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                            かけはし2008.6.9号

「板橋高校事件」控訴審で不当判決

極右・土屋都議がデッチ上げた
「威力業務妨害」有罪判決許すな

「都教委は『日の
君』カルト教団」

 二〇〇四年三月の都立板橋高校卒業式で、開会前に週刊誌のコピーを配るなどの行為が、「威力業務妨害」にあたるとされた「事件」の控訴審判決が五月二十九日、東京高裁であった。第一〇刑事部(須田賢裁判長)は、被告の藤田勝久元教員に控訴棄却・一審支持(罰金二〇万円・求刑懲役八月)の不当な有罪判決を言い渡した。弁護団は即日、上告の手続きをした。
 冷たい雨が降る高裁前には早くから支援者らが待機。傍聴を求める人の列ができていた。弁護士が判決の第一報を伝える垂れ幕を掲げると、支援者から抗議の声があがった。途中何度かの判決報告が門前で行なわれた。
 閉廷後、多数の報道陣とともに弁護士会館に移動。記者会見と集会が開かれ、約八〇人が集まった。会見前に藤田さんが発言した。
 「まず結論ありきの予想通りの判決だ。裁判官は生涯で一度か二度しか無罪判決を出さないという。私などは罰金二十万円で済むが、冤罪で苦しんでいる人はいっぱいいる。日本の司法はつくづく恐ろしいものだ」。
 会場には鎌田慧さんの姿もあった。発言を求められ、「私はとにかく何か文句を言いたかった。だけど空しくて、何も言えなかった。いろんな卒業式があっていいはずだ。まさに国策裁判だ」。鎌田さんはうつむき加減に、静かに語った。
 記者会見が始まると、弁護団は次々と今回の判決を批判した。加藤文也主任弁護士は「非常に不当な判決。このような行為が処罰されていけば暗黒の社会になる」と糾弾した。藤田さんは、「都立高校の校長は、まさに『名ばかり管理職』だ。都教委からの指示が彼らのパソコンに入ってくる。それに従っているだけだ。都教委は『日の丸・君が代』のカルト教団だ」と怒りをあらわにした。

ほとんどの生徒
は着席したまま

 板橋高校の卒業式はどのように行われたのか。「感動的なよい卒業式だった」と参列者は口を揃えた。「旅立ちの日に」という歌を、視覚にハンディを持つ生徒のピアノ伴奏で、全員で合唱して円滑に終わった。
 式が始まる前の閑散とした会場。来賓として訪れた藤田さんは、約二百枚の「サンデー毎日」のコピーを配り始める。保護者らが協力的に隣席に回してくれ、足りないほどだった。配布後、「国歌斉唱の際はできたら着席をしてほしい」と、当局の締めつけで教員が置かれている理不尽な状況を訴えた。すると田中一彦教頭が近づき「やめろ、いいかげんにしろ」と叫びながら藤田さんの二の腕をつかんだ。場内ではこの二人のやりとりに気がつかない人々も多かったという。その後北爪幸夫校長が現われ「出て行け」と恫喝。「来賓」として招待されていた藤田さんは抗議したが、自分から会場を後にした。式はわずか二分の遅れで挙行された。
 これが「威力業務妨害」事件の内容である。「君が代斉唱」の際、来賓の民主党極右都議土屋敬之は大声で「起立しなさい」などとわめいた。にもかかわらず、ほとんどの生徒が着席したままだった。「喧騒状態」を作り出したのは、当局管理職と極右都議だったのである。
 危機感にかられた土屋は五日後、都議会でこの問題を取り上げ、都教育長横山洋吉とともに警視庁に「建造物侵入」「威力業務妨害」で被害届を出した。産経新聞と結託して「卒業式攪乱」と騒ぎたて、「事件」としてでっちあげたのだ。
 三月二十六日には十数名の警察官が校内に捜査に入り、類まれな教育現場への刑事弾圧が強行された。板橋警察署は五月二十一日、藤田さん宅を家宅捜索した。
 懐かしい母校に二年ぶりに訪れ、数分間ビラをまいて、国歌斉唱の際の着席に協力を求めた。この極めて平穏かつ冷静な行動への、明らかな報復的政治弾圧。東京地検は十二月、藤田さんを「威力業務妨害罪」で在宅起訴した。藤田さんの調書はなく、すべて当局側のものだった。今回の事件の担当検事・崎坂誠司は、「立川反戦ビラ弾圧事件」でテント村の仲間を住居侵入の罪で逮捕・起訴した悪名高き公安検事である。
 量刑の軽重が問題なのではない。こうしたささやかな日常的表現行為が、「犯罪」とされることじたいが絶対に許されない。処分の乱発で物言えぬ管理下に置かれている良心的な教員たちを支えるのは、生徒、保護者、労働者、学生など周辺の市民である。上告審で完全無罪を勝ち取るべく、運動を盛りあげていこう。(S)


