| 危機に対してどう立ち向かうべきか(上) かけはし2008.12.8号 |
オバマへの投票―共和党右派とウォール街のエリートへの制裁
フランソワ・サバド |
以下に掲載するフランソワ・サバドの論文は、さる十一月十五日に行われた第四インターナショナル執行ビューローの会議での国際情勢に関する討論の冒頭報告である。フランソワ・サバドは第四インターナショナル執行ビューローのメンバーであり、フランスの革命的共産主義者同盟(LCR、第四インターナショナル・フランス支部)の全国指導部の一員。(編集部)
二〇〇七年九月の「サブプライム」危機の始まりから、われわれはこの銀行・金融危機が世界経済と世界情勢の歴史的転換点を画する全般的経済危機の前触れであると指摘してきた。現在、すべてのコメンテーターにとって、この危機の広がりを評価する標識は、「一九二九年の危機」である。相違はあるものの、その広がりにおいて同様のものだというのだ。
事実、この二〇〇七〜八年の危機は、幾つかの歴史的変革の岐路である。
1 全般化したシステム的危機
一九六〇年代末に始まった停滞の長期波動の新たな不況は、資本主義システムの「歴史的限界」に達した世界的なエコロジー危機と結びついている。イマニュエル・ウォーラーステインは、この危機をシステム的危機と、ほぼ四十年前に始まった資本主義の衰退の歴史的局面の岐路に位置づけている点で正しい。しかしわれわれは、彼がそうしているように「資本主義の終わり」と語ることはできない。「資本主義にとって出口のない情勢」は、資本主義が打倒されるまでは存在しないからである。この危機は短期的サイクルの経済危機ではなく、構造的なのである。
それは、資本主義システムの歴史的限界をよく示している。このシステムは歴史上初めて地球全体を覆ったものである。そこには普遍化した商品生産の世界市場と労働力の世界市場が存在している。経済のどの部門もこの支配から逃れられないだけではなく、資本主義システムに統合される。そして資本主義のこの拡大―普遍化は、もう四十年近くも続いている停滞の波によって特徴づけられる世界経済の現実の中で起きているのだ。それは「生産のための生産」が、幾億もの被雇用者、農民、労働者の支払い能力ある需要の限界に衝突するシステムであり、民衆の社会的必要を満たすためではなく資本家の利潤を追求する論理が、資本の過剰蓄積と物資の過剰生産の以前よりもさらに大きな危機に導くシステムである。架空資本、世界経済の金融化、全般化した債務の爆発的拡大は、一定のポイントまでシステムの限界を押し上げ、審判の日を延期させることができるが、遅かれ早かれその主要矛盾が危機を導くのである。
それらは、ますます近接する間隔を置いておたがいに相次いで起きている。十五年間で六回の危機があった。一九九四年のメキシコ危機、一九九七年のアジア危機、一九九八年のロシア危機、二〇〇一年のアルゼンチン危機、二〇〇一年のインターネット・バブル危機、二〇〇七年のサブプライム危機……。現在の危機は、質的にいっそう重大である。なぜならその影響を被っているのはもはや周辺地域ではなく、資本主義システムの中心だからである。
さらに重要なことに、歴史上新しいことは、経済危機が食料危機、天然資源の危機、そしてグローバルな温暖化が最も深刻な側面の一つである重大なエコロジー危機とつながっていることである。エコロジー危機は、それが資本主義の危機と結びついているがゆえにいっそう悪化するだろう。「グリーンな資本主義」はこの危機に対する支配階級の回答である。しかし、何よりも資本主義的経営様式と公共サービスの破壊に結びついている利潤追求の論理は、ニューオーリンズや貧しい諸国で見られるような新しい破局をもたらすだけである。
この観点から破局を思い描くためには「破局主義者」になる必要はない。
私は、一九七〇年代の初めに始まった停滞の長期波動の終焉を迎えているのかどうかわからない。しかしいずれにせよ、われわれはシステム的な全般的危機のただ中にいるのである……。この危機は続くだろう。
