| ヒロシマ平和へのつどい・フィールドワーク かけはし2008.9.1号 |
岩国・愛宕山米軍住宅建設
反対!住民訴訟を支援しよう |
「8・5〜6ヒロシマ平和へのつどい2008」のフィールドワークとして、今年も岩国コースのバスツアーが取り組まれた。JR広島駅から出発した生活クラブ生協・神奈川や関西地方の人たちで満席だった。岩国に着くまでは、ピースリンク広島・呉・岩国の新田さんが、岩国基地の成り立ちなど概要を説明した。岩国市役所からは、岩国市議の田村順玄さんが同乗、現在米軍住宅建設が進められようとしている愛宕山、岩国基地が一望できる丘、基地拡張の埋め立て地などを案内してくれた。
岩国市役所は、住民投票で圧倒的多数で厚木からの艦載機の移駐委を否決し、井原市長(当時)がそれをうけて市の方針を決定したところ、政府がすでに約束済みの交付金を打ち切り、建設途中で行き詰まっていたのが、二月十日の市長選で自公が推す移駐容認派の福田氏が市長になったとたんに交付金がおり、新市庁舎が完成していた。
愛宕山では、田村さんから、愛宕山住宅地の問題点について説明された。
そもそも愛宕山住宅地の問題は、岩国基地米軍機が市街地や石油化学コンビナートへの墜落の危険を避け、騒音を軽減するためということで、沖合移転のための埋め立て用の土を取り、その跡地を文化施設や住宅地にするという理由で始まった。ところが、埋め立てが完了しても旧滑走路の使用中止も、基地用地の変換もなくただ基地が拡張され、普天間からの空中給油機や厚木からの艦載機の移駐が計画・実行されるばかりで、基地拡張・強化がなされただけだった。その上、土取り跡地は、その後の経済の変動もあり、文化施設はもとより、住宅地さえできないことになった。そこで、防衛施設庁と県が共謀し、移駐してくる艦載機部隊のための住宅建設をもくろみはじめたというのだ。
これでは、艦載機の移駐に圧倒的多数が反対している市民や、文化施設や住宅ができるならと土取りに協力までしてきた地元住民が怒るのは当然である。
今、地元では、「愛宕山を守る会」が結成され、住宅地をつくらせないために、住民が使ってきた里道の復活を要求しする訴訟が準備されている。さらに、これまでは取り組まれていなかった騒音訴訟も取り組まれはじめている。八月七日には県庁に向けた抗議のバスツアーも計画されていた。
フィールドワークのバスツアーは、埋め立て地まで行き、田村さんからその危険性、問題点などの説明を受けて終わった。 (H)
ピースウィーク2008市民集会
軍需産業の足もとから
戦争なくす町づくりを
長崎では、二十二回目の「ピースウィーク」が八月二日から九日までもたれた。八月二日「教育基本法の改悪で何がかわったのか」(講演会)、八月三日香山リカ講演会「憲法を変える・変えないの精神分析」、八月四日映像とお話「戦争の加害者にも被害者にもならないために」、八月五日講演会「もんじゅ行き着く先は核武装か?」(講師藤田祐幸さん)、八月六日音楽など、八月七日きくちゆみ講演会「どうして日本に平和省がないの?」八月八日端島・高島ピースクルーズ、「被爆体験を語り継ぐ会」、八月九日「ピースウィーク2008市民集会」、ピースバスという精力的取り組みだった。
八日の「被爆体験を語り継ぐ会」は長崎教育文化会館でおよそ百人が参加した。集会を担ったのは「被爆二世教職員の会」と「核兵器の廃絶と平和な世界の実現をめざす『高校生一万人署名活動』実行委員会」だった。
高校生たちは、韓国での被爆者たちとの交流、聞き取りの体験を語った。その中でキムさんが、誰にも見せなかった怪我のあとを見せてくれて「原爆の恐ろしさを教えたかった」といわれ、それを受け継いでいくことの大切さを受け止めたと語った。さらに「死者は数で表される。一人ひとりの大切な命がひとまとめにされることに悲しさを感じた」と述べた。韓国の高校生で被爆三世のイ・ヨネさんは「日本の高校生の活動を見て自分も頑張らなければと思った」と語った。
九日の朝七時半から、「長崎原爆朝鮮人犠牲者慰霊碑」の前で、「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会」がもたれた。参加者は百人以上だった。市長のメッセージや韓国、朝鮮人各団体などの発言のあと、改正被爆者援護法の早期実施、朝鮮民主主義人民共和国への敵視の中止などを訴えるメッセージを読み上げ、全員で、献花・黙祷した。
ピースウィーク2008市民集会は、十時から爆心地公園でもたれた。参加者は約百五十人だった。
