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映画紹介「オレの心は負けていない」監督 安海龍、プロデューサー 梁澄子、制作配給 在日の慰安婦裁判を支える会 2007年/日本/95分/カラー                            かけはし2008.7.21号

在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい


 六月十五日、ティアラこうとうで、在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい「オレの心は負けていない」が上映された。江東区内でさまざまな活動をしてきた女性たちのネットワークが「江東で見る会」をつくり主催した。最初に、東京高裁最終意見陳述書が読み上げられた。映画上映後、在日の慰安婦裁判を支える会の川田文代さんの講演が行われた。
壮絶で苛酷な
過去をさらす

 一九九一年、日本軍による軍隊慰安婦にされた韓国の金学順さんらが、日本政府に謝罪と損害賠償を求めて東京地裁に集団提訴した。それに引き続き、フィリピン、台湾で軍隊慰安婦にされた女性たちが裁判に立ち上がった。
 唯一、日本で裁判に立ち上がったのが宋神道さんだった。宋さんは、十六歳で中国に連れていかれ、軍隊慰安婦にされた。七年間にわたる軍隊慰安婦生活は筆舌につくせないひどいものであった。前線の慰安所で、人殺しをしてきた兵士の相手をさせられた。一日十五人も。拒否すれば軍刀で切られた。兵隊に殴られ、片耳が聞こえなくなった。顔は叩かれてタコができた。クレゾールを飲んで自殺した慰安婦もいた。心中を強制される慰安婦もいた。それでも死ねなかった。死んだらタバコの灰と同じだ。宋さんは慰安婦時代に、二人の子どもを産んだが育てることはできず、中国に置いてきた。その子どもたちは今どうなっているか分からない。
 宋さんが軍隊慰安婦だったと分かるとまわりから侮辱的な言葉が投げつけられた。「お前の××はバケツのようだ。タコがよっている」。「生活保護受けて、人の税金で食ってるくせに、何の文句があって裁判するのか」「日本の国に住んでるのに、日本人ばかり悪者にするな」「文句があるなら韓国に帰れ」。
 日本政府に謝罪と損害賠償を求めて一九九三年に、東京地裁に提訴したが、国際法は国家間のものであり、個人による国際法に基づく請求はあくまで例外的な場合として、従前の判断を繰り返し、除斥期間が過ぎているとして請求を全面的に退けるひどい判決が出された。控訴・上告までして闘ったが敗訴の決定は覆らなかった。
 映画「オレの心は負けていない」は在日の慰安婦裁判を支える会の運動の立ち上げから宋神道さんと支える会の活動を記録したドキュメンタリー作品だ。何と言っても宋神道さんの苛酷な運命から作り出されてきた言葉のユニークさに心を打たれる。「人の心の一寸先は闇だから オレは絶対、人を信じない」という人間不信の塊であった宋さんが支える会の人たちと出会うことにより、人間への信頼を取り戻していった。
 宋さんが裁判で闘うことは、自分の壮絶で苛酷な過去をさらすことであった。そのつらさはものすごいものだったと思う。そして、裁判所はすべてを足蹴にした。
 「判決を受けた後は、もう死にたくなるぐれえがっかりして、食べ物もろくに喉を通りませんでした。慰安所のことを認めるなら、なして国は過去のことを反省して『申し訳なかった』と一言、言えねえんだか。本当にわかりません」(東京高裁最終意見陳述書より)。
 日本政府はアジア女性基金でお茶をにごし、直接謝罪も補償もしていない。残された課題は終わっていない。
 「二度と戦争はしないこと 戦争は国のためじゃなくて、しないのは自分のためなんだから」という宋さんの思いが私の胸にずしりと残った。     (滝)

宋神道(そん しんど)さんの略歴
1922年 植民地下の朝鮮忠清南道に生まれる。
1931年 9・18日本が中国侵略戦争開始。
1937年 7・7盧溝橋事件。日本が中国全面侵略戦争。
1938年 16歳の時、だまされて中国に連れて行かれ軍隊慰安婦にされ、武昌、漢口、長安などを転々とする。
1941年 アジア太平洋戦争始まる。
1945年 咸寧の慰安所で敗戦を知る。
1946年 引揚げ船で日本軍人と博多港に着くが捨てられる。後に在日同胞と知り合い同居。宮城県に居住。
1993年 日本政府に損害賠償を求めて東京地裁に提訴。
1999年 地裁、敗訴判決。
2000年 東京高裁に提訴、敗訴判決。最高裁上告。
2003年 3月8日、最高裁敗訴確定。



声明
グリーンピースに対する公安警
察の強制捜査は過剰・不当です
WORLD PEACE NOW実行委員会

 警視庁公安部と青森県警は6月20日、環境保護団体の「グリーンピース・ジャパン」のメンバー2人を「窃盗」と「不法侵入」の容疑で逮捕、同事務所などをいっせいに捜査しました。私たちは、この強制捜査が過剰なものであり、良心に基づくNGO活動を抑圧することになる不当なものであると考えます。