停滞の長期波動から抜け出すためには経済的論理から外部的な要素を組み込むことが必要とされる。一般的には政治的要因、戦争あるいは革命などである……。こうした大きな裂け目はいまだ課題に上がらない。それは今後も続くだろうが、待機しているうちにもっと悪くなっていく。資本主義的支配のコストはさらに高くなっていく。ますます重大になっていく再発する危機、停滞と経済的・社会的下落、エコロジー的・人間的な惨害。これらはとりわけ最も貧しい国々と人びとを直撃する。不況、資本価値の低落、公共予算の削減もまた世界のエコロジー危機を悪化させるだろう。
2 新自由主義的モデルの疲弊
この歴史的変化は、米国経済によって爆発的にもたらされてきた蓄積のグローバルな新自由主義モデルの危機と枯渇に表現されている。この危機の起源はワシントン・コンセンサスにある。それは一九八〇年代と一九九〇年代の一連の敗北と社会的後退、労働の世界を犠牲にした階級間の全体的力関係の明確な悪化をもたらした。実質賃金と生産された富の賃金部分の大幅な低下、規制緩和の全般化、公共サービスの民営化が見られた。
一九八〇年から二〇〇六年の間に、OECDの多数である十五カ国で生産された富のうち賃金部分が占める割合は六七%から五七%に低下した。こうして一〇ポイントが失われ、利潤の占める割合はその分だけ増加した。国際労働機関(ILO)の二〇〇八年版「労働報告」によれば、「GDPに占める賃金部分の割合が最も低下したのはラテンアメリカとカリブ海諸国〔マイナス13ポイント〕、続いてアジア・太平洋〔マイナス10ポイント〕と先進工業国〔マイナス9ポイント〕である」。米連邦準備制度の前理事長アラン・グリーンスパンによれば「これは歴史的基準に照らせば例外的なまでの低レベル」である。
こうして利潤は大きく増大したが、それは生産に再投資されず、もっと多くの「利潤」が上がるところ、すなわち金融市場に向かった。この論理的メカニズムは、投資の二重の崩落を導いた。二〇〇五年、米国、欧州諸国、日本では利潤率は五・五%上昇したが、投資率の上昇はたった二%だった。この生産に再投資されなかった利潤の多くは金融市場に殺到した。二〇〇五年、米国では金融投資は二一%増加し、金融利益は一五〇%増加した。二〇〇六年の金融市場の頂点において、このような市場での売買総額は世界の諸国全体のGDP合計の実に五十倍に達した! 世界のGDPは四十五兆ドルに上昇したが、市場での金融取引は二千百兆ドルという天文学的な額に上昇したのである。
こうした賃金と利潤の相違ならびに利潤と投資の相違は、金融の爆発、ぜいたく品産業、中国と旧東側ブロックでの新しい市場の探究によって埋められることになった。米国では普遍化した債務が賃金崩落の代わりになった。一九七五年には可処分所得の六二%だった家計の債務は、二〇〇六年には一二七%になった。そして貿易赤字――二〇〇八年には七千億ドル――は、中国資本ないし「国家」ファンドの投資によって賄われ、それは米国の産業の衰退にとってかわることになり、そのかなりの部分はアジアに再配置された。
危機へのこのアプローチは重要である。それは健全な「企業化」的資本主義に、経済に対して略奪的な「金融資本主義」を対置するものではないからである。それは、最大限の利潤を追求し、賃金に大穴をあけ、金融資本(それはすでに数十年間にわたって産業資本、銀行資本を飲み込むまでに至っている)をより投機へと引き込む資本主義の内的論理なのである。
今や、このモデルは使い果たされてしまった。何十億にも上るポールソン(米財務長官)・プランは、銀行・金融危機を抑制した……しかしいつまでか? われわれはほんの数カ月のうちに、米国と世界の金融の構造全体への「有毒性」の産物の広がりを知ることになるだろう。とりわけ「有毒性」のクレジットを金融市場に残したポールソン・プランの最新の修正後のものである。
現在、株式取引は崩壊した。主要市場で株価は五〇%下がり、株式市場原価で二兆五千億が失われた。銀行への数兆ドルの注入、金利引き下げは、経済のマシーンを再スタートさせなかった。英ポンドの崩落加速化の仮説は、イギリスが金を借りることができず、債務を返済できない状況をもたらす可能性がある。アイスランドの破産は、今や世界の支配階級の悪夢となっている。金融危機以前に記録された経済的減速は、信用収縮をそのままにし(「クレジット・クランチ」)、危機を全般的な経済不況に転化している。経済活動の低下、消費の減退、リストラ、解雇などである。
