もどる

08〜09山谷越年越冬闘争                かけはし2009.1.26号

みんなで考えみんなで議論し
共に生きる権利を実現しよう


派遣村の仲間も
「研修」に参加

 十二月二十八日から一月五日の早朝まで城北福祉センター前の路上を拠点に山谷越年越冬闘争が行われた。
 不況下での派遣切り――大量解雇という状況の中で、多くの人びとが路上へと追いやられる中で全国各地で越年のための取り組みが行われている。
 山谷ではこの一年間の「居住権」「生存権」を掲げた生活保護の集団申請行動や、毎週日曜日に一年を通して行われている「協同炊事」などの取り組みをベースに越冬闘争実行委員会が結成され、これまでになくていねいに準備が進められて来た。
 炊事で使うカマドも傷んでいたためいくつか新調した。実行委でドラム缶を購入して作業日を決め、腕に覚えのある労働者が加工して作り上げた。
 二十六日には渋谷のじれんやフリーター全般労組の仲間と共に新宿地下街をパトロールし、日比谷、渋谷、山谷、横浜・寿町での越年の取り組みを伝えるビラを手渡した。翌二十七日には浅草、江東区の竪川でパトロールを行った。
 二十八日は昼から打ち合わせを行い、センター前へと移動し、設営を行い、夕食の準備に入る。この日は日比谷の派遣村実行委員会の仲間も「研修」ということで十数人が参加した。
 マスコミの取材も殺到した、「この年末年始は山谷で密着取材をさせていただきます」と意気込みを語る記者もいたが、三十一日に日比谷公園の派遣村の闘いが始まると潮が引くようにいなくなってしまった。もっとも「若い人を紹介してください」「派遣の人はいませんか?」とか言ってたので「狙い」は明らかだったのだが。

セーファースペ
ースの取り組み

 一日に二回行われる協同炊事は昼十一時には隅田川の台東区側の言問橋のたもとにある築山で行われた。これは毎週日曜日に午後三時より行われている協同炊事のやり方を踏襲したもので、食事の後は寄り合いを行い、翌日のメニューを決定する。夕食はセンター前で三時より約一時間の寄り合いを行ってメニューを決め、役割分担し、一時間ほどの作業で完成。メニューはキムチ汁のぶっかけメシ、カレーライス、中華丼、クリームシチューなど。屠場労組からカンパでいただいた肉や、三里塚などからの野菜など、食材は豊富で何でも作ることができた。食数は例年より約三十食ほど多い程度でそれほど爆発的に増えたわけではない。これは派遣村の取り組みがあったためかもしれない。渋谷などでは明らかに派遣切りの影響で食数が大幅に増えているとのこと。
 夕食後にも寄り合いを行い、一日の反省と翌日の活動の確認を行う。とにかく何でもみんなで考え、議論して決定する、ということを徹底して行った。
 毎回の寄り合いで繰り返してインフォメーションされたのがセーファースペースという取り組みのこと。これは今回初めての取り組みであった。女性や子ども連れの人、うまく作業ができない人が排除されたり、嫌な思いをすることなく安全に参加出来るように設けられた試みだったが、毎日アナウンスされたことで雰囲気は確実に良くなった。支援者も、そしてこの越年で初めて合流した野宿の仲間も作業の輪に入りやすくなった。
 毎年来てくれる水族館劇場「さすらい姉妹」のお芝居はセンター前では三十一日夜、上野公園では二日の餅つきの後にそれぞれ上演され好評。
 三十一日、大晦日の夜には恒例の年越そばを食べ乾杯、今年は平飼いの高級卵も入る、これは年末年始に出荷出来ないが鶏は卵を産んでしまうので活用してほしいと養鶏農家からカンパで寄せられたもの。
 他にも炊き出しの燃料に使う廃材を持って来てくれた人や、三日間も通ってくれた鍼灸師さん、わざわざ福島からきてくれて、散髪をしてくれた美容師さん、北海道から来てドヤに泊まり込みで越年闘争に参加してくれた人など多くの人々が力を合わせて五日の朝までの越年闘争をやりきった。
 残念なことに五日の朝、前日より具合が悪いと言ってセンター前の寝床で寝ていた仲間が、亡くなっているのが発見された。撤収作業が始まったときには言葉も交わせる状態であったが、作業が終わり声をかけたところ、亡くなっていた。今回の越年闘争の大きな反省点である。

