| 「労働者の政治勢力化、評価と対案」討論会への提起 かけはし2008.6.9号 |
2000年代に入ってからの私の悩みは常々、「労働者階級が政治の主体として立たなければならないのに、その主体形成をどのように再組織するのか?」だった。私のこのような判断は、1987年の労働者大闘争の過程で形成された「階級政治」の主体であり大衆権力の主体であった彼らが、それ以降20年を経過するとともにどこかに消えてしまった、との判断に起因する。したがって私の、労働者の政治勢力化についての評価は「失敗した」という判断だ。
主体が消えた!
歴史的に大衆闘争を通じて形成された大衆的力(権力)の主体だった彼らは、依然として仕事をしている現場や自らが暮らしている地域、その生活の現場に依然として残っている。
間違いなく「どこか」に行った人々は、「上層」にいる連中だけだ。その人々とは何者なのか? 彼らはもうひとつの「支配階層」となり労組官僚として、党の官僚として、支配権力集団の「主体」へと変態を遂げている人々だ。だが依然として主体はいない。
ここで話そうとしている主体とは、いかなる主体なのか?
政治・社会的に影響を及ぼした大衆的力、まさにその下から権力の主体として登場した大衆を語ろうとしているのだ。彼らは依然として生活の現場に残っている。だが彼らはどこにも行きはしなかったけれども、今や彼らは権力の主体として立ってはいない。
「かつて主体であった彼らはどこにも行きはしなかったけれども、権力の主体として立っているわけでもない」というこの考えは、最近になって一層強く感じられるようになった。2008年の総選(総選挙)の時期、よしんば選挙空間ではあるものの蔚山東区地域で20年前を想像しつつ「無所属労働者候補を擁立して階級対立を鮮明に形成することによって大衆的力を引き出してみよう」という意見を提出したときからだった。
だがその意見は幾人かの同志たちのほかには、さしたる反応もなかった。これはブルジョア政治選挙一般に対する批判ならびに無関心と結びついているけれども、大衆の敗北主義を反映している現象だ。ところで、この敗北主義現象は、「彼らはもはや主体ではない」ということとは別の問題だ。しかし活動家たちの政治路線または敗北主義による雰囲気とは違って、いわゆる「政治は党がやればいいじゃん〜」「選挙はやりたい人々でやればいいじゃん〜」「やると言えばできるの?」という雰囲気がある。これは自ら権力の主体になろうとすることを放棄する敗北主義に加えて代理主義に色濃く染まっている現象だ。ところで、代理主義に染まっているのは断じて彼らの問題や責任ばかりではない。
歴史的闘争を担った力
解放以後の国内の諸事件においてだけでも、われわれは大衆がいかに直接政治の主体として立ってきたかが分かる。
1960年 4・19革命 スンマン退陣民主政権樹立
1980年 光州抗争、市民が主体となった蜂起と労働者たちのスト、市民自治政府の形成
1987年 6月抗争、民主化宣言、直選制争取
1987年 労働者大闘争、下からの民主主義、御用労組打倒、民主労組建設
1990年 全労協全国ゼネスト、全国労働者たちの階級的力の確認
1996〜97年 労働法改悪阻止全国政治ゼネスト闘争
1997〜99年 全国現場組織代表者会議、下からの民主主義復原の試み
1998年 進歩政党創党、政治勢力の形成、青年進歩党
2000年 労働者の政治勢力化、民主労働党創党
2003年 扶安・核反対闘争、扶安コミューン形成
以上のような歴史から見るとき、大衆は集団的行動によって権力の主体として登場した。
このように大衆闘争を通した大衆的力が一時的に形成されてきた様相は、議会主義の政治が高度に発達した国でも例外なく現れる。
ところで一様に、大衆的力の主体として登場していた彼らは政治的イシューが形成された重要な時期が過ぎれば再び「元の場」に戻っていくか、あるいは消えていった。なぜ、そうなのか? 革命運動の脆弱性なのか?
なぜ消えたのか?
