| 「名ばかり管理職110番」 かけはし2008.3.17号 |
日本労働弁護団に寄せられた相談から
「俺が死んだらタイムレコーダー見たらわかるから」 |
二月十一日、「名ばかり管理職110番」が日本労働弁護団によって行われた。相談件数は百十三件にのぼった。日本マクドナルド・高野さんの勝利判決が影響して、この取り組みをテレビ各社が大きく報道した。名ばかり管理職によって、残業代が未払いであるばかりでなく、過労死までに追いやられる働き方が横行している。労働弁護団などに相談して是正させよう。ユニオンを作って闘いに立ち上がろう。以下労働弁護団の報告を紹介する。(M)
相談内容と
その傾向は
多種多様な業種の労働者から相談がきている。その多くが現職の労働者である。タイムカードなどで出退勤を管理をされ、所定労働時間どおりの出退社を義務付けられながら、肩書きだけを付与されて長時間労働をさせられるケースが多い。また、残業代がつかなくなったことにより、部下の年収を下回る逆転現象が広範囲に認められた。
課長、課長代理、係長クラスが軒並み管理職として扱われ、わずかな手当てで長時間労働を余儀なくされている。
大手焼肉チェーンでは、マクドナルドの判決を受けて店長手当てが7000円増えたというが、労働実態は超長時間労働が解消されていない。
過労死必至
悲痛な訴え
東京 男性 19歳 金型製造 100人規模
高卒1年目で管理職にされ、管理職手当1万円で残業代がつかなくなった。部下もいない。基本給13万円。残業は1日2時間している。
東京 男性 40歳 携帯電話ショップの店長
店は、正社員2、準社員3、パート2で、毎朝10時から夜中の2時、3時まで働いても管理職として2〜3万円の手当で残業代なく働かされている。
千葉 女性 42歳 建設・土木 妻からの相談
現場監督。タイムカードで出退勤管理がされている。基本給30万、役職手当5万円。時間外労働が月に110時間で、自殺してしまった。「おれが死んだらタイムカードみたらわかるから」と言い残していた。
茨城 男性 42歳 コンビニ店長
タイムカードはあるが、押してから残業している。シフトに穴があくと自分が埋めるしかない。店長になってから年収はダウンした。会社にいうと、本人の管理能力の問題だと言われる。朝4時に帰ってくることもある。家には寝に帰るだけの毎日。休日出勤もしているが、タイムカードを押せない。押すと上司がいやな顔をする。
東京 男性 32歳 書店 50名規模
1日5、6時間の時間外労働がある。しかし、管理職手当として2、3万円が支払われるだけ。労働時間は、午前9時から午後11時まで。命令されて働くだけである。何の権限もない。
東京 男性 45歳 大手電機メーカー 専任職 1200名規模
年俸800万。労働時間管理は自己申告制。残業は月100時間。専任職になる際に、会社から「残業がつかないことを承諾する」との誓約書を書かされた。
東京 男性 信用金庫 副支店長
月に80時間の残業。人事考課権限なし。採用権限なし。仕事は店舗の庶務的なことが中心。残業のつく部下よりも年収は低い。会社からは「管理職は必ず最後まで残るように」といわれている。
東京 男性 43歳 スーパー 店長
朝6時から夜11時まで勤務。残業代なしで、手当が月5万円。社員の採用の権限なし。遅刻すると減給される。
横浜 男性 30歳 老人ホームの調理
リーダーという役職について、賃金がダウンし、ボーナスもカットされた。勤務時間は、午前5時から午後9時まで。月収ベースで3万円のダウン。
三重 男性 38歳 食品製造
主任の肩書きはあるが、主任としての仕事はない。形式だけ。仕事の内容もパートと変わらない。役職手当が月に3万円でるが、残業は月に60時間から80時間で、まったくカバーされていない。手取りは月23万円くらい。
東京 女性 40代 高級ホテル
チームリーダーからアシスタントマネージャーに昇格したら、管理職として残業代が出なくなった。チームリーダーは、残業代込みで40万円以上だが、昇格後は、30万円の基本給に5万円の手当で、減収となった。残業は月100時間以上。ロッカー室にカプセルベッドがあり、そこで寝起きすることもあった。終電に間に合わないときはタクシーで帰宅。うつ病になってしまった。
東京 30代 男性(父親からの相談)