台東福祉事務所
に生保集団申請

 五日には十月の台東福祉事務所の方針変更(本紙既報)以降中断していた生活保護の集団申請を再開した。まずはじめに、「ちゃんとやれよ!」と申し入れを行うが、「従来通り対応する」の一点張りでらちがあかない。
 この日台東では二十二人が申請したが、面接できたのは十一人のみ、われわれよりも後に来た人たちがドンドン面接室に呼ばれるが、われわれは後回し、それでも十月は一日十人まで、が、十一人になったのはさすがに「ホームレスは一日十人」はまずい、精一杯やって時間切れ、というポーズを作るためだったのか?。
 さらに審査期間(2週間以内)をドヤで待機させろという要求には「緊急宿泊施設で待機してもらう方針です」という姿勢を崩さない。
 結局、施設での待機を受け入れた人、入院が必要と判断された人は生保を取得、それ以外の仲間は却下となったが、野宿しながら仕事で金を稼ぎドヤに泊まり、そこを「居所」として「ドヤ待機」を勝ち取った仲間もいる。
 十月から大きく前進したわけではないが、この日は派遣村の仲間たちの生保の集団申請が大きく報道されており、しかも二百人規模ということで、「なんで台東区は一日十人なんだ!」と終止押せ押せムードであった。言わば山谷で一年間、毎月やって来たことを十倍ぐらいの規模でやったのが派遣村の集団申請であったのだ。
 流れは変わりつつある、野宿の仲間の闘いにも飛躍が問われている。 (板)


横浜・寿で越冬闘争

集団生保申請で全員受理
排除される人のない社会を

 【神奈川】横浜・寿町で、第三十五次寿越冬闘争が行われた。フリーター全般労組、派遣ユニオンも含めた生活相談、法律相談、医療相談を始め、三コースに分かれる人民パトロール、一千食あまりの炊き出しが、十二月二十九日から一月四日まで続いた。
 従来、寿公園内に建てたプレハブで、二百人前後の宿泊者を受け入れる越冬だったが、この数年、越年対策の申請者に対して、簡易宿泊所、自立支援センターへの分散宿泊が主流になった。横浜市が「自立」助長を軸とした財政削減策を進めるためだったともいわれている。
 一月六日付神奈川新聞は寿越冬闘争実の福祉行動の様子を報じている。それによると開庁日の相談者数は前年比二十五人増の九十七人で、生活保護を申請した四十七人は全員受理されたという。受理条件が緩和された理由として、「仕事の状況などがある、これまでは若者にはハローワークにいくよう指導していた」と答える担当者のコメントものっている。申請希望者は、五、六十代が主だった今までと比べ、三、四十代が主流であることも今回の越冬の特徴だ。
 派遣村報道に見られる世論の高まりと、通年での集団生保申請行動が結実したといえる。
 だが今までがおかしすぎた。横浜市は「働ける人は自立支援センターはまかぜに収容する」という施策を当たり前にとってきた。明らかに他市町村から流れてきた困窮者には、その自立支援センター入所さえ勧めないようにやってきた。
 この越年で路上にいる人のうち、派遣で切られた人が激増したとは思わない。ただより路上に近い層がより多く押し出され、路上生活寸前の人は相談などを試みながらも、多くの人が見えない場所で生活保護制度などを誤解したまま、明日の不安に悶々としているのだろう。
 すぐ働く層でさえ、働きだすための建て直しの時間は、原則一カ月という自立支援センター入所期間では不十分だ。また一見働けそうに見えて、その生活と心身に相当の困難を抱えている人は多い。世界的な金融危機が訪れなくても、公的なケアが必要な人はまだまだいるという認識を、排除される人が生み出されない原則の完成に向けて、共にしていきたい。  (海)




