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東京ユニオン島崎由喜男書記長に聞く(下)        かけはし2009.3.9号

誠実で不正義許さぬ労働者の姿

京品ホテルの攻防は闘いの
連鎖反応をもたらし始めた


誤った認識に
よる仮処分決定

――かつて東京東部のペトリカメラ、大阪の田中機械、最近の光輪モータースなどは自主生産活動をやりとおしましたが今回は強制執行となってしまいました。止める方法はなかったのですか。

 裁判官の言っていることを聞いていて、裁判官自身も緊急性がないと傾いているのではないかと思えた。しかし、フタを開けたらだめだった。だから、ニコニコしている裁判官は信用できない。(笑い)

――「テナントの立退き料としてもらった二億五百万円はすでに使ってしまったので、それを返さないといけない、一日二百万円の違約金を払わないといけないから緊急性がある」という会社側の言い分を認めた裁判所の決定だった。

 それで立ち退かしたけれど、売買契約はすっとんだままで復活しない。この間、労働委員会にLCホテルズを不当労働行為でかけていて、LCホテルズから証拠が出てきた。向こうが最終準備書面で書く以前に、もう一切京品実業とは結ばないよと、だから二億五百万円返してくれという送った通知書をLCホテルズの代理人が証拠でくれたんです。今度異議審でやっているんですけど証拠で提出します。京品実業の代理人は「すでにダメだということが分かっていたのに、決定を出してくれれば再交渉の余地がある」と裁判所をあざむいた。
 そういった誤った情報と事実認識に基づいて、あの間違った仮処分決定が出された、というのがわれわれの立場です。

――強制執行というのではない決定も出せたということですね。

 そうですね。そういう決定を出す前に、買主がいないわけですよ。ああいう状況を容認して、こちらが賃料相当分を払いながら、新しい買主が見つかるまでやってそこでという解決案を示したわけですよ。ところが会社の方が全然それに応じなかったので、裁判所としては会社側の主張を結果的に受け入れることになって認めた。
 これは推測の域を出ないですけど、これから派遣切れなど大企業を中心に人員削減とか起こるでしょ、そうなった場合に対処するという政治的な判断があって、ああいう決定を出した。

年越し派遣村と
京品支部の支援

――年末年始の年越し派遣村を、京品支部が支援したと聞きましたが、具体的にはどのような支援だったのですか。

 もともと年越し派遣村は全国ユニオンと労働者派遣法の抜本改正を求める運動をしてきたグループがいっしょになって準備した。年末に派遣切りが出てきた。最大の問題は下請けの会社で働いている人は寮に入っている人が多かった。切られるイコール住居を失ってしまう。次に自分でアパート借りるだけの給料をもらっていないから、すぐホームレスになってしまう。これはたいへんだというので、年越し派遣村をやった。
 われわれは応援したというよりは主催者の一員でした。だから、受け持ちとしてまず炊き出しの道具の大きな釜を提供した。柄杓なんかなかったので、京品支部で買ってカンパした。
 それから、テント生活に耐えられない病気がちな人を緊急的に京品ホテルで受け入れた。一例をあげると、年配の女性と若い男性、親子なんですけど、派遣村に行くと男女別になります。ところがその男性はお母さんを介護しなければいけない。だから日比谷公園では無理なので、京品ホテルで受け入れた。正月、京品支部はホテル前でビラまきなど元旦闘争をやって、その後派遣村に何人か応援に行きました。

――一月十五日に、東京地裁による不当な立ち退きを認める仮処分決定が出され、一月二十五日、強制執行が行われました。二十五日というのは分かっていたのですか。

 分かったのは二十二日の夜ですね。通常は仮処分決定が出たら、いついつまでに立ち退いてください、立ち退いていただけなければ強制執行しますよという催告という手続きに来るんです。マスコミも裁判所の執行官が催告に来るというので、朝から詰めていた。
 ところがずっと来なかった。われわれは執行停止の申し立てをした。却下されたのが一月二十日だった。その後、三日間来なかった。これはひょっとして抜き打ちの可能性があるなと判断して情報収集した。強制執行を一番混乱なくリスクを少なくしてやりたいという警察の判断を考えると、交通量が少なくなる日曜日の終電が行ってから始発が来るまでの可能性が高い。真夜中も特別の許可をとっておけばできる。それで、二十四日の午後五時にマスコミにその情報を流し、ビラも準備し体制もとった。

