前文に「国の
責任と謝罪」
十二月二十三日、ついに福田首相は薬害C型肝炎訴訟で原告側が求めた被害者の「全員一律救済」をかたくなに受け入れない対応を変え、議員立法によって「一律救済」を実現する方向を打ち出した。二十五日、福田首相は官邸で薬害C型肝炎訴訟原告団の代表四人、弁護士二人と面談し、「長年にわたり、心身ともに大変なご苦労をおかけした」と謝罪した。
十二月二十八日には、自民、公明両党の間で与党肝炎対策プロジェクトチームがまとめた「薬害C型肝炎感染被害者救済給付金支給法案(仮称)」の骨子が了承された。同法案の前文には「政府は感染被害者に甚大な被害が生じ、その被害の拡大を防止し得なかったことについての責任を認め、感染被害者の方々に心からおわびすべきだ」「医薬品の供給企業には製品の安全性確保などに最善の努力を尽くす責任があり、本件はそのような企業責任が問われるものだ」とする「国の責任と謝罪」に関する文言が織り込まれることになった。同法案は、一月七日に臨時国会に上程され、今国会中に可決・成立が見込まれている。
原告側も、この法案による解決を基本的に歓迎している。
「命の叫び」に応え
川田議員も奮闘
「行政は司法の枠を超えられない」として原告・弁護団の求める「被害者全員一律救済」を拒否してきた政府の対応を変更させたのは、二〇〇二年に国と製薬会社に賠償請求を求めて以後の五年間にわたる原告たちの闘いであり、とりわけ大詰めの十一月から十二月にかけて文字通り命を削って連日街頭で、あるいは首相官邸や厚労省に向けて訴え続けた原告たちの闘いだった。
十月に、厚労省が四百十八人に上る感染者リストを把握していながら、それを告知せず、放置していたことが明るみに出て以後、メディアも原告たちの訴えを取り上げ、世論の支持も広がった。
福田内閣の方針転換は、国の責任を認めず、被害者たちの必死の訴えに応えようとしない政府への批判が強まり、内閣支持率が急落する状況の中で「政治決断」によるイメージの回復をねらう「政局」的思惑によるものであることは言うまでもない。しかしそれを引きだしたのは、何よりも被害者たちの「命の叫び」だった。
薬害HIV感染被害者であり本人もC型肝炎に感染した川田龍平参院議員も、薬害C型肝炎被害者の訴えを自分自身の闘いとして、原告とともに厚労省、首相官邸に向けて「全員一律救済」を訴えた。政府・厚労省、製薬会社の責任を追及する原告たちと支援の仲間の声がついに政府をも動かしたのである。九州原告の福田衣里子さんは「薬害被害者を放置してきた行政のずさんさは消えない。厚生労働省に掛け合い、医療費助成や恒久対策を働きかけていく」と決意を明らかにしている。
福田内閣・与党の「謝罪」にもかかわらず、四月から導入予定の高齢者の医療費負担増は一年先送りされただけで、生命と健康はカネ次第の医療切り捨て政策が、「財政再建」を口実に継続されようとしている。資本主義の冷徹な市場原理が貫徹されるかぎり、人びとの生命と健康への権利は破壊されるのだ。「必要で適切な医療サービス」を無償で受ける権利を勝ち取ろう。 (純)
WSFあらかわプレイベント
「荒川スタディーツアー」見て、歩いて、学んだ1日
【東京東部】一月に開催される「もうひとつの世界のための1・26グローバルアクション」に賛同する団体による初めてのイベントが十二月二十三日、東京・荒川区で開催された。荒川の歴史と市民運動に触れるべく、「平和憲法を守る荒川の会」が中心になってスタディツアーを企画した。親子連れを含む二十人以上の人々が遠方からも参加し、1・26本番に向け理解と交流を深めた。
午前九時三十分。雪になりそうな冷たい雨のなか、集合場所の町屋駅前に次々と参加者が集まる。都内で唯一残る都電・荒川線に乗り区立「さつき会館」へ。会議室で部落解放同盟荒川支部の高岩昌興さんから講義を受ける。