「日の君」強制反対ホットライン
「起立」を職務命令で強制
門真三中での攻防を報告

 【大阪】五月十七日、「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪のまとめ報告集会が開かれ、会場の大阪国労会館には、教育労働者を中心に五十人が集まった。
 この集会は、二〇〇〇年以来九年間にわたって続けられてきているホットライン活動を締めくくる意味で、毎年この時期に行われているもので ある。今年は、例年とは異なり、門真市立中学において、「君が代」斉唱時の起立を求める職務命令が出されるという新たな事態を迎えて、現場の教員と弁護士から報告を受けるとともに、東京で停職六カ月処分を 受けた河原井純子さんからの発言を受けた。
東京的な状況が
大阪でも進行

 集会は、ホットライン事務局の寺本さんの司会で始まり、まずホットラ インを代表して黒田伊彦さんが開会のあいさつを行った。黒田さんは、「東京的な状況が大阪でも進行している。橋下知事の議会での発言などが、門真での事態の背景にある」と指摘し、「教育は希望とともに語るもの、と言えるようにとりくみを進めていきたい」と今後もホットラ イン活動を続けていくことを明らかにした。続いて、同じくホットライン事務局の伊賀さんが、ホットライン2008大阪の活動について報告した。伊賀さんは、「メールなどで四件の相談、報告があった」と報告し、あわせて北海道、神奈川、広島などの状況について、資料を使いながら説明した。
 門真市立中学の現場からは、二人の教員が報告に立った。この問題は、三月末に産経新聞が「門真三中の卒業式で、卒業生が一人を除いて全員着席した」と報道し、その記事の中であたかも教員からの扇動があったかのごとく、キャンペーンを行ったことが契機となっている。この産経新聞(後に週刊新潮も同様の報道を行った)の悪意に満ちたキャンペーンと軌を一にして、大阪府教委は、事実関係を確かめることなく、教育長が記者会見で「厳正な対応」と述べ、さらに三月三十一日、入学式に向けて異例の通知を各市町村教育委員会あてに出したのである。
 門真市教委は、この通知を受けて、四月二日に各学校長あてに通知を出し、入学式での「君が代」斉唱時の起立を一年担任団の教員に個別に指導させた。さらに、府教委とも密接に協議しながら、門真三中、四中の校長に「国歌斉唱時の間、起立してください」という職務命令を出させたのである。
 四月七日の入学式当日、校長室に集められた一年担任団の教員一人一人 に、校長はこの職務命令を文書で手渡した。「君が代」起立を職務命令で強制するという事態は、大阪では初めてのケースであり、府教委が今後とも強権的な姿勢で臨むことが予想され、まさに「東京的な状況が大阪でも進行」する状況になりつつある。

