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フランス                      かけはし2002.8.12号より

大統領選で登場した新しい政治世代とLCRの闘い


 以下は、スペインの第四インターナショナル派の新聞である「VIENTO SUR」がLCR(革命的共産主義者同盟・第四インターナショナルフランス支部)のダニエル・ベイサイドに対して行ったインタビューである。大統領選をめぐるフランスの政治構造と情勢について、わかりやすく解説している。



――フランス大統領選挙第二回投票の結果が総選挙にどのような影響を与える可能性があるのか簡単に説明してくれませんか。

 第一回投票で、普通選挙を通じた共和国大統領の選挙制が生れて以来最悪の得票結果しか得られなかった前大統領のシラクは、第二回投票においてかつてない八二%の得票率でルペンを破り、当選した。二回の投票の間に、右翼(保守)はいつもの選挙戦を展開したが、左翼は力強い大衆動員を展開し、とりわけ五月一日の街頭の場合がそうであった。シラクに投票させるために、マスコミはこの第二回投票を反ルペンの国民投票であるかのように示してみせた。
 それは、第五共和制の大統領制度の論理に従うということが、同時にシラク支持の『国民投票』(第二回投票)の論理と不可分だということでもある。今後、第二回投票での自分への支持票をシラクが必ずや利用するだろうことは容易に分ることである。まず最初に彼は、ルペンをさらに優位に立たせることになるであろう致命的ともなる新しい保革共存を避けるには議会で大幅な過半数を獲得しなければならないのであって、そのために『有効票』を投じてほしい、と来るべき総選挙で訴えることによって、そうするだろう。
 こうして、制度上のこの罠にすべての勢力がはまってしまった。罠にはまった勢力の中には社共よりも左に位置する左翼勢力や社会運動も含まれる。これらの勢力は、大統領選第二回投票でルペンの得票率を引き上げる危険性をもつであろう白票を投じるか、それとも『ル・ペンに反対してシラクに投票する』かの二つの選択の間で引き裂かれた。
 どっちにしても難点を免れることのできないこの二つの間の選択の決定は、現情勢の危機をどう評価するかにかかっていることは疑いのないところである。(極右勢力に対して)たとえきわめて真剣な警戒を行う必要があるとしても、われわれは今(かつての一九二〇年代初頭のイタリアでのムッソリーニによる)ローマ進軍の前夜の情勢のもとにおかれているわけではない。私が個人的に第二回投票で白票を投じることを選択したのはこのためである。
 実際、左翼はルペンの脅威に心を奪われて、「よりましな悪」を選ぶという論理によってもたらされる結果を過小評価しているように私には思われる。しかも、街頭デモを展開している青年にとっては、(今回の大統領選第二回投票が)生れて初めての投票行為となる場合が多いのだが、こうした若者に対してファッショに反対してペテン師に投票せよと呼びかけるのは、シニズムの扉から政治に入るのを促すことになってしまう。現段階では、総選挙の結果がどうなるかはまったく不確かである。
 それは国民戦線の得票率に大きくかかることになる。というのは、総選挙の第一回投票で一二%を得た国民戦線の候補者は第二回投票にまで残ることができるだろうが、多くの場合、国民戦線のこの候補者は国民戦線との同盟を拒否する右翼候補者を敗北させることができるだろう。
 二百五十から三百の選挙区でこうした審判を受けることになるはずなので、国民戦線は火中の栗を拾うことによって新しい(右翼と極右の)共存を生み出すことができよう。だから、大統領選挙が明らかにしている社会の危機に今後、第五共和制の制度の公然たる危機が加わることになる。特に社会党勢力の間では、ドゴール将軍から引き継がれた制度の諸矛盾の解決を要求する多くの声が上がっている。憲法制定議会ということが言われている。
 だが、大統領権限の強化から議会制への回帰にいたるさまざな解決策は、それほど魅力的なものではない。たとえこの制度的問題が深刻であるとしても、次の事実を忘れさせることはできないであろう。すなわち、代議制の危機は同時に、全世界における全般的民営化の影響のもとでの公共空間の狭まりの結果でもある、という事実をである。
――全体として大統領選挙第一回投票の最も顕著な事実とはどのようなものでしょう(次の質問で論じるわれわれ自身の選挙結果の問題はとりあえずおくとして)。

