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米帝国主義が主導した新自由主義と決別(下)       かけはし2009.3.9号

南の単一の通貨基金を検討

右翼反革命に抗して持続する革命的プロセスの発展と大衆動員
ジェームズ・D・コッククロフト



右派反政府勢力
の歴史的背景

 ボリビアの右翼は商業、麻薬取引、天然ガス等の天然資源で潤っている四つの県で相対的に強いが全国的な選挙では勝てないため、経済的な力があるサンタクルス市を中心に分離独立を求めている。そうなると他の県は貧困状態のままに置かれる。
 エクアドルでも、米国政府機関やコロンビアの準軍事組織と結びついたエクアドルとベネズエラの反民主主義的右翼が活動している。彼らもエクアドル南西部のグアヤキルとベネズエラ北東部のスリアを中心とする経済的に豊かな地域の分離独立を策している。
 ボリビアの人民には、国内および外国支配層の利害を代表して国を支配してきた右翼勢力に対する大衆的抵抗の長い歴史がある。一九五二年にはラテンアメリカにおける一九一七年のメキシコ革命以来初めての革命が勝利した。短期間だったが農地改革や当時の主要産業だったスズ鉱山の国有化が実施された。鉱山労働者の多くはマルクス主義者だった。一九四六年に鉱山労組の大会で採択された「プラカヨ・テーゼ」と呼ばれる綱領はトロツキーの思想を反映しており、生産手段の労働者管理、真の民主主義、革命闘争の国際化を提唱していた(プラカヨは鉱山の地名)。武装した鉱山労働者たちは、右翼・軍部が民主主義革命勢力を粉砕しようとしていた一九五二年に決起し、流れを変えた。しかし、米国は武装勢力を訓練し、経済顧問を派遣することを通じて徐々に革命を切り崩し、一九六四年に革命を崩壊させた。その後、一連の軍事政権と短期間の文民政権の下で労働者、農民、学生に対する大量殺戮が繰り返された。ナチスの戦犯のクラウス・バルビー(のちにフランスに引き渡され、一九八七年に大量虐殺で有罪判決を受ける)がボリビア人の強制収容所の設立に協力した。
 ボリビア南東部でのチェ・ゲバラに率いられたゲリラ闘争は、一九六七年十月八日に米国による訓練を受けたボリビア軍兵士によってチェが捕獲され、翌日処刑されたことにより敗北した。
 一九七一年にフアン・ホセ・トレス将軍が率いる軍事政権によって支持された人民議会が労農同盟と社会主義に向けた綱領を支持した。トレス政権は同年、バンゼル将軍のクーデターによって打倒され、その後七年間にわたって残忍な弾圧が続いた。この時期はボリビアのエリート層と外国資本にとっては繁栄の時期であリ、サンタクルスにこの国の富が集中しはじめた。
 貧困層や中間層の抵抗は続いた。一九八〇年までにストライキや反乱、それに対する虐殺が新たな頂点に達していた。同年の「コカイン・クーデター」のあと二年余にわたって極度に残忍で、腐敗した政権が続いた。一九八五年にはハーバード大学出身の経済学者のジェフリー・サックスの助言によって新自由主義推進のための「ショック療法」が導入され、何千人もの鉱山労働者が解雇された。サックスはその後、旧ソ連圏にも同様の経済政策を押しつけた。
 新自由主義政策に対するさまざまな抵抗闘争が拡大した。地域をベースとした道路封鎖等の市民的不服従の行動が行われ、女性委員会がスラムの組織化を開始し、行商人の組合が拡大した。「生命と平和のために」というスローガンを掲げた市民の大規模なデモが繰り返された。先住民たちは一九九〇年に歴史的な、三十三日間にわたる「土地と尊厳のための行進」を行った。エボ・モラレスに率いられたコカ栽培農民の運動が拡大した。この運動は「社会主義のための運動」と名乗った。社会運動は、厳しい弾圧にもかかわらず力を強化し、次々と政権を打倒し、二〇〇五年にエボが大統領に選出された。
 サンタクルスのルーベン・コスタス県知事と、数人の旧ナチス党員、そして大地主たちは「文民クーデター」の準備を開始した。彼らは「インディアンの猿に国を統治できない」という人種差別的な主張を繰り返し、先住民居住地域にファシスト武装集団を送って暴行、殺害を繰り返した。彼らは政府の庁舎や空港を占拠した。
 分離派の影響が強い四つの県のファシスト指導者たちは常にブラジルのガンマンを雇っており、彼らは〇八年九月十一日にボリビアやチリのガンマンと共謀してパンド県で虐殺事件を起こした。パンド県には一九八八年にブラジルのゴム採集労働者のリーダーであるシコ・メンデスを殺害した犯人もかくまわれている。
 クーデターの計画は失敗したが、あらゆる種類の右翼はエボに対する攻撃をやめたわけではない。社会運動と先住民運動はエボの政府を守るために動員を継続している。〇八年十月中旬には五万人から二十万人の人々が八日間、百五十キロにわたる行進を行い、最後の日にはエボも参加した。デモはラパスの国会を取り囲み、新憲法の国民投票での賛成投票を呼びかけた。
 制憲議会で右派と中間派は百以上の条文を修正させた。変更の詳細は非常に込み入っているが、分離派の県の自治が拡大された。また、エボの再選が〇九年十二月六日の大統領選挙と議会選挙までに制限され、任期は二〇一四年までとなった。
 ボリビアでもエクアドルでも(ベネズエラでもそうだが)、右翼の反政府派は分裂を深めている。たとえばボリビアの「社会民主主義権力」(PODEMOS)は四つの派に分裂して相互に争っている。
 しかし、反政府派は右翼だけではない。左派の多くはエボとコレアを支持している(時には「批判的支持」という立場)が、改革が遅い、あるいは妥協が多すぎると批判している人々もいる。また、政府の中に徒党的に行動し、民主主義的プロセスを妨げ、右翼からの「大統領独裁」という批判を助長する勢力もいる。妥協的な傾向や縁故主義が発生している。これはボリビアよりもエクアドルで、より顕著になっている。しかし社会運動は真の民主主義と新しい社会主義を要求しつづけている。文民クーデターや軍事クーデターが起きる可能性は日々小さくなっているが、完全になくなったわけではない。両国とも軍は進行中の憲法制定のプロセスを支持することを誓約しており、人民は反逆的な将校や兵士への警戒を続けている。

