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辺野古・高江に新基地を作らせるな            かけはし2008.5.26号

沖縄の闘いと結び米軍再編阻止へ

東京東部で反戦集会・デモ
軍隊も軍艦も基地もいらない
戦争への流れを止めよう!

 【東京東部】五月十四日、墨田区錦糸公園で「軍隊も軍艦も基地もいらない!戦争への流れをとめよう! 東京東部5・14反戦集会」が沖縄の闘いと連帯する東京東部集会実行委の主催で開催され、二百三十人が参加した。
 最初に、東京地公労東部地協事務局長が基調提起を行った。
 「日常生活に出現する軍隊の姿、進行する戦争の道、反動政権によって進む日米軍再編、戦争国家体制、繰り返される犠牲と横暴を跳ね除け沖縄の闘いは続く」と提起した後、「昨年夏から新年にかけて、沖縄辺野古・高江現地派遣行動を三次にわたって取り組んできた。また、戦争を担う子どもづくりの『君が代・日の丸』強制に反対する闘い、国民保護法に反対する江東市民の取り組み、毎年三月に取り組まれる下町反戦の集い、4・25の葛飾憲法集会、六月に行われる荒川の『沖縄と結ぶ平和の架け橋』など、さまざまな取り組みが広がっている。東京大空襲の歴史の中から不戦の運動を作ってきた東京東部の地区から、戦争への流れを止めようの声を大きくしていこう」と東部での取り組みを提起した。

沖縄派遣団の
仲間が活動報告

 次に各現場からの闘いの報告が行われた。最初に東部実行委員会によって組織された三次にわたる沖縄派遣団の仲間が檀上に並び報告した。
 二次派遣の東水労の仲間。「辺野古で、基地建設に向けた調査船が出るということで、これをめぐる攻防戦が続いている。この調査船は地元のチャーター漁船であり、反対と賛成に分断されている。厳しい闘いが続いている。新基地はキャンプシュワブの弾薬庫を使うこと、大浦湾に軍事埠頭を作りこれも使えるようにすることにより、普天間以上に基地の拡大、強化につながることを実感した」。
 三次派遣の葛飾区職労委員長。「一月二十六日から三日間行った。着いた当日から八人乗りのゴムボートに乗り、台座が設置されている所に機材をとりつけての作業をさせないように、シュノーケルをつけて、海に潜り行動した。たいへんな攻防になっている」。
 次に、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの木村事務局長が「辺野古新基地を二〇一四年に完成させようとしているが、闘いによって一年遅れている。何としても阻止したい。キャンプハンセンで、自衛隊が米軍基地を使って、対テロ訓練を始めた。この基地はイラク・ファルージャで大虐殺を行った米軍部隊を訓練した所だ。相次ぐ女性への性暴力事件を受けて、野党で日米地位協定の改正案を国会に提出して闘っている」と現地報告を行った。
 米原子力空母母港化と闘うユニオンヨコスカの小嶋委員長が「八月十九日、米原子力空母ジョージワシントンが横須賀に配備されようとしている。これに対して、7・19と配備日の8・19に反対の全国集会を開催する。空母母港化の賛否を問う住民条例の制定を求めて五万四千三百二十八筆の署名を市議会に提出した。この署名は昨年より一万人も多い数だ。昨日から始まった議会で市長は空母母港化問題は国の専権事項だと条例制定に拒否の姿勢を示した。港湾の浚渫差し留めの裁判をはじめあらゆる方法を駆使して反対運動を続けていく。ぜひ、横須賀にかけつけてください」と訴えた。
 白石荒川区職労書記長が「平和の架け橋 荒川&沖縄6・22〜23(ムーブ町屋、町屋駅下車)」の取り組みを報告した。集会アピールを採択し、亀戸までデモで、沖縄連帯・反戦のアピールを行った。     (M)




一坪反戦地主会・関東が集会
「復帰」36年をいま問い直し
沖縄基地をなくすまで闘う


 五月十五日、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックが主催して「『復帰』36年を問う 沖縄の基地強化を許さない東京集会」が中野勤労福祉会館で開催された。
 主催者から「本土復帰」以後も再編強化され続ける沖縄の米軍基地に対して闘い続ける思いが語られた後、沖縄のテレビ局が作成した「人魚の棲む海」が上映された。この番組は辺野古の大浦湾に現れたジュゴンの映像を撮ることに成功した現地の人びとの姿を描いたものだ。そして辺野古の新基地建設によって大浦湾に米軍埠頭が建設されてジュゴンが棲めない海になることを阻止し、基地ではなく「ジュゴン保護区」を作ろうとする東恩納(ひがしおんな)琢磨さんの思いを伝えている。

