読書案内『戦争が遺したもの』『半世紀前からの贈物』補論
内田雅敏、鈴木茂臣編著/れんが書房新社/700円+税 かけはし2008.8.11号 |
担任の先生
の半生を知る
「かけはし」07年11月5日付のコラムで紹介した『半世紀前からの贈物』の補論・『戦争が遺したもの』『半世紀前からの贈物』(内田雅敏・鈴木茂臣編著)が出版された。内田さんが小学校二年生の時の文集『いつつぼし』の続きかと思ったがそうではなかった。
小学二年の担任であった鈴木久子(92才)先生が存命であることが分かった。しかし久子先生はアルツハイマー病でホームに入所していた。そこで、息子の茂臣さんとの文通を通して、久子先生の半生を知ることとなった。
一九四五年六月九日、名古屋・愛知時計電機会社をねらった米軍の大空襲によって、久子先生は夫を亡くした。従業員二万数千人のうち死者千百四十五人、負傷者三千人にも及んだ。亡くなった茂夫さん(34才)は砲熕兵器部工作課課長であった。愛知時計電機はハワイ真珠湾を攻撃した主力爆撃機の他、各種航空機と海軍艦船の兵器の主要製造拠点であった。
敗戦後、一歳と〇歳児の男児ふたりを抱え、久子さんは苦労して教員免許をとり、小学校教員となった。久子さんが戦後五十年の時(79才)、半生を語った一本のテープを内田さんとの文通の中で、息子さんが発見した。テープの最後は「戦争で、有望な大勢の若い人たちが無惨にも散ってしまい本当に残念に思います。この戦争の傷跡は消えません。世界中の一人一人が正しい考えを持ち、二度と戦争の悲惨さを味わってはならない平和な世界を皆さんで築いていただきたいと願っています」と結んでいる。
被害者として
加害者として
この本でおもしろかったのは、息子の茂臣さんのことだ。大の鉄道マニアで、SLを追っかけて、日本全国を回ったばかりでなく、全世界のマニアとインターネットで交信しながら、ヨーロッパなどに出掛けて行って交流する姿である。そうした友だち同士によって、決して戦争はつくられない。その友だちとの触れ合いによって、異なった国の歴史や文化を知った。その中で平和を守ることを考え、現在の日本の憲法「改正」、戦争の出来る国家作りに危機感を持つようになったと茂臣さんは書く。
この本で戦争体験が語られているが、気になったのは「国民は戦争被害者である」という言い方だ。私も、戦前の天皇制国家において、日本国民が戦争に狩り出されて、戦死したり空襲で殺されていったという点では被害者であった、と思う。と同時に、アジアに侵略し、何の罪もない人々を殺しつくしていった加害について、為政者の責任だけでなく、人民大衆も考えなければならない。
その点を内田さんは「民衆史観の系譜をたどる」の一文の中で、前田哲男の『戦略爆撃の思想』を引用しながら、日本が行った中国での無差別爆撃がいずれ日本全土の無差別都市爆撃となり、ついにヒロシマ・ナガサキへの原爆投下へとつながり、決して単純な被害者ではすまされないことを明らかにしている。さらに、内田さんが書いた靖国問題、立川反戦ビラ裁判、横浜事件裁判などについての論評が掲載されているので、より歴史をどうとらえるかが深められている。
遺族には伝え
られない実感
さて戦争体験を忘れないということでは、私も自分の家族の中に戦争犠牲者がいる。私の田舎の家の前に、村の墓地がある。五十基ほどの二割が戦没者の墓(これ以外に寺の墓地も戦没者の墓が多くある)だ。墓誌を見るとほとんどが、中国・太平洋戦線で戦死している。いかに先の戦争が田舎まで及んでおり、犠牲を強制したかが分かる。
私の父の兄も満州で病死したとされ、靖国神社に祀られている。父は兄が死亡し一人残されたが、海軍航空隊に徴兵前なのに志願してしまった。たまたまケガをして特攻隊で出撃することなく生還した。父は外地ではなく内地の千葉県木更津航空隊であったので、軍隊生活を悪く言うことはなかった。しかし、叔父さんが満州でどのような死に方をしたのか祖父母からも聞いたことがない。侵略戦争がどのようなものであったのか遺族には伝えられていない。
軍人恩給と遺族
会による組織化
現在、軍人恩給が年に四万円、国債で支払われている。靖国神社へ遺族会でお参りに行った時の祖母の写真があった。靖国神社に続いて日光東照宮への観光旅行もかねてであったようだ。遺族会は地域ごとに組織されていて、町にある忠魂碑の掃除や盆などの行事が行われている。私は遺族を天皇制国家観と靖国神社へとつなげるものとして、この軍人恩給と遺族会による組織化が大きな役割を果たしていると思う。このふたつがなければ遺族はもっと死んだ個人と静かに向き合えるだろう。