米国支配の衰退
地域機関の設立

 ボリビアとエクアドルでの出来事は米国に対する抵抗の発展を反映している。ラテンアメリカ諸国は米国から独立した一つの国への統合を進めつつある。一つの国への統合は、スペインからの独立戦争の中でシモン・ボリバールが最初に提唱した構想である。彼の構想は成功しなかったが、彼は一八二九年に次のように述べている。「米国は神の意志によって、自由の名においてアメリカ大陸に悲惨な状態を蔓延させるように運命づけられているようだ」。
 近年における地域統合のプロセスの中で、UNASURのほかにもいくつかの新しい地域規模の機関が設立されている。以下はその主なものである。
bリオ・グループ。中米の和平を求めたコンタドーラ・グループに参加していた諸国が一九八六年に結成。現在ではラテンアメリカ・カリブ諸国のほとんどの国が参加している。キューバも最近加盟した。
bテレスール。南米大陸のニュースや娯楽番組を放映するテレビ局。
bラジオスール。
bペトロスールとペトロカリブ。ベネズエラの石油・天然ガスと技術を低価格で提供するための協議機関
bALBA(米州ボリバール・オルタナティブ)。
bメルコスール(南米共同市場)
bアンデス共同体
bカリブ共同体
bラテンアメリカ裁判所
b南の銀行
b米州議会連盟。南米議会がボリビアのサンベニトに設立される計画である。
b南米安全保障評議会(十二カ国の軍事同盟。米国を含まない)
 このほかに、単一の統一通貨「パチャ」(ケチュア語で「大地」という意味)と南の通貨基金についても提案・検討されている。
 これまで米国政府もラテンアメリカの寡占支配階級も、このような動きを一瞬たりとも許容しなかった。そのような動きがあれば彼らは「民主主義の防衛」の名の下で軍事クーデターを起こし、新しい独裁政権を確立した。しかし、このような米国の支配は過去のものとなった。現在ではスペイン資本がこの地域への投資で米国資本を上回っている。地域内の紛争をめぐる重要な決定に米国やOAS(米州機構)はほとんど関与していない。この役割はUNASURやリオ・グループのような新しい協議体が担っており、これまで一度も決定に対する反対票は出ていない。米国の有力な政策審議機関である外交問題評議会(CFR)は〇八年五月のレポートで、「モンロー宣言は死んだ。復活することはないだろう」と述べている。米国政府が十二カ国による南米安全保障評議会の設立を容認したことは大きな変化である。

