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日韓労働者の連帯をさらに前進させよう          かけはし2008.9.22号

韓国シチズン精密争議勝利解決

企業の存続と雇用確保を勝ちとる
遠征闘争団の3カ月に及ぶ闘いと応援する会の奮闘が報われた


9月5日の本社
行動に差し入れ

 九月五日、二十一回目のシチズン本社行動が行われた。韓国シチズン精密労組員はいつものように、昼休み食堂にやってくる従業員に訴えた。
 「韓国では、九月十三日からチュソク(秋夕)といって、日本のお盆のように家族・親戚が集まって、祖先を敬う行事を行う。日本にこうしてやってきて闘っているので残念ながら参加できない。この闘いに勝利しなければ、自分たち家族に幸福は訪れない。チュソクを過ぎても解決しなければ、さらに大きな闘いを組む。必ず勝つと思う。私たちを無視しないで下さい」。
 「私たちは社員の皆さんに何か要求しているわけではない。なぜ行動しているのかチラシを読めば分かるのでチラシを読んでほしい。韓国シチズン精密中島社長は『赤字が出ているので、皆さんがんばって下さい』と言っていた。自分たちは会社のためにいっしょうけんめい働いてきた。赤字が出ているからといって、社員の首を切るのは間違っている。シチズン本社員だって、いつ私たちと同じになるかわからない」。
 「遠征行動は三カ月を超えている。毎晩家族の写真を見ながら、涙が出ます。皆さんに家族があるのなら、私たちの心を分かって下さい。いつまで闘いが続くのかわかりませんが、一日も早く家族のもとに帰れるように協力して下さい。シチズン本社は話し合いに応じて下さい」。
 訴えをしている所を通行している人の多くが関心を示しチラシを受け取ったり、話を聞いてくれた。韓国語を習っているという人がわざわざやってきて、労組員たちと話をして、大歓迎された。さらに、従業員の中にもチラシを受け取る人もいた。
 行動を終えて、全員でお弁当を食べた。労組員たちの昼食はキムチに韓国のりとポークの缶詰というささやかなものだ。私がキンピラ、コロッケ、ポテトフライなど多めに弁当のおかずをつくり差し入れた。こうしたちょっとしたことでも大喜びされ、連帯の輪が広がる。何としても早期の解決をかちとろう。(9月6日記)

9月12日、つい
に解決かちとる

 九月五日の行動の後、二度のシチズン本社行動が闘われた。連続した闘いの合間をぬって、東京東部からのカンパを元に、私は四度ほど自前の料理などを差し入れた。九月十二日の昼にも差し入れを持って光輪モータースを訪れると、「今日、要求がかない、明日全員撤収する」とのことであった。解決金や仕事の保障がある程度できたようだ。「チュソクの期間は休みであり、その後、機械の整備をして実際に仕事に入るのは九月二十二日過ぎからであろう。日本の皆さんの支援には本当に感謝している。一度韓国に帰って改めて御礼と報告に来たい」と語っていた。すでに昼食は済ませていたが、差し入れた料理をうまいと、みんなで食べてくれた。本当によかったと熱い思いを胸に別れた。
 翌日、以下のような、韓国シチズン精密労組を応援する会から、詳しいいきさつが報告された。

韓国シチズン精密労組のたたかいを支援してくださる皆様へ
朗報です!
 昨日(9月12日)、韓国シチズン精密労組の上部団体である民主労総金属労組と、韓国シチズン精密の全株を買い取った高麗TTRが設立したJT精密とが合意に達し、協定が結ばれました。
 同協定では、二〇〇八年九月十八日から操業を再開するとして、会社側が韓国シチズン精密労組に対し、一切の告訴告発と十四人の解雇を取り消し(ただし分会長のみ1カ月の停職処分)、組合員の雇用および労組の団体協約勤続年数の継承を認め、解決和解金などの支払い、雇用安定のため日本シチズンに対して二年間の受注物量を確保し、二〇〇八年賃金団体協約を維持するなどとなっています。
 韓国シチズン精密労組では、昨日午前にこの協提案について全組合員を対象とした賛否投票を行ない、八七%の賛成で可決、正午に調印に至ったとのことです。
 これにより、今年四月のシチズン本社による一方的な全株売却により発生した韓国シチズン精密労組の争議は終結し、六月から来日していた日本遠征団も、本日午前と午後の二陣に分かれて帰国することになりました。
 九月十七日の東京総行動には、改めて韓国シチズン精密労組代表が再来日し、経過報告する予定です。また日本遠征団からは、追ってこの間支援してくださった皆様に経過報告とお礼の言葉が送られることになっています。
 さらに応援する会としては、改めて十月初旬に韓国シチズン精密労組を招いての報告集会とご支援いただいた労組、市民社会団体の皆様にお礼のご挨拶にうかがう予定です。
 韓国では、本日から秋夕(チュソク、日本のお盆に相当)に入ります。
 日本遠征団をはじめ、韓国シチズン精密労組のみんなが家族とともに秋夕を迎えられることになったことを喜び、またこの間ご支援いただいた皆様にお礼を申し上げ、とりあえずの第一報とさせていただきます。
 ご支援、ありがとうございました。

