国際的に広がる
抗議のアピール
現在のアフガニスタンで、宗教的原理主義による女性抑圧を批判する文書を大学で配布したというだけで、二十三歳の学生が死刑判決を受けたという事件が起きている。
昨年十月にバルフ大学の学生で地元日刊紙『Jahan-e Naw』(新世界)に記事を書いていたジャーナリストでもあるサイード・ペルベス・カムバクシュさんが、イランのあるホームページ上の「原理主義者による女性抑圧はモハメッドの教えの歪曲である」とする記事をダウンロード・プリントアウトして学内で配布し学友たちと議論したところ、何者かの密告によって「神の冒涜」として逮捕され、弁護士もつけられない裁判によって、この一月に死刑判決を受けている。また、アフガニスタン議会上院は一月末、この判決を支持する動議を通過させている。これはタリバン政権の時代の話ではなく、現在のカルザイ政権下で起きている事件であり問題である。これが、「自由と民主主義を拡大する」を大義名分に行われたブッシュの戦争が作り出し、日本政府が支援する政権の所業なのである。
この事件は現在、国際的な憤激とアフガン・カルザイ政権への抗議を引き起こしている。イギリスの『インディペンデント』紙は、カムバクシュさん救出のためのキャンペーンとカムバクシュさんの救出をカルザイ政権に働きかけるようイギリス政府に求める電子署名を開始し、二月十六日現在八万六千筆の署名が集まっている。また、世界各地のブロガーたちが、この問題を取り上げ、カルザイ政権への抗議を呼びかけている。
これらの国際的な抗議は、二月七日にアフガニスタンを訪問してカルザイ大統領と会談したライス米国務長官とミリバンド英外相を動かし、この問題に言及させるにいたった。カルザイは、「公正な判断が下されるでしょう」とライスとミリバンドに語り、大統領恩赦によって死刑を回避することを示唆した。
しかしこのカルザイの「動揺」に反発する百を越える原理主義宗派・封建主義部族の代表者がカムバクシュさんへの死刑判決を支持し、恩赦しないように促す集会をパクティア州ガルデーズで行なっている。また一方では、当局がカムバクシュさんを支援する行為の一切を「(カムバクシュさんと)同罪と見なす」として禁止したにも関わらず、カムバクシュさんを支援するデモがアフガニスタン女性革命協会(RAWA)のメンバーを中心にカブールにて数百人規模で行なわれている。
発言力を強める
宗教的原理主義
現在カムバクシュさんは、収容されているアフガン北部のマザリシャシャリフの近くの刑務所に収監され、汚された食事を出され、刑務所看守の扇動によって原理主義者の囚人によって攻撃されている、と彼の家族は主張している。しかし、カムバクシュさん救援の国際的キャンペーンが功を奏してか、カムバクシュさんはカブールに移送されると、政府関係者が彼の家族に伝えたという。家族は、この措置を「ペルベスが安全を得る最初の手段で感謝する」と語っているが、一方で「しかし、彼の解放はまだ遠方の長い道のりです」としている(『インディペンデント』紙2月16日付)。
また家族たちは、このカムバクシュさんへの仕打ちは、ペルベスさんのやはりジャーナリストである兄が、政府高官の殺人を含む権力の濫用を暴露する記事を書いたことへの報復である、と主張している(この兄であるヤコブさんは現在原理主義者の暴力を逃れて潜伏している)。彼らの家族は、「私たちはペルベスの救出を支援しているのと同じ圧力が、同様にヤコブを保護することを求めるように望みます」と語っている。
刑務所内でも
看守が攻撃煽動
