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中国                         かけはし2008.6.16号

北京五輪開催に異議あり

社会的統合の危機を大国主義的
キャンペーンで取り繕う政府と党

 八月八日から中国の首都・北京でオリンピックが開催される。チベットの反乱と苛酷な弾圧、四川大地震は、世界的大国にのし上がった中国の抱える政治・社会・経済的矛盾をさらけ出す契機となった。しかし中国共産党と政府はこの危機を乗り切るために民衆のナショナリズムをあおり、国家的威信にかけて少数民族派、労働者農民の批判を押しつぶそうとしている。そのための舞台が五輪なのだ

世界で抗議された聖火リレー


 この数年中国政府は北京五輪を「中華民族百年の待望」と呼び、全く臆するところなく内外に向かって「国威発揚」の大きな舞台と豪語してきた。その最たるものが全世界をまわる空前の「聖火リレー」にあった。三月十四日北京ではカウントダウンの中で全人代が開かれている最中、チベットにおける反乱と人民解放軍による鎮圧のニュースが世界を駆けめぐった。
 中国政府は「十日午後、市街地への突入を企てた三百人の僧侶らダライ集団が多くの人を煽動し、暴徒が警官や市民を襲うことから暴動が発生。……これまでに、騒乱で市民十八人と警官二人が死亡した。しかし『すでに沈静化した』」という一方的報道と映像を流した。
 他方、インドにあるチベット亡命政府は「百四十人が死亡し、四川省や甘粛省ではまだ騒乱が続いている」と発表した。またアムネスティは「十日以前に僧侶たちは、中国当局からダライ・ラマへの批判文を書くように脅迫されており、これに対する抗議も行われた。しかし僧侶たちの行動はきわめて穏やかなものであった」。十四日の事態の発端は、「捕らわれた僧侶たちの釈放を求めて集まった群衆に向けて警察と軍は催涙ガスを発砲、電気棒などを使用して抗議行動の参加者を殴打し、群衆を解散させるために実弾を発射した。この結果多数の死者が出た」と中国政府とは全く異なった見解を発表した。
 中国政府の厳格な報道規制にもかかわらず、チベット人民は十四日以降もラサだけではなく、青海省、甘粛省、四川省にまで反乱は広がり、「チベット独立」を呼び、五星紅旗を燃やし、雪山獅子旗(1912年にダライ・ラマ13世がチベット独立を宣言した時に国旗と定められた)をかざし街頭に繰り出し、各地で軍と衝突していることが伝えられた。
 国際的に非難は中国政府に集中した。最も大きな声は、「中国政府とダライ・ラマ十四世との対話の要求」であった。だが中国政府は「宗教の表看板を掲げつつ、祖国の分裂と民族の団結を破壊しようとする政治的ごろつき」と非難し、温家宝首相も「北京五輪破壊を狙い組織的かつ念入りに企てた策動」と繰り返し批判した。そして胡錦濤自らが臨み北京オリンピックの最大のデモンストレーションである「聖火リレー」の出発を宣言した。