焼肉チェーンの店長。午前11時から午後12時ないし2時くらいまでの超長時間労働。マックの判決で、なぜか7000円手当があがった。しかし、残業代は依然出ていないようだ。おかしいのではないか。(本紙編集部で、特徴的なものを選んで紹介した)
b常設のホットライン
東京の弁護団本部では祝日を除く毎週火曜、木曜の午後三時から六時まで労働問題全般についての電話相談を実施している。受付電話番号は、03―3251―5363 FAX 03―3258―6790。
東京本部の他にも、常設のホットラインを実施している地域は、埼玉(048―837―4821)が毎週火曜日の午後一時から四時まで。神奈川(045―651―6441)が毎週月曜日、水曜日、金曜日の午前十一時から午後一時まで。東海地域(052―252―2395)が毎月第二火曜日午後五時から七時まで。広島(082―228―2458)が毎週月曜日から金曜日の午前十時から午後五時まで、埼玉(毎週火曜1時〜4時)、東海(毎月第2火曜5時〜7時)(詳細は日本労働弁護団ホームページ参照→URL
http://homepage1.nifty.com/rouben)。
読書案内五木寛之著、講談社新書 838円+税
『サンカの民と被差別の世界』
移動・漂泊民の生活と「歴史のひだ」
被差別民衆の
現実に踏み込む
私がサンカのことを初めて知ったのは、水谷驍さん(元ポーランド資料センター事務局長)が翻訳した『ジプシー』のあとがきによってである。日本にも「ジプシー」と同じような移動民がおり、差別的な扱いを受けていたと記されていた。私は「エタ・非人」として差別され、差別からの解放を求める部落解放運動は以前から知っており、その闘いにも参加しているが「サンカ」についてはまったく知らず気になっていた。たまたま手にした五木寛之の著作を紹介する本の中で、五木が「サンカ」について書いているのを知った。
『サンカの民と被差別の世界』は『日本人のこころ』シリーズの四巻目を新書化したもので、二〇〇五年に出版されている。五木は『日本人のこころ』シリーズを「土蜘蛛(つちぐも)や国栖(くず)や隼人(はやと)や熊襲(くまそ)や蝦夷(えみし)などといわれた先住民のことも書いた。そこまで踏みこんで隠された歴史のひだを見なければ、`日本人のこころaを考えたことにならないのではないか」としている。
そして『サンカの民と被差別の世界』で、第一部、「家船」漁民という海の漂泊民から「サンカ」という山の漂泊民、第二部、東都の闇に生きた被差別の民をあつかっている。
絶望の極みから
捨て身の抵抗
五木は子どものころ、植民地時代の朝鮮・ピョンヤンに支配者側としていたことがあり、敗戦後に九州の山奥に引揚者として帰ってきて差別される側の立場に立たされた。彼はこの体験によって、支配者側の論理に疑問を持ち、差別された人々への思いを共有する感性を持ったという。
五木は民俗学者である沖浦和光(かずてる)さんに案内されて、瀬戸内海の「サンカ」として差別されてきた人々に会うことになる。
彼らは「『サンカ』あるいは『サンカホワイト』とか『サンカ乞食(ベイト)』といわれてきた。蔑視され、差別されながらその生涯を送ってきたという。彼らの生業(なりわい)は川魚漁や棕櫚箒(しゅろぼうき)づくりだった。そして、戦後も一九五〇年代ごろまでは、移動し漂泊する生活をしていた」。
そしてサンカの末裔である作田清さんは自分がサンカであることを宣言するように次のような文章を明らかにしている。
「どのような要因が、『一所不在』すなわち『所有を断ち切る』という歴史的転回点に彼らを立たせたのか――。なぜそのような形態を自ら選択したのかという解明こそが、サンカ研究の視点ではないかと、私は考えている」。
「数ある選択肢の中から、意気盛んに自ら選ぶといったロマンチックなものではない。歴史における支配の差別・弾圧が、苛酷なまでに死の淵、絶望の極みに人間を追いつめ、その時代を生きた多くの人間の怨嗟(えんさ)うずまく中で、生きる術(すべ)をすべて奪われた者たちの、捨て身の抗(あらが)いであったであろう。それでも人間は生きんとした。サンカ人の選択とは、『それでも生きねば』という生へのこだわりであった」。
差別を克服して
いく道をさぐる