すべての先進資本主義国で失業が増加している。国際通貨基金(IMF)は、二〇〇九年の世界経済の成長率を三%、あるいはそれ以下と想定している。それは米国と欧州のゼロ成長とそれ以外の世界での六%成長がうまくいった場合である。IMFは失業者数を二千五百万と見積もっている。米国では今年になってから約百二十万の雇用が破壊された。十月だけで二十四万である。自動車部門は崩壊した。ゼネラル・モータース(GM)とフォードは、再開するために公的資金を必要としている! ルノー、ボルボ、シート、そして部品供給部門と下請けで幾千、幾万の解雇が構想されている。
われわれは先に一九二九年の危機に言及した。現在の危機にはそれと多くの共通点が存在するが、違いもある。第一は、経験によって強化された諸国家と政府がそれを押さえ込むために介入していることである。
第二は――われわれがすでに示唆したことであり、そしてわれわれはその結果のすべてを測定できないのであるが――グローバル化された世界資本主義経済の中での国民経済の相互浸透である。この国際化は、危機を増幅している。グローバルな商品経済は、経済のすべての部門、農村世界、かつての第三世界諸国、そして資本主義の復活ゆえにかつての「第二世界」(旧ソ連とその「ブロック」、中国、インドシナ)に浸透した。危機の衝撃波はグローバルである。しかしこの「国際化」は、衝撃を吸収し、その影響を遅らせることもできる。問題が提起されているのはこの枠組みの中においてである。中国とBRICS諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国)は、この世界規模の危機を限定することができるのだろうか?
すでに回答のための諸要素が存在している。BRICS諸国が成長しても、危機を回避できない。世界不況と中国の「デカップリング(分離)」理論は確証されなかった。中国とアジアの成長も世界不況の影響を受ける。中国の輸出の米国と欧州の市場の吸収能力への依存は、その経済的均衡への直接的な重圧となる。中国の成長率は一一%から七%に低下すると予測されている。それは重大な低下である。ここ数カ月で、広東省地域で三千以上の工場が閉鎖された。たとえ減退したとしても、この成長は世界規模の危機の衝撃を吸収するに十分なのだろうか。それは別の疑問を提起する。中国の国内市場は、世界経済のマシーンを再起動させるに十分なほど発展してきたのだろうか。それは中国における一定レベルの賃金、インフラと公共サービスの一定の発展を前提とする。それは社会と支配政党(中国共産党)内の階級闘争や政治闘争と関連する政治的問題である。
しかし世界経済との関係での中国の位置に関する問題以上に、米国とユーロゾーンでの危機は、まだ始まったばかりである。われわれは最初の局面にいる。ブルジョアエコノミストたち自身が危機に陥っている。悲観的な予測があふれかえっている。危機の累積的影響は想像することも困難である。しかし数カ月のうちに、経済活動はますます減退し、信用条件は厳しくなり、企業破産は増加し、解雇と失業が爆発的に増大し、消費は衰退するだろう。これもまた、大資本家グループがリストラを行い、生産性を強化し、従業員を解雇し、賃金を下げる機会となるであろう。それは世界経済の競争を強める影響を持つ。不況の深刻な恐慌への転化も排除しえない。われわれは、そのリズム、それがいつ到来しどこへ行くのかを想像できないが、数カ月先に展望できるものは危機である。
3 米国の衰退か
米国は依然として世界経済と政治の支配的なパワーである。しかしその位置は一連の諸要因によって悪化してきた。しかし帝国の中心での危機、米中関係の変化、ドルの弱体化は、中心的問題を提示している。世界に対する米国の覇権は疑問に付されているのか……、ベルリンの壁の崩壊を軸に一九八〇〜九〇年代に始まった政治的サイクルは、今や再び閉じられたのか?