母は当時女高生で、女子挺身隊として浜松の国鉄工場で機関車を作っていて、米軍の爆撃にあった。私が幼い頃、「戦争に負けてよかった。勝っていたら軍部がいばっていて、たいへんな時代が続いただろう」と言っていた。しかし、天皇制の問題になると、最近でも「イラク戦争で、米軍とイラク人との間の戦闘が長引き、国内が滅茶苦茶になってしまった。日本は天皇がいたから、占領支配がうまくいき戦後復興が出来た」と言うのだ。天皇と戦争責任問題についてこの戦争世代と共通認識を持つには、帝国主義間戦争、日本のアジア侵略戦争、アジア人民にとっては植民地からの解放戦争であったことを、どう共通認識とするのかたいへんな努力がいる。
この点からして「日本軍慰安婦」にされた韓国をはじめアジアの人々の闘い、中国・台湾、朝鮮・韓国など戦後補償を求める闘いを支援していくことがきわめて重要だ。そして、ヒロシマ・ナガサキや各地の大空襲での戦争被害者救済運動とつなげることにより、日本人の「戦争被害者意識」を変えていく契機になるだろう。
「民衆史観の系譜をたどる」の中で、福沢諭吉などの西欧列強に追いつけとし、アジア侵略を肯定する日本人のアジア史観と違うものとして、杉浦明平の『小説渡辺崋山』、井出孫六の『杏花爛漫―小説佐久間象山』、堀田善衛の『ゴヤ』、大西巨人の『神聖喜劇』などの「民衆史観」をあげている。そしてそれは前田哲男さんの提起にもつながるものではないかと鋭い分析を内田さんは行っている。一度読んでみたい。
最後に一言。内田さんは郷土・蒲郡にこだわり、杉浦明平さんや同級生たちとつながるネットワークをつくりあげていった。この内田さんの地道な努力が戦後体験を風化させることなく、戦争のできる国をめざす勢力へ、庶民から地域から抵抗拠点をつくっているのだと思った。良きリーダーのもとに良き友は集う。(滝)
韓国のBSE反対闘争から
「良心宣言」を行って座り
込みに入った現役機動隊員
韓国で連日闘われている米産牛肉拒否闘争は、国家権力・戦闘警察による「1980年の光州を彷彿とさせる」とさえ言われた過酷な暴力的鎮圧への反発によって、さらに大きな行動となったことが伝えられている。
一連の行動の主催者となったBSE(牛海綿状脳症)国民対策会議は27日、ホームページで現役機動隊員が国家に組織された暴力の実態を告発して「良心宣言」を行ったことを伝えている。7月25日午後、現役機動隊員であるイ・キルジュンさん(24歳)は、ソウル鐘路(チョンノ)キリスト教会館で、自分を支持する平和社会団体と共に、兵役拒否を発表する記者会見を行った。記者会見でイさんは、部隊復帰を拒否し「警察制度解体」を訴えて、無期限座り込み態勢に入ることをあきらかにした。またイさんは、記者会見場で戦闘警察の制服を脱いだ下から、キャンドルデモのマスコットキャラクターである「キャンドル少女」がプリントされたTシャツが現れ、保守陣営に衝撃と、進歩陣営に大きな感動を与えた。
このイさんの告発は、権力によって組織された暴力が、いかにその内部の"兵士"を抑圧し、人間性そのものを破壊するものか、をあきらかにしている。それは当然韓国の`特殊事情aなどではなく、組織内部のリンチやいじめ、パワハラ・セクハラ、自殺が連日マスコミをにぎわす日本の警察や自衛隊を含めた世界の「国家暴力装置」共通の現象だ。
そして、このように韓国の権力暴力装置の内部から勇気ある告発が出たことは、なによりも警察権力を包囲する世論と運動の圧倒的な`正当性aと`大義aによってであり、李明博政府の`正当性aが剥ぎ取られた結果でもある。そして、社会運動は、`労働者としての警察官・兵士aの良心にどのように訴え、そしてどのように翻意を迫る質を獲得するのかという難題も、常に運動側に問われる課題でもあるだろう。
以下、BSE国民対策会議のサイトから翻訳。(F)
現役機動警察も拒否した暴力鎮圧
7月27日 BSE国民対策会議
昨日(25日) 現役機動警察であるイ・キルジュンは、キャンドルデモ鎮圧に抗議して部隊復帰を拒否するという良心宣言を行った。このイ・キルジュンは去る2月に機動警察に入隊して、チュンラン警察署で防犯巡察隊で防犯業務をする中、キャンドルデモの鎮圧作戦に投入され、最前線に配置されて非武装の市民たちを押えて極甚な良心の苦痛を経験したと語る。
このイの明らかにした事実は、警察の暴力がどれだけ体系的で残忍なのかをもう一度あきらかにしてくれた。警察当局の主張とは違い
「デモ隊に最前線で対峙する警官が負傷した」のは、まさに警察の「水の大砲(高速放水)のためだった」。そして「デモ隊に当たってけがをするより、周辺から機動隊自身に押されてケガをする場合が多い」。すなわち、警察が主張する「機動警察の‘甚大な’負傷はデモ隊の暴力のためではなく、実は警察自身の暴力的鎮圧のため」であるということだった。
