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米帝国主義が主導した新自由主義と決別(上)       かけはし2009.3.2号

ラテンアメリカの歴史を変えつつあるボリビアとエクアドル先住民の闘い

右翼反革命勢力に抗して持続する革命的プロセスの発展と大衆動員
ジェームズ・D・コッククロフト


 新自由主義に抗して地域統合を目指す南米の左派政権と革命的大衆運動の発展の中で、エクアドルとボリビアの新憲法はその内容においても、制定に至る広範な大衆参加と民主主義的なプロセスにおいても画期的である。資本主義の歴史的危機の中で、ベネズエラのチャベス政権と共に「二十一世紀の社会主義」を目指すエクアドルとボリビアの挑戦は、もっと注目されるべきだろう。著者はIIRE(国際調査教育研究所、アムステルダム)の研究員。ラテンアメリカに関して約四〇冊の著作がある。本稿は〇八年十月十五日にメリーランド大学、同二十一日にロングアイランド大学で行われた公開講座での講演をもとに加筆されたもので、「インターナショナル・ビューポイント」誌〇八年十二月号より訳出した。長文のため約三分の二に要約した。表題と見出しは本紙編集部による。

エコロジー的に
持続可能な発展


 ラテンアメリカ[原文では「インド・アフロ・ラテンアメリカ」]、とくにボリビアとエクアドルで先住民が自分たちの生活を守り、地球を救うために立ち上がっている。彼ら・彼女らは多民族が共生する、参加型の、多文化間の交流を基礎とした民主主義という新しい、しかも古来からのやり方を求めている。彼ら・彼女らはエコロジー的に持続可能な発展、地域社会を基礎とする自治、他の人々との地方的・地域的・国際的連帯を擁護している。彼ら・彼女らはそれを「多様性を尊重した統一」と表現している。
 彼ら・彼女らの価値は多くの場合米国やヨーロッパのそれとは異なっている。ある先住民のリーダーは次のように述べている。「われわれはお金を銀行に預けて利子を受け取るのではなく、他の人に与える。その人の感謝の気持ちが、私たちにとっての利子だ」。
 ラテンアメリカには四百の民族、五千五百万人の先住民が住んでいる。その大部分はメキシコ、グァテマラ、エクアドル、ペルー、ボリビアに住んでいる。この人たちはヨーロッパ人によって押しつけられた「インディアン」という呼称を拒否し、自分たちを「ネイティブ・ピープル(先住民)」と呼んでいる。先住民はボリビアの人口の六七%、エクアドルの人口の四〇%を占め、主に寒冷な高地のシエラと、アマゾンの熱帯地域に住む。彼ら・彼女らはしばしば、太平洋沿岸に住むアフリカ系エクアドル人(人口の10%)と共闘する。
 ボリビアとエクアドルで、先住民とその支持者たちは国家を再建し、「民主主義」を民主化し、法制度に複数主義を導入しつつある。彼ら・彼女らは新自由主義的グローバリゼーションや米国とヨーロッパの介入に反対する大衆運動の中で顕著な役割を果たしている。彼ら・彼女らの権利は国連やILOの先住民の権利に関する宣言の中で承認されている。彼ら・彼女らは人間と地球の権利を強調しており、その中には自然の権利も含まれる(「パチャママ」つまり「母なる自然」、「母なる宇宙」への崇拝)。
 先住民居住地域にはラテンアメリカに生存する生物の八〇%が生存し、いくつかの重要な分水界があり、石油などの重要な資源がある。

