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パラグアイ                       かけはし2008.9.8号

南米における反共保守派の砦が崩壊

フェルナンド・ルゴが大統領選に勝利
ラディカルな社会変革に向け左翼は分裂克服の闘いを!
ウーゴ・リチェル

解説
保守派野党から急進
派までの連合政権

 今年四月に行われた南米パラグアイの選挙で、左派から保守派にいたる野党連合で立候補した元「解放の神学」派の司教である左派のフェルナンド・ルゴが大統領に当選した。八月十五日には大統領就任式が行われ、正式にルゴ政権が発足した。パラグアイは一九五四年から一九八九年まで、軍事クーデターで政権を獲得したストロエスネル将軍の独裁体制が続き、南米の反共保守派の砦であった。
 ストロエスネル将軍の独裁がクーデターで崩壊した後も、ストロエスネルを支えた大地主の党であるコロラド党の支配が長期にわたって続いてきた。実際、南米諸国の中でパラグアイは、台湾と正式の国交関係を持つ唯一の国である。今回の大統領選挙でコロラド党の支配が崩壊し、左派・中道・保守派の連合政権が誕生したことは、相次ぐ左派・中道左派政権の登場に表現されるラテンアメリカの政治変革の一環である。
 しかし、保守派野党の真正急進自由党(PLRA)から急進左派まで含んだ「反コロラド党」連合政権の前途は多難である。パラグアイの左派活動家による以下の論文は、こうした状況の中での左派と社会運動勢力の課題と可能性について提起している。
(本紙編集部)

60年に及ぶ独裁政権の終焉

 二〇〇八年の大統領選挙でのコロラド党の敗北は、パラグアイにおける政権交代以上のものを意味した。この敗北は、政治的にもイデオロギー的にも冷戦期の枠組みの中で形成されてきたラテンアメリカでの最後の政党の凋落を意味していた。
 アルフレッド・ストロエスネルの三十六年間におよぶ独裁(1954〜1989年)は、まさに「反共産主義闘争」を中心テーマとしたものだった。「コロラド党支配」の時代に米帝国主義は、ラテンアメリカ地域に数十年間にわたる情報作戦を確立することを可能にする強固な同盟関係を築き上げた。一九七〇年代の「コンドル作戦」から、パラグアイ軍との「軍事演習」を遂行するための「移行期」として知られる時代(訳注:「移行期」とはストロエスネル将軍の独裁から「議会制民主主義」へと「移行」する時期を指す)における米軍の駐留にいたるまで、こうした軍事作戦と演習は、三国との国境地帯(ブラジル、アルゼンチン、パラグアイの国境地域)の「テロリストの寝床」に対する戦闘から、「麻薬の栽培、生産、密輸」を終わらせる目的を持った戦闘にいたるまで、あらゆる方法で正当化された。

政治的危機とルゴの登場

 恩顧主義と汚職、報奨システムを駆使するとともに、大衆の意識に働きかける手段としてテロと恐怖に依拠してきた六十年間にも及ぶ権力行使の後に起こったコロラド党支配の崩壊は、この国の政治史における重要なサイクルが終わったことを意味している。厳密な民主主義的観点からも、とりわけ今や大統領になるフェルナンド・ルゴ候補を支持する運動に参加した社会運動・民衆運動の巨大な動員引き起こした矛盾のためにも、この事態の進歩的性格を認識することが必要なのはそのためである。

 この元カトリック教会司教の政治的登場は、三つの要因によって説明できる。

1 コロラド党が主導する帝国主義支配のモデルがその活力を失ったこと。それは独裁の崩壊の後、新自由主義に転換を遂げるようになったが、それは「経営者としての国家」に基づく政治的ヘゲモニーを築き上げる土台だった恩顧主義システムを危険にさらすというリスクを冒すことなく進められた。こうして六百万ほどの人口しか存在しないパラグアイ国家は二十万人もの公務員を雇用しており、その九〇%はコロラド党の党員だった。一九八〇年代と九〇年代の経済的停滞は、このモデルを腐食させ、その結果として党自身の社会的基盤が弱体化していった。