中国との対決避ける欧米

 だが裏で中国政府はチベットの反乱が他の少数民族や貧困やインフレ、幹部の腐敗に怒る労働者農民の決起を誘発することを恐れ、翌日には北京五輪テロを計画していたとしてウイグル独立派の活動家四十五人を逮捕し、中国全土で人権派弁護士や民主主義を要求する活動家の一斉逮捕・自宅軟禁という弾圧にでたのである。
 中国のナショナリズムは「中華民族」という表面的一体化を取りながらもチベット、ウイグルなど五十五(人口1億人)にも及ぶ少数民族の犠牲の上に成立している。
 だが三月二十四日「聖火リレー」の最初のセレモニーであるアテネの「採火式」で、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」は「手錠の五輪」のプラカードを掲げ、中国政府のチベット人民の反乱に対する血の弾圧に抗議した。この映像は沿道で叫ぶ市民と亡命チベット人の「フリー チベット!」の声とともに全世界に発信された。この衝撃的シーンは多くの人々の共感を呼び、一方で「人権を侵害し、少数民族を犠牲」にしながら、他方で「平和の祭典」オリンピックに邁進する中国政府に対する予想を超える抗議が起こり「反聖火国際共同リレー」の引き金となった。
 反響の大きさにあわてた中国政府は三月二十六日、AP通信などの米メディアや香港にある報道機関に対してラサの取材を許可した。しかし焼け残ったビルを映像にできても、多くの僧侶が軟禁されている寺やチベット人の居住区の取材は「厚い監視の壁」にはばまれ、報道許可は形だけとなり、逆に不信を増大させた。
 三月二十八日からスロベニアの首都リュブリャナで開かれたEU(欧州連合)非公式外相会議は、まる二日間北京五輪への各国首脳の開会式出席をボイコットするかどうかをめぐり白熱した討論を繰り広げた。これを受けてチェコ、ポーランド、ドイツ、エストニア、スロバキアなどがボイコットを表明した。ポーランドのトウスク首相は「ポーランドは中小国であり、最初の(ボイコット)国になりたいとあえて思ってはいない。しかし五輪開会式への政治家の参加は不適切である」と発言したのに対して、火付け役であったフランスのサルコジは「他の国の立場を見極めたうえで、態度を決めたい」と言い、英のブラウンは「英国は開会式に参加する」と公言した。
 新自由主義グローバリゼーションをけん引するG8は巨大な「経済的利害」のためにまたぞろ中国政府との対決を回避したのであり、第二次世界大戦中はナチズムのもとで、戦後はスターリニズムの全体主義的な圧政のもとに置かれた「小国」だけがボイコットを宣言したのである。ここに今日という「時代」が凝縮している(ドイツは事件以前に出席できない旨を公言していた)。誰よりも早く「出席」をブチ上げ中国政府に「貸し」をつくりたかったアメリカ・ブッシュはマッコター共和党下院政策委員長の「大統領の開会式出席を禁ずる」法案の議会提出によって発言が停止させられた。それは大統領選をめぐる共和党と民主党の駆け引きの産物であり、一時的なものに過ぎない。
 IOC調整委員長のハイン・フェルブルツゲンは四月三日緊急会見を開き「開会式をボイコットするなど、政治的な動きをオリンピックに持ち込むべきではない」と発言したが、事態を転換させることはできなかった。この二十一世紀、誰も五輪が「政治と無縁」だとは思っていないし、政治と経済と密接に結びついていることを誰もが知っている。「開催地」の決定はIOC委員の買収合戦で決まり、「スピード社製水着」が連日メディアをにぎわしている限り経済とも一体であることが日々明白になっている。こうして四月六日にはロンドンに「フリー…チベット」のコールがこだまし、七日のパリ、九日のサンフランシスコ、そして十万人を超す亡命チベット人が存在するインド・ニューデリーでは沿道から市民を排除して聖火リレーを行う始末。そして二十六日の日本の長野、韓国ソウルとますます抗議は広がり、「平和の祭典」のための聖火リレーは、逆に怒りの導火線と化した。

