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環境問題                        かけはし2008.4.14号

北の大企業が地球上の天然資源を専有

炭素取引が持つ5つの不適切
化石燃料を燃やし続け気候
変動の緩和を遅らせる口実



 この寄稿は、気候変動に対する闘いにとって炭素取引が不適切であることを示す五つの基本的理由を明らかにしたものである。議論の焦点は欧州排出量取引制度(EU―ETS)に置かれているが、その結論の大部分は一般的に当てはまる。

 炭素取引は、炭素排出部門にとって棚ぼた式の利益の源である。排出部門は利益をほとんどまたはまったく低カーボン技術に投資せず、気候政策の実施を遅らせようとする。EU―ETSの第一段階における排出枠の過剰な割当は、二〇〇五年末において鉄鋼部門に四億八千万ユーロの棚ぼた式利益をもたらした。同じ時期に、ドイツの電力会社RWEは、百八十億ユーロという巨額の利益を得た。石油産業でさえ、棚ぼた式利益を得ている。エッソは一千万ユーロ、BP(英国石油)は一千七百九十万ユーロ、シェルは二千七十万ユーロ、という具合である。
 これらの棚ぼた式の利益は、ほとんどまたはまったく低カーボン技術や研究に投資されていない。たとえば、欧州鉄鋼業界は年間四千五百万ユーロしかULCOS研究プログラムに投資しておらず、このプログラムの資金の五〇%は欧州委員会から提供されている。発電量は欧州市場第三位であるが温室効果ガス排出量は第一位のドイツのRWEは、世界最大の褐炭火力発電所を建設中である。
 したがって、排出枠割当制度がもたらした棚ぼた式利益は巨大炭素排出企業を強めており、気候変動緩和を遅らせ化石燃料を可能な限り長く燃やし続けることによって戦略的利益を得ている、と私は主張する。
 提案されているEU―ETSの第三段階における割当量の競売がこれらの棚ぼた式の利益を終わらせることは、ありそうにない。それは、種々の要因のために第三段階の最初に排出枠割当量の相対的過剰が存在するだろうからである。種々の要因とは、第二および第三段階からのバンキング、制度に参入する新しい部門への無料の(過剰)割当、炭素クレジットの過剰などである。最初の時期には排出枠は相対的に安くなり、その後価格は上昇し、投機者に棚ぼた式利益をもたらすだろう。

 炭素取引は新たな社会的不平等の、したがって潜在的社会不安の源であり、気候変動緩和政策を妨げる可能性がある。
 例を示そう。世界鉄鋼産業のトップに位置するアルセロールは、二〇〇五年にベルギーのリエージュ地区にある溶鉱炉を閉鎖することを決定した。二年後に、新グループとなったアルセロール・ミッタルは、銑鉄生産の再開とこの溶鉱炉の再稼動を決定した。問題は、十分な排出枠割当量が残っていないことであった。他の事業に配分した後だったのである。
 アルセロール・ミッタルは、自分自身の割当量を使用することを拒否した。たくさん持っているのにである。アルセロール・ミッタルは、譲歩が得られないのならプロジェクトを中止すると脅迫した。そこで、政府は京都削減量単位を売却して排出枠を購入しアルセロール・ミッタルに与えることを決定した。京都単位と割当量の価格差は、公共予算によって埋められるであろう。その結果、ベルギー・ワロン地区政府は他の分野の支出を削らなければならなくなり、新規参入者のために留保されている割当量は、他の経済部門の投資計画にとって不十分になっている。
 この例は、炭素取引がどのように労働者の分裂の新たな源を作り出し、働き口、賃金、手当や労働条件に関する特殊な脅威をもたらすかを明確に示している。社会的公平の名の下に労働者が気候政策に反対するというリスクが存在する。私の意見では、気候変動緩和が失業の増大と労働者間の競争の増大を意味するのであれば、それは社会不安の新しい源になり、気候変動緩和の根底をゆるがし、いっそう複雑化することになるだろう。