五木は別に「能、狂言、歌舞伎、芝居などの芸能や文化が土地に縛り付けられた定住民によってではなく、「賤民が神の代理人になる」ことによって担われ発展してきたことを詳しく記し、そうした人々への「共感の思い」を書いている。
本書は「賤民」として差別されてきた人々の歴史を明らかにすることが差別の助長につながるものではなく、闘いを通して差別を克服していく道は何であるかを考える機会を与えるものとなっている。五木はサンカをテーマにした小説『風の王国』(新潮文庫)も書いている。 (滝)
投書
映画「母べえ」を見て
SM
弾圧のなかで
必死に生きる
1月に渋谷シネパレス1で「母(かあ)べえ」という映画(山田洋次監督作品)を見た。
戦争中の日本で夫が治安維持法で逮捕される。この映画は、そんな状況の中で2人の子どもを育てながら必死に生きる妻(母べえ)の姿を描いている。子どもたちの思いや家族を助ける教え子の姿などを交えて描いている。夫の野上滋(しげる)を板東三津五郎、妻の佳代を吉永小百合、滋の教え子である山崎徹を浅野忠信が演じている。滋の妹(久子)を檀れい、長女(初子)を志田未来(みらい)、次女(照美)を佐藤未来(みく)が演じている。
滋のモデルとなった野上厳さんは「一九二六年、大学を卒業するや日本大学予科教授に就職し、新島繁のペンネームで執筆活動をしていたのが治安維持法にかかり、忽(たちま)ち思想上の理由で、日大を追放された。その後、何度も検挙され、一九四〇年四月拘置所に入獄、十二月保釈出獄した」(『母べえ』、中央公論新社)。厳さんは「細かいのを入れると七回ぐらい」逮捕されている(『世界』2008年2月号)。この映画は、厳さんの娘である野上照代さんが書いた「父へのレクイエム」が原作となっている。
現代に続く警察
国家との闘い
この映画は、とても人間的な感じがした。警察(特高)は、とても非人間的だ。警察(特高)は絶対に許せない。私は、そう思った。「法政の大原社研の出している資料では、二八年以降検挙された者が六万人、起訴された者が六〇〇〇人と戦後直後に発表されています」。治安維持法の被害者について『世界』(2008年2月号)にそう書いてあった。
「アメリカじかけの現代天皇制国家」との闘いは、軍隊(国家が戦争をするためのシステム)やマスコミ・ファシズムなどに対する闘いであると同時に警察国家との闘いでもなければならないのではないか。革命的民主主義者は「警察と民主主義の問題を考えるインターナショナル」というような民主的国際組織を作るべきだ。現代の日本で、ビラ配りをした市民団体のメンバーや共産党員が逮捕されたり、活動家が微罪で逮捕されたりする事件が相次いで起っている。「母べえ」で描かれている問題は決して過去の問題ではない。「現代の特高」を絶対に許してはならない。これらのことを私は考えた。
アジアの被害者
への言及は不在
外国と日本が戦って日本が勝つことを願う心理を作り出すマスコミじかけのスポーツ・ナショナリズムは、「国家の戦争を支持するナショナリズム)と繋がっているのではないか。映画に出てくる炭屋さん(でんでん)を見て、そんなことも私は考えた。
「暗殺・リトビネンコ事件(ケース)」という映画(アンドレイ・ネクラーソフ監督作品)は「ナチスの犯罪はヒトラーだけの犯罪なのではない。ヒトラーの犯罪に無関心だった一般のドイツ人の犯罪でもある。無関心も犯罪なのだ」というような内容のことを主張していた。そのことを私は思い出した。
「『父べえ』たちを非人道的に迫害した、その罪の責任を誰もとろうとしないし、追及もしない。優しい『母べえ』は、戦後何十年もそれを胸の中に、納得のできないこととして、抱き続けていた、というのが、まあ、この作品のメッセージでしょうか」(『世界』2008年2月号)。山田洋次監督は、そう語っている。戦争は未だ終っていないのだ。
この映画には娘が母べえに宗教的なことを言うシーンがあった。日本はアジア太平洋戦争(15年戦争)でアジアの人びとを3千万人以上も殺りくした。310万人の日本人を死に追い遣った。絶対に許せない。だが、この映画には天皇制国家に対する正面からの批判、アジアの被害者たちへの言及などは欠落していた。それらが問題だ。私は、そう思った。
「母べえ」/2008年/日本映画
(2008年2月3日)
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