| 映評「サラエボの花」監督・脚本:ヤスミラ・ジュバニッチ/2006年 かけはし2008.1.28号 |
今も癒えない「民族浄化」の傷
「集団レイプ」被害者の母と娘の葛藤
未来へ希望を切り開くための長く苦しい闘いとほのかな「光」 |
ボスニア紛争
が残したもの
「サラエボの花」が上映されている。この映画の原題は「グルバビイッツア」、ボスニア・ヘルツェゴビナで一九九二年に勃発し九五年に一応終結したボスニア紛争で、凄惨な「民族浄化」の犠牲になった地区のひとつである。ちなみにこの地区は、元サッカー日本代表チーム監督オシム氏の故郷でもある。
二十万人の死者、二百万人以上の難民・避難民を出したボスニア紛争。チトー大統領死去の後、スロベニア、クロアチアがセルビアの反対を押し切ってユーゴ連邦から独立した。
ボスニア・ヘルツェゴビナでは一九九二年三月に独立を問う住民投票が行われたが、セルビア人とクロアチア人は独立に反対し、紛争は四月に勃発した。この国は三つの民族(イスラム教徒のムスリム人44%、セルビア正教徒のセルビア人31%、カトリック教徒のクロアチア人17%)が混在していた。言語も方言程度の違いしかなく、顔つきも区別できないほどで、両親が違う民族の家族が一般的だという。
収容所での
悲惨な体験
紛争中、サラエボはセルビア人勢力に包囲され、市民は狙撃兵の標的にされ、「民族浄化」の名の下に、男たちは自分の家から追い立てられて殺害された。女性は収容所に集められ、「集団レイプ」された。レイプの犠牲者は二万人とも言われている。
「サラエボの花」はベルリン国際映画祭金熊賞・平和賞をはじめ多くの賞を受賞した。監督のジュバニッチは、十代をボスニア紛争の真っ只中のサラエボで生きた女性だ。
ボスニア紛争から十一年がすぎて、当時青少年であった世代によってこの映画がつくられたことに大きな意味がある。当時医学生で、「集団レイプ」の犠牲となり子どもを産み、育て、貧しい生活に疲労困憊しながらも生き抜いていく主演の母親エスマを演じているのはセルビア人のカラノビッチである。
暴力を拒絶する
監督のおもい
この映画は、二〇〇六年三月サラエボで上映され、観客は食い入るように見ていたという。また、ベルリン国際映画祭の後ベオグラードでも上映された。この時は、セルビア民族主義者たちが上映妨害を試みたが排除されて、無事上映が終わると満場の拍手が起こったとのことだ。
民族主義的な勢力からは、「サラエボの花」は反セルビア的な政治的意図をもった映画だと見なされていたそうだが、私はそのような印象はまったく持たなかった。セルビア人に対する「復讐」ではなく、戦争の犠牲になった女性や子どもたちが、日々の生活を生き抜きながら、自分の尊厳を取り戻し、かすかな未来の希望をつかもうとしている映画だと思った。
悲惨なボスニア紛争という時代背景を持ちながら、紛争場面はひとつもない。その代わり、「グループセラピー」の部屋で、「集団レイプ」の犠牲者たちの語る姿、うつむいた姿、大声で笑い続ける姿、焦点のないうつろな目をして中空を見つめているその姿によって「ボスニア紛争」は象徴的に表現されている。
仕事のなかったエスマは、知り合いからナイトクラブのウエイトレスの仕事をもらって働いている。バスが揺れるたびに途中から乗り込んできた男たちの体がエスマの体に押しつけられると、仕事に行く途中のエスマは耐えきれなくなってバスから降りてしまう。クラブで踊っている男女の挑発的な姿を見て、ホールから走り出てロッカールームの椅子にうずくまって泣き続けるエスマ。このようなシーンが、十年という歳月が流れても、ボスニア紛争が残した傷が今なお癒えていないことを語っている。
このようなシーンもあった。エスマの知り合いの二人の男に、「一万ユーロの報酬でひき殺せ、自動車事故に見せかけろ、セルビア人でもタリバンでもいい」と、路上で仕事を紹介する元「軍司令官?」。男たちはその仕事はもらわずに別れた。
またこのようなシーンも。ナイトクラブの経営者にエスマは給料の前払いを頼んでいた。その経営者は前払いの代わりにエスマのあたり馬券をくれと言うがエスマが買っていなかったことに腹を立て殴りかかるところを、知り合いの男が割って入って助ける。ところが、エスマはその男にお礼を言うどころか、「あんたたちはケダモノよ」といって走り去る。
これらのシーンによって、紛争の傷が今も癒えずにあること、敵味方ではなく、暴力そのものを拒絶するのだという監督の思いが伝わってくる。
「殉教者」と
レイプ被害者
いろいろなシーンを織り込みながらも、物語の幹はエスマと娘のサラを中心にして展開する。サラは、自分の父がシャヒード(殉教者)として死んだと思っている。サラには修学旅行が近づいている。学校のクラス会で担任の先生が、殉教者の証明があれば費用は免除される、負傷した場合は減額になると言った。サラはことあるごとに父のことをエスマに訊くが、エスマはその都度いい加減な返事をしたり、証明は何とかするからと曖昧な言い方をする。
旅行代金の工面のめどの立たないエスマは、最後に靴工場に駆け込んで、そこの女友だちに頼み、彼女が工場内を回ってカンパを集め、それでやっと学校に旅行代金を払うことができたのだった。しかし、サラが問題にしていたのは代金のことではなかった。「証明書は?」とサラは母に詰め寄る。エスマは給料が出たからそれは必要ないといって話をそらす。学校ではまわりの女生徒が、「シャヒードの子がなぜ旅行代を払うの?」とからかう。