チベット反乱が示したもの

 チベット問題は中国における少数民族政策や「自治区」の実態を典型的に表現している。それはチベットの人々が闘ってきた結果でもある。最初にチベットの第二次世界大戦後の歴史について簡単に触れておきたい。
 一九五一年、中国共産党は「僧侶を頂点とする前近代的階層社会」を「解放」するため軍を派遣した。しかし「解放」は一方で「宗教はアヘン」として仏教を排除し、他方ではチベットの文化を破壊し土地を奪い漢族を入植させる「占領」となった。この結果、一九五九年チベット人民は独立のために武装蜂起するが、数十万人が犠牲となりダライ・ラマ十四世以下山を越えインドに亡命政権をつくる。しかし亡命政権はあらゆる国から支援を拒否され孤立を余儀なくされる。東西対立の中で中国を支持する国は沈黙し、米英は中国に対する「政治カード」として利用するだけであった。亡命政権を受け入れたインド・ネールにさえ見捨てられる。一九六五年、米軍の北ベトナムへの北爆が始まると分離独立を恐れる中国政府は「自決権」とは反対に、人事権も一定の裁量権さえ奪う「自治区」をつくる。今はやりの「名ばかり自治区」である。一九八九年、ダライ・ラマ十四世のノーベル平和賞受賞、中国国内での民主化を求める学生の闘いの広がり、これに呼応するよにうラサでも大規模デモが起こる。しかし天安門事件とともに再び弾圧される。そして二〇〇八年三月、今回の反乱となる。この間も闘争はなかったわけではなく小規模であれ継続され、五十年間で「チベット小史入門」(ペマ・ギャルポ)によると約百二十万人が犠牲になったと言われる。
 〇七年に「青海チベット鉄道」が開通して一躍脚光を浴びたが、この結果沿線の人々は土地を追われ、利権は漢族にのみ集中し自然破壊だけが進行した。今日ラサの人口はチベット人十四万人、漢族二十万人と一挙に逆転し、農業に従事している人の収入も漢族入植者の四分の一(400ドル)ほどで、鉄道開通以降はさらに開いていると言われる。そして観光の裏側で、この鉄道を使いスズ、鉛、亜鉛、ウランなどの膨大な資源が発掘され、中国の各都市に運び出される。差別、迫害、土地の取り上げは今日の中国政府が押し進める政策と一体なのである。巨大な石油開発が進む新彊ウイグル自治区はさらに悲惨だと言われている。
 三月十四日のチベット人民の反乱は、「北京五輪」と結びつけて過酷な人権状況を世界中に訴える絶好の機会と捉えていたことは明白である。反乱が最初の蜂起の三月十日であること、十四日には四川、青海、甘粛省などに広がったことがそれを例証する。「チベットにおいてはその実体について世界的認識の高まり、十年前と今では明らかな違いがあり」(「チベット入門」より)、最高の形で「この機会」を利用したのである。
 中国政府はあらゆる機会に「中華民族多元一体」という言葉を使用し、外にはあたかも少数民族政策を重視しているかのようにみせ、内では排外主義を煽る。「中国」とはチベットもウイグルも漢族のもとに一体と強調しながら、名高き「国家分裂法」は台湾だけに向けられているのではなく、少数民族にも向けられているのが現実である。ロシア、ネパール、タイ、ビルマ、ベトナムなどと接する中国の国境にはいずれも少数民族が存在し、ひとたび「独立」の嵐が吹くなら「ドミノ現象」を起こし、中国を包囲するだけでなく隣接する国家を巻き込み、一挙にアジア全体に不安定化をつくりだす。チベット問題はこの根幹に位置しているといえる。世界中のあらゆる抗議に対しても「聖火リレー」を強行する根拠はここにある。
 一九九〇年のアジア大会では、前年ラサの分離・独立デモがあったチベットで採火式を行い、〇七年の吉林省の冬季アジア大会では中朝国境の白頭山の山頂(延辺朝鮮自治州)で採火式を行ったのも「大中華民族」の演出に他ならない。少数民族の居住地域が歴史的に中国の領土であったとする「西南工程」や「東北工程」論もまたその一部をなしている。

オリンピックはいらない!