思想・良心の自由
を守りぬくために

 現場からの報告に続いて、大阪社会文化法律センターの池田直樹弁護士、冠木克彦弁護士が発言に立った。大阪社会文化法律センターは、門真三中問題を重視して、四月七日に「入学式において、個々の生徒及び教職員は個々の思想良心に基づいて自由に選択しうること、公権力によってこの自由な選択を抑圧することがあってはならない」という声明を出した。池田弁護士は、この声明に触れながら「最高裁ピアノ伴奏判決の影響が出ている。この判決の少数意見から出発して、さらに理論を積み上げて多数派を目指したい」と述べた。また、冠木弁護士は、国連 人権規約18条3項の「宗教・信念を表明する自由」を引用しながら 「他人の人権を侵害しない限り、その人の人権は守られるべきであるという原則に基づいて、思想・両親の自由を守る闘いを進めていこう」と呼びかけた。
 休憩の後、今春の卒業式での「君が代」不起立で、停職六カ月処分を受けた河原井純子さんが発言した。河原井さんは、根津公子さんの解雇を阻止したことについてお礼を言いたいと述べた上で、「解雇を阻止でき たことの意味は大きい。これは、全国の皆さんが自分の問題であると考 えて闘った成果。東京の教育現場は、10・23通達以降、一変してしまったが、都教委は命令ではなく、自主的に起立する教員を望んでいたんだと思う。いま一人一人ができることを行動に移すときだ」と訴えた。
 卒業式での「思想・良心の自由」を告知した発言のために戒告処分を受けて、裁判闘争を闘っている中野さんからの報告や吹田・豊中地域での草の根右翼の活動についての報告などのあと、ホットライン事務局の井前さんが集会のまとめの発言を行って、集会を終えた。       (O)


コラム
投稿心得帖

 書店に並ぶ雑誌に、投稿することがある。ただの気まぐれである。かつては愛用のワープロ専用機でていねいにプリントし、封筒に入れ、切手を貼って郵送していた。掲載を願う、心のこもる手作業だった。
 最近は電子メールで済む。今昔問わず担当者の気を引いて採用されるコツは、規定の字数をきっちりと守り、本文の一行字数で打ち出すこと。もちろん内容も重要だ。
 採用の可否は、掲載誌が発売前に贈呈されることでのみ知る。原稿についての担当者との打ち合わせなどまったくない。そのかわり私の場合、原文のままいっさい修正されない。高価な一冊が宅配され、わずかな謝礼が指定口座に振り込まれて、それで終わりである。さすがは巨大誌、実に事務的である。
 市民運動系の各誌紙およびサイトは、少し事情が異なる。投稿を依頼されることもあれば、こちらから送ることもあるが、掲載前に数回のやり取りがある。週刊の場合、締切り直前まで採用が決まらず、わずかな時間で校了を強いられることが多い。相手は私が「副業」で書いているとは知らない。それでもできるだけ要求に応えたい。夜遅くまで何度も推敲を重ね、最後に「送受信」をクリックする。
 いつだろう。本紙に医療問題についての拙文を連続的に書いていた頃。自宅には通信装置もファクスもなかった。感熱紙に印字して近くのコンビニに持ち込み、そこから送った。雨や雪の日は、大変な思いをした。昼休みに職場を出て駅で待ち合わせ、改札越しにフローピーディスクを手渡しした。今は亡き名編集長。小声で礼を言いそれを受け取ると、飄々と去っていった。
 記事についての彼との討論は、貴重だった。自分の欠点はとかく自分では気づかないものである。双方が指摘しあい、より正確でわかりやすい文章に変えていく、充実した流れがあった。
 技術の進歩で生産性が向上することじたいは、歓迎すべきである。しかし、それで誤字脱字を見逃し、人間の能力でしかできない複雑な表現がおろそかになってはならない。メールでも、手書きでも、最終的には書き手と読み手の、生きた言葉によるコミュニケーションが介在しなければならない。書いた文章への評価こそ、次への励みになる。
 原稿をひとつも抱えていないという時期が、一年のうちに、ほんのわずかだが訪れる。その間はぐっすりと眠り、体調も気分もいい。「書くこと」に追いまくられ、強迫観念に押しつぶされそうになり、神経をとがらせている。それでも一本の文章が完成し、編集者に感謝され、日の目を見る達成感や満足感は、何物にも代えがたい。私はこの繰り返しで、残りの人生の紙幅を埋めていくのだろう。さてもう一稿、今日中に仕上げなくては。
        (隆)


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