 大統領選挙第一回投票は次の五つの事実を明らかにした。
 一、右翼と左翼の与党はほぼ五百万票を失った。
 二、有権者の三〇%が棄権した。これは大統領選挙の記録である。
 三、国民戦線は約五百五十万票を得て、絶対票数で前進したのではないが第二回投票にまで残ることになった。これをどう評価するかは、一九九五年の前回大統領選でドゥ・ヴィリエールが得た票をどう計算するかによって変わってくる。彼の票の大部分は極右票であった。国民戦線は、伝統的諸政党の崩壊のおかげで、絶対数では前進できなかったが、とりわけ得票率で前進したのである。
 四、共産党は、(革命派の)ラギエ(LO「労働者の闘争派」)とブザンスノー(LCR)のそれぞれよりも少なく、想像以上の崩壊に見舞われた。その三・三%という得票率は、今後、財政的破産とその議員集団の消滅の危機に直面することになるだけに、その隊列内では苦しい総括の幕開けとなるだろう。共産党は、伝統的な拠点で、八%から一〇%の得票率をかろうじて維持している。同党はほとんど至るところで革命派に負けており、新しい部門にまったく浸透していない。共産党支持の有権者の構造は次のとおりである。ユー支持の有権者のうちの二%が二五歳未満、二五%が七五歳以上であり、四〇%が年金生活者である。
 五、最後に、革命派全体は全部で一〇%、三百万票以上を獲得した。マスコミが第二回投票でのシラクへの投票を促す大騒動を引き起こすことによって、大急ぎで消し去ってしまおうとしたのは、まさにこのことが持っている意味にほかならない。クレルモン・フェランのような一部の都市では、革命派は一四%を超えた。これは、庶民街地区では二〇%を上回る得票率があることを意味している。今回の革命派の最終得票では、アルレットの五・七%とブザンスノーの四・三%に見られるように、両組織の間の票差に均衡が戻ったことが認められた。
――LCRの選挙運動、すなわち、オリヴィエ・ブザンスノーを立候補させるという(思い切った)決定、選挙運動の政治的概要、目覚めはじめた社会の関心についての重要な事実などを話して下さい。

 われわれは、多元的左翼政府の収支決算に対してできるかぎり鮮明に懲罰を与えるために、革命派の統一候補を支持していた。実際、一九九五年の大統領選挙以来、「労働者の闘争派」は得票率五%の水準を突破するようになり、左翼に対する批判的票の増大が欧州議会選挙や昨年の地方選挙でも確認された。したがって、アルレットの立候補は認められていたのであり、われわれもそれに同意していた。
 だが、われわれは欧州議会選挙のアルレット=アラン(・クリヴィンヌ)の共同候補名簿の延長上の最低限の共同キャンペーン方式を望んだ。「労働者の闘争派」はそっけなくそれを拒否した。それで、二つの可能性が残った。ひとつは、候補者なしにLCRの独立したキャンペーンを展開してアルレットに投票するか、それともわれわれの候補者をたてるかの選択であった。この選択は容易ではなかった。
 というのも、立候補資格を得るために市町村の首長や議員の中から五百人の推薦人を集めることが非常に困難な課題であり(一人の署名を得るには五十人以上の首長を訪問しなければならなかった)、昨年夏以来、多くのエネルギー、多くの週末が動員された。それに加えて、アルレットは人気があり、社会の中で著名なシンボル的存在なのである。独自候補を立てることは、われわれにはほとんど不得手なこの選挙という面での「労働者の闘争派」とLCRとの間の差をさらに広げてしまう危険があった。
 だが、立候補しないことは、革命派の票を「労働者の闘争派」の独占に委ねてしまうことであり、(長期間、カードを配ることができる)大統領選挙だけでなく総選挙でもわれわれが姿を見せないことになりかねないだろう。だから、われわれは無名の青年労働者の立候補に賭けたのだ。
 その選挙戦の特色は容易に想像できよう。その主要なテーマは、もちろん、経営者の反社会的再建(雇用調整計画)に反対する社会の再建である。すなわち、賃金、利益をあげている企業での解雇の禁止、公共サービスや社会保障の防衛などが主要テーマである。
 (「労働者の闘争派」の)アルレットとは、社会運動との関係、資本主義的グローバリゼーションに反対する大衆動員への参加、政府に入っていない左翼勢力のための強力な統一の進め方、の三点をめぐって、われわれは見解を異にしている。「出口調査」を信用すれば、ブザンスノーの支持者は青年であり(三五歳未満が四五%)、その四〇%が賃金労働者(労働者とホワイトカラー)で、残りは教員、学生、失業者などである。彼への投票の動機はまず第一に、不平等に反対し、雇用を求める闘いである(グローバリゼーションの動機はごく少数の人々だけであった)。
 ただ、アルレットとの違いは、彼女を支持する有権者の約三分の一が「忠実な支持者」であるのに対して、ブザンスノー支持の有権者は流動的である。その支持者の二五%が投票日前夜または投票日当日に自分の態度を決定していた。(これは驚くべきことではない。なぜなら、ブザンスノーは一カ月前に、五百人の市長の推薦署名を獲得できるかどうかまだ確かではなく、一般大衆からは事実上無名のままであったし、マスコミにもあまり登場していなかったからである)。
 したがって、大統領選挙の第一回投票のショックが総選挙での左翼への「有効投票」という論理を引き起こし、革命派の得票を大きく後退させることが危惧され得る。だが、重要なことは、これら革命派の候補にすでに一度投票した人々は、ひとつの障壁を飛び越えて、再度そうした振舞いを始める可能性があるということである。
――第一回投票日の夜の矛盾がありました。左翼勢力に代わってル・ペンが第二回投票に進出しました。われわれの反応と人民の反応はどうでしたか。(とりわけ「マスコミによってひどく操作された」一部の見解はコメントに値します。それによると、人々は革命的左翼の候補に投票したことを「後悔」し(「もしこうなることを知っていたなら……」)、ル・ペンの第二回投票への進出の責任が「左翼の分裂」のせいだ、というわけです)。