 オリンピックの歴史は政治と無縁などころか「時代と政治」を敏感に反映してきた。第二次世界大戦までに第六回ベルリン、第十二回ヘルシンキ、第十三回ロンドンと三回もの大会が戦争勃発によって中止された。大戦後の第十四回ロンドン大会では日本とドイツが大戦の責任を問われ参加を拒絶され、中止されなかった「美の祭典」第十一回ベルリン大会では、華やかな舞台裏でユダヤ人が虐殺され戦争の準備が押し進められた。一九八〇年のモスクワ大会は米ソ対立のあおりで「東側五輪」とされた。
 そして今、このナチスの五輪と北京五輪が比較され始めている。聖火リレーが最初に挙行されたのがベルリン五輪であり、六年後そのリレーのルートをナチスは侵攻のために逆走した。しかし問題の核心はヒットラーのように中国共産党と中国政府は一から十まで五輪を「国威発揚」という政治の道具として利用しようとする点にある。
 IOCが北京五輪を最終決定した二〇〇一年は、中国が一九八〇〜九〇年代の「社会主義市場経済―改革開放」によって名実ともに「資本主義中国」として世界に飛び立つ時期と符合している。「一九七三年に始まった深 、珠海、厦門の経済特区、八四年には大連、天津、青島などの沿岸都市、九七年には『一国二制度』のもとに香港の返還、二〇〇〇年にはアメリカ上院の最恵国待遇、〇一年にはWTO加盟」(「中国の外交」川島真編)。この一連の経過がそれを裏付けている。これを別の側面からみると東西対立の崩壊後全面化した米帝を中心とした新自由主義的グローバル化の中に、中国が取り込まれる過程でもあった。北京五輪、上海万博の開催はG8側からする「仲間入り」した中国への「褒美」であったといえる。
 だがそれから八年「世界の工場」は、今やアメリカと肩を並べる「大国」にのし上がった。「十三億人の人口、五年連続一〇%を超える経済成長。昨年輸出額は米国を抜き、ドイツに次ぐ世界第二位に浮上。輸入も米独に続く世界第三位」「中国の外貨準備高は一兆五千億ドルを突破し、日本を抜いて世界一」(「週刊ダイヤモンド、5月3日)。
 だがこうした経済成長は都市と農村の格差を拡大し、農村の所得は都市の三割にも満たず、少数民族では二割弱と言われている。都市では「成金」が株や不動産で資産を増やす一方で、圧倒的多くの人々は出稼ぎ、貧困、劣悪な労働条件を強いられている。労働争議や行政に対する反乱は年々増加し、行政と党幹部の腐敗は人々の怒りと不満をさらにエスカレートさせる。一九六〇年代の「文革」の結果、中国では「革命中国」がつくり出したアイデンティティが崩壊し、社会主義とは無縁なナショナリズムと軍・警察、そして肥大化した党機構だけで巨大な中国国家の支配秩序を維持できたのは経済発展が一定の矛盾を吸収しえたからである。だが今やその経済発展は新たな矛盾をつくり出し、支配システムを崩壊させる要因になり始めている。全人代で胡錦濤が格差是正による「調和社会」の建設をスローガンに掲げたのも党と政府の危機感に他ならない。
 新自由主義グローバル化がもたらす国内外の圧力と緊張に対応する新しいアイデンティティ=中華民族ナショナリズムの形成のためにこそ政府と官僚にとって北京五輪と上海万博という巨大なイベントが必要であった。世界を走る「聖火リレー」は中国の「大国」としての宣言であるだけではなく、何よりも新しいナショナリズム形成のためのセレモニーに他ならない。チベット弾圧によって「聖火リレー」が非難されようと縮小、中止すれば、「弱腰」としてそのナショナリズムは政府と官僚に向かうのである。
 中国政府が新たな「国威発揚」の場として設定した北京五輪は、チベット人民の闘いによって矛盾が露呈し、四川大地震によってその矛盾がさらに押し広げられる可能性が生まれている。四川大地震の際に国際救援隊を受け入れたのもこの矛盾を取り繕うために他ならない。大地震の被災者に対する支援を強化するとともに北京五輪反対の大きな声をあげていくことが必要である。貧困を強いられている多くの労働者・農民と過酷な犠牲を受けているチベット人民をはじめとする少数民族の政治的合流のために闘い抜こう。中国政府の人権弾圧を許すな。北京五輪反対。
 二〇一六年東京五輪問題が浮上し始めている。東京五輪反対の闘いを強めよう。カネ儲けと腐敗にまみれた国家主義スポーツの祭典=オリンピックに反対しよう。    (松原雄二)


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