この事件は、カルザイ政権が、その貧弱な政権基盤をタリバンとなんら変わらない女性抑圧と同性愛者迫害を行なう宗教的原理主義者との野合によって、維持されていることをあかるみに出した。このことは「自由と民主主義の拡大を大義名分としたブッシュの「反テロ戦争」の本質もあかるみに出しているといえる。そして、カルザイ政権と議会内で日々発言力を強める宗教的原理主義者や封建主義の部族と、グローバルな人権と公正を求める世論の挟間にカルザイはたたされている、という状況である。
カルザイに、カムバクシュさんの恩赦を決定的かつ最終的に判断させるのは、グローバルな民衆の意思表示のみである。そして、それは宗教的原理主義者の暴力と封建主義的抑圧にさらされるアフガンの女性や同性愛者たちにつながるものでもある。
カムバクシュさんの死刑執行の阻止と即時釈放、そして釈放後も原理主義者の暴力からカムバクシュさんの身の安全を保障するようアフガン・カルザイ政権に要求しよう! (F)
【抗議先】
アフガニスタン大統領府オフィス
president@afghanistangov.org
アフガニスタン大使館
東京都渋谷区西原3-37-8-B TEL03-5465-1219
読書案内『証言 沖縄「集団自決」』謝花直美著/岩波新書
ていねいな聞き取りで真実に迫る
大江・岩波沖縄戦裁判1審判決を前にして
「皇土防衛」戦がもたらした悲劇
文科省検定と
沖縄県民の怒り
二〇〇八年度用高校歴史教科書の「集団自決」の記述から、日本軍の強制を削除するという検定意見が出たのは〇七年三月末のことである。ところが沖縄県民島ぐるみの激しい怒りに直面した文科省は、検定意見は撤回しないまま、「正誤訂正」に応じるというやり方で乗り切ろうとした。そして、日本軍の関与があったという表現(たとえば、米軍への恐怖心をあおった。捕虜となることを許さないと指導したうえで手榴弾を配った。このような強制的な状況の下で、住民は集団自害と殺し合いに追い込まれた)で、昨年十二月下旬に無理やり「収拾」した。教科書会社の側では、この時期が新年度用教科書の印刷に間に合うタイムリミットだという事情があった。だが、「収拾」はされたものの本質問題は解決していない。
歴史修正主義者の
沖縄プロジェクト
軍命令・隊長命令の有無が争われている大江・岩波沖縄戦裁判は〇五年八月に訴訟が提起され、〇七年十二月下旬に結審し、今年三月二十八日に判決が出る。文科省は教科書検定意見を出すに当たり、この裁判の原告(座間味島の第一海上挺進戦隊の梅沢元隊長、渡嘉敷島の第三海上挺進戦隊の赤松元隊長の弟)側資料を参考にしている。つまり文科省は歴史修正主義者の動きと一体だった。信じられないほどに露骨なやり方である。
この裁判をおこすにあたり歴史修正主義者たち(新しい歴史教科書をつくる会)は、〇五年五月に二泊三日という短期間の日程で慶良間諸島を訪れ、聞き取りをしている。その結果、「集団自決」に軍命はなかったという結論にいたり、「集団自決」の記述から軍の強制を削除させるという「沖縄プロジェクト」を立ち上げたのである。それから二年足らずで、軍強制の削除の検定意見が出たのだ。彼らは当初の目的を達成したかにみえた。しかし、このような歴史の偽造はやがてあばかれる。
歴史修正主義者たちが「沖縄プロジェクト」を立ち上げた直後から、「挑まれる沖縄戦」という沖縄タイムスのキャンペーンが始まった。本書の著者である謝花直美さん(沖縄タイムス紙編集委員)は、その中心メンバーである。謝花さんには、大江・岩波沖縄戦裁判の口頭弁論の後でいつも行われていた学習講演会に講師として来てもらい、一度このキャンペーンの話を聞いたことがある。
慶良間諸島の
海上特攻基地
