| 韓国はいま 再び、悪世を突く刃となろう かけはし2008.2.11号 |
地域―階級闘争の始まる所
全北(全羅北道)地域で新たな階級大衆運動を実現するための地域活動家たちの10カ月の苦労が組織の結成という実を結んでから1年が経過した。ありふれた表現として「左派は単一の政治的隊伍を作ることができるのか?」、「単一の運動的力を地域で具現することができるのだろうか?」という多くの同志たちの憂慮にもかかわらず、われわれは「新しい日を開く政治連帯」(以下、新開政)を地域で意味のある政治運動組織、情勢的実践の組織として位置づけられるに至った。
まず、何十年も苦楽を共にしながらも引き裂かれるという苦痛に耐えぬくというのがお決まりの運動の場にあって、互いに異なった考えや運動環境を克服したという点が最大の成果だ。振り返って見れば、互いに同床異夢を楽しみながら公開的かつ大衆的に組織を発足させたことへの責任感とでも言うべき綱渡りもあったし、表現される言語の一つにも微妙な雰囲気があったりしなかっただろうか?
けれども「階級闘争の始まる所は地域だ」という新開政の目指すものは、いささかの違いを克服することのできる強固な支えとなった。新開政は現代自動車の2交替闘争、民主労働党の右傾的態度に対する批判者の役割を展開することによって、社会変革、階級闘争を志向する断固たる政治運動組織としての位置を確保するに至った。
第2に、新開政は地域という長所を最大限に活用した。イレンド闘争や民主労総全北本部の選挙を経過しつつ、新開政という名の心張り棒は立派なテコとして活用され、周りの人々の憂慮は極めて自然に解消された。課題への迫り方、組織および戦術の多様性、闘争の主体を拡大・形成することのできる長所を生かし、「イレンド闘争勝利、地域ゼネスト」をも実現させるという爆発的闘争を展開したのは、この1年間の運動の長所であり、地域闘争の成果だった。
第3に、「地域」という問題提起の切り口を示したことだ。さまざまな地域を巡回しながら討論しつつ、「地域」から始まる変革運動の渇望を確認した。地域運動は階級闘争領域の拡大再生産を意味し、「具体的な階級闘争が始まり、また発揮される所が、まさに地域」だという変革的視点を伝え続けたことは、新開政運動が単純に行政的地域を乗り越える過程にあることを確認することでもあった。
第4は、同志的関係についてのものだ。見かけ倒しとならないためには組織のイデオロギー、相互関係がどのように浸透しているのかが、もう一つの前進のための重要な判断基準となる。人権、平和などのさまざまな社会運動、労働運動、政治運動の活動家たちが相互に連帯し共に呼吸することができるのか、という問題に着目して点数をつけるとするならば、最初は10点から始まって1年を経過するとともに70点ぐらいにまで到達したと言えよう。これもまた情勢に即応した闘争のその渦中にあって明確な原則を貫き通したがゆえに可能となったのだった。
労働者民衆にとっての「新年」
今後の課題も、そうたやすいものではない。地域の変革運動家であるならば、それぞれの限界や誤りを乗り越えつつ、運動勢力について回るもう一つの課題、すなわち組織建設ということへの性急さを避け、また幾ばくかの活動家たちのある種の努力だとする誤解を最大限、克服するために一層、努力しなければならないという点だ。
新開政の組織はいつでも変わることができるし、さらにもっと多くの変革的運動家たちと共に行動していくための努力をしなければならない。そうやっていってこそ静的な組織ではなく動的な運動として存在し続けることができるからだ。セマングム巨大干拓事業、群山米軍基地拡張など山積みする諸課題に対する大衆的実践を媒介とする組織へと絶えず踏みこまなければならない。
新年が明けたからと言って大仰な言いぶりが大手を振っている。けれども1997年のIMFの事態以降、キム・デジュン、ノ・ムヒョン政権を通じて完成されている新自由主義の搾取体制が持続される限り、労働者民衆にとって「新年」は存在しない。まさにわれわれにとっての新年とは、われわれの胸の内深く熱情によって満ち満ちた社会変革の夢そのものでなければならない。労働者民衆の変革的運動家たちは今も地域と闘争の現場、それぞれの空間において解放の世、その実現のための旅程を中断してはいない。社会変革の夢は、時には骨身にこたえる挫折もし、また慎み深く歓呼したりもしながら労働者民衆の本当の夜明け、「新年」が開かれることだけを待ちこがれているのだ。
資本のための経済自由区域
再び、大統領選が終わった2008年は彼らの苦悩を世の中にあらわにしなければならない。イ・ミョンバクの当選は新自由主義の搾取の支配が、87年体制をぶざまに仕立てぬいた自称「改革主義者」から新保守主義者たちの搾取の支配へと移っただけにすぎない。動揺している資本のどん欲さと労働者民衆に対する排他的支配の欲求がまき散らす悪臭に「唾を吐きかける」準備をしなければならない。社会変革の夢がある同志であれば、大きな枠組みにおいて基本的な情勢認識は、みんな変わらないだろう。
現在、現れている問題は、このような制限的措置(?)だけでは不充分だ。塔を築かなければならないということを当然のこととして、この10年を生きてきたとするならば、今はどのようにして塔を作るのか、その設計はどうするのかであり、またその材料は何によって、またその主体はどのようにして構成していくのか、それらが今後のわれわれの関心事にならなければ、と思う。今日の搾取の暴風は続いているが、われわれは真の左派として今日まで何をしてきたのかを診断し踏み込んでいくことを明らかにしぬく内的運動を展開しなければならない。
17代大選の渦中で、地域は今ひとたび新自由主義搾取体制の再編のための時空間として活用された。代表的には平澤、セマングム、慶北が経済自由区域に指定され、沿岸特別法とセマングム特別法が、搾取の論争さえ排除したまま通過してしまった。経済自由区域は新自由主義支配勢力が資本のための「特恵空間」として、われわれが一貫して反対してきた争点だ。