「二十一世紀の新
しい社会主義」

 ボリビアとエクアドルは歴史的に、貧困、軍のクーデター、先住民や農民、学生、労働者の大虐殺によって苦しめられてきた。両国とも世界でもっとも貧しい国に属し、最近もコレラが伝染した。ボリビアの農民の平均所得は年五十ドルである。農民たちが、可能ならいつでも伝統的なやり方で段々畑を耕作し、アイユ(共同体)で生活しようとする理由の一つがそれである。移住を試みる人々も多い。ボリビア人の四人に一人が外国で働いている。その送金はボリビアの国内総生産の一〇%を占めている。
 ブラジル資本がボリビアの国内総生産の二〇%を構成している。ボリビアのエネルギー・鉱山セクターはブラジル・サンパウロの産業が必要とするエネルギーの七〇%を供給している。主要な輸出向け農産物である大豆は三五%がブラジル資本によって支配されている。ブラジルの一握りの農民とボリビアの百家族がボリビアの農地の六分の五を支配している。
 エクアドルは今でも世界最大のバナナ生産国であるが、現在では石油、林業、外国に移住した労働者からの送金がより大きな収入源となっている(人口1400万人のうち300万人以上が外国に移住している)。
 ボリビアの二〇〇五年大統領選挙で選出された先住民アイマラのエボ・モラレスはしばしば、「われわれの人民の闘争は帝国に対する歴史的な闘争だ」と述べている。南北アメリカの先住民の多くは、「帝国」を五百十六年にわたるジェノサイドとそれに対する誇るべき抵抗闘争の継続的なプロセスとして理解している。彼ら・彼女らは植民地主義・帝国主義の継続性をよく理解している。それは誘拐、行方不明、拷問、男による女への暴力、生態系の破壊、返済不可能な債務の捏造と永続化を通じた経済的脅迫を伴っている。
 ボリビアの映画製作者のホルヘ・サンヒネスはかつて、ボリビアの先住民の農民と鉱山労働者を「地下の民」と呼んだ。現在、彼ら・彼女らとラテンアメリカ・カリブ地域の人々は歴史を変えつつある。
 エクアドルの二〇〇六年大統領選挙で選出された経済学者のラファエル・コレアは、「われわれは変革の時代に生きているのではなく、時代の変化の中で生きているのだ」と宣言した。
 この間、ボリビアとエクアドルで、ベネズエラと同様に、民主的な選挙や国民投票、そして(ボリビアとベネズエラでは)リコール投票が実施された。これらの選挙や投票でモラレスとコレアは圧倒的多数の支持を得た。彼らは、被抑圧大衆のために、新自由主義的な「自由貿易」、規制緩和、民営化と対決する政策を進めてきた。彼らは、さまざまな言い方で、「二十一世紀の新しい社会主義」を提唱している。エボ・モラレスはアイマラの価値観に基づいて「互恵と連帯を基礎にした共同体社会主義」を提唱している。
 エボは二〇〇八年九月の国連での演説で、「地球と生命と人類を救う十の掟」を提案した。それは、@資本主義モデルを廃絶する、A戦争をなくす、B帝国主義と植民地主義を排す、C水は人権である、Dクリーン・エネルギーを開発する、E母なる自然に敬意を払う、F基本的サービスは人権である、G不平等と闘う、H文化的・経済的多様性を守る、I他者を犠牲にすることなく、よい人生をおくることを目指す、という内容である。

