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ヒロシマ平和へのつどい2008             かけはし2008.9.1号

核兵器廃絶と戦争反対のうねりを!

核・基地・グローバル化に立ちむかい
憲法9条を私たちが鍛え上げよう



 【広島】「8・6ヒロシマ平和へのつどい2008 平和を求めるなら9条を鍛えよう―核・基地・グローバル化―」が八月五日、広島市まちづくり市民交流プラザで開催された。第一部の参加者は百五十人。第二部の参加者は百八十人であった。
 第一部は、峠三吉の詩『その日はいつか』の朗読で始まった。司会は、ピースリンク広島・呉・岩国の久野成章さん。
 最初に、原発はごめんだヒロシマ市民の会代表であり、広島県原水禁常任理事である、被爆二世の立場でヒロシマを訴えてこられた木原省治さん。
 「六十三年が経過しても、私がいつも意識するのは、慰霊碑に納められている過去帳に名前が書かれている、父、母、祖父母、そして母の胎内で被爆し二年前に亡くなった姉のこと。いわゆる認定被爆者の問題や韓国やブラジルなどに住んでいる被爆者の救済は微々たる前進。国交が閉ざされている北朝鮮被爆者の問題は未解決。被爆二世、被爆三世、被爆四世の人たちが持っている健康不安の解消に通じる医療措置、医療保障については、遠い道。原発や核実験や劣化ウランによるヒバクシャに対する連帯と救援の課題。茨城県東海村のJCO臨界事故や山口県上関町の原発問題にもヒロシマはもっと力を入れなければならない。六ヶ所再処理工場の本格稼動、米インド原子力協力協定、米原子力空母ジョージワシントン横須賀配備をどう止めるのか。洞爺湖G8サミットにおいて反対する人々の『表現の自由』が封殺された。核、基地、憲法、グローバル化など様々な課題に具体的かつ明確な形で対峙しよう」。
 次に、長崎大学教授、長崎ピースウィーク実行委員会代表の舟越耿一さん。舟越さんは漁船を沈没させたイージス艦「あたご」が三菱重工長崎造船所で建造されたことを重視し、長崎が兵器生産都市として完全復活していることに警鐘を乱打している。佐世保基地はイージス艦3隻体制となったという。「長崎における三菱の兵器生産」と全面対決し、兵器生産の縮小・中止の道をこじ開けるという課題に迫っている。この日は、「大学での授業の経験から、学生の中で、国際情勢や今日の凶悪事件をとらえ`やられたらやり返せ、報復だ・死刑だaという風潮が強まっている。`ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒロシマaの原点をふまえることが必要だ」と発言した。

在ブラジル被爆
者からの訴え

 次に被爆者の盆子原国彦さん。盆子原さんは、五歳のときに広島市舟入川口町の自宅で被爆。一九六一年二十一歳で、母と姉が行方不明のままブラジルへ移住され、現在は、在ブラジル原爆被爆者協会の理事である。
 七月三十一日の在ブラジル被爆者手帳訴訟では、広島地裁は、在外被爆者を放置してきた国の責任を断罪し、それに従ってきた広島県に賠償を命じ、原告全面勝訴の判決が出た。盆子原さんは、「二〇〇五年に初めてヒロシマにきたときは、在外被爆者は日本に来て申請しなければ被爆者健康手帳を取得できなかった。それ以降の被爆者が起こした裁判の結果、その裁判請求に関する部分だけが認められるような展開で不満だ。在外被爆者も高齢化しており、国内と全く同様の支援、一刻も早い対応が必要だ」と訴えた。
 次に、スティーブン・オカザキ監督のドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」の共同プロデューサーを務めた繁沢敦子さんが「ヒロシマ・ナガサキの継承」について発言した。
 「多くの被爆者が被爆体験を語らないのは、語る内容がないからではない。その体験は決して他人には理解してもらえないと思っているからだ。被爆者の多くが自分の子や孫にも体験を話したことがないという。一方でその多くの人が、今のうちに伝えておかねばという思いを抱えている。被爆者が恐れているのは、話すことよりも、聞く耳を持たない無関心であり、聞いたことを自分のこととして共有できない想像力の欠如。その背景には効率ばかりを求める社会、戦争を過去のこととして一顧だにしない社会の風潮がある」。
 「取材では、被爆当時の記憶がない幼年被爆者や原爆投下後に爆心地付近に入った入市被爆者から、期待される話ができないもどかしさも聞いた。しかし、そうした人の中には、原爆孤児だった人もいれば、いつ忍び寄るかわからない原爆症への不安を抱えている。放射能の影響が長期にわたる以上、被爆体験とは今に続く戦後の暮らしや歴史をも包含する。そうした体験に取捨選択なく無条件に寄り添うこと。それができるのは身近な存在である家族、友人であり孫かもしれない。身近な被爆者の体験(話したがらないことを含めて)を知ろうと努めることが、被爆地のアイデンティティとなり、被爆者なき後を担う次なる世代となりうると考える」。

