| 三里塚・東峰現地行動 かけはし2008.4.28号 |
監視・弾圧下の
横堀団結小屋
四月十三日、三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会は、東峰共同出荷場で「2010年3月B滑走路供用開始策動を許さない!『東峰の森』伐採糾弾! 東峰住民の生活を守ろう! 三里塚・東峰現地行動」が行い、五十人が参加した。
成田空港会社は暫定滑走路の北側延伸に伴う新誘導路建設のために「東峰の森」伐採を強行するとともに、東峰用地を空港設備で囲んでしまった。さらに地上を自走する航空機、上空を離着陸する航空機の騒音や排気ガスによって環境破壊、住民の生存権が破壊され続けている。空港会社は、あらゆる手段を使って用地内住民を追い出し、南側を延長し3500メートル級の滑走路の完成をねらっている。あげくのはてに〇七年十二月には、航空機の発着回数を現在の年間20万回から30万回にする計画を明らかにした。当然にも騒音被害が増大する危険に対して成田市住民から反発や不安が拡大している。
空港会社は、横堀地区に対しても同様に強引な手法を繰り返している。一月に反対同盟の大鉄塔、案山子亭、団結小屋の周囲を十八本のコンクリート柱で囲み、金網を張り巡らした。
さらに四月九日には、横堀十字路から大鉄塔等に行く道路を付け替え変更しただけではなく、約五十メートルのトンネルを通過しなければ到着できないようにしてしまった。トンネルの出入り口には、監視カメラやセンサーを設置し、車などが通過するたびに空港警備関係機関に警報が流れるシステムだ。
大鉄塔等を重要監視ポイントとして弾圧体制を強めながら、周辺の舗装を進め、誘導路や駐機場として整備しようというのだ。横堀大鉄塔等に向かう道路付け替え変更とトンネル化の強行に抗議する。
原勲さんの墓参
と横堀現地調査
空港会社の東峰と横堀地区に対する連続的な攻撃に抗して連絡会は、集会の前段の取り組みとして横堀地区現地調査を行った。
すでにこの日には横堀大鉄塔敷地内では、管制塔グループと仲間たちによる管制塔占拠闘争戦士の原勲さんの墓参が行われている。十二日の「管制塔占拠30周年記念の集い」と「『1978・3・26 NARITA 管制塔占拠作戦の記録』出版」記念がかちとられ、決意新たに三里塚闘争に連帯するために現地に駆けつけた。現調行動に参加した仲間たちも墓参し、七十人を超える仲間たちは交流を深めた。
現調参加者は、大鉄塔中段に昇り、空港全域を見渡す。労活評現闘の山崎宏さんは、参加者に地図を配布し、A滑走路横の旧木の根地区に健在である木の根ペンション、暫定滑走路と東峰地区、横風滑走路予定地などのポイントをチェックする。田んぼくらぶの仲間から旧熱田家田んぼをめぐる経緯、跡地と埋め立て状況などについて説明が行われた。さらに鉄塔周辺の横堀・農業研修センター、旧現闘本部などの共有地の存在を視認し、空港会社の共有地強奪策動を許さず防衛していくことを確認した。
闘いの拠点を
守りぬこう!
暫定滑走路に着陸するジェット機の轟音下、東峰共同出荷場で集会が始まった。
石井紀子さん(東峰地区)は、「三月二十一日に鶏舎、二十四日に出荷場が東峰十字路の近くに引っ越した。ここの轟音直下と比べたら静かです。らっきょう工場の方と先々週、お花見をかねて昼食をしました。それからも毎週日曜日は、誰かが来てくれています。お花見、お月見とか、虫の音を聞く会とか、これからもこの共同出荷場を使っていきたいと考えています。仕事が変わったけれど、私にとって拠点はここだと思います。集会で皆さんが来てくれるのも、とってもありがたいです。集会だけではなく、小さなグループでも来ていただけたら本当にうれしいです。これからもここを一緒に管理してくださるように、よろしくお願いします」と呼びかけた。
続いて関西三里塚闘争に連帯する会からの連帯アピールが読み上げられ、四月二十日に関西新空港反対現地集会(泉南市・岡田浦浜)を取り組むことが紹介された。
平野靖識さん(東峰・らっきょう工場)は、「今年は成田空港三十周年だそうですが、らっきょう工場の三里塚物産も三十周年です。来週、記念会を行います。この地区の青年たちは、一九七〇年代から空港と対決していく過程で有機農法に切り替えていった。空港と飛行機が襲いかかってくることに対しての拒否感だった。沖縄・水俣・三里塚という反権力の拠点としてならんでいたが、農薬を使いながら空港反対をしていくことはどうなんだろうという感覚もあった。反対同盟は、一九八三年に三つに分裂したが、結果として有機農法など自立して考えてきた人たちだった。三里塚物産の取組は、有機農産物を加工して、いくらかでも地域の利益のために取り組んできた。これからも皆さんに見守っていただきたい。この出荷場はこわす必要がないわけですから、有効に使いながら守っていこう」と発言した。