ボリビアの革命的
プロセスの発展

 ボリビアとエクアドルの革命的プロセスは先住民やその他の民衆の社会運動をルーツとしている。ボリビアでは二〇〇〇年と二〇〇四年に水の民営化に反対する大衆運動が、米国を本拠とする巨大な多国籍企業のベクテルを相手に勝利した。天然ガスをめぐる同様の運動が二〇〇三年にゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ大統領の政権を倒した。この政権はエルアルトで六十人以上の市民を虐殺した責任を負っている。
 エボ・モラレスは二〇〇六年に大統領に就任したとき、最初の行動として石油と天然ガスを国有化した。国有化された石油と天然ガスからの収益で六十歳以上の人々のための「尊厳年金」や、子供を学校へ通わせるための「家族所得補助金」を確立した。また、トウモロコシ、小麦、米などの基本的な食糧を生産する農民に無利子の融資を提供した。モラレス政権の下でボリビアは財政赤字を一掃し、対外債務を半分に減らし、鉱山・金属産業での雇用を四倍に増やした。三年間で国内総生産は約二倍になり、外貨準備は約五倍の八十億ドル余となった。キューバの教育、医療チームの支援によって非識字率が八〇%下がり、国民の半数が無償の医療を受けられるようになった。キューバの「奇跡の使節団」と呼ばれる眼科医療チームによる手術で約三十万人が視力を回復した。
 アルバロ・ガルシア・リナレス副大統領はしばしば、外国の資本家たちを安心させるために、ボリビア経済は中小企業や協同組合、手工業への強力なサポートを特徴とする「アンデス・アマゾン型資本主義」を目指すだろうと述べている。
 米国政府は、過去に何度も行ってきたのと同様の方法で、ボリビアの民主主義を掘り崩そうとしてきた。モラレスはCIAによる暗殺計画を非難している。モラレスは大統領就任直後に、大統領官邸内にあったCIAのデスクの撤去を命じた。〇八年にいくつかの県で、米国国際開発庁(USAID)の職員が追放された。彼らは右派の反政府派に資金援助するために「政権移行イニシアチブ事務所」を設立していた。米国大使のフィリップ・ゴールドバーグは東部油田地帯で「県の自治」を要求し、県内で先住民を虐殺し、連邦政府の庁舎を占拠した右翼のリーダーを唆し、資金を提供していた。ゴールドバーグと米国大使館は、ボリビアに在住するキューバ人やベネズエラ人に対するスパイ活動のために「平和部隊」の志願兵やフルブライト奨学金を受給した研究者を徴募しはじめた。二〇〇八年九月に右翼によるクーデターが企図された際、モラレスはゴールドバーグを追放した。米国はその報復としてボリビアの駐米大使を帰国させた。
 同九月にチリで開催された南米諸国連合(UNASUR)の会合では、ボリビアにおけるクーデターの試みと虐殺への非難と、モラレスの民主主義的政権への支持が満場一致で決議された。UNASURの調査団は、〇八年九月十一日のパンド県における虐殺(平和的なデモを行っていた十八人が射殺され、六十人が負傷、百人が「行方不明」、犠牲者の大部分は先住民)の詳細を調査し、同県の知事であるレオポルド・フェルナンデスの責任であることを確認した。同知事はブラジルに逃走しようとしたが逮捕され、投獄された。
 〇八年十一月一日にボリビア政府は、米国麻薬取締局の活動を無期限に禁止すると発表した。麻薬取締局がクーデターに関与したファシスト・グループや政府要人の殺害を計画していた犯罪グループに資金を提供していたという理由によってである。
 モラレスは今後も小規模なコカ栽培農民を保護し、先住民の文化の中でのコカの使用を擁護すると述べ、麻薬取引の取り締まりについては南米諸国の共同の努力の中で重要な役割を果たすと言明した。