2 ブルジョア野党、とりわけ真正急進自由党(PLRA)の危機。同党はコロラド党と同様に百年の歴史を持ち、米国によって強く支持されていたにもかかわらず、二大政党システムを打ち固めるための信頼しうるプロジェクトを作動させる能力がないことが実証された。寡頭支配層――大地主、農業・商業・金融部門の特権層――の経済的蓄積は、コロラド党が支配する国家の合法・非合法の保護と介入のおかげて遂行された。この状況において、弱体なリベラル・ブルジョアジーは、きわめて限定されたマヌーバーの余地しか持ちえなかった。

3 左翼諸政党の弱さや分散化と結び付いた民衆の政治指導部の危機。左翼の運動と政党は、ストロエスネル将軍の独裁期に、その主要な指導者が暗殺され、「行方不明」となり、投獄され、国外亡命させられるという残忍な迫害から政治的回復がほとんど進まなかった。しかしここ数年の情勢は、一部の民衆組織、とりわけ農民組織の動員と闘争への参加によって特徴づけられる。それは、民衆の願いに応えることのできないコロラド党の無能力をますます鮮明にしていった。

 パラグアイは現在、約二百万人の国民が外国で生活しており、移民の比率が増大している。約二百万人は極度の貧困状況で生活している。人口の三五%は失業者もしくはパートタイム労働を強制されている。三十万人以上の土地を持たない農民は、人口の三%が耕地の九〇%を独占することを可能にしている土地所有構造によって苦しめられている。こうした状況の中で、社会的闘争は政治的移行期において幾つかのピークにまで高まってきた。
 伝統的政治指導部が自らこうむってきた危機から回復しえなかったことにより、進歩的・民衆的陣営の中でフェルナンド・ルゴが自らの姿を鮮明に刻印できるようになった。ルゴは、政治生活に入るという決定を発表した後で、バチカン法王庁が彼に課した制裁を認めず、カトリック教会制度を公然と否認した。ルゴはサンペドロ地区の司教だった。この地区は国内で最も貧しい地域の一つであり、ここ数年、パラグアイの農民の闘争が発展する戦略的地帯となっていた。幾つかの機会をとらえて、ルゴはこうした闘争への支援を表明し、実際に幾度か参加した。彼の立候補が、大地主の協会、牧畜業者、農業企業経営者といった最も保守的な層をパニックに追い込んだのは、そのためである。こうした情勢の中で、六十年以上にわたって権力を行使してきた政党に対して、ルゴが選挙での敗北を与えるには、一年もかからなかったのである。

ある意味で「第3の道」

 ルゴの立候補は、社会組織と左翼政党の多数からの支持によって有利なものとなった。しかし彼の選挙運動が始まった時、こうした部分だけではコロラド党の選挙マシーンに打ち勝つには不十分に思えた。当初、これは彼の支持者の間に疑いをもたらした。最終的には、社会組織ならびに特定の保守的部分の左側に決意を持って位置を定めた政党からひろがる形で、ルゴを支持するきわめて広範な連合が形成された。不均質なこの連合は、社会的綱領に重要な位置を与えた共通の中道左派的プロジェクトに立脚している。
 変革への願いは、この選挙運動に参加したさまざまな部門の間の合意点を構成した三つの軸によって表現された。第一に、「コロラド党の終わりのない統治」、汚職、不処罰をやめさせる必要性である。その目標のためには多様な社会階層からなる部分を結集することによって可能となる。第二は、労働者・農民、そしてすべての民衆の歴史的要求である土地改革である。それは何よりも民主主義的である綱領の中心的部分を構成する。しかしそれは、パラグアイの特徴からいって巨大な構造的変革の意思を表明する一連の措置をも含むものである。
 最後にこの綱領は、それぞれブラジルとアルゼンチンとの共同で建設された二つの水力発電ダムであるイタイプとヤクイレタの不公正な条約の再交渉の必要性を押し出すことを通じて、国家主権の防衛を取り上げることになった。
 疑いなく最も緊張を引き起こすのは、イタイプダムの問題である。それはブラジルがパラグアイとの間で維持している関係のシンボルである。事実、数十年間にわたってパラグアイは巨大なブラジル・ブルジョアジーの食欲を刺激してきた。ブラジルのブルジョアジーは大農場と土地の巨大な区域を系統的に接収して大豆を栽培し、その過程で伝統的なパラグアイの農業と、その構造に強力な影響を与えてきたのである。こうして近年、幾千・幾万の農民が土地から追放された。それは社会、環境、文化のレベルで全一連の否定的な影響をもたらしてきた。
 保守勢力と連合した中道左派政権の登場は、ブラジルのルラ政権が示したようなこの地域の新機軸といえるものではない。こうした経験は、「何よりも自らの特権を防衛する新自由主義右派」や「伝統的左派」との二重の決裂の表明という言説だけではなく、実際には近年この地域に適用されてきた新自由主義的資本主義との目立った決別をしない政治的実践をも特徴としている。ある意味でわれわれは、周辺的資本主義内での「第三の道」の立ち上げを見ているのである。