 グリーンピースのメンバーたちは、たしかに宅配業者の施設に立ち入り、配送途中の鯨肉を持ち出しました。しかしそれは、「調査捕鯨」の名目で日本が行っている捕鯨の実態を明るみに出そうと、その証拠を隠滅させないために押収し、公表するために行ったものです。実際にグリーンピースのメンバーは、その鯨肉を示して記者会見を開き、東京地検に提供しています。したがって、捜査当局が言うような「証拠隠滅」のおそれなど存在していません。

 グリーンピースの行動は、税金を投入した「調査捕鯨」によって取得した公的な性格を持つ鯨肉が公式に管理・処理されず、関係者の私用に「横領」および「横流し」されていたという違法行為を証明するために、動かせない証拠として当の鯨肉を入手するためにとられたものです。だから問題の核心は、外形的な「不法行為」と、「横領」および「横流し」という実質犯罪とのどちらが社会的に重視されるべきかということです。グリーンピースの行動の目的も、その後の態度も、そのことを如実に示しています。したがって私たちは、強制捜査はまったく必要ではなかったと考えます。逆に、東京地検が横流しの当事者たちを「不起訴」にしたというのも、あまりに事の軽重と公平さを無視したものです。

 警視庁公安部が主導的に動いたことも、この捜査の政治的な意図を物語っています。「日本鯨類研究所」は水産庁職員の天下り先であり、その組織を温存するために、「横領行為」を告発したグリーンピース・ジャパンを犯罪者に仕立て上げた疑いが濃厚です。さらに、国が関与した事業に市民側からの異議申し立ては許さない、という官・権力側の意志を表しているのでしょう。
 逮捕されたグリーンピースのメンバーは、拘留が延長されました。拘留の延長は、逃亡の恐れや証拠隠滅の恐れがある場合に行われることになっていますが、そんな恐れは両方ともはじめから存在していません。私たちは、強制捜査はもちろん、拘留延長も、政府の政策に異議を唱える良心的なNGOの活動に対するみせしめとして作用することを深く憂慮し、グリーンピースのメンバーの速やかな釈放を求めます。

 グリーンピース・ジャパンの人びとは、私たちとともにイラク戦争に反対する行動に参加しました。戦争が人びとの生命だけでなく、自然環境をも破壊するからです。WORLD PEACE NOWの参加者たちも、その思いを共通にしています。それだけに、今回の事件が冷静かつバランスが取れた道にもどることを切望しています。

 捜査当局は良心的なNGO活動に対する過剰で不当なやり方をやめてください。不必要な拘留をやめ、2人をすぐに釈放してください。

2008年7月6日
WORLD PEACE NOW実行委員会



投書
民族自決の視点で
坂本進一郎(秋田)


 前略、「かけはし」(6月30日付)のチベット問題への回答文拝読しました。五九年と〇八年の暴動の性格は違うとの主旨ですが、私はそう思いません。中国少数民族の歴史は漢族による抑圧の歴史で、あたかもベトナムのチャンパ王国がベトナムによって少数民族化されたのに似ています。
 今回の羌(チャン)族も陝西省あたりに大民族として暮らしていたのに、圧迫されて今は四川の片すみに住んでいます。康定のチベット人は毛沢東が長征を始めた時に、最初に世話になった少数民族です。民族抑圧を階級の視点から解釈するのは無理があるのではないか。
 確かに農奴制は時代遅れですが、それを口実に他国が侵略するのはいかがなものか。日本はアメリカのもと戦後民主主義を実行しましたが、未だにアメリカの占領下にあるような状態です。これも階級の視点で解釈するのでしょうか。やはり民族自決の点から解釈すべきではないでしょうか。
 二〇〇八年六月三十日

「ラサで四川のマーボ豆腐食べる。これいかに」――チベット問題への若干の所見

 チベットの独立をなんとか死守して欲しい。しかし、このまま行けば、昆明がかつて白族(ペイゾク)とイ族の国の中心だったのに、漢人(漢民族なんているか危しい)あるいは中国人に侵略されて、今や白族・イ族は山に追いあげられた。チベットもこのまま行くと百年後には少数民族になるだろう。それを救う方法は二つ。一つは、チベット人が中国政府がポタラ宮殿前に作った広場で百万人規模のデモと集会を行うこと。もう一つは中国に内乱がおきて、そのすきに独立を勝ちとること。
 チベットはもともと吐蕃という独立した国で、世に言う人権や自由の問題でなく植民地化・侵略の問題である。チベットが勢力の強かった時は、青海省から東トルキスタン辺りまで領土ないし勢力圏にしていた。そのため今でも蒙古人はラマ教を信じている人が多い。
 だが、チベットと中国はずっと小ぜり合いを続けてきた。内戦をやっていた蒋介石さえチベットに侵略と撤退をくり返し、ついに天下をとった毛沢東はアポ、カワン、ジクメ他四名を北京に呼び出し十七条協定にハンコをつかせた。毛沢東は言った。「これで君らは中国の大家族の一員になれる」。
 しかし、ダライ・ラマ14世はこの呼び出しに応じなかったので毛沢東は偽造のダライ・ラマ14世のハンコを作った。ダライ・ラマ14世はその後五九年の侵略を逃れるためインドのダラム・サラに亡命、十七条協定破棄を宣言した。
 八九年にも大騒動がおきたが胡錦濤は断固鎮圧し、その手柄で主席の地位までのぼり詰めた。彼はチベット人からすると、悪いやつだ。大漢民族主義は、すべての人間を中国人(漢人)になることを勧めている。中国人とは、中国語(漢字を使い)、中国料理を食べている人のことで、従ってあの広い中国を旅行しても同じような料理が出て味けない。四年前ラサに行った時、ガイドは中国人なのでマーボ豆腐を食べさせられた。本当はチベット料理を食べたかったのに。もうチベットは四川省の出店になっていた。切手も絵ハガキも四川省印刷と書かれていたのだ。「天宮の国」チベットにぜひ皆様も足を伸ばして下さい。(5月17日)