有銘政夫さん
が思いを語る

 続いてこの日のメインゲストとして、反戦地主で違憲共闘(沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議)議長だった有銘政夫さんが講演した。有銘さんは、沖縄からの移民の子として一九三一年八月六日にサイパン島に生まれ、一九四四年にサイパン島で米軍の捕虜となり、一九四六年二月に家族で占領下の沖縄に引き上げたという体験の持ち主である。
 「戦争中には満州から大量のサイパン守備軍が送られ、米軍の上陸直前には日本軍が四万四千人、当時日本の植民地だった朝鮮の人びとをふくむ『邦人』が二万五千人、現地のチャモロ人が五千人という人口構成だった。校舎はすべて兵舎となり、農業をしていた自分の家の納屋も軍の糧秣庫となった。米軍キャンプで天皇の玉音放送を聞いたが、日本の敗戦を信じる者は少なかった。天皇の声を聞いても、あんなたどたどしい日本語をしゃべる人が日本人であるわけはない、というのだ」。
 「サイパンから沖縄に引き上げた時でも、船の上から上空を飛ぶ米軍機を見てマークが日の丸に見えるほどだった。上陸して初めて現実を知らされた。サイパンに住んでいた日本人の七〇%は沖縄出身者だった。親戚が迎えにきて、お互いに『本当に生きていたのか』と言い合った」。
 このように述べた有銘さんは、戦前・戦中の「皇民化教育」と天皇の戦争責任を鋭く追及し、一九五二年四月二十八日、サンフランシスコ条約で「本土」から切り離され、安保を押しつけられた沖縄と戦後日本国家のあり方との闘いを振り返った。
 「押しつけ憲法というが、なぜ押しつけ安保と言わないのか。憲法の上に安保が君臨しているのが戦後日本の現実ではないのか」と論じる有銘さんは、公用地法や米軍用地特措法の二度の改悪によって「本土復帰」以後も、地主の意思に反して土地が米軍に奪われている現実を批判した。そして「一九五二年に十三万ヘクタールあった本土の米軍基地は一九六八年には三万ヘクタールにまでに縮小した。他方、沖縄の米軍基地は二倍になった。われわれはまず安保問題であることをきっちり押さえた上で、沖縄のことを考える必要があるのではないか」と訴えた。
 最後に有銘さんは、「二〇一二年には契約米軍用地に対する民法上の期限切れを迎える。この時、親から遺産相続された土地の地主の中にも反戦地主になる、という人がいる。反戦地主運動拡大のチャンスだ」と提起した。
 続いて沖縄戦教科書検定撤回を求める練馬の会、ジュゴン保護キャンペーンセンターのアピール、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの木村事務局長からの行動提起を受けた。 (K)


反安保実が防衛省に抗議
政府は名古屋高裁判決に従え!直ちに撤兵を


 五月十日、防衛省に対して「政府は名古屋高裁の判決に従え! 憲法違反の派兵を止めイラクから即時撤退しろ!」抗議要請行動が、新しい反安保行動をつくる実行委員会によって行われた。
 最初に、実行委員会の国富さんが「四月十七日、名古屋高裁がイラクにおける空自の活動は違憲であると画期的判決を出し、五月二日に確定した。しかし、福田政権はこの判決を無視して派兵を続けている。憲法を無視してきたこれまでの政策に対して、国民がおかしいと感じるようになってきた。これに危機感を持った政府は派兵恒久法の制定を急いでいる。これを絶対に止めよう」と訴えた。
 次に、市民の意見30の会・東京の井上さんが「この判決によって違憲の根拠を得たことが重要だ。五月三日の西日本新聞、読売新聞、東京新聞に憲法の意見広告を出した。改憲派が再度動き出している中、これからいよいよ攻防が厳しくなるだろう」と述べた。
 立川反戦ビラ裁判の元被告さっちゃんは「私たちの最高裁判決は、合理的理由を明らかにせず、制裁を科すことを決めてしまったひどい判決だった。これは絶対に認めることができない。判例として活用できないようにするために、認めない署名を始めている。これからも反戦ビラをまき続ける」と決意を語った。
 こうした発言の後、参加した団体と全国の反基地・反戦団体から、防衛省に申し入れを行った。申し入れを行った団体は次の通り。新しい反安保行動をつくる実行委員会、自衛隊イラク派兵差止訴訟の会、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの上原成信さん、立川自衛隊監視テント村、市民の意見30の会・東京、NO!AWACSの会と人権平和浜松、ほっかいどうピースネット、不戦へのネットワーク(名古屋)、関西共同行動、入れるな核艦船!飛ばすな核攻撃機!ピースリンク広島・呉・岩国、市民運動ネットワーク長崎代表・舟越耿一。   (M)


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