主催者の舟越耿一さんは開会の挨拶で、「天皇が始めた戦争は、臣民が焼き尽くされて終わった。われわれは、憲法9条の規定を守ることができていない。漁船清徳丸に衝突し沈没させたイージス艦『あたご』はこの長崎で建造された。この長崎で、戦争をなくす・許さない街づくりが求められている」と決意をのべた。
集会ではピースサイクルの部隊、広島から参加の七人、シンガポール出身でハーバード大学生の廬詩霖さん、兵役拒否で岡記念館でボランティアをしているドイツ人のロマンさん、水俣から来た水俣病患者互助会、被害者互助会、家族互助会の十六人、東京の反安保実の山本英夫さん、鹿児島大学の木村さん、生活クラブ生協・北海道の森田さん、元慶応大学教授の藤田祐幸さん、関西共同行動の二人などが登壇・発言した。
水俣の坂本さんは「原爆も水俣病も同じだと思った」と語り、別の人は「被害者が頑張らないと国は何もしない」といった。水俣の人たちは、長崎、広島の被爆者と手をつないで救援を実現していくと決意を述べた。
星座保育園の園児たちは、手話を交えて「世界に一つの花」を歌い大きな拍手を浴びた。集会は、間に十一時四分の黙祷をはさみ、最後は、ピースウィーク2008市民宣言を確認し、全員で爆心地の碑を人間の鎖で囲んで終わった。(H)
08山谷夏祭りを開催
反G8を闘った若者たちが
参加し新しい運動の息吹き
八月九日(土)今年も南千住の玉姫公園で山谷夏祭りが行われ、多くの労働者や支援の仲間が参加した。
昼に山谷労働者福祉会館に集まった仲間たちはトラックやワゴン車に次々に荷物を積み込み玉姫公園へと向かう、公園ではトラックの荷台を利用してステージを作ったり、盆踊りのヤグラを建てたり、屋台を準備したりと休む間もないが、同時に平行して散髪やアルミ缶の買い取りも行われた。
アルミ缶は通常のレートよりも少し高めの一キロ二百円に設定され、それ以外に一日限定の地域通貨「わっしょい」との交換も行われた。アルミ缶十個で「50わっしょい」と交換され、交換は一人アルミ缶三十個まで、屋台で五十円と同等に使うことが出来る。
午後四時半からは協同炊事が行われる、メニューはカレーライス。毎週日曜日にやっているのでみんな手慣れたものだ。
五時半からはいよいよ夏祭り開始、実行委員会を代表して山谷争議団の仲間から挨拶が行われたあと、韓国からやってきた韓国シチズンの労働者が発言に立ち、田無のシチズン本社での行動など百日にも及ぶ闘いを報告し、支援と韓日労働者の連帯を訴えた。
ステージではカラオケが始まり、無料の「ウーロンハイ」と「麦茶」がふるまわれ、屋台は「焼き鳥」や「焼きそば」「もつ煮込み」「ジャガバター」などの他、昨年に引き続いて参加してくれた抵抗食の会の「かき氷」や今年始めて屋台に挑戦した学生の「酢の物」など例年にもまして多彩で、値段も「発泡酒」と「チューハイ」が百円である他はすべて五十円に統一され、お金がない仲間もアルミ缶を持ってくれば十分に楽しめるように工夫されていた。
ステージと平行してゲームも行われた。「労働者ボーリング大会」では2レーンが作られ、第一レーンではG8首脳の面々がピンとして登場し、第二レーンではゼネコン各社の社長の顔が、といった具合で、みんな思い切ってボールを転がしていた。
ステージでは「缶カラ三線とトランペット」「フラメンコ」などで盛り上がったあとは、恒例の盆踊り大会でしめる。
労働者も支援の若者もみんなで輪になって盛り上がる、今年の夏祭りは七月の反G8の行動に参加して出会った人々が沢山訪れてくれた。現地でのキャンプには山谷から炊き出しで使っている鍋釜やペールなどが持ち込まれたのだが、そこで出会った人が自分の国に帰る前に日曜日の協同炊事の場を訪れてくれたりした、夏祭りにも多くのそんな若者が多く参加してくれたのだった。
戦後に山谷をはじめ寄せ場の日雇労働者がおかれてきた無権利労働が、いま製造現場への派遣の解禁や、日雇派遣などによって社会全体に広がっている中で、様々な形で立ち上がり始めた若者の闘いと山谷労働者の闘いがコラボレートし始めた。
渋谷・宮下公園のナイキへの貸し出し(ナイキ・パーク化)によるテント生活者の排除問題、新宿での手配業者の賃金不払い問題、昨年十二月より「生存権」を掲げて始まった生活保護の集団申請行動など夏から秋に向けて野宿者の闘いも課題が目白押しである。
注目と支援を!。 (板)
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