エクアドルの
米軍基地撤去

 エクアドルでは、一九九〇年代に毎年のように政府の庁舎の占拠やゼネストが起こっていた。下層階級、学生、労働者、先住民の大衆運動が結合し始めた。先住民は五回にわたって蜂起した。一九九五年から二〇〇五年の間に大衆運動は七人の大統領を打倒した。二〇〇〇年一月に先住民はエクアドルの国会を占拠し、二十四時間にわたって実質的に国家を「統治」した。「古い国家」、すなわち沿岸地域のグアヤキルを拠点とする買弁ブルジョアジー、グアヤキルとシエラの寡占支配階級(大地主)、軍と国会、極端に反動的なカトリック教会に率いられた国家は動揺を開始した。
 ラファエル・コレア大統領は、当初は米国政府を安心させようとした。彼はドルを国の通貨とする政策を継続した。しかし、彼はエクアドルの対外債務の不当性を主張することによって米国政府に挑戦した。彼は世界銀行の常駐代表を追放し、二〇〇九年に期限切れとなるマンタ米軍基地の貸与協定を更新しないと言明した。
 〇八年三月一日に米国とコロンビアはマンタ基地を使ってエクアドルに爆撃と軍事侵攻を開始し、FARC(コロンビア革命軍)の司令官ラウル・レイエスを含む少なくとも二十四人を殺害した。レイエス司令官は当時、エクアドル北部のジャングルでメキシコ大学の学生と会っていた。その後、コレアは米国によるエクアドルの治安・情報部隊の支配を非難し、軍・警察の指導者および国防相を解任した。OAS(米州機構)はエクアドルへの武力攻撃を非難する決議を採択することによって、これまでの米国の支配からの独立を示した。
 〇八年十一月にコレア大統領は、すでに進んでいる南米の経済統合計画に反して、EUの二カ国―地域間貿易交渉の呼びかけに応じた。コロンビアとペルーはすでに二カ国―地域間交渉に応じているがボリビアは拒否している。エクアドル政府はまた、ユネスコによって生物圏保護区に指定されているヤスニ国立公園の資源開発を許可しようとしている。しかしその一方で、コレアはエクアドルの一九七六年から二〇〇六年までの対外債務に関する独立的な国際的監査委員会の報告書を受け入れた。この報告書は、多くの借款協定が不正、違法性、掠奪を含んでおり、国家の主権を侵害し、貧困と不平等の拡大をもたらし、その多くが軍事独裁体制の下で締結された「嫌悪すべき」ものであると結論付けている。コレアは「違法で、腐敗した、不正な債務」は返済しないと発表した。
 一方、ラテンアメリカの先住民運動と社会運動は、五世紀にわたる植民地化の中で大部分の「債権国」が負っている「歴史的、社会的債務と環境への債務」を認めることを要求している。

南米に広がる国家
の再建と新憲法

 ラテンアメリカ全域で、「民主主義」を民主化する運動が根を張ってきた。米国によって支援された「汚い戦争」の時代を終焉させ、一九六四年から八四年にかけて支配してきた軍事独裁体制を打倒したラテンアメリカの社会運動は、そのような支配に代わる限定された民主主義に留まることはなかった。新たに導入された代議制民主主義の多くは、大金持ちや新自由主義的経済政策に奉仕した。
 貧困が拡大する中で、先住民、女性、若者などを先頭にした運動がIMFやそれに追随する政府・議会に反対する行動を組織した。多くの人たちにとって「民主主義」を民主化するということは、政治的民主主義だけではなく経済的民主主義を実現することを意味していた。人々は制憲議会を要求し始めた。モラレスとコレアが大統領に選出されたことは、国家の再建と新自由主義の拒絶に道を開いた。
 ボリビアの制憲議会の選挙においては、立候補する政党に求められた唯一の条件は議員の三〇%以上が女性であることだった。二百五十五議席のうちモラレスのMAS(社会主義運動)が百三十七議席を獲得した(そのうちの64人が女性)。右翼の暴力と妨害のために制憲議会の開催場所の変更を余儀なくされたが、二〇〇七年十二月に四百十一条からなる新憲法草案が採択された。
 エクアドルでは二〇〇七年九月に制憲議会の選挙が行われ、コレアを支持する種々の政治勢力の連合である「国民同盟」が八十議席、保守派が四十議席、左翼の小さな政党が十議席、先住民連合(CONAIE)が五議席を獲得した。エクアドル・アマゾン先住民連合( CONFENIAE)や全国農民・先住民・黒人連合(FENOCIN)などの団体は制憲議会に対して、憲法で彼ら・彼女らの権利を擁護するように要求した。四百四十四条から成る新憲法が、二〇〇八年九月二十八日の国民投票で六五%の賛成で承認された。コレア大統領は「新自由主義は粉砕され、歴史のゴミ箱へ捨てられた」と宣言した。
 両国の新憲法は、古い代議制民主主義と新しい参加型・共同体民主主義との対比を示している。両国の新憲法は多民族、真の多文化交流、文化の違いの尊重、多様性の尊重に基づく統一を呼びかけている。先住民の共同体は地域的な自治と、先住民の習慣・伝統に基づく独自の司法手続きを憲法上の権利として獲得した。