オバマの勝利は歴史的出来事である。この観点から二つのもの、アフリカ系アメリカ人、黒人、より一般的に全世界で最も貧しい人びとにとってのオバマ勝利の巨大な重要性と、資本家階級と米国の政治・軍事的機構のものである、彼が遂行するであろう政治を区別することが必要である。後者(米国の資本家階級と政治・軍事機構)が民主党指導部と共にオバマを選んだのである。なぜなら、米国の位置がかくも弱体化したので、必要なことは新しい顔だけではなく、一定の方法で新しい力関係を反映し、再びイニシアティブを取るための新しいチームなのである。
オバマが政権につくことの諸結果のすべてを推し量るには早すぎる。しかしこの歴史的出来事――米国での黒人大統領の選出――は、世界における米国の後退を記録に止めることによってのみ理解できる。この後退は顕著な変化を必要としている。これが民主党内でヒラリー・クリントンではなくオバマが選ばれたことを説明する理由である。それはまた支配階級の中心的部分がオバマを支持した理由でもある。危機は休止した。幾百万もの米国人にとって、オバマへの投票は共和党右派とウォールストリートのエリートへの制裁でもあったからである。
オバマの政策はどのようなものになるだろうか。彼は、社会保障、新しい税政策、新しい環境政策、イラクからの軍の撤退について多くのことを語ってきた。撤退問題については期間が薄められている。経済・社会問題については、ポールソン・プランへ彼が支持し続けている中で、彼が賃金取得者や民衆的諸階級に危機のツケを支払わせることはありうる。
しかし米国の選挙問題以上に、世界のGDPにおける米国のシェアの下落があり、この下落は現在の危機によって際立ったものになっている(IMFが二〇〇九年に米国、日本、ユーロゾーンのゼロ成長を想定していることを想起しよう)。この下落は、世界規模での資本の流れの転換に表現されている。今や資金は、中国、新興諸国と、その「国家」ファンドから米国に向かって流れている。
米国の立場の弱体化は、ドルが他の通貨、すなわちユーロや元と並んだ共同の基軸通貨となる仮説について討論していることにも表現されている。今の段階では米国での投資価値に支えられて、ドルは保持されている。しかし危機は、米国通貨の立場を弱めることになりそうである。なぜならこうした金融的論議を超えて、世界経済の中で新しく発展している経済大国との新しい関係が存在する。経済危機は、米国、欧州、アジアの間の関係を鋭くさせる競争関係をもたらすだろう。
米国の位置は、とりわけ経済的観点から見て弱体化している。しかし、米国は政治的・軍事的次元では依然として決定的なものであることを忘れないようにしよう。米国がイラクとアフガニスタン、そして世界の他の部分(ラテンアメリカやロシアとの国境)への介入能力がかなりの障がいにぶつかっているとしても、米国は軍事的レベルの覇権を保っている。
彼らはその力を利用するだろう。経済競争の先鋭化、石油資源の支配と天然資源の生産をめぐる闘い、中国やロシアとの関係での戦略的要請、キューバや「進歩的政権」(ベネズエラ、ボリビア、エクアドル)との関係でのラテンアメリカの支配をめぐる闘いは、米国を新しい軍事的介入へと導く可能性がある。グルジア危機は、帝国主義間矛盾の明確化という文脈の中での軍事的冒険主義の一つの例証である。この観点からした場合、イランの情勢はここ数カ月で決定的なものとなるだろう。(つづく)
(「インターナショナルビューポイント」08年11月号)
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