だった。
革新案が否決されてから2日後、ノ・フェチャン前議員は「民主労働党は自らの決定によって自身の存立の意義を否定した。組織保存の論理にとらわれ病弊を黙認してきた過去と決別する」として脱党を予告した。続いて2月17日、シム・サンジョン前議員も「現在の民主労働党の枠組みでは進歩政治の希望を実現するうえで限界に達した」としてノ前議員と共に新たな進歩政党を創党すると発表した。
この間にタン・ビョンホ前議員、イ・ドグ執行委員長など民主労働党の指導部クラスの人々はもちろん、平等派の平党員2万人余が相次いで脱党した。民主労働党はチョン・ヨンセ前議員を中心として非常対策委員会を再び構成し、「進歩政治勢力の分裂や対立は共倒れの道」だと訴えたけれども、脱党の行列を阻むには力不足だった。3月16日の進歩新党の創党によって、民主化以降、初めて院内に足を踏み入れていた進歩政党の分党は現実となった。
09年2月15日、カン・ギガプ民主労働党代表は「蔚山の選挙で進歩陣営が無条件勝利し、進歩勢力が再びまとまる契機を用意しなければならない」として4・29再・補欠選挙の候補単一化を論議する「進歩陣営円卓会議」を進歩新党に提案した。カン代表が18代総選挙で当選した後、何度かにわたって「統合」に言及したけれども、それにはビクともしなかった進歩新党も今回は態度が変わった。
両党は2月25日に代表団の会同を開くことにした。カン代表が言及したように、候補単一化の論議の核心は蔚山北区だ。チョ・スンス前議員が再起を図っており、彼の古くからの「好敵手」であるキム・チャンヒョン元・民主労働党事務総長もまた出馬を準備しているからだ。
共倒れに危機感を持つ両党
分党1年。民主労働党と進歩新党は今なお「離別の傷」が癒されてはいない。常勤者や党員たちの間では「分党の責任を相手に転嫁するものだから感情の溝が一層深まった」という言葉も出てくる。「互いに考えを自由に語り、それを尊重するのが進歩なのに、対北観を問題視して飛び出した人々を、どうして進歩などと言うことができるのか」(民主労働党党員)、「分党をしなかったならば北韓(北朝鮮)の核不能化を要求する論評が可能になっただろうか、民主労働党を排他的に支持している民主労総の性暴力の波紋をキチンと批判することができただろうか」(進歩新党党員)と語るほどに互いに積み重なった不信の根は深い。
それぞれ、分党によって得たものも多い、との評価さえある。パク・スンフプ民主労働党代弁人は「(政派対立の要因が消えて)党は機動力を持つに至った。以前の無気力な状態を脱け出し『イ・ミョンバク悪法』と闘うために民主党と協力し、民生の現場と共に行動するのもしやすくなった」と語った。イ・ジアン進歩新党副代表人は「総選挙以後、『チモンミ(ノ・フェチャン、シム・サンジヨン前議員の落選を残念がる活動家たちがうちあげた『チョキョジュジ モッテ ミアナダ(守ることができず、すまない、の意)』という言葉の略語)派』、キャンドル政局以後『キャンドル派』などが入党し、彼らは多くの政策アイディアを出すなど、党員直接民主主義が拡大している」と語った。
そうでありながらも蔚山北区を中心とした候補単一化の必要性に両者が同意する理由は、この1年間に得たものよりも失ったものがより多いとの判断のせいだ。
議席が半分に減り
法案を発議できず
議席数が半分になったという事実は最も致命的だ。民主労働党はカン・ギガプ代表とイ・ジョンヒ議員が必死になって議会活動を展開しているものの、5議席では法案1つすら発議できない。進歩新党は看板スター、ノ・フェチャン、シム・サンジョン代表でさえハンナラ党の候補に押しきられて1議席も得られなかった。「党が割れずに総選挙に臨んでいたならば、この状況にまでなっただろうか。政党が離合集散するのに辟易した国民らは分党の事態を見守りながらも、進歩政党も同じだと受けとめざるをえなかったのだろう」というある進歩新党地域委員長の評価には両党ともに意見の違いはない。
キャンドル政局で沸き返っていた、対案政治勢力に向けた熱望をキチンと抱き抱えられなかったという骨身にしみる反省も出てくる。民主労働党のある党職経験者は「キャンドル政局は進歩政党の新しい人物や指導力に対する国民の期待感が大いに高まっていたところであり、進歩政党がハンナラ党に対する対案勢力として位置づけられるチャンスだった。けれどもキャンドル集会で「どの党の旗が先頭に立つのか」をめぐって神経戦を繰り広げられなければならない状況の中で、ぶつかり合った両党は本来、得られる分さえ手にできなかった」と語った。
その結果、進歩陣営はイ・ミョンバク政府の独走をけん制する「強力な野党」を誕生させられなかった、という自省も「反イ・ミョンバク戦線」構築のための候補単一化の主要な名分だ。
候補単一化の必要性については党員も市民らも一様に同意する。労働運動家たちの集まりである蔚山革新ネットワーク(準)が2月初めに現場労働者、非正規職、地域住民1139人を対象に行ったアンケート調査で、回答者の78%が進歩陣営の候補単一化を望む、と答えた。
同じ時期に民主労働党ソウル市党が党員469人を対象として「進歩新党などとの進歩連合」について聞いたアンケート調査でも「大いに賛成」(36・9%)と「おおむね賛成」(41・6%)など賛成論が78・5%となった。このような共通の意識が幅広く存在しているということだ。このため両党が再・補欠選挙で候補の単一化に成功して成果を挙げることができれば、カン・ギブプ代表の望み通り統合のきっかけも用意され得るのではなかろうか、という期待も出でくる。