 韓国シチズン精密労組と日本の応援する会の闘いは、グローバル企業で日本の時計業界を代表するシチズンによる、韓国シチズン精密切捨てに歯止めをかけた。今回の闘いはグローバル企業の一方的な海外子会社の労働者切捨てを許さず、別会社になったとはいえ、企業の存続と雇用を確保した点で大きな意義があった。韓国のみならず、フィリピントヨタ、ニッサンなどグローバル企業による労働者弾圧、一方的な企業閉鎖を許さない闘いをこれからも支援し、東アジア規模での連帯行動を作り出そう。        (M)

韓国シチズン精密労組日本遠征闘争団
帰国にあたっての挨拶文


 4月24日、シチズンホールディングスは労働組合との合意を破り、一方的に会社の売却を行いました。20年前に資本金44億ウォン規模だった時計の会社を資本金2億ウォンの靴会社に売却してしまったのです。もともと団体協約の合意では、会社に変更がある場合は事前に知らせ、雇用などについて話し合うことになっていました。私たちはこの売却で、深刻な雇用不安を感じ、家族の生計が危ないと判断しました。
 雇用と生活を守るための闘いはすぐに始まりました。6月5日遠征闘争団は、シチズン本社闘争に向けて日本へやってきました。
 初めて来ると、見知らぬ土地と言葉の違いでとても不安でした。ですが、私たちの闘いを多くの人に知らせ、暑さにも関わらず遠くから駆けつけてくれた方々の助けによって、私たちは力を得ました。「応援する会」と共に来てくれた方々の支援によって、闘おうと覚悟を決めました。
 とても暑い日にも一緒に闘ってくれた日本の労働組合の幹部の人たちの連帯は、私たちを闘いに奮い立たせてくれました。本社前の障害物が少しずつ増えるたび、怒りは大きくなり、私たちはさらに闘いを続けました。こんな私たちの闘いを心で受け止めて連帯してくださった多くの方々に、もう一度感謝します。
 9月12日、闘争は終結しました。要求は完璧に勝ち取られたとはいえませんが、雇用が保証され、生活を守り抜いたことで自分たちを慰めたいと思います。本来ならば、日本に少し残って、皆さんにご挨拶すべきところですが、ちょうど韓国はお盆を迎えています。
 韓国人はお盆に家族や両親に会い、お墓参りもしなければならないので、急いで帰ることになりました。連帯してくださった多くの方々にもう一度深く感謝いたします。
 本当にありがとうございました。



石田精一さん(労働情報共同代表)を偲ぶ会
遺志を継ぎ地域の仲間と
共に闘う労働運動の飛躍を


 九月六日、上野・東天紅で「石田精一さんを偲ぶ会」が開かれ、多くの労働組合関係者が参加した。石田さんは四月二十一日に急逝した。六十七歳であった。石田さんは国労高崎地本で、戦闘的左派運動をつくり出すために奮闘し、さらに国鉄分割・民営化反対、1047人解雇撤回闘争を担い続けた。退職後は、労働情報の共同代表に就任し財政を担当した。
 献花の後、偲ぶ会の呼びかけ人を代表して、労働情報共同代表の前田裕晤さんが「今日の偲ぶ会には長崎、大阪、宮城など全国から参加している。参加者の多くは歳をとり、さながら老人一揆のようだ。一九六〇年代から闘い抜いてきて、われわれは何をなしたのか、責任が問われている。現在問題となっている貧困や格差問題と取り組まなければならない。石田さんは国労だけでなく、高崎ユニオンをつくり地域にもうって出た。政治・社会に対して発言し、受けとめられるような組織をつくらなければならない。予想を超える多くの人々が集まっていただいて感謝したい。これからも石田さんの遺志を引き継ぎ、労働情報を提供していきたい」とあいさつした。
 国労高崎地本田中昭良元委員長の献杯が行われた。この後、石田さんとともに闘った埼京ユニオンの嘉山将夫さんが日産ディーゼルとの闘いを語り、国鉄共闘の二瓶久勝議長が1047解雇撤回闘争にむけての決意を述べた。次から次へと続くスピーチの中で、国労高崎の仲間たち二十数人が登壇し、歌や訴えを行い、石田さんの遺志を継いで闘い抜く決意をした時、会は最高潮に達した。
 石田さんが「石さん」「精ちゃん」の愛称で呼ばれて、闘う仲間のだれからも慕われたのは結論をハッキリ持って、政治的主張を行い、そして行動の先頭に立っていたからであろう。石田さんの「状況にたいして主体的に何をするか」のメッセージが強烈に伝わってくる偲ぶ会であった。(M)


