かけはし重要記事

frame01b.html

もどる

天皇・皇后の東中欧四カ国訪問            かけはし2002.8.26号より

グローバル化時代の国家戦略を補完する「皇室外交」


 七月六日から二十日までの日程で、天皇明仁と皇后美智子はチェコ、ポーランド、オーストリア、ハンガリーの東中欧四カ国を訪問した。一昨年のオランダ、スウェーデン訪問から二年ぶり、天皇になってからは一九九一年のタイ、マレーシア、インドネシア訪問を皮切りに、九回目の外国訪問である。前天皇裕仁が一九七一年の欧州、一九七五年のアメリカの二回しか外国訪問をしていないのに比べれば、「平成天皇制」がそれ自体違憲の「皇室外交」を重要な機能に組み込んでいることは明らかであろう。
 七月一日の毎日新聞「グローバルアイ」欄で、同紙専門編集委員の西川恵は「皇室と日本外交」と題して、「皇室外交」にかけた権力者の意図を次のように代弁している。
 「日本では、天皇、皇后両陛下の外国訪問の目的は『国際親善』であり、その国の各界各層の人々と友好を深められることにあるといわれている」「しかし外国から見た時、天皇、皇后両陛下の訪問には『日本外交との関係性』という別の意味合いが加わる。実際、両陛下の外国訪問では、首脳訪問ではなし得ない(と表現しても決して誇張ではない)外交成果が得られている」。
 西川がその「成果」の代表例として挙げているのが一昨年のオランダ訪問だ。第二次大戦中の日本軍の侵略によるオランダ人戦争捕虜・市民の抑留で二万二千人が死んだ事実やオランダ人女性の「従軍慰安婦」問題で、オランダ側にあった日本への「心のしこり」が、オランダでの夕食会における天皇の「被害者の受けた苦しみに深い悲しみ」発言や戦没者慰霊碑への献花で「氷解」した、というのである。
 そして西川は「日本側には、天皇、皇后両陛下に政治を絡ませたくないという思いがある。ただ外国では天皇を元首として遇し、その言葉と行為に日本の意思をくみとる。国際親善を越えて皇室外交が果たしている役割は、もっと評価されていい、と私は思っている」と天皇の外国訪問の意義を大きく持ち上げている。
 ここで「日本側には、天皇、皇后両陛下に政治を絡ませたくないという思いがある」というのは、明らかにウソである。むしろ「天皇を元首として遇」する外国の扱いをあらかじめ組み込んで、国家の外交目標に併せて戦略的に訪問先を設定し、天皇にあれこれの発言を行わせ、メディアに露出させていこうとするのが支配者側の思惑であることは間違いない。その意味でグローバリゼーションの時代の日本外交の脆弱性を補完する最大の手段こそが、「皇室外交」なのである。
 六月二十日に行われた四カ国訪問にあたっての天皇・皇后の記者会見は、これまで以上にきわめて政治的なものだった。天皇明仁は「日本はすぐ復興に取り組むことができた」が、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアは「ソビエト連邦の支配下に入り、厳しい統制の下で戦後の歩みを始めなければならなかった」こと、一九五六年のハンガリー動乱、一九六八年の「プラハの春」の敗北の後を受けて、一九八〇年のポーランド「連帯」によって民主化の流れが広がり、ついに一九八九年のベルリンの壁の崩壊によって各国における「民主主義と自由」の歩みが確実になったことを感慨深く語った。
 皇后美智子も、チェコ、ポーランド、ハンガリーとも「『東欧革命』により新しい政治体制を得ましたが、ここに至るまでの長い年月、人々が独立と自由に対する強い志向を決して失わなかったことに深く心を打たれています」と述べている。
 アメリカに占領された日本はいちはやく復興し、民主主義を享受することができたが、ソ連に占領された東欧は苦難の道のりを強制され、共産党体制が打倒されることによって、ようやく自分たちも訪問できるような自由な国になったという、西側を「善」とし東側を「悪」とする単純明解な冷戦的戦後史観が、きわめて率直な形で天皇・皇后の口から語られているのである。
 ポーランド訪問にあたっては、第一次大戦とロシア革命の過程でシベリアに送られたポーランド人孤児が当時の日本政府の協力で救出され、母国に帰ることができたというエピソードが日本人の「美談」として紹介された。そして八十年前に救出された孤児のうちの生存者三人がワルシャワの日本大使公邸で、天皇・皇后と会い、「日本人の優しさ」に感謝するという日程もわざわざ組み込まれた。まるでロシア革命に対する日本帝国主義の反革命的軍事干渉としてのシベリア出兵が、こうした「人道的」目的のためになされたかのようなキャンペーンである。
 東南アジアや中国、イギリス、オランダなどへの天皇・皇后の訪問は、天皇制日本帝国主義の侵略による民衆虐殺などの加害、捕虜や「従軍慰安婦」とされた人びとへの戦後補償の問題を中心に、多かれ少なかれ天皇制の戦争犯罪行為の欺瞞に満ちた「清算」を課題としなければならなかった。
 しかし今回の東中欧四カ国訪問は、「経済大国日本」の「援助」を代償としたあからさまな「温情」の押しつけの上に「友好」と「交流」を謳歌する場となった。天皇・皇后の「皇室外交」は、旧ソ連・東欧スターリニスト体制崩壊後の東・中欧諸国に対する関係を強化しようとする日本支配階級の戦略上の手段となったのである。
 天皇を「外交君主」とする「皇室外交」は、今後もグローバリゼーションの時代における外交戦略上の比重を高めていくことになるだろう。そしてそれは、「戦争ができる国家体制」づくりをめざす新たな国家主義と国民統合の中で、ますます重要な「政治的・文化的」機能を担うことになっていくことになる。われわれはこうした動きと対決し、反天皇制の思想と運動を着実に鍛え上げていかなければならない。(7月28日)(平井純一)

もどる

Back