イはまた、指揮官などが 「殴れ。殴る際にカメラが多いから気を付けて見えないように殴れ」と非武装市民をいかに殴るかの暴力を言い付けたことを証言した。「たとえば、盾を少し持ち上げ、足で脛を蹴るというふうに非常に具体的に指示された警察の暴力は、私は単純に機動警察官個人の偶発的な感情から始まったのではなく、非常に体系的にそして組織的に上部の指示に従って計画されたことを見せてくれるのだ」。
同時に強硬鎮圧のために部隊内でも暴力がはびこっていることを暴露した。「気合の声を大きく上げなければ、殺気が騰騰した姿を見せなければ部隊に帰ってから仕打ちを受けたし、キャンドルデモが続くほど殴打や苛酷な行為はますますひどくなった。7月に入ってからは毎日のように仕打ちを受けた」と語った。若者たちを暴力鎮圧の道具へと作りあげるために、李明博政府がどんなに人間性を破壊するのか見せつけてくれるのだ。
イは正当なキャンドルデモを強制的に抑えることに対して良心の呵責を感じたし、負傷を負えばデモ鎮圧に出ないこともあるので、甚だしくは自分の足を折るということもしたと語る。また「見つからないようにヘルメットの中で泣いたりしたし、良心が白く燃え上がることを感じた」と非人間的な暴力鎮圧の苦痛を訴えた。
BSE国民対策会議はこのイを含めた幾多の若者の大きな良心をこのように傷つけて、人権を踏みにじる李明博政府の暴力鎮圧を強力に糾弾する。同時にこのイの‘良心の自由’を積極支持して、政府の弾圧に屈服しないでこのイが‘良心の自由’を守れるように最後までともにあるだろう。
人間の尊厳を踏みにじる李明博政府のこのような暴力と公安弾圧は直ちに中断されなければならない。同時に体系的で組織的な残忍な暴力を振るった警察庁長官オ・チォングスは直ちに罷免されなければならない。
コラム
未完の芸術革命
その展覧会の最後に展示されていたのは、マレーヴィチのごく平凡な自画像だった。先日観たロシア・アヴァンギャルド展のように、絵画展で重い気分になるのは、そうあることではない。数々の野心的な作品を描いてきたマレーヴィチの、スターリニストへの屈服の証となる絵画が、展覧会の結論のようにかかげられていたからである。
後世の人にそう呼ばれるようになったロシア・アヴァンギャルドは、ロシア十月革命をはさむ約四半世紀にわたる芸術運動である。それは、文学・美術・演劇・音楽・映画・建築などあらゆる分野におよんでいた。そこに統一した表現様式を見つけるのはむずかしいが、数えきれないほどのほとばしる才能が発する、新しいものへの絶えまない挑戦とみずからの成熟さえ拒絶する瑞々しさは、圧巻というほかない。
たとえば、マヤコフスキーの詩に次のような一節がある。「今日、/洋服のボタンの一つにいたるまで/生活を新しく作り変えよう」(二月革命に際して)。「この人生で/死ぬことなど/むずかしいことじゃない。/人生をつくることのほうが、/はるかにむずかしい」。これらは言語の意味をたどることができるが、次の詩では言語の意味は剥ぎ取られ、ただロシア語の音律だけになっている。「ま/ち。/ブルドッグ/の/面は/歳より/どぎ/つい」。
メイエルホリド演出の演劇では、アンネンコフの『同時代人の回想』に次のような逸話が記されている。トロツキーも観劇していた『大地は逆立つ』上演中のことである。「思いもかけぬことに、トロツキーが舞台に現れたのだ。そして、さっと道をあけた俳優たちのまんなかに進み出ると、赤軍創設五周年を記念する、とはいえ進行中の場面に合った短い演説を行った。嵐のような喝采のあと、舞台はなにごともなかったかのように進行し、トロツキーはふたたび自分の席にもどった」。
映画では、エイゼンシュテイン監督の『戦艦ポチョムキン』が、革命の映画である以上に映画の革命であったことは、つとに知られている。
話を展覧会にもどそう。展示された絵画は、モスクワ市近代美術館所蔵のものである。スターリニストの弾圧によって壊滅させられたロシア・アヴァンギャルドの作品は、ロシア国内にあまり残されていないようだ。マレーヴィチの作品が最も多かったのは、彼が屈服の証を残したからにちがいない。期待していた作品が少なかった事情も、そのへんにあるようだ。
ロシア革命とともに歩んだロシア・アヴァンギャルドは、ボリシェヴィキ革命を支えた人びとのラディカルさと広がりを、そして、十月革命が解き放った人間の想像力と創造力が、その時代の人びとには扱いかねるほどに広大なものであったことを、感じさせる。それを端的に象徴するのが、模型まではつくられたが当時の技術ではとても建設できなかった、タトリンの「第三インターナショナル記念塔」だったのではないか。 (岩)
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