ピケットライン
で暴力に対抗

――一月二十五日の攻防について。

 当日は高輪警察が中心になって、それを機動隊が応援する。そうすると高輪署は全署員で二百人なので百五十人と踏んでいた。
 ところが交通整理のために高輪署は数人、後はすべて機動隊員だった。千人体制ですよ。機動隊が周りに配置されていて、すぐ近くに三部隊配置していた。離れた所に七機までいたのです。こちらが長時間持ちこたえると新しい機動隊が次から次へと投入される。これは最終的には勝てない体制が組まれていた。
 決定から強制執行まで、これからの派遣切り・雇い止め、正社員の解雇を想定した時に、機動隊の訓練に使われたと思う。
 昨日の朝日新聞の投稿欄にも、強制執行を批判する記事が載っていました。強制執行が終わり、機動隊があのあたりにいる時に、いつも通りがかる人が来て「がんばってよね」と声をかけてくれた人がたくさんいました。

――組合員の気持ちはどうでしたか。

 十二月十七日に、裁判所の審理が打ち切りになって、立ち退きの決定が出るのが九割以上だろうと話していた。その時は強制執行をはね返すという闘いをやる。はね返せるという読みもありました。これ以上混乱してはまずいので断念ということもあるんじゃないか。うちの弁護団の監視弁護団を配置した。弁護団と執行官が交渉している姿が報道されました。こちら側の可能な限りの総動員でやったけれど、向こうは向こうでその先のことを想定してやってきた。
 私も直接対峙している若い機動隊員でも、汗ダラダラかいて目がつりあがっていた。こちらの方が統制とれていた。警察の方が統制とれていなかった。

――二十五日の当日の話になりますが、午前七時過ぎに強制執行をスクラムで押し返した。そこで話し合いが持たれ、八時から三十分ぐらい休憩を入れて再交渉するというような雰囲気になったが、すぐに執行官がガードマンを連れて強行突破に出た。

 話し合いをして断念をさせようとしたが、小倉豊という執行官が強行突破という方針でやると言った。執行官は十一人ぐらい来ていたが、年配の執行官はまずいのではないかという人もいたが、責任者の小倉が「やるんだ」というので、「やれ」と言われれば警察はその通り動かざるを得ない。で、ああなったということでしょ。

――ピケ張っている方は始めから指揮者が「絶対に手を出すな。口で闘う」と言っていた。ピケ隊をごぼう抜きにするかと思ったら、機動隊は正面から押してきて左を分断し、中心部分に突入した。ガラスを割り、ケガをさせたり、暴力的に蹴ったり、引きずり出すひどいことをやった。あれ以上抵抗したら、たくさんのけが人が出るということで、渡辺委員長が撤収を決めて呼びかけたのに、それでも機動隊は暴力的排除を続けた。

 最初ピケに慣れている部隊のところに、機動隊が突っ込んだら抜けなかった。それで弱そうな所を探してその隙間に入った。

――非常に感動的だったのは金本支部長が「正義はどこにあるのか、必ず戻ってくる」という総括集会での発言でした。それが全国放送で何回も流された。スクラムと同時に金本さんの発言が機動隊の非道さ・資本の横暴を突き、京品支部の闘いに正当性を訴える力になったのではないでしょうか。

 五月から団体交渉を重ねてきて、六本木の債権者をせめ、廃業になる四日前から毎日団交をやって、自主営業に入った。そうした闘いをやってゆくなかで、だんだん支部の人たちが強くなっていくんですよ。いきなり十一月の中ごろに強制執行きたら、スクラムではねかえそうという方針が出せたかどうか、私も自信ないですよ。いっしょうけんめい時間かせぎながら、内部の団結力を強めながら、あそこの所にいたから、よし、やれるとこまではねかえす路線でいこうとできた。

「職人根性」と
強い連帯感

――京品ホテルの新しく組合員になった人たちはいままで労働組合やったとかの経験がなかったわけですね。金本支部長の話を聞いていると、職人根性なような芯が通って、不正義は許せないという強い意志を感じますが。

 学生運動や労働組合運動の経験をした人もいなかった。闘いによって強くなった。職人根性みたいなものはありますよ。京品支部の人たちは責任感の強い人たちが多いんです。悪い経営者だから、お客さんに対してもいいんだというのではなくて、誠実に対応するように心がけて自主営業を続けてきました。お客さんも彼らのそうしたことを分かって自主営業を応援するためにホテルに泊まったり、食事をするという人もたくさんあった。