米国先住民の
連帯表明と行進

 ボリビアとエクアドルが、ラテンアメリカの多くの国と同様に、社会的・階級的力関係や米国との関係の歴史的な変化の中にあることは明らかである。多くの人々はこの二つの新しい、大衆的で活気に満ちた民主主義から学ぼうとしている。
 米国で〇八年七月に、「もっとも長い行進二」(1978年に行われた米国先住民の行進の三〇周年を記念して計画された)が八千マイル(約1万3千キロ)の行進の最終到着地のワシントンDCに到着した。今回の行進のテーマは「すべての命は神聖だ」、「母なる地球を救え」だった。この行進の呼びかけ人の一人で、アメリカ・インディアン運動(AIM)の共同設立者であるデニス・バンクスはこの行進の目的を「環境の保護、地球温暖化を止める、先住民の文化的生存を守る、先住民の若者を力づけする」と要約した。参加社の大部分はボリビア、エクアドル、ベネズエラへの連帯を表した。
 しかし、〇八年に米国のラテンアメリカに対する政策は引き続き反民主主義的な方向へ向かった。第四艦隊の派遣、コロンビアのエクアドルおよびベネズエラ国境地域における新たな基地建設、南米地域産業基盤統合(IIRSA)プロジェクトへの支援等である。IIRSAは大陸全体にわたる交通・商業開発のための巨大プロジェクトで、多くの先住民居住地域を破壊する。
 世界は深いエコロジー的危機に直面している。世界の飢餓は急速に拡大している。かなり近い将来に、飲み水、食糧あるいは石油が不足し、もっとも発展した工業国においてすら現在の生活水準を維持できなくなるだろう。新自由主義的資本主義は経済危機の深刻化と、世界規模での信頼の喪失に直面している。それに対してボリビアとエクアドルの先住民運動と大衆運動は、重要な前進を勝ち取ってきたし、今。国家の再建と、環境の保護のための新しい政策の導入に向けてさらに大きな成果を獲得するチャンスを手にしている。
 〇八年十一月に、ラテンアメリカ研究学会の約四百人の研究者が、大統領に選出されたバラク・オバマに対して、米国のラテンアメリカ政策を転換するよう求める書簡を送った。この中で研究者たちは、「アメリカ大陸で起こっている正しい方向への変化に敵対するのでなく、連携すべきである」と述べている。オバマが旧来の政策を継続するのか、単に表面的にのみ転換するのか、それともラテンアメリカ、そして米国のすべての人々の利益のために新しい政策を打ち出すのかはまだわからない。


投書

派兵恒久法の先取り
地球的規模の警備活動

結城 守保(元小田急労研)


 麻生自公政権は、ソマリア海賊対策で海上自衛隊を出すという。とんでもない、と私は思う。自衛隊の任務は自衛隊法第3条で、@自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を守るため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。となっている。
 日本が侵略されていないのに、遠くソマリアまでなぜ行くのか。海外派兵、実績つくり、派兵恒久法の先取りである。
 今アフリカ・ソマリア沖海賊対策海域は、どうなっているのか。
 「米国は中東のバーレーンに司令部を置き、さまざまな海軍作戦を展開中。米主導の多国籍軍『混成任務部隊(ctf150)』が洋上監視を続けるインド洋に一月八日、新多国籍軍ctf151を立ち上げ、海賊の取り締まりを始めた。
 海上自衛隊は、新テロ対策特別措置法(給油新法)を根拠にctf150で海上補給を続けているが、憲法9条で禁じた武力行使につながるおそれがあるとして多国籍軍には入っていな
い」(2月3日、東京新聞)。新テロ法根拠に海賊対策活動を日本はすでに始めている。
 また、2月9日のインターネットには、「駐日大使打診のナイ氏、日本の国際貢献期待 浜田防衛相と会談」とある。
 「日本の海賊対策についてナイ氏は『自衛隊が役割を果たすことをうれしく思う』とした上で、『現憲法下でもできることはある。平和維持活動(pkO)、インド洋の給油活動、海賊対策などは良い例だ』と指摘した」という。
 さて麻生自公政権は、一月二十二日、ソマリア沖に海上自衛隊の艦船を派遣することで合意しました。三月にも現地で活動するという。今国会提出の新法準備をしている。海外派兵ありき、は問題だ。
 ソマリア問題を考える場合、ソマリアが海賊を生み出す破綻国家(2月6日、読売新聞)であるということです。第一にソマリア国家の平和を勝ち取らなければなりません。第二に国連や周辺国の意見を聞かなければなりません。昨年の十一月、イエメンの沿岸警備隊局長が日本に来て、「自衛隊より財政援助を」と言っている。「ソマリア沖の海賊行為を取り締まる隣国イエメンの海岸警備隊のアルマフディ作戦局長が来日し、朝日新聞の取材に応じ
た。日本政府が海上自衛隊艦艇の派遣を検討していることについて『高い効果は期待できず必要ない。むしろ我々の警備活動強化に支援をしてほしい』と述べた」(2008年11月15日、朝日新聞)。
 第三は、守屋事件から昨秋の新テロ法の一連の流れです。自衛隊を取り巻く、これでいいのか自衛隊です。@米軍再編、アメリカ言いなりの守屋事件です。A防衛庁から「省」へ。戦前復帰、国軍へ。Bイージス艦の衝突です。浮き輪一つ投げず、軍事優先だった。C9条廃止、原爆を使う。侵略戦争史観の田母神問題があった。Dアフガン・イラク・新テロ法の海外派兵です。
 憲法9条を持つ日本が、「派兵ありき」であってはならない。政府の派兵決定に抗議し、撤回を求める。(2月10日)

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