新たな空間と再出発の闘い

 ここ数年で明らかになったことは、一九八九年に始まった移行期はいっそう激化した保守主義に封じ込められてしまった、ということである。政治的・経済的マフィアが、権力のすべての領域で自らを再組織化・再確立することになってしまった。現在進行中のプロセスは、ブルジョア民主主義の確立ではなく、政治的・公共的自由の空間の再活性化を可能にするものである。コロラド党の凋落は、闘争と諸矛盾の新しい空間の存在という可能性を切り開き、歴史的にコロラド党のくびきの下に置かれてきた社会的諸力を解き放っている。
 それは支配階級の政治的危機を解決するものではない。それどころか、パラグアイにおける帝国主義政策の支持者を断固たるものにさせ、コロラド党の危機を深めることになる可能性がある。それは国家のトップにある社会的勢力の変化を求めるプロセスである。ブルジョアジーは、ルゴを支持する勢力の中で最も保守的な部分を構成する真正急進自由党(PLRA)に不信感を抱いている。それはイデオロギー的相違のためではなく、主に農村地帯での社会的闘争の高揚に直面した時、PLRAが十分に効果的な役割を果たせないことを恐れているからである。
 左翼組織と社会組織は、組織化と動員のプロセスを再出発させる可能性を手にしている。事実、二〇〇八年四月二十日の選挙での勝利の直後から、いまだ新政権が発足しない以前の段階においてさえ、農業産業部門の前進を阻止するために、大農場の占拠と社会的動員が新たな力を得て再開した。
 しかしマルクス主義左翼は分裂の病に陥っている。それは今回の選挙で有権者に自らをどのように押し出していったが分裂の原因となっている。一部のグループはルゴを支持する保守政党との連合を決めた。他のグループは「批判的支持」を行ったが、変革のための愛国連合(APC、ルゴを合法的に支持する勢力を再結集した選挙連合)には参加しなかった。別の潮流は「抵抗投票」を呼びかけたが、はっきりとした形でルゴ支援には関わらなかった。同一の潮流が社会組織の中でも形成された。APCへの参加を決定した人びとが多数派を構成していた場合でもである。
 左翼が獲得した得票総数は無視しうるようなものではない。しかし、分散化と統一の欠如のために、左翼は国会で二議席を得るにとどまった。この問題を克服し、統一した指導部を建設するためには――できる限りではあるが――左翼は戦術的ジレンマにしっかりと向かい合わなければならない。左翼の目標がオルタナティブな政治プロジェクトを構築することにあるのだとすれば、この戦術的ジレンマを見据えることは、自らの可能性の限界を解決することになる。このことが、APCの構成員であるこうした政治的・社会的勢力が、フェルナンド・ルゴとそのチームによる統治を保障するために、政府内部から力を蓄積するとともに、保守的部門との連合を維持する選択を行う、という可能性なのである。
 ルゴ自身の支持者は、保守勢力が支配する議会の中では弱体な勢力であり、ルゴが自分の約束を尊重するためには、彼は動員と社会的闘争というカードを切る必要があるだろう。ルゴは、とりわけ社会的政策と綱領に関しては、PLRAの支持には限界があることを知っている。彼は、とりわけ選挙綱領のいくつかの点については、他の左翼組織や他の社会部門が批判的支持の立場を維持していることについても知っている。したがって、実際にこの移行期を再出発させる中で、闘争と政治指導部の危機への新たな空間が存在しているのである。ラディカルな社会変革の新しいプロジェクトに向けて前進すること――これはパラグアイの左翼勢力と社会部門にとっての挑戦であり、今やそのための明確な機会が存在している。

▼ウーゴ・リチェルは、首都のアスンシオンに住むパラグアイの政治アナリスト。彼は最近の選挙でフェルナンド・ロゴ候補を支持した人民社会主義結集党(PCPS)で活動している。
(「インターナショナルビューポイント」08年8月号)


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