1987年の労働者大闘争を経過しつつ民主労総を結成し、それでも満足しない多くの労働者たちは「労働者も政治をやるべき」だと叫んで駆け回った。このような雰囲気を感知した「運動圏」は「労働解放」というスローガンと同時に「労働者の政治勢力化」という目的意識的なスローガンを登場させていたが、すでに労働者たちから「労働者を国会に送らなくては」という言葉が出るように煽動し、あげくのはてには「労働者大統領」を夢見させ始めた。
支配階級の政治に幻滅を感じた労働者たちの純粋な熱情に対して「運動圏」は労働者たちを「適切な方向」へと案内していった。
だがその「適切な方向」というのは、根本的に問題のある資本主義体制を完全に粉砕する方向へ、ではなく、「適切に改めて使えば良い」改良主義の方向へと案内するものだった。
こうして今やその主体たちは後景に追いやられカネを払う組合員に、カネを出す党員に、有名人士の選挙運動員にと転落し始めた。
「労働者も政治を行うべし」「労働者を国会に送るべし」と語っていた労働者たちは今や自らが候補に指名されるのは恥ずかしくも思い、有名な学閥や、あるいは知識や権威に気圧されて、もう自らカネでも出すべき「有権者」ぐらいに自任しつつ、憲法第1条2項の定める「主権者」としての位置が自分のふさわしい位置だということとして考えるに至った。
このような流れの中で一般化した「労働者の政治勢力化」の完成形態は「党建設」として認識されており、「多数の進歩運動勢力」が例外なく、そのような経路にしたがった。
労働者の政治勢力化の進展は民主労働党の創党と地方自治体での執権、地方議会進出、さらには国会進出にまで至る成果として現れたし、2012年に執権という目標が実際に可能だとしつつ、その可能性に対する幻想を描き出しもした。だが07年の大選(大統領選)で完敗することによって、「労働者の政治勢力」として登場した民主労働党は創党以来8年にして破局的局面を迎えた。
ともあれ、韓国において労働者の政治勢力化は2000年1月に民主労働党が創党されることによってその結実を見はしたものの、民主労働党は07年の大選以後の分党の事態と08年の総選に直面するとともに、大衆は混乱と不信とによって、つっけんどんな声を吐き出している。「共に闘ったとしても困難な状況なのに、なぜ分裂などと馬鹿げたことをしているのか?」「互いが地歩をうち固めるために、そんなことは有りか?」……。大衆からこのような責任追及の声を聞いているのは民主労働党に加入した(あるいは加入していた)活動家たちにのみ限定されているわけではない。
大衆がこのように語っているのは明らかに支持者のレベルを超え、支配階級との対抗戦線に立っている「主体」としての関心と愛情の表現だ。
彼らは契機さえ与えられれば自らが権力の一主体として立つことのできる可能性を内包しているという根拠でもある。したがって労働者階級・大衆は自分たちが権力の主体であることを放棄してはいない、ということが明白だ。また、大衆は「自ら消えた主体」ではなく、議会主義・改良主義的「政治屋」たちによって押し出されたのだ。
したがって、今日までの労働者の政治勢力化は失敗した。民主労働党に代表される運動が失敗したためというよりは、労働者たちをすべての領域において自ら政治の主体として立たせるための運動の失敗であるからだ。このような批判的評価において、議会主義に反対し、改良主義を批判している勢力もまた自由たりえない。
間接民主主義と大衆
大韓民国憲法第1条は以下のように明示している。
@大韓民国は民主共和国である。
A大韓民国の主権は国民にあり、すべての権力は国民に由来する。
「主権」というのは最も重要な権利として解釈されもするけれども、国家の意思を最終的に決定する権力として解釈したりもする。ところで憲法第1条A項を批判的に解釈すれば、「国民には主権が宣言的にのみ存在するにすぎず、権力の主体ではない」という話だ。
なぜならば国民は権力を「与える主体」であるにすぎないからだ。これは間接民主制(代議制)を前提とする政党政治と議会主義の政治制度によって具体化される。
大衆は自身を代理する政党や候補を選択して青瓦台(大統領府)や議会に送れば、それで終わりだ。大衆はそのようにして代議制政治に手なづけられてきた。したがって政治は当然にも「政治を行う人々」がするもの、さらに言えば政治は「党」が行うものとして「委任」する状況にまできている。
いわゆる進歩を自任している勢力もまた、国家が定めた体制内での活動に「労働者の政治」を限定させるあまりに、歴史的に進められ形成された大衆闘争、労働者たちのゼネスト闘争を体制内の政治よりもさらに意味のある政治と考えはしない。こうして大衆行動を組織するよりは大衆行動を調節したり妥協させるブローカー的役割として自身の「政治技術」を自慢する。
労働者の政治勢力化は、そのように歪曲された形で体制内で組織されてきた。
こうして大衆は進歩陣営からも、そのように政治的非主体となる方向に手なづけられてきた。
反議会主義勢力の政治活動