――自主営業していたので、残った材料とか飲み物が大量にあったと思いますがどうされましたか。返してもらえたのですか。

 執行官は食材持っていくかと言っていました。「くれ」と言ったら、持ってこられる可能性はあった。ただし、冷凍の魚とか肉を入れる物をこっちが持っていなかった。ダンボール箱のまま出されたのでは結局どうしようもなくあきらめた。一月二十五日以降も自主営業はできる体制を組んでいましたから食材は大量にあった。結局残念ながら廃棄処分になってしまった。後で落ち着いたら「あの馬刺し食っとけばよかった」とか、客室の冷蔵庫は私物の物だと思うから向こうもボンボン出してきたから、あっちの方に移しておけば良かったという笑い話が出ました。

次はリーマン
に攻め込む闘い


――一月二十八日、百日目集会が行われました。京品支部員が多く参加され、今後も闘うと決意を述べていました。京品ホテルにこだわって闘いを進めると東京ユニオンの渡辺委員長は語っていましたが今後の闘いは?

 京品ホテルから出されただけだから、いろいろなやり方はある。いまはとりあえずビラをまいたり、プラカードをあげたりする行動を行っています。あの建物を処分して借金を清算することはできないですよ。LCホテルズは組合員を排除しても絶対買わないといっている。新しい買主を見つけてくる以外ない。新しい買主を見つけてきてわれわれの要求を受け入れて、OKよというためには、債権者であるリーマンがOKしないとダメ。そうなるとターゲットは本格的にリーマンになっていく。

――リーマンは潰れてしまったでしょう? 債権自体は消えたわけではない?

 そうです。まだ民事再生中なんです。債権は消えたわけではありません。五十三億円の売買契約なんて夢の夢で、出すと十億円以下と言われている。買い取ろうとする人がどれくらいの資金を持っているか、実際に買う値段はそれにプラス組合と交渉して組合の債権を保証するための資金がいくらだとか、そういうものを計算した上で、ペイするなという人が買いにくる。組合と合意しないで買おうとすると同じことになるわけです。われわれが闘いをやめないかぎり、解決する考えを持った人がこざるをえない。
 実際に売買が成立するためには、最終的には債権者であるリーマンが現ナマでこれだけ回収できたからそれでいいよとなってくれなきゃできない。解決のキーパーソンはリーマンだ。これから本格的にリーマンに攻め込んでいく。

――解雇撤回というのはホテルがそのまま残って、テナントの営業も再開される、そこで働きたいということですか。

 それが理想ですよ。ただし、小林社長があの建物に手入れをしてこなかったから傷みも激しい。それから都市再開発計画の道路の上にあの建物は立っているのです。そうすると十メートル以上の物が建てられないとか、地下一階は作れないとか、鉄骨の構造はいいけれどもいつでも取り壊せる状態の物を作らざるをえないとかいろいろ制約があります。
 だから、理想はそうだけれども、百パーセントかなうかどうかそこは難しいです。いろんなケースが考えられます。外観を残して欲しいという地元の人の要求が強いから、これから港区の区議会であの建物を保存していく請願署名とかも考えられます。これだけ地元の人の応援もあるので、その人たちの思いもかなえてやっていく必要がある。単なる労使紛争を超えていることがあります。

――最後に、三月末までに派遣切りなど四十万人が首を切られるとか、正社員でも解雇ということが連日報じられています。ユニオンなどを中心にこれとの闘いがありますが、全体としては首切りと真っ向から闘うとなっていません。こうした状況の中で、京品支部の解雇撤回の闘いの今後は非常に重要だと思いますが。

 われわれの闘いが報道されることによって、闘えばなんとかなる。いままではハナからあきらめてしまっていた人たちが、やっぱりおかしいことはおかしいと言っていいんじゃないか。闘えばなんとかなるんじゃないか。じゃあ闘うためにどこに相談に行ったらいいのか、どうしたらいいのかという次のステップが出てきて、やってみようとなる。
 うちといっしょにやっている派遣ユニオンの日産ディーゼルの三人で、派遣会社は三人とも違うのに、闘った結果、派遣会社は結局責任認めて住居も保証した。三人で動いてもあれくらいの結果が出るわけですよ。それもまた報道されるでしょ。本当に彼らもいっしょうけんめいがんばってきたことで、みんなから「希望の星だ」と言われるようになって、本人たちもこれだけ応援してもらっているのだから、そういう人たちの気持ちに応えなければと意識がだんだん高まっていく。いっしょうけんめいやっているということをマスコミの人たちが幸い報道してくれるから、それを見てそういうふうに思ってくれればやってよかったと思う。


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