管制塔占拠闘争元被告団の前田道彦さんは、「今日は原勲君の墓参りで仲間が横堀に来ています。皆さんが集会を持ち支援していることに敬意を表します。私たちも心は全く変わっていません。昨日、管制塔占拠三十周年記念本を出版した。三・二六闘争がどういう闘いであり、どのように動いたのかなどについてまとめたものです。闘争に参加した仲間たちの証言集です。ぜひ読んでください。私は現在、千葉県内に住んでいます。三里塚現地の話がよく入るようになってきた。空港会社は、発着回数を増やすと言っているが、どうみてもあせっているようだ。ある新聞記者は、空港に外国資本を受け入れるかどうかなども問題が大きくなると言っていた。私なりの闘い方で闘い続けていく。現地からも呼びかけていきたい」と連帯挨拶を行った。
行動提起が山崎さんから行われ、開拓道路に向かうコースのデモが行われた。開拓道路から暫定滑走路にむけて「工事をやめろ!『東峰の森』伐採を糾弾する!東峰住民の生活破壊を許さないぞ!」とシュプレヒコールを行った。
デモは、東峰出荷場に戻り集会を再開し、日米安保終了を通告する会、田んぼくらぶ、しいたけ運動、横堀団結小屋維持会から闘争拠点を防衛しながらスクラムを強化していこうとアピールが行われた。 (Y)
立川反戦ビラ弾圧・最高裁不当判決
不当判決認めぬ宣言運動へ立川警察と自衛隊へデモ
四月十九日、立川・反戦ビラ弾圧救援会は、4・19最高裁不当判決に抗議して、弾圧実行犯である立川警察署、立川自衛隊に対して包囲デモを行った。立川錦中央公園には九十人の仲間たちが駆けつけた。
立川自衛隊監視テント村は、四月十六日、「最高裁反戦ビラ有罪判決に抗議する声明」を全国に発した。声明は、「この判決は、仕組まれた権力の犯罪を完成するために書かれたものである」と断固たる糾弾から始まり、@「事実関係」のウソA抽象的な「他人の権利の侵害」B管理者│国、自衛隊、防衛省の権限の全能Cお上に囲い込まれる自衛官についてを柱に、「欠陥判決」を厳しく批判している。
そのうえで一審の長谷川判決に対して、「政治的表現活動の優位的価値を宣言した一審判決は、いまも光を放っていると思う。『長谷川判決』こそ歴史に記憶されるべき希望である」と強調した。
さらに立川・反戦ビラ弾圧救援会は、「最高裁不当判決を認めない宣言」運動(別掲)の取り組み方針を提起し、全国の仲間に対して最高裁を包囲していく新たな陣形にむけた共同行動を呼びかけている。この闘いは、「最高裁第二小法廷に係属中の葛飾事件をはじめ、同様な弾圧をはねかえす裁判も重要」であることを確認し、戦争ができる国家づくりのための権力│司法の「政治的表現」規制の策動と対決していく取り組みを提起している。反弾圧戦線の新たなステップとして、テント村の呼びかけに応えていこう。
ともに新しい
闘いの出発を
集会は、高田幸美さんと仲間たちによる反戦ライブから始まった。「怒りの唄」は、最高裁不当判決に抗議し、いつものように監視・盗撮している公安政治警察にむけてたたきつけた。
次々と発言が行われ、岩手・立川反戦ビラ弾圧救援会は、「〇四年二月二十七日、テント村の仲間が弾圧を受けたという知らせを聞いた。これまで交流はなかったが、とんでもないということですぐに救援会を立ち上げた。不当判決は許せないが、この再会をこれからの運動に生かしていきたい」とアピールした。
続いて、戦時中の一九四二から終戦前にかけての言論弾圧事件の横浜事件の再審を求めていた元被告遺族の木村まきさんは、「横浜事件再審について最高裁は棄却判決でした。不当判決を出した裁判長は、今井功です。この今井は、立川不当判決も言い渡しました。絶対に許せません。司法の腐りきった姿が見えてきます。ともに不当判決をはねかえしていこう」と訴えた。
元被告の高田幸美さん、大洞俊之さん、、大西章寛さんが発言し、「最高裁判決を絶対に認めない。名古屋高裁のイラク派兵違憲判決がでているように、少しずつ私たちの闘いの成果が形となっている。不当判決を認めない宣言運動をバネに新たなスタートをともに行っていこう」と呼びかけた。
集会終了後、デモに移り立川自衛隊、立川警察署にむけて「最高裁判決を認めないぞ!これからも反戦ビラをまき続けるぞ!航空自衛隊はすぐに戻ってこい!公安警察は税金の無駄だ!言論弾圧裁判に勝利するぞ!」とシュプレヒコールを行った。 (Y)
立川反戦ビラ入れ裁判・不当判決を認めない宣言
<立川反戦ビラ入れ裁判・上告審において、2008年4月11日に最高裁判所がくだした有罪判決は、表現の自由を脅かす不当な判決であると考えます。よって私は、この判決を認めません。>
氏名・団体名(ペンネーム・あだ名も可): 肩書き(なくても可): 氏名の公表:可/不可 集約先メールアドレス_tento72@yahoo.co.jp)
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