 また、炭素取引は、気候変動緩和政策をゆるがす南北不平等の源である。特に、排出量取引とクリーン開発メカニズムを結びつけることは、「共同の、しかし差別化された責任」の原則を危うくする。
 周知のように、クリーン開発メカニズムの下では、EUの外部での「クリーン投資」は、EUにカーボン・クレジットをもたらすことができる。結合指令によって、これらのクレジットはEU―ETSにおける割当量と同等になっている。現在のところ、カーボン・クレジットの輸入には上限額が存在する。EU―ETSの第二段階においては、この上限額は年間二八〇メガトンである。
 第二段階における排出削減量は約一三〇メガトン/年であるが、これはEUは、自分自身の排出量をまったく削減しなくても、クレジットを使用して約束を完全に履行できることを意味する。言い換えれば、実際には上限が存在しないのと同じである。
 二〇一三〜二〇二〇年の期間に対する新しい提案の中で、欧州委員会は排出企業が第二段階から第三段階へのクレジットのバンキングを行うことを許容している。欧州委員会は、国際条約が存在しなければ、第二段階クレジットによって第三段階削減努力の約三三%をカバーできると見積もっている。ポスト京都国際条約が承認された場合は、EUは排出削減量を二〇%ではなく三〇%に設定することになるが、追加削減量の五〇%はカーボン・クレジットを充当することができる。
 これは、EUがニコラス・スターン卿が提案した方向に進化していることを意味する。スターン報告書は、CDM(クリーン開発メカニズム)に対する数量的上限を撤廃し、CDM適格性を原子力発電所建設や既存の森林を森林減少や劣化に対して保護することにまで拡大することを提案している(森林保護への拡大はバリ会議で採択された)。スターンによれば、この変更によってCDM活動を四十倍に拡大することができる。このシナリオの下では、グローバルな緩和努力の五〇%は南で行われることになる。グローバルな温暖化に対して二五%以下の責任しかないにもかかわらず、である。北の投資者たちは、大きな利潤と安いカーボン・クレジットを手に入れることになる。
 十分証拠がそろっている不正、汚職、悪用や、いわゆる「すぐに達成できる成果」効果のことは、ここでは考慮に入れていない。これらはクリーン開発メカニズムの特徴であり、CDMに基づいた気候戦略を不可避的に特徴づけている。ひとつの決定的な質問をしよう。このような状況において、国連気候変動枠組み条約の基本原則である「共同の、しかし差別化された責任」とはいったい何か。CDMおよびJI(共同実施)は先進国においては「国内対策」の「補足物」としてのみ使用すべきであるという京都議定書の立場はいったいどうなっているのか。私の意見では、これらは非常に重要な公平に関する疑問であり、気候変動に対する闘いを複雑にし、その基礎を掘り崩す可能性がある疑問である。

 排出権の割当とは、炭素循環とその制御における、したがって生命そのものに関する、前例のない財産権の分配と同じことである。これは社会的および地理的に不公平である。排出権は資産である。実際、排出権の割当とは炭素の排出と吸収に関する、言い換えると炭素循環に関する財産権の割当と同じことである。
 もちろん、これらの権利は永久的ではないが、半永久的である。それにもかかわらず、これはもうひとつの重要な政治的な、倫理的な、「文明」に関わるとでも言うべき問題を提起している。炭素の化学は地球上の生命の基礎であり、生命が炭素循環を制御している。したがって、炭素循環を支配することは生命そのものを支配することであり、炭素循環の制御を専有することは生命の制御を専有することである。
 資本主義が天然資源を専有したことはこれが初めてではない。このような専有は、資本主義の発展の条件のひとつである。しかし、地球的規模での天然資源のこのような包括的な専有は、歴史上まったく前例がない。この専有は、地理的および社会的に極度に不公平である。北と南の炭素が、北の大企業によって専有されるのである。これは将来重大な社会的結果をもたらし、すべての人々の最も基本的な権利に影響を及ぼす可能性がある。