いわゆる運動内での左派と呼ばれる政治勢力(適切ではないかも知れないが、以下、左派と表現する)は大衆の政治の中にあって常々、少数派の位置におかれてきた。「左派はいつでも少数」というレッテルは現実においてもそうであるように、左派の「運命の至らしめる」ものなのか? 左派勢力は労働者の政治勢力化を自分たちの方向へと率いていくことを今なお現実化させられないまま、少数勢力にとどまっている。
だが少数であることそれ自体が問題となるのではない。問題は大衆的影響力を持てないがゆえに、大衆の対案勢力として映らないという限界があるというのだ。「左派」はいつも多数の改良主義分派のアンチ勢力であるか、ただ「苦労している同志たち」として位置づけられている。
左派勢力はそれぞれの路線に立脚してそれぞれの領域や部門で運動しているが、大衆の視野に入ってこない。大衆の目には「民主労働党」と「民主労総」があるにすぎない。
1990年代後半、政治的民主主義の進捗(ブルジョア民主主義の拡大)は左派勢力の公々然たる政治活動の拡大へとつながった。
2000年代に入るとともに左派の政治諸組織は自らの姿を大衆的にあらわにするなど、自身の政治を具体的に宣伝し階級闘争に介入していく過程で大衆から検証される機会を確保していっている。
「反議会主義」「反資本主義」「反改良主義」の主張を超え、その対案的方向を提示している左派政治運動陣営の発展は肯定的に評価することができるだろう。
しかし、まだ議会主義型の「労働者の政治勢力化」に対等する対案的勢力を大衆的に登場させることができていない。
それが社会主義大衆政党であれ、革命主義政党であれ、階級政党であれ、「建設しよう!」という言葉が唱えられてきただけだ。
いわゆる左派の主張に関心のある大衆がどのようにしなければならないのかについては、これまで提示しているものはない。彼らの反応は「それで、どうすると言うのだね」「どうしたいのか?」という形で現れたりもする。
今すぐさまにも「どうしたいのか?」と問う大衆にその希望的対案を作り出されなければならない。私もまた、それは党の形態として現すのが最もよいと考える。
今こそ閉塞感の中にいる大衆に、少数であろうとも「そうだ、君たちが希望なのだ」という勢力として大衆的影響力のある左派勢力を登場させぬかなければならない。
現場の要求を集約せよ!
「左派に好感を持っている現場の同志たち」は、「左派たちの党を作らないのか?」と問う。だが続けて彼らは「左派は団結できるだろうか?」と不信まじりの声で憎まれ口をたたく。
だが左派たちは一向に団結できない。現場の要求をまとめきれないからであり、それが階級政党の建設が引きのばされている決定的要因だ。
民主労働党の分裂や進歩新党の登場は、これまでの労働者政治勢力化運動を振り返られている。だが革命的社会主義運動陣営が改良主義路線を批判するレベルの小規模、消極的行動にとどまるならば、左派は再び「アンチ勢力」に転落するだけだろう。
左派に好感を送り主体として共に行動しようとする大衆は、それを望んではいない。民主労働党に失望し、別の対案が形成されることを望んでいる大衆は「左派勢力の団結と対案勢力の登場」を望んでいる。
生活の領域で運動の組織化を
改良主義勢力は07年の議会で「住民発案権」「住民リコール権」を制度化した。
昨年、京畿道河南市で住民リコール権を根拠として市長リコール運動を展開したけれども市長を引きずり下ろすことには失敗した。このような制度は代議制の限界を超えない線で、いわゆる住民参加の草の根民主主義の補完された制度的装置であるにすぎないけれども、直接民主主義に一歩近寄った制度として評価できる。だが後退した民主労組運動は、このような制度さえ持つことができないか、あるいはあるものさえなくしてしまう流れにある。
われわれはむしろ民主労組運動を通じて労働者の直接政治の意味を学んできた。
わが労働者・民衆は闘争を通じて、自分では直接に意識できなかったけれども直接民主主義の典型例を創出させた歴史がある。革命的社会主義運動は、そのような肯定的地点を拡大するために努力してきた。このような努力や運動は依然として存在する。だが左派のそのようなさまざまな努力や運動はそれぞれてんでに展開されており、集中できていない形だ。
今こそ左派たちは大衆を単なる有権者に転落させる議会主義勢力への対案勢力として登場するために結集しなければならない。左派の団結を促している大衆の要求に応えなければならない。
こうして再び20年以上もかかる恨みはあったとしても下からの力を形成していく運動を拡大していかなければならない。
不充分ではあるが問題提起を終えようと思う。長くはないけれどもこの提起を書きながら、私の考えを整理してみる機会となった。質問や討論を通じて私の内容がより豊富化されることを願う。
読書と文書書きが不得手な私にとってこの文章を読み返して書き改めても、またまた直すべき部分がでてくる。この一文を読む同志たちの批判と忠告が寄せられることを願いたい。(「労働者の力」第144号、08年5月2日付、チョ・ドニ/中央委員)
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