抗議声明
死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90
3人の死刑執行抗議!


 本日(9月11日)、萬谷義幸さん(68歳:大阪拘置所)、山本峰照さん (68歳:大阪拘置所)、平野勇さん(61歳:東京拘置所)に死刑が執行されたことに対し、強く抗議する。
 保岡興治法務大臣は、就任後わずか1ヶ月しか経過していないにもかかわらず死刑を執行した。過去、法務大臣はいずれも2ヶ月以上経過してから死刑の執行をしており、このような短期間で死刑を執行した法務大臣は存在しない。これは、記録を十分に精査し慎重の上にも慎重を期して死刑執行を行うという過去の慣例さえも踏みにじるものであって、暴挙というほかない。
 また福田総理大臣の辞任表明に伴い三週間後には失職することが明らかであるにもかかわらず死刑執行を行ったものであって、無責任というほかない。今回の執行は、もっぱら死刑執行をしない法務大臣を作らないため、また解散総選挙を控えて執行できるうちに執行してしまおうとするいわゆる駆け込み執行であって、政治的にも道義的にもおよそ許されるものではない。
 人の命を尊重し、如何なる理由があろうとも人の命を奪ってはならないことは、人類共通の倫理規範であり、民主主義の原理・原則である。そして、それ故に、すでに世界の3分の2以上の国と地域が死刑を廃止している。また、国連をはじめとする国際機関は、死刑を存置する国に死刑の執行を停止する等死刑廃止に向けて努力するよう求め、死刑存置国はこれに応じていずれも死刑の執行を減少させつつある。
 しかし、唯一日本だけが、これを意図的に真っ向から踏みにじり、もっぱら死刑を拡大させている。10年前に比べ3倍以上にも激増し続ける死刑判決、本年だけでも4回目合計13名に対する大量執行は過去30年以上もなかったことであって、歴史を逆転させるものにほかならず、強く非難されなければならない。
 日本では、いわゆる凶悪犯罪と言われるものは減少の一途をたどっている。死刑判決と死刑の執行の激増を正当化する理由はどこにも存在しない。
 萬谷義幸さんは、無期懲役判決を受け、仮釈放中に起こした事件で、被害者は1名だった。仮釈放中の保護が十分であったか問われなければならない。また、過去2回、本人申請で再審請求を行っており、2回目の請求が今年7月24日に棄却され、現在第3次請求の準備中だった。
 山本峰照さんは、確定から2年4ヶ月しかたっておらず、極めて短期間の死刑執行である。しかも、裁判も拙速で行われ、一審は、起訴後4ヶ月余りの間に、公判前整理手続と連続する4回の公判で死刑となっており、本人に防御を準備するに十分な機会が保障されていなかったことは明白である。死刑事件で公判前整理手続が初めて行われた事件であって、拙速な裁判はこれに原因しており、その犠牲者と言っても決して過言ではない。その後、本人が控訴を取り下げて確定しており、三審まで裁判を受ける権利を保障されていない。
 平野勇さんは、確定から2年であり、山本さんと同じく拙速な死刑執行である。係争中は放火と殺意を否認している。
 死刑の執行を強いられている拘置所職員の苦痛にも心を致すべきである。
 私たちは、死刑の廃止を願う多くの人たちとともに、また、保岡興治法務大臣に処刑された3名の死刑確定者に代わり、そして、この間連続的に死刑を執行させられている拘置所の職員に代わって、保岡興治法務大臣に対し、強く抗議する。
   2008年9月11日

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