渡嘉敷・座間味・慶留間・阿嘉という慶良間諸島の島々に、第一から第三の海上挺進戦隊とそれぞれの挺進基地大隊が置かれたのは一九四四年九月のことで、それ以降これらの島々は秘密の特攻基地となった。それまでカツオ漁にあたっていた漁船は、日本軍の食料調達や軍の移動のために徴用された。住民はマルレ(一人乗りのベニヤ製ボートで、それに積んだ240キロの爆雷とともに米艦船に体当たりする)の秘密壕掘りや、兵舎・陣地建設にかり出され、兵舎ができるまでの間は各家庭が将兵を受け入れて世話をした。隣の島に行くにも軍の許可が必要だった。すべての軍命は常に役場を通して住民に伝えられた。
座間味島では、スパイでないことを証明するため、戦隊のマークを身につけていなければならなかった。学校は特別幹部候補生(特攻要員)の宿舎として使われ、子どもたちは民家の軒先の青空教室で勉強し、午後は食糧増産のため農作業や開墾に追われた。四五年になると各島の十七歳から四十五歳までの男性は防衛隊として編成され、若い女性も軍属として炊事班や経理班に配属された。
捨て石としての
沖縄と「集団自決」
米軍の沖縄本島上陸は四月一日であるが、それに先だつ三月二十六日、二十七日米軍は慶良間諸島に上陸した。日本軍の組織的な抵抗は六月二十三日で終わるが、最後のひとりになるまで戦い「悠久の大義に生くべし」という軍司令官命令により日本軍はゲリラ戦に移行、住民もまた捕虜になることを許されず、持久戦に巻き込まれた。久米島では八月十五日以後にも、日本軍が住民を「スパイ視」して虐殺を行った。
四五年三月二十三日、沖縄全域を米軍の空襲がおそい、二十四日には艦砲射撃が加わり、沖縄本島には艦砲弾六百万発、地上砲弾百七十六万発が打ち込まれたといわれる。はじめから勝算の全くなかった沖縄戦は「皇土」(日本本土)防衛のため、敵を消耗させ本土決戦のため時間をかせぐための戦い、沖縄はいわば捨て石であると位置づけられ、「軍官民共生共死」という方針の下での戦いであった。
沖縄戦八十日の戦闘での死者は、日本軍将兵七万三千人、米軍一万二千五百人、防衛隊を含めた沖縄県民十五万人と、圧倒的に住民の犠牲者が多い。「集団自決」により、三月に慶良間諸島で約六百人が亡くなったほか、四月に読谷村のチビチリガマで八十三人、具志川の壕で十三人、美里村で四十人余、伊江島の壕で約百二十人、五月に玉城村で七人、六月に摩文仁村のカミントウ壕で五十八人が亡くなっている。この数字を見ても、沖縄戦がいかに悲惨な戦いで、なかでも慶良間諸島の住民がどのような状況に置かれていたかが想像できる。
厳しい現実を
打ち破るために
『沖縄戦と民衆』(林博史・関東学院大教授著)を見ると、日本軍がいなかった島ではほとんど「集団自決」が起きていないし、多くのところではそういう意思すらなかった、軍のいない島では島の指導者の判断で投降して、犠牲者を最小限にとどめている場合が多い、と具体的に多くの資料をあげて述べられている。ちなみに、文科省はこの本の都合のいい箇所だけを拾いあげて検定意見の根拠にしたのである。
『証言 沖縄「集団自決」』では、慶良間諸島の島ごとの聞き取りによる証言が、「軍命で集合させられて」(渡嘉敷島)、「忠魂碑集合のあとで」(座間味島)、「戦場をさまよう人々」(慶留間島)、「『集団自決』の寸前」(阿嘉島)、としてまとめられている。歴史修正主義者たちが、天皇の軍隊の名誉を回復し、国に殉じて「集団自決」した住民の潔い死をたたえるという自分たちの目的に合うような証言(?)だけを短時間にいくつか拾い集めたのとは違い、長い時間をかけて聞き取りした証言だ。沖縄戦後いち早くの現地取材をもとにして出版された『鉄の暴風』(沖縄タイムス社)の精神が引き継がれていることを感じた。
辺野古基地建設、グアムへの海兵隊の移転、米軍被害など沖縄の置かれている厳しい状況を打ち破るために、平和な日本社会に近づくために、そして教科書検定問題の解決のために、本土の私たちに求められていることを少しでも前に進めるのに役立てたいと思える本である。 (津山時生)
|