今後の展望と
新憲法の条文

 ボリビアの新憲法には次のような規定がある(以下は内容に基づいて整理したものであり、条文の順序に従っていない)。
一 多民族から成る統一した共同体的民主的国家
二 三十六の民族がすべて対等の権利と地域的自治を持つ。民主主義と分権
三 自然資源の国有化、森林と生物多様性の国家による管理
四 三つの形態の経済的所有制度(公、民、共同体)。混合経済(副大統領が提唱する「アンデス・アマゾン型資本主義」とも整合する)
五 戦略的経済セクターへの国家の関与。外国資本の投資活動は国家の開発計画に従属する。
六 農地改革、大規模所有地の接収
七 選挙で選ばれた公職者の信任投票による再選と罷免(08年8月10日に実施)
八 裁判官の選挙による選出。共同体の伝統的方法による紛争解決の承認。
九 複数政党制・一院制議会(上院の廃止)。
一〇 無償の医療と教育。非識字の克服。
一一 スクレを首都とする(右派への妥協。従来の首都はラパス)
一二 性、皮膚の色、年齢、性的指向、ジェンダー・アイデンティティー、文化、民族、宗教、イデオロギー、障がい、妊娠を理由とする差別の禁止
一三 外国の軍事基地の禁止
一四 飲用水は人権である。
 エクアドルの新憲法には次のような規定がある(以下は内容に基づいて整理したものであり、条文の順序に従っていない)。
一 国家が石油、鉱物、通信等の戦略産業や生物多様性の保護に対する管理を強化する
二 国家は独占を規制する
三 対外債務の一部について、不当であることを宣言する
四 農地改革、大土地所有の廃止、遺伝子組み換え作物の禁止。
五 無償の医療、教育(大学まで)、国家の補助による住宅供給計画
六 非宗教国家。ゲイの婚姻の承認(反動的なカトリック教会が反対した)
七 女性の権利(家庭内の労働の価値の評価を含む)
八 セクシャリティーや生き方の自由。多様な形態の家族の承認。受胎した時からの生命の権利(フェミニスト活動家の多くはこれらの成果を歓迎し、「受胎した時からの生命の権利」についての条項は将来の大衆運動を通じて取り除くことができると考えている)
九 障がい者の同権
一〇 一律の社会保障。専業主婦やインフォーマルセクターの労働者に対する年金。
一一 中央銀行に対する大統領による統制。軍の独立性の制限。
一二 自然の集合的権利の尊重
一三 飲用水は人権である。水の民営化の禁止。
一四 食糧主権と安定的な食糧供給源を確保する権利
一五 マスメディアへのアクセスの権利とコミュニティー・メディアを設立する権利
一六 外国の軍事基地の禁止
一七 連帯を基盤とする持続可能な経済システム。私的部門と社会的部門と連帯経済(混合経済)
一八 ラテンアメリカの統合、とくにUNASURへの統合
一九 国家による民間の債務の肩代わりを禁止(民間銀行の救済を禁止)
二〇 均衡のとれた生活
 確かにどちらの憲法にもあいまいさや矛盾が含まれている。たとえばエクアドルの新憲法の第三百二十三条は財産の強制的な接収を禁止しており、これは大資本や大地主のための「抜け穴」となる。ボリビアでは、地方の先住民の自治が過度に強調されており、人口の七〇%を占める都市住民や、人間の生存にとって重要な「インフォーマル」経済の中での女性の役割等に十分な関心が払われていないという批判がある。
 エクアドルの先住民にとって、鉱物資源、石油その他の開発にあたって「事前に十分な情報に基づく協議を行う」という条項は問題が多い。資源開発にあたって先住民の「同意」が必要条件とされていない。現実に、外国企業による石油開発に反対する行動に対して虐殺や弾圧が起こっている。コレア大統領は抗議行動に参加している人々の一部を「テロリスト」と呼んでいる。国連やILOの先住民の権利に関する宣言は一般的には資源開発にあたっての「事前合意」を求めているものとして解釈されている。コロンビアで石油開発に反対しているウワに人々の間には「石油は地球の血である」という言い伝えがある。「血を吸い上げるということは私たちを殺すことだ」と彼ら・彼女らは言っている。
 新しい憲法は必ずしも新しい現実に転化されるとは限らない。新憲法の環境、複数主義、社会的権利に関する条項を現実化し、さらに拡大するためには、この憲法を実現した運動をさらに持続、強化しなければならない。 〈つづく〉