 まず第一に一九三〇年代とのいっさいのアナロジーを退けるべきであると思う。有権者の五分の一が、公然たる人種差別主義であり外国人排斥論者である候補者にあっさりと投票するという事態はすでにかなり深刻である。だが、つじつまの合わない類推は多くの誤りを犯しかねない。
 国民戦線は大経営者のいかなる主要部分からも支持されていない(ヨーロッパ統合問題があるために支持できないのもやむを得ないのである)。奇妙にも、その戦闘的選挙キャンペーンは一九九五年に比べると大幅にトーンダウンした。第一回投票の結果さえそのキャンペーンのダイナミックな発展を作り出すのに十分ではなかった。第一回投票と第二回投票との間で、五月一日の国民戦線の集会は、三千人しか結集できなかったマルセーユでの独自の全国集会に見られるように、相対的に失敗に終わった。逆に、第一回投票の夜以降、五月一日、さらには第二回投票の夜と、街頭を占拠したのは左翼であったという点は重要である。
 第一回投票で票が分散し、「無責任な」票を投じたことを後悔している人々について言えば、これらの人々は現実を隠しているのである。第一の問題は、なぜ与党が有権者の票を失ったか、なぜ三〇%もの棄権があったのか、最後に、なぜ多元的左翼の諸党が自分たちの観点からしても、愚かしい道を選択したのか、ということである。五年任期の大統領制を導入し、選挙日程を逆にして総選挙よりも先に大統領選挙が来るようにしたのは、ジョスパンであった。こうすることによって、ジョスパンは大統領選の制度的論理を強めたのである。
 さて、多元的左翼の諸党は四人の候補者(ジョスパン、ユー、マメール、トービラ)――シュヴェヌマンを加えると四人半である――を立候補させてこの選挙に臨んだ。というのもこれらの党は総選挙に備えているからである。これらの諸党自身が五年間の連立政権による共同の統治の後に選択したのが、総選挙に向けて大統領選挙で行った仕掛けなのである。分散が起こったとすれば、それは多元的左翼の内部においてであった。
 報復として革命派の候補を非難することはできない(しかも、マスコミはあえてこの分野に踏み込むことをためらった)。革命派は政府に対する左からの反対派だったからである。二回制の選挙において第一回投票でこの立場を守るというのは完全に論理的であり、正当である。少なくとも、左翼の単一党を強制することは、シラクが右翼に対して押しつけたがっている単一党と対称をなすものであろう。
――「政権与党側の左翼」の敗北の基本的な政治的原因は何でしょうか。

 多元的左翼が敗北した理由は制度上の偶然ともむすびついているが、もちろんその原因はもっと根本的なものである。投票日直前、有権者の三分の二が左翼と右翼との間に何ら大きな相違はないと見ていたという事実を想起するだけで十分である。ジョスパンとシラクは選挙キャンペーンで自分たちの治安対策綱領を相手陣営が盗んでいるとの非難合戦を繰り返した。
 左翼と有権者大衆との間の離婚は遠くに溯る。マーストリヒト条約にもとづく欧州統合への結集、民営化、ジュペ計画の実施(これは右翼政府を崩壊させた!)、変形労働時間制の増大と引換えに導入された週三五時間労働制、サンパピエ(ビザなし移民労働者)の正規化の拒否(知識人層の間ではこの問題をめぐって、投票によって政府に懲罰を与えるという動きが生れたが、政府の政策はまさにこのような懲罰に値するものであった)、そして最後の直線距離に相当するバルセロナでなされた二〇〇四年での財政赤字ゼロの約束、年金の基金化という展望とエネルギーの民営化の承認がそれであった! 最後に、アレグル教育相を忘れていなかった教員たちもまた、大衆的に多元的左翼から離れた。