 これは純粋に量的対策であるので、費用効果的観点からは、不可欠のエネルギー革命の質的側面や、長期的な全地球的合理性は考慮されない。
 気候変動に対する闘いには、量的目標と質的目標があり、これらを非常に短期間に全地球的に達成しなければならない。量的目標とは、IPCCが勧告している目標である。すなわち、二〇二〇年までに先進国において温室効果ガス排出量を二五〜四〇%削減すること、十年から十五年以内に全地球的排出量を減少に向かわせること、二〇五〇年までに全地球的排出量を五〇〜八五%削減すること、である。
 質的目標とは、要するにエネルギー革命である。言い換えると、化石燃料に基づいた中央集中的な、非効率的でエネルギー浪費的なシステムから、種々の形態の太陽エネルギーに基づいた分散化された、高度に効率的で環境保全的なエネルギー・システムに移行することである。これは社会全体が、すなわち工業や公益事業だけでなく、土地管理、運輸システム、農業生産、余暇などを含む社会全体が関わることである。必要なことは、五十年以内に、深刻な全地球的な転換を達成することである。
 この新しいエネルギー・システムへの移行手段は、長期的目標と整合していなければならない。それには全地球的アプローチと質的変化が必要であり、既存の生産手段の根本的変更も含まれる。
 ここにおける問題は、費用効果の観点からは質は考慮できないことである。費用効果性は純粋に量的な尺度である。たとえば、炭素市場においては、森林が吸収する一トンの炭素と、化石燃料を燃やす工場が排出する一トンの炭素は同じである。異なるのは価格のみである。一方が安ければ、市場は安い方を選ぶ。言い換えると、価格に基づいた市場的手段は、植林と化石燃料の段階的廃止の間の緩和戦略の質的違いを見ることができない。量的尺度は、気候政策を構造的対策ではなく非構造的対策に向かわせる傾向がある。
 スターン報告書は、費用効果性が全体として人間性の必要性を考慮した全地球的アプローチと整合しないことを示す興味深い例を提供している。スターンによれば、費用効果性の観点からは、森林保護(炭素一トン当り五米ドル)やバイオ燃料生産のような安価な解決策から始めることによって、緩和対策を合理的に段階的に進めることが許される。しかし今やわれわれは、大量のバイオ燃料生産が、部分的および量的コストの観点から合理的であるにもかかわらず、全地球的な基本的な人間的な必要性という観点からは実際にはまったく非合理的であることを明確に知っている。
 同様な理由から、無益な生産や技術を放棄することのような質的転換は、既存の炭素集約的生産機構が支配する競争的枠組みの中では、不可能ではないにしても、容易には達成することはできない。

  結論

 排出量取引や市場メカニズムを通じてIPCC目標に到達することは、非常にありそうにない。これらのメカニズムは、危険な気候変動を回避するには非常に短期間に達成することが必要な、全地球的な質的目標や生産手段の構造的変換にとっては不適切である。
 それらの社会的経済的効果は、北においても南においても、移行を複雑化させ混乱させる。また、それらは天然資源(炭素、その循環と制御)の前例のない専有を意味し、その計り知れない重要性にもかかわらず、社会的および「文明的」意味が考慮されていない。
 必要なのは、以下の要素を組み合わせたアプローチである。
b 取り引きできない割当量と制裁。
b ある種の製品、工程、技術および運輸システムの強制的段階的廃止。
b エネルギー効率的建物、土地管理、輸送などに関する、市場的奨励策でなく、公共的取り組み。
b 再生可能エネルギー源の、費用に拘束されない迅速な開発のための公共的取り組み。
b 地方レベルから全欧州レベルまでのあらゆるレベルにおける、富の再分配と民衆が参加する民主的計画立案。
 この代替アプローチを、「共同の、しかし差別化された責任」原則と地球上のすべての人々が平等に炭素を排出する権利を全面的に尊重した、全地球的気候変動緩和戦略の広範な文脈の中で検討する必要がある。
 最後に、次のことを述べておきたい。破局的気候変動を回避するために必要な世界社会の根本的転換とは、何よりも社会的問題であり、したがって政治的問題である。その成功には真の民主主義、気候的公平、および一般に社会的公平が不可欠である。

これは、二〇〇八年三月二十一日にリュブリャナで開催された「EUにおける温室効果ガス排出量取り引きの将来に関する会議」(主催、スロベンスキ・Eフォーラム、フォーカス、およびスロベニア国民評議会[上院])におけるダニエル・タヌロの発言の草稿である。

▲ ダニエル・タヌロは、農学者で環境社会主義的環境保護主義者、「ラゴーシュ」(LCR―SAP[第四インターナショナル・ベルギー支部]の月刊誌)およびインプレコールの寄稿者である。
(「インターナショナル・ビューポイント08年3月号)


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