かけはし重要記事

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                          かけはし2002.8.26号より

にぎやかに山谷夏祭り

行政やマスコミの差別扇動に抗して広がる野宿労働者の闘いを結集

 八月十日、玉姫公園で、山谷夏祭りが行われ多くの労働者が参加した。昼に山谷労働者福祉会館に結集した労働者や支援者らは打ち合わせを行った後、公園に移り、早速準備に取りかかる。
 トラックの荷台を利用した舞台、建設現場の足場を利用した盆踊り用のやぐら、亡くなった仲間を追悼する祭壇などが作られていく。
 有事法制反対の立て看や、仲間の体は仲間が守るとして昨年から隅田川で行われている医療相談会、台東区が野宿者の生活の糧となっているアルミ缶の「抜き取り防止計画」なるものを発表し、一部マスコミも含めた「アルミ缶があるからホームレスが増える」といった差別扇動に対して地域へのビラ撒きや区との交渉などによって実質的な廃止を勝ち取った闘い、そして全都野宿労働者メーデーなどの、この間の活動を振り返る大字報なども張り出される。
 祭りの準備と同時に都城北福祉センター前の路上では炊き出しが作られる。五時から炊き出しが配られ、いよいよ夏祭りは始まった。入り口で配られるビラには番号がふってあり、空くじなしのくじ引きが行われて、屋台券やタオル、風呂券などがもらえる。
 くじ引きの後はゲームや、カラオケ、毎年恒例のMASAさんのサックス演奏、そして山谷ではおなじみのハーモニカバンドの演奏(日曜日の午後、浅草の水上バス乗り場付近に行けば聞くことができる)で盛り上がった後は、盆踊りで祭りを締めくくった。(板)


第9回新宿夏まつり

七百人以上が結集し野宿者問題に対する国と行政の責任を問う


 八月十七日〜十八日、新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議の主催による第九回新宿夏まつりが行われた。
 十七日は、中央公園ポケットパークで前夜祭。午後五時から慰霊祭が行われ、四百人以上の仲間たちが公園に集まり、亡き仲間たちへの黙祷から始まった。この一年だけでも新宿の路上で亡くなった仲間は、男性四十人、女性五人。平均年齢が五十五歳で氏名不祥の仲間もいた。
 駆けつけた仲間たちは、この新宿連絡会結成から九年間の闘いの日々、かつてともに新宿の地で生き抜いた思い出やくやしさ、喜びなどを語っていった。なかでもホームレス自立支援法をようやくかちとった喜びと真に仲間たちのものにするために新たな闘う決意をアピールしていった。
 続いて、カラオケ大会に入り、自慢の歌声を公園の蝉の声をバックにしながら競演していった。最後に連絡会特製の「納涼そうめん」が配られた。夜遅くまで交流・歓談が続いた。
 十八日の本祭は、あいにくの雨模様だったが、延べ七百人以上の仲間たちが集まった。場所は、中央公園ちびっこ広場に移動。公園内には、散髪コーナー、ゲーム大会コーナーなどを設けた。雨だったのでビニールシートの屋根を張った。どこのコーナーも行列ができるほどの大盛況だった。
 ホームレス支援法の成立によって行政は、秋からホームレス実態調査、基本方針、実施計画を策定しようする。新宿連絡会は、すでに行政の動きに先駆けて五月二十八日〜六月二十一日にかけて新宿区内のホームレス概数調査、実態調査を行った。調査結果は、概数千四百十九人のうち定住層が約三〇・五%、半定住層が約八・一%、非定住層が約六一・四%だった。
 新宿区の特色として流動層が圧倒的に多いことだ。アンケートでは、八割が求職活動を行ない、六割が自立支援施設に入所を希望していることがわかった。連絡会は、野宿者問題が国・行政の責任であることが法的に明確化したことを活用し、仲間たちの力で自分たちのものへと変えていこうとしている。連絡会ニュース(8・17\18日号)は、「死者に見つめられながら、俺たちはあらゆる手段を使い、生き抜こう」と結んでいる。(Y)

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