派遣村からの声明
派遣村実行委員会 名誉村長 宇都宮健児/村長 湯浅誠



 年末年始、大量の派遭切り・期間工切りが行われる中、私たちは12月31日より年越し派遣村を開設しました。当初、私たちが目指したのは次の2点でした。
1)被害者の命を支える活動く寝場所提供、炊出しなど)
2)被害実態の可視化を通じた政治・社会への問題提起
 本日、2度目の「村民大移動」を迎えるにあたり、私たちの意見を改めて提起します。

1)村民の生活再建に向け、関係各位の引き続きのご支援をお願いしたい
 13日以降、多くの村民がアパートに転宅します。個別対応の必要性が高まっています。名簿管理、就労・生活相談、アパート探しのお手伝いなど、行政各機関・ボランティアによる引き続きのご支援をお願いします。
2)今回のことが「あたりまえ」
 2―1)派遣村村民500人は貧困状態に追いやられた人々のごく一部にすぎない
 村民以外の人たちに何の波及効果もないのだとしたら、派遣村の「成果」はきわめて限定的なものにすぎない、と評価せざるを得ません。
 2―2)全国に一時避難所(シェルター)開設と総合相談窓口の設置が必要
 今でも派遣村村民の何倍・何十倍という人たちが、安定した生活の見通しが立たないまま、ネットカフェや路上を彷徨っているものと想像されます。日本は欧米諸国に比べて極端に一時避難所の数が少なく、早急に対応する必要があります。
 2―3)緊急小口貸付資金の要件緩和が必要
 手元不如意は最大の「自立阻害要因」です。これまで、制度はあっても、要件が厳しく事実上利用できませんでした。今回の「特例」をスタンダードにしていく必要があります。
 2―4)心生活保護適用は「特別」ではない
 いわゆる「住所不定」状態にある者に対する生活保護行政の現場においては、即日開始決定は珍しくありません。問題は、地方都市等において、宿泊施設がないがゆえに「アパートを借りてこないと生活保護を適用できない」と事実上の追い返しく(いわゆる「水際作戦」)が横行している現実にあります。2―2)で求めたように、全国各所でアパート入居までの一時的避難所が求められます。
 2―5)最低生活の実現に向けて切れ目ないセーフティネットの構築が必要です
 本来、低賃金で働いて貯蓄もない人たちが失業した際には、雇用保険支給までの間を何らかの資金でつないで、雇用保険給付を受けながら次の仕事を探し、必要な場合には職業訓練を受けてスキルアップを図りながら、生活保護受給に至る前に再就職を果たすことが理想です。しかし現在は、つなぎ融資も受けられない、雇用保険適用外である、職業訓練も受けている間の生活費もない、という中で簡単に貧困化し、生活保護を利用する以外には再就職による生活再建の立てようがない、というのが実態です。よく「生活保護を受けるような人は働く意欲がない」などと言われますが、それは完全に実態を見誤っています。実態は「就職活動して働こうと思ったら生活保護を受けるしかない」のです。必要なことは、生活保護の手前に再就職とそれに向けた活動が可能になるようなセーフティネットを構築することです。
3)企業は社会的責任を果たすべき
 派遣村村民の中には、8月9月の秋口まで増産に追われて残業を繰り返していた人たちが珍しくありません。その人たちの労働によって蓄積された内部留保は大企業16社で33兆円にのぼっています。企業は社会的責任を果たすべきです。
 そのためには、「派遣切り」を行わなくて済むような経営努力(役員報酬・給与の減額・返上、内部留保の放出、他企業への就職斡旋など)を行うことはもちろん、再就職支援基金等を設立すべきです。その基金等を2)で述べたようなもろもろのセーフティネット構築や、職業訓練や雇用創出など再就職支援の財源とすべきと考えます。
4)国は「派遭切り」を止めさせ、労働者派遣法を抜本改正すべき
 国は、「派遣切り」による大量失業を生み出さないために、必要な諸政策の発動および立法措置を採るべきです。労働者が生きがいをもって働ける社会に近づけ、日本社会総体の底上げを図り、少子化の進行に歯止めをかけ、内需を拡大し、社会に活力が戻ってくるようにすべきです。
 1月12日
〈事務局〉全国ユニオン:東京都新宿区西新宿4―16―13MKビル2F
電話 03-5371-5202


もどる

Back