――第一回投票の全般的な結果についてですが、ル・ペンを「正当化」する現象が確実にあっているのでしょうか。右翼が強化されているのでしょうか。シラクへの投票に向けた「大衆的」圧力が存在するのでしょうか。ペテン師かそれともファッショか。「多元的左翼」にとってどのような発展力学があるのでしょうか。

 選挙結果は矛盾している。一方でル・ペン票の大衆化がある。彼を支持するますます多くの有権者があえて公然と自分たちの投票を認めるようになっている。だが、同時に実際には選挙ショックと覚醒も起こった。それを証明しているのは膨大な規模の青年のデモである。反戦運動や反グローバリゼーションと結びついたこの自覚は、われわれが長らく待ち望んでいた新しい政治世代を形成することができる。
 もし(今後「統一左翼」と名乗ることになる)多元的左翼が総選挙後、野党に回ることなるとすれば、多元的左翼は左翼の失地を奪還するために現在の養生期間を有効に使おうと試みるだろう。ミッテランの時代とジョスパンの時代の二つの幻滅を経た今、どのような信頼が生れることになるのだろうか。それは、始まりつつある闘いにかっているのであり、そしてまた一方における中道左派と他方における(ブールデューの定式を繰り返せば)左翼の左翼との間の力関係にもかかっている。
 われわれにそのことがもっと分るようになるのは、社会党内でジョスパンの後任の目星がつく総選挙後であろう。ファビウス=ストロース・カーンを中心とする指導部は、アンソニー・ギデンズが『ル・モンド』の論評の中で要求している第三の道へのコースを強めるだろう。社会党の一部の指導者たちは、古い改良主義的左翼と社会自由主義的第三の道との間の中間に留まっているとしてジョスパンを非難している評論家に対して無頓着なままでではいられない。だが、緑と社会党左派はむしろ革命派を後退させるためにも統一左翼を左傾化させようと試みるだろう。
――LCRの路線について話して下さい。LCRへの新規の入党、第二回投票をめぐる論争、総選挙に向けた同盟関係の可能性、新しい政治組織についてはどうでしょう。

 大統領選挙の第一回投票の翌日から、政党への入党が起こった(国民戦線、社会党、緑)、だが同時にSOSラシズム(SOS人種差別主義)やRas L’Front(国民戦線に反対する闘争協会)のような運動への加盟の動きも生れた。LCRは、一週間に千人の入党を記録した。LCRがとりわけ活発な勢力としてすべてのデモに登場したからである。
 数年来、LCRは左翼の左翼に位置する反資本主義的な新党や運動が必要であるという点を強調してきた。これは、実質的な提携者が不在であり、制度的政治に対する社会運動の活動家チームの不信が存在しているので、一般的なレベルの定式にとどまっていた。
 直後の興奮の時が過ぎ去り、総選挙のテストが過ぎ去った後で、この運動の発展力学とその広がりについてよりはっきりとしたことが分るだろう。当面、その材料は期待はずれのものである。「労働者の闘争派」は、総選挙に向けてLCRと選挙区の分担協定を結ぶことを拒否するという愚かしいセクト主義的立場をとっている。このような協定は、有効票という論理に抵抗するために、全選挙区での革命派の単一の候補の擁立を可能にするだろう。
 共産党と緑は、何の総括をなうこともなく、自分たちの議員を救うために統一左翼内にとどまっている。だが、ごく近い将来の事態は、総選挙の結果にかかっており、左翼が再びコアビタシオン(保革共存)の虜になるかそれとも野党にまわることになるのかにかかっている。いずれにしてもLCRは、資本主義的グローバリゼーションと帝国の新しい軍国主義の両方に反対する大衆動員の社会的再建、民主的再建の直接的綱領にもとづく結集というこれまでの自らの進め方を堅持するに違いない。
 もし四月二十一日に惨めな懲罰を受けた路線をそっくりまた再開するという危険を望まないとするなら、可能な一致と結集を決定するものを、実際には、さまざまな政党組織の組合わせではなく、その内容にしなければならない。しかも、これらの展望は、幻を追って現実を失うものであってはならない。実際、新しい活動家の獲得、教育を強固にし、LCRをこの新しい入党に適応させることが必要である。なぜなら、政治は力関係の問題であるからである。


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