内外で単一化賛成の声高まる
けれども、両者が選挙連合を実現したとしても、「党対党の統合」へと簡単に進むだろうと見通している人々は多くはない。特に進歩新党は候補単一化と統合の論議は別個のものだとして一線を画している。ノ・フェチャン共同代表は2月16日の平和放送ラジオ・インタビューで「(候補単一化の論議が)直接統合にまで、あるいは統合の論議にまで至りはしないだろう。(統合は)選挙を1回、2回程度やったからといってできる問題ではなく、新たな進歩政党運動の価値をどこに置くのかを論議しなければならないので性格が異なる」とクギをさした。
民主労働党もすぐさま統合の論議にエンジンがかかるとは考えていない。パク・スンフプ民主労働党代弁人は「統合は多くの時間がかかる問題で、再・補選とは範疇が異なる。今回の選挙連合が(統合の可能性を判断する)実験台となることはあるだろうが、このような実践的な事例がたくさん積み重ねられてこそ、初めて可能となるのだ」と語った。(「ハンギョレ21」第749号、09年3月2日付、チョ・ヘジョン記者)
開発で壊された廃墟に再びサクラソウを
「凍てつくな、死ぬことな
かれ、復活するのだ!」
この冬は空気がいつになく乾燥し、一層寒く感じられる。春はどこまで来ているのだろう。サクラソウが育つほどに近づいているのだろうか。冬に生えるサクラソウを見ようとマンションの脇道の道端、毎年サクラソウが群れをなして生えていた所を回ってみるが、既にそこはコンクリートでさっぱりと手入れされていてセメントのほこりだけがヒラヒラと舞っていた。セメントのほこりをパッパッと巻きあげて学院(専門学校、予備校)のバスが過ぎていく。隣町の学院街へ何台もの大型バスが学生らを乗せて運んでいく。昨春、建てられてから1度も揺らぐことのなかったここのマンションの価格さえ、やたらと揺れ動いた。おし黙っていた場末の人々の胸の内をひっかき回したあのひどい嵐は、あたかも心の奥にあのようなセメントのほこりのようにものを残して通りすぎていった。
この冬がいつになくザラついて、ゾクゾクするほどに寒く感じられるのは、そのためだろうか。コンクリートで塗り固められた脇道の姿と龍山で繰り広げられた惨事が重なり合う。資本が描いて見せる夢は他人の暮らしをぶち壊し、その夢を奪うものだ。そのようにして奪った夢さえも虚しく飛び去ってしまう。その夢は悪夢へと変わってしまう。開発の嵐はすべてを共犯者に仕立て、沈黙させる。そのような沈黙は龍山で繰り広げられた惨事と無関係ではない。サクラソウが消えた道端でセメントのほこりを吸いながら恥ずかしく思った。
単純だからこそ
忘れられない
サクラソウは春に芽生え育ちもするが夏、秋に芽を出し、年を越して育つ2年草でもある。サクラソウは丈は大きくない。それでも小さな体の中で小さなクモや、さらに小さなヘヒリムシが共に冬を過ごす。陽ざしの暖かな日にはクモやヘヒリムシがモゾモゾとはい出してきて、人の気配に驚きアタフタとサクラソウの中に隠れる。風を避けて大地にペターッと張りついて冬を過ごすサクラソウは子どもの顔にも劣らずかわいい。冬の風にほんのり赤くなった子どものほっぺのように、サクラソウも北風を受けてほんのりと赤くなった。冬の野辺に咲いた花のようだ。
サクラソウはペンペン草やハコベのように早春に花が咲くわけではない。タビラコやホトケノザ、スミレよりも遅く花は咲く。それにもかかわらずサクラソウを見ると、その名前は実にふさわしい。大分、前にサクラソウを初めて見たときの印象が、つい昨日のことのように思い出される。かわいいスミレは誰にもよく知られているし、ホトケノザは似たような花が多いからか、最初の印象は残ってはいない。
タビラコは春が深まるにつれて大地をおおいつくして繁ってしまう。サクラソウは単純な姿なのでよく目につくわけではないが、傘を開いたような姿を1度見れば、むしろ単純だからこそ忘れられない。サクラソウは春が終わりきる頃まで春の最初の印象を保ち続ける。サクラソウは葉柄がなく根っこから突き出た葉だけがある。葉の間から花茎が何本か伸びあがり、その先端に傘の骨のように、さらに幾つかの花の柄が分かれ出て花が咲く。花が咲いても全体の姿が大きく変わることはない。
花びらが落ちてから5つに分かれたガクはさらに大きくなるが、丸い実が結ばれて落ちても花ガクをまるで花のように付け続けている。
子どもらとサクラソウの葉っぱを摘んでバッジを作った。サクラソウの葉っぱをくっつけて作ったバッジを付けた子どもらの顔は、もう春を迎えたようだった。バッジを作るには1、2枚の葉があればよいのだが、子どもらはワァーと押しよせ、ひと握りずつも摘んできた。それでも構わない。その程度の刺激は雑草たちが生きていく上で、むしろ必要なことだからだ。
コンクリートに覆われたマンションの脇道にはすき間が生じ、ほこりが積もるはずで、そこから再び雑草が育つだろう。そのような所が雑草が生きていく場所ではないのか。開発で壊された暮らしの廃墟がわれわれを呼んでいる。資本に立ち向かう連帯と闘争を呼びかけている。亡くなった人々の声が聞こえる。
「凍てつくな、死ぬことなかれ、復活するのだ!」(「労働者の力第154号、09年2月3日付、「暮らしの力」ページの「野草の話、120話」より、文・絵ともカン・ウグン)
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