投書

チベット問題再考
JZ(在米国)


 私はオリンピックに興味がない。北京生まれ、清華大学卒だが、この十何年間パスポートなしの無国籍アナーキストで、中国に帰ることができない。もう一つの理由は、日本で電通グループに勤めていた時、スポーツイベントの仕事に携わって、その商業性をよく知っている。
 郭平博士(彼は二十年前から王炳章博士などと一緒に中国民主運動を立ち上げた)が呼びかけて、四月十九日のサンフランシスコでのオリンピック集会に中国の民主・人権アピールに行こうと聞いた時、私は賛成しなかった。私はすでに清華校友会、南開校友会、シリコンバレー中国人工程師協会などの電子メールのリストで、中国領事館が大規模集会を組織していることを知っていた。だから私たち数人は、万人規模の親中国政府の同胞との対立を避けたほうがよいと考えていた。郭平は、「ここはアメリカだ」「私たちが抗議しないと、中国国内の自由のない人たちに申し訳ない」と力説した。そして、私たちは「釈放胡佳」「釈放王炳章」「人権」などのサインを用意して行った。
 私はアメリカの友人のボートに乗って、サンフランシスコ湾東側から出発してサンフランシスコに行った。集会の出発場所に近づくと`人山人海aの中国国旗が見えた。海岸警察のボートは私たちを阻止した。ほかに三つの「Free Tibet」の ボート、一つの親中国政府系ボートがあった。私たちのボートには「人権」と五輪鉄鎖旗を掲げていた。空には六機のヘリがあった。
 私たちは幸せだった。郭平たち六、七人は大勢の親政府中国人に包囲され、喧嘩した。何者かが旗で郭平の後頭部を叩いて出血させた。警察を呼んできたがとてもコントロール不能で早く逃げるしかない。それは私が一九九二年に東京で、日本政府に雇われた中国人に殴打されたことを想起させた。
 この事件はチベット問題を再考させた。一九八九年にダライ・ラマがノーベル平和賞を受けた時に大笑した。あれは私たち天安門民主化運動に与えるべきと思った。ちょうどその頃、馬少方という天安門民主化運動の学生組織者が初めて訪米してきた。彼は回教(イスラム教)という立場でチベット問題をよく研究した。一カ月もラサに滞在した。結論は「あなた方漢族とチベット族は現ダライ・ラマの死後は、永遠に和解不可能だ」ということだった。
 たしかに私を含めてほとんどの中国人は、アメリカ、日本はもちろん南米やアフリカのことをかなり知っているが、チベットに対しては無知と偏見というしかない。中国語より英語文献のほうがチベットの真実に近い。私は「A Tibetian Revolitionary:The Political Life and Times of Bapa Phuntso Wangye」(「チベット人革命家:バパ・プンツォク・ワンギェルの政治生活とその時代」)という本を一気に読み終えた。(注)
 彼は中央政府とダライ・ラマ政府の間の翻訳者・通訳として一九五九年反乱後チベットで最高のチベット人指導者であった。後に十八年間投獄されたこともあった。彼の見解はソ連のように、チベットが一つの共和国として「中華連邦」にとどまる、というものだった。それは「毛沢東思想」よりマルクス主義・レーニン主義に近いが、おかしなことにダライ・ラマより「反動」であるとされた。実は、彼は五九年反乱も中央政府に主な責任があると断罪した。まさしく彼はチベット人だった。
 チベット流亡政府のウェブサイトを初めて訪問した。中国語にもかなり訳されている。いわゆる「封建的農奴支配」などの反動的性格はよく自己批判されたようで、少なくとも紙面上から見ると、かなり民主的である。事実、流亡半世紀になって「農奴支配」はもはや不可能である。
 チベット問題は国際的な関心、圧力が不可欠だが、中国の民主化なしには解決できない難関であると痛感した。 (08年6月29日)

(編集部注)明石書店から『もうひとつのチベット現代史 プンツォク=ワンギェルの夢と革命の生涯』が出版されている。阿部治平著、6500円

【訂正】本紙7月14日号1面「7・5札幌・大通公園ピースウォーク」記事、上から4段目右から6〜7行目「ビア・カンペーシナ」を「ビア・カンペシーナ」に、5面コラム「架橋」の上から4段目左から12行目の「友愛ゼンセン」を「UIゼンセン」に訂正します。


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