北東アジアに
非核地帯実現を

 次に、ピースデポ代表の湯浅一郎さんが「北東アジア・9条・非核地帯」と題して発言。
 「今、人類は、貧困、環境問題、食糧問題など切実で共通の課題が山積。生存基盤の継続性のために一致協力して取り組まねばならないとき。そんな時に`軍事、核、戦争にエネルギーや予算を浪費する余裕があるのか?aそう言う疑問に多くの人が気づき始めている。市民の側が`軍事力によらなくても平和は作れるaという対抗構想、9条の精神を具現化した政策提起、実体化が必要。三八度線のある朝鮮半島を含む北東アジアをどうするか?核抑止に依存した非核保有国の日本、韓国を軸に、地域安全保障の枠組みを多国間の協調によって核兵器に依存しない地域ブロック、すなわち『非核地帯の実現』をめざす。この四十年で、地球の南半分は非核地帯。被爆国としての日本政府をどう動かすか。このような北東アジア非核兵器地帯の可能性に活かす枠組みは、NPT二〇〇〇年再検討会議の最終文書=核兵器保有国の『保有核兵器の廃棄に関する明確な約束』など13項目のステップ、二〇〇六年『大量破壊兵器委員会報告』(ブリックス報告の勧告30)、二〇〇七年・二〇〇八年キッシンジャーらの『核兵器のない世界』論文、『核保有国』イギリスに対するスコットランド自治政府の決起、アメリカの政権交代によるCTBT批准の可能性などがある。秋の臨時国会では、給油新法の延長問題が焦点化し、その先に改憲の先取りである派兵恒久法が待っている。今のうちに9条を鍛える、具現化した政策が必要だ」。
 最後に、ピースサイクル全国ネットワークが紹介され、ヒロシマネットワークの新田秀樹さんがアピールし、「市民による平和宣言2008」を読み上げ、拍手で採択された。

英トライデント
反対闘争の報告

 休憩後、第2部では、英国のアクロニム軍縮外交研究所所長のレベッカ・ジョンソンさんが「ファスレーン、ヒロシマ、アクション」と題して講演した。通訳は、広島市立大学広島平和研究所教授の田中利幸さん。
 「一九四五年から現在まで、非人間的兵器は違法化されるべきだった。それはしばしば非民主的政権の道具となった。核兵器廃絶は可能であると信じる人は増えているが。核保有国には届いていない。核兵器のない社会を現実化させるためには、NGO、市民運動が鍵。 核兵器のない世界から遠い世界にいるのではなく、近いところにいる。核廃絶を山の頂上と考えるなら、頂上に近いあと3段階くらいのところにきている。核兵器はその地位と価値を失いつつある。核抑止力支持者が、核軍縮と核不拡散を唱えてきたグループに加わりつつある。国際社会には核兵器の完全禁止と不拡散を管理検証する能力があるということを、政府や軍人たちに受け入れさせる機運ができつつある。国連安保理で決議案を出し、核兵器の使用は人道に対する犯罪だと宣言すべきだ。はじめは核を持つ常任理事国が拒否するだろうが、説明を求めつづけるべきだ。広島市民や被爆者のこれまで以上のリーダーシップと参画が必要だ。核保有国同士の交渉から各国をテーブルにつかせる努力、決断を作らせる段階。しかし頂上に達するのは容易ではない。これからが困難だ。しかし正しい道のりを歩めば二〇一〇年までに核兵器廃絶は可能だ」。
 「核は安全保障の手段としては役に立っていない。地位と価値を失いつつある。冷戦時代、約六万発あった核弾頭はいま、二万発に減少。かつて強力な権力のシンボルであったものが、今ではテロリストなどの『弱い権力者』のツール。核より貧困、HIV、温暖化の方が脅威になっている。だがその一方で、米印原子力協定の危険、米露の核兵器『再評価』のうごきなどもある。日本は日米軍事同盟の下、アメリカの核の傘の下にある。六ヶ所再処理施設などの問題、潜在的な核保有能力がある。二〇一〇年NPT再検討会議に向けての戦略が必要だ。現在、イギリスでは五五%、スコットランドでは八〇%がトライデントシステムに反対している。ファスレーンでの行動は千百五十人以上が逮捕された。核兵器廃絶には国際的な連携が要だ。核の傘をなくす。核兵器工場をなくす。新たな核兵器を作らせない。民生用も含めたプルトニウム使用の禁止。人間の安全保障の構築。核兵器保有国の一つに核兵器廃絶をさせることができたら、核兵器の鎖をもとにもどせないほど断ち切ってしまうことができる。その可能性のある国は、英国。それを実現するためには、トライデントを更新させないような強い国際的圧力を英国に与えなければならない。と同時に、スコットランドの人々とスコットランド政府を支援する必要がある」。
 このあと、ファスレーン365日本代表の豊島耕一さん(佐賀大学教授)が、昨年夏行われたファスレーン海軍基地封鎖行動の報告をした。立命館大学教授の藤岡惇さんからは、宇宙規模の軍拡に対する警鐘があった。    (野田 久)