コラム
青春の鎮魂歌


 このごろ車の中でよく聴いているCDがある。つい先日、那須を訪れた際、その帰りに立ち寄ったブックオフで見つけたものだ。タイトルは『ぼくたちの失敗』。十数年前、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に使われた森田童子のベスト・アルバムと言った方が分かりやすいだろう。ドラマが放映されたころは、一時その歌詞と彼女の切なげで透明感のある歌声が話題になったものである。
 アルバムのことも、森田童子の存在もテレビドラマで知ったわけではない。むしろアルバムはCDショップでよく見かけていた。ただ定価で買い求める気がしなかったのだ。しかしその反面、あの`時代的aともいえる「歌」をもう一度聴いてみたいという思いが、ボクのどこかにあったことも事実である。価格を見ると何と千円。そこには迷わずレジに並んだボクがいた。
 ボクが童子の歌を初めて聴いたのは七○年代の半ば、大学三年のころだったと思う。そのころのボクは毎夜下宿へ帰る終電のことなど忘れて飲んだくれていた。下宿までは、飲屋街のあるU市からチンチン電車で十駅。さらにそこから歩いて三十分近くかかる田舎町にあったので、飲み始めるともう帰る術を失ったのと同然だった。今話題の某大臣よりも自制心が利かない酔っぱらいだったかもしれない。そんなわけでボクはめったに下宿に帰らなくなり、いつの間にか夜になると友人Oのアパートに転がり込む生活が始まったのだ。
 Oのアパートは千曲川を渡った横丁にあって、いつも数人の仲間たちが入れ替わり立ち替わり出入りするいわゆるたまり場だった。昼は麻雀、夜は宴会が常。飲み疲れるとボクたちは倒れた空っぽの酒瓶のように、身をせんべい布団に横たえた。
 ボクが童子を知ったのは、そんな彼の六畳間のことである。酒とタバコの煙の中で初めて聴いた童子は、今まで聴いたどの歌よりも強烈だった。安保も学園闘争もとうに終わっていたが、耳年増だったボクにはその歌詞のひとつひとつが衝撃的で、映像を見ているような錯覚さえ覚えたのだ。

 仲間がパクられた日旺の朝 雨の中をゆがんで走る やさしい君は それから変わってしまったネ さようなら ぼくの ともだち

 これはアルバムに収められた「さよなら ぼくの ともだち」の一節。童子は学園闘争の最中、高校を中退し、二十歳の時、友人の死をきっかけに歌い始めたというが、その多くは未知なるままだ。今もなお沈黙を続けている。無精髭をはやしいつもギターを弾いていたOが、いつからどのような気持ちで童子を聴いていたのかも分からない。ただ言えることは、童子は歌い続け、Oは六畳間で何回何十回となく童子のレコードに針を落としたということだけである。
 いわば童子の歌は青春の鎮魂歌だったのかも知れない。歌う方も聴く方も、その理由をとやかく説明する必要はなかったのだ。あれから三十年たった今でも、あの時代を歌った歌を他に聴いたことがない。    (雨) 


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