サラは「パパはチェトニクに殺されたシャヒードよ」と言ってみたものの、自分では納得していない。そのことがあった翌日、サラは学校をさぼった。帰ってきたエスマがそのことをとがめると、サラはエスマに拳銃を向けて、父の本当のことを教えてくれと迫る。この拳銃は、つきあっているボーイフレンドの父の遺品で、彼から借りていたものだった。彼の父がシャヒードだったのでサラは気があっていた。
この場面のためにそれまでのすべてのシーンがあるかのような、カラノビッチの圧倒的な迫力の演技だった。それまでのエスマは、毎日の生活に疲れた顔つきをしていたが、このときは、「そんなに知りたいか!だったら教えてやる!」と、収容キャンプで「集団レイプ」されていたことを、激しい口調で語り、サラに馬乗りになってサラを叩き続ける。
その後のセラピーの場で、エスマは初めて泣きながら被害のことを話す、「自分のおなかをゲンコツで何度も殴ったが流産できず、子どもは生まれてしまった。子どもは見たくなかったが、泣き声を聞いて一回だけ乳をやろうとその子を腕に抱いたとき、この世にこんな美しいものがあるのかと思った」、と。
サラエボ・
マイ・ラブ
この映画でも、殉教は誇りでその家族にはそれなりの生活援助があるのに、同じ戦争の犠牲でも「集団レイプ」されたことは恥だという国家の基準が浮き彫りになっている。
サラは髪を刈って丸坊主になって修学旅行の集合場所にやってきて、うっとうしそうに母から離れてバスに乗る。しかしバスが動きだすと、サラはバスの最後部の窓からエスマに向かって手を振るのだった。バスの中では、子どもたちによる「サラエボ・マイ・ラブ」の歌声が大きく響いている。この最後のシーンにボスニアの未来の希望が暗示されていることがよくわかる。
ボスニア紛争が一九九五年に一応集結した後、国はボスニア連邦(ムスリムとクロアチア人地域)とセルビア人共和国の二つに分割されたが、分割されたボスニアをひとつにしていく努力が続いている。現在のボスニアは、民生面では国連安保理の同意の下、平和実施会議が設立され、上級代表部が置かれている。軍事面ではNATOを中心とした多国籍軍が停戦監視に当たっている。中央レベルでは三民族の代表各一人計三人からなる大統領会議がおかれ、三人が輪番制で大統領の役割を果たしている。見る価値のある映画です。
(津山時生)
コラム
共有される「現在」
連日電車が遅れる。理由は「人身事故」、「架線故障」、「踏切事故」とさまざま。この動かない電車で、それも網棚で拾った漫才コンビ麒麟・田村裕の自叙伝『ホームレス中学生』を読んだ。二百ページ弱の長さだが、二時間程で読める。内容については後に触れるが、読後は結構さわやかな一冊であった。
テレビや電車の中吊り広告に「段ボールを食った」とか「発売二カ月で百万部を突破!」とかセンセーショナルに取り上げられていたので多少の興味はあったが、著者も「おわりに」で述べているように「芸人本ブームに乗っかって書いた」ものと思っていたので、「電車が動かない」という事件でもなければ読んではなかっただろう。
見出しに沿って簡単に内容を紹介する。中学二年の一学期の終業式が終わって家に帰ると「差し押さえ」の貼紙があり、兄と姉の三人で父の帰りを待つ。父に「ご覧の通り……厳しいとは思いますが、これからは各々頑張って生きてください。……解散」と言い渡され、公園生活がスタートする。場所はこの本で有名になった大阪の吹田市にある「まきふん公園」。夜は「まきふん」と呼ばれるスベリ台で眠り、昼は図書館で涼む。育ち盛りの中学生は壮絶な空腹に襲われ、草を食い、ついに段ボールにまで手を出す。
さらに自販機の下にもぐり込みおカネを探す。そして偶然同級生と「人生を変える奇跡的な出会い」をし、「家、無くなっとん。……飯食わしてもらわれへんかな?」と頼む。その友人宅で事情を説明すると友人の両親はあらゆる方面に走りまわり、ついに「兄弟が再び集合」していっしょに住めるようになる。
その後はやさしかったお母さんの「直腸がん」による死。そして「転落」の直接的契機も父が母と同じ「直腸がん」を患い、闘病中に解雇になった話などが続く。特筆すべきはいろんな感情を整理できずに悩む若者に本心から向かい合ってくれた先生の思い出と手紙。
マスコミが騒いだ公園でのホームレス生活は約一カ月弱で、本全体の四分の一程で終わっている。たかが一カ月、されど一カ月の公園でのホームレス生活も実に淡々と描いている。文面から感情が溢れるのは母に対する思い出の部分だけと言ってもいい。
「読後さわやか」な理由は、壮絶なホームレス生活も受けをねらった芸人の話にしていないところであり、物語をつくったり誇張していない点にある。同じような芸人本のベストセラーである島田洋七の「がばいばあさん」と比較するとそれは一目瞭然である。
だが、いかにマスコミの後押しがあろうと「さわやかさ」だけで二カ月で百万部も売れるだろうか。この種のベストセラーは、いずれも「レトロ」「故郷」「母」などが共通のテーマとなっている。映画「三丁目の夕陽」や本やテレビで取り上げられる「田舎暮らし」もまた同じ根を出発点としている。つまり共有しているのは「過去」である。だがこの本は「ホームレスの中学生」というショッキングなテーマを媒介にして「現在」を共有させていることに想像を超える売れ行きがあるような気がする。
それは現在、社会の幸福や家族がいかに不安定な状態の中にあるのか、人間の温かさや冷たさがいかに紙一重のものなのかを、共感していることの反映かもしれない。(武)
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