グラウンド・ゼロのつどい
原発・原子力空母母港化・海外
派兵反対を訴え広島市内デモ


 原爆投下六十三年目のヒロシマ平和公園の朝七時、記念式典に参加する広島市民や世界各国・日本全国からの参列者が集まりはじめる中で、五日の「ヒロシマ平和のつどい2008」で採択された「市民による平和宣言」が、公園の各入口でまかれはじめた。そのそばでは、ボーイスカウトの子どもたちが広島市長の「平和宣言」と献花用の花配っていた。参列者の多くは、「ご苦労さんです」と声をかけて受け取っていく。
 原爆投下の八時十五分、原爆ドーム前でダイ・インが始まる。日本山妙法寺の人たちだろうか読経と太鼓の音、クマゼミの声がする中で子どもたちも大人たちも地に伏せ目をつぶりダイ・インに参加していた。遠くからは、どこかのアジテーションがきこえてくる。
 ダイ・インを終わってすぐにその場で「グラウンドゼロのつどい」が始まった。
 主催者代表の湯浅一郎さんは、「あってはならないこと(原爆投下)をやった国が世界を牛耳っている」現状を糾弾し、「核の完全廃絶を実現しよう」と訴えた。その後、生活クラブ生協神奈川の子どもツアー、長崎の「高校生一万人署名活動」実行委員会の高校生、長崎「ピースウィーク2008」実行委員会の舟越耿一さん、関西共同行動の原田恵子さん、宇治在住の被爆者の米沢鉄志さんなどが発言した。
 長崎の高校生は、これまでの平和大使の国連への派遣運動に加え、韓国フィリピンの高校生との交流やアジアの子どもたちに鉛筆を送る活動を行ったことを紹介し「わたしたちは微力ではあるが無力ではない」と心持ちを紹介した。
 舟越さんは、「千葉沖で漁船に衝突・沈没させたイージス艦『あたご』は長崎の戦艦・武蔵をつくった船台でつくられた」ことを紹介し、長崎の反核運動も足下から変える取り組みの必要性を語った。宇治の米沢さんは、船越さんの発言をうけ「状況が戦前に戻ってきている」と指摘し、平和運動のがんばりの必要性を訴えた。
 集会後の、中国電力本社前までのデモには、関西を中心に活動している「背高おんな」四人を入れて約二百人が参加し、核廃絶、祝島など原発建設反対、原子力空母の横須賀配備反対、日米軍事一体化反対、自衛隊の海外派兵反対、憲法9条を変えるななど訴えた。
 中国電力前では、被爆者二世でもある「原発はごめんだ広島市民の会」代表の木原省治さんの司会で、座り込み集会がもたれた。「原発いらん山口ネットワーク」「志賀原発に反対する会」「若狭ネット」「被爆反対キャンペーン」「バスストップから基地ストップの会」(座間)などが発言し、中国電力の祝島原発建設反対を中心に、原子力発電所、もんじゅ、日本の核武装化、原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀母港化反対などを訴えた。   (H)

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