これまでの経済自由区域の論理を総合すれば、全国のすべての地域が経済自由区域となるだろう。新自由主義支配勢力は、このような火種に「国家的開発」という名のガソリンを投じる準備をしている。
新自由主義というのは巨大な争点や議論を中心として一つの戦線が形成されるというものではない。多様な方式の戦線が設置され、このような多様な方式の諸戦線の中で、さまざまな主体が形成される。新自由主義の経済自由区域、企業都市などは、まさに新自由主義を地域的に拡散するための方案であるとともに、別の側面においては新自由主義を構造化し、安着化するための方案だという点を見逃してはならない。新自由主義が持っているこのような多様な戦線において作られていく地域運動の活性化、これに伴った反対運動が展開されつつ表れる少数の運動が、主体を作り出すことにおいて重要な土台になる、ということに着目しなければならない。
それをうまくやり遂げることのできる空間が、まさに地域なのだ。ここにおいて資本が押しつけた排除と恐怖の政治を追い払い、共存と包容の政治、連帯と疎通の政治を具現しなければならない。また激烈な階級闘争を通じて資本の再生産の根拠地を崩さなければならない。今こそ変革運動は地域に対して一層具体的かつ確実な意味を持たなければならない。新開政の送年会の際の「再び、悪世を突く刃となろう」という決意が全国すべての同志たちと通じ合えれば、と思う。(「労働者の力」第139号、08年1月9日付、キム・ジョンソプ/新しい日を開く政治連帯・代表)
07年度勤労実態調査
非正規職法施行以後労働条件さらに悪化
労働部(省)が実施した「2007年度事業体勤労実態調査」によれば、下請け労働者たちは時間当たりの定額給与が正規職の1万1041ウォンの半分にしかならない5598ウォンにすぎなかったが、週当たりの総勤労時間は正規職が43・4時間であるのに比べて下請け労働者は49・2時間、働いていた。
正規職と非正規職を含めての時間当たりの定額給与は男子の場合1万1825ウォンであるのに比べ女子は7662ウォンで男性労働者の64・8%にとどまり、非正規職の労働者だけを比較しても男性労働者が8594ウォンを得ているのに比して女性労働者は6193ウォンで、2千ウォン以上の差を示した。
学歴においても賃金差は明らかだった。中卒以下の正規職労働者は正規職労働者の平均より4千ウォン程度少ない。7067ウォンで、非正規職労働者は5654ウォンで正規職平均の51%にとどまった。また非正規職の間でも2千ウォン以上の差があった。
賃金差はもちろんボーナスや退職金の適用においても非正規職と正規職の差ははっきりした。正規職は69%がボーナスをもらっているのに比して非正規職労働者は23%にとどまり、退職金については正規職が75%、非正規職は40・6%にとどまった。
週当たりの正常労働時間を比較した結果、正規職労働者全体の平均が41・3時間だったのに比べ60歳以上の非正規職労働者は47・7時間を働いていた。これは非正規職労働者間の比較においても大きな差として表れたが、非正規労働者の週当たりの正常労働時間の平均が38時間であるのに比べ、60歳以上の非正規職労働者は10時間も多く働いていることが分かった。これは50代から60代に移行するとともに幾何級数的に増えた。50代の非正規職労働者は39・4時間を働き、60代に入るとさらに8時間多く働くこととなる。
正規職労働者は15・1%が労組に加入していたが、非正規労働者の労組加入率は2・5%だった。非正規職労働者を雇用形態制で労組加入率を調べてみると派遣労働者は1・3%、下請け労働者は2・4%、日雇い職労働者は2・8%、期間制労働者は4・8%で、短時間労働者は0・3%にしかならなかった。労働者全体の平均労組加入率は12・5%だった。
非正規悪法撤廃、労働時間短縮と仕事の共有拡大、労働基本権争取闘争に共に乗り出すために再びハチマキをキリリと結ぼう!(「労働者の力」第139号、08年1月9日付、ヒム・ニュースより)
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映画「盲山」について
SM
新聞に「盲山」という映画のことが載っていた。紹介したい。
「中国における女性や子どもの人身売買の実態を描いた衝撃の映画『盲山』が、昨年末、中国内で公開された。二〇〇七年カンヌ映画祭にも出品された。話題作は、国内向けに四十カ所余もの削除・修正を迫られた。『外国人に中国の暗部を見せるのか』との批判も浴びた李楊監督(48)は『拝金主義によって生じた人間性の堕落を描きたかった』と強調している。……撮影に当たり、李氏は四川省や陝西省の山村を訪ね歩き、……被害者らに直接取材した。『事実は映画よりもっと悲惨だった』という。『売られた嫁が逃亡を図ると、別の家に転売される。三回も四回も売られる女性もいる。納屋に鎖でつながれ、性の奴隷となり、子どもを産む機械にされてしまう』。米国務省の報告によると、中国では年間十万―二十万人の女性や子どもが農村の嫁や働き手として売買されている」(「東京新聞」2008年1月9日、朝刊)。
インター(「かけはし」)は「今の中国はブルジョア国家(資本主義国家)だ」と規定している。今の中国は未だ社会主義をめざしているのか。今の中国はブルジョア国家なのか、歪められた労働者国家なのか。ぼくには良く分からない。
だが、これだけは言える。人身売買は許せない。人身売買を擁護するような左翼は「革命的な左翼」ではない。そのような左翼は人民に支持されないだろう。ぼくは、そう考える。(2008年1月20日)
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