高岩さんは親しみやすい語り口で、近代に形成された荒川の被差別部落の歴史を概観・解説した。荒川の部落の歴史は古くはない。一九〇二年を一応の起点とすると、まだ百年とわずかである。徳川幕府は浅草・亀岡町の「穢多頭」・弾左衛門を通して、関東近県の「長吏・かわた」を支配していた。亀岡には弾左衛門の屋敷と役所があり、「新町町役所、弾左衛門役所」などとも呼ばれていた。また浅草新谷町には屠場があった。現在の台東区入谷、千束地域で区立金竜小学校の北側の一帯である。弾左衛門配下の長吏・かわたは皮なめしや悪人の取押さえなどを任され屋敷の中で生活していた。
一八九二年、この地域の皮革業者に東京府の強制移転命令がある。革なめしの排水が田畑を荒らすという農民の騒ぎと行政当局の差別意識がそうさせた。滋賀県から東京へ。浅草から三ノ輪へ、そして三河島へと、業者たちは移転を繰り返していった。荒川にはかつて七十を超える皮革工場があったが現在は五社しか残っていない。高岩さんは今でも続く不動産業者らによる差別的な土地調査や、行政の対応を批判した。
さつき会館の周辺には、「都汚水処理場」(現・三河島水再生センター)、出産時に後産として出てくる胎盤などを集めて処理する胞衣(えな)処理場、有名な火葬場(町屋斎場)などがある。東南にはかつて野犬係留所もあった。二十数年前まではここで野犬が処理されていた。これら忌避施設、終末処理施設が、明治以降の行政機関によって、荒川の被差別部落に集中して造られている。
高岩さんの案内で会館周辺を歩く。タイムスリップしたような風景と細い路地。一行は「皮なめし」の工場を見学する。タンニンの独特の臭気漂う作業場。建物の窓ガラスはあちこちで割れたまま、寒風が吹き込んでいる。まるで廃屋のようだが操業している。
重大な労災を伴う典型的な3K職場。外国産の安価な製品が市場に出回り、国内の皮革産業は長く深刻な存続の危機に瀕している。「世界に誇れるはずの技術を継承する職人が育たない」と高岩さんは漏らす。
会館に戻り自己紹介と質疑応答。外の雨はすっかりあがっていた。参加者は徒歩で三河島の朝鮮第一初中級学校に寄り、JR三河島駅前の韓国料理店で昼食をとる。この周辺は都内有数のコリアンタウンになっている。
山谷地区の歴史
と闘いを知る
JR常磐線で南千住に。駅前は再開発が進み、風景がすっかり変わっている。回向院、延命寺・小塚原刑場跡など区内有数の旧跡を見学。ここから、日雇い労働者の支援活動をしている仲間にガイドを引き継ぎ、徒歩で山谷地区へ。泪橋交差点を渡るとすぐに路地へ入る。支援運動と暴力団との激突のなかで二名の仲間が相次いで暴力団「金町一家」に殺された。八四年十二月二十二日早朝、台東区日本堤二丁目で、パンを買っていた映画監督・佐藤満夫さん(享年三七歳)が男に背後から包丁で刺され、死亡した。その襲撃現場に立ち止まる。八六年一月には、争議団幹部の山岡強一さん(享年四十五歳)が新宿区大久保の路上で、男に首や胸などを撃たれ死亡した。
運動の拠点である城北労働・福祉センター前で解説を受け、労働者福祉会館の屋上へ上がる。会議室で簡単な報告を受ける。今年も越年越冬闘争が取り組まれた。
「土手通り」から吉原大門を経て風俗街を通りぬけ、最後の見学地浄閑寺へ。安政二年の大地震で犠牲になった遊女たちを供養する、通称「投込寺」である。新吉原創業から昭和にいたる三百八十余年間に葬られた死者は約二万五千人。境内には「新吉原総霊塔」や永井荷風の詩碑がある。ここで記念撮影をしてこの日の予定を終えた。
「1・26グローバルアクション」の開催まであとわずか。荒川区には、反戦、反差別の運動、DV被害者を支える活動や、本土初空襲の体験を語り継ぐ平和イベントなど、区民による地道な取り組みが少なくない。地元の運動とリンクしながら、豊かで実りのあるフォーラムをいかに成功させるか。区内の複数の会場を使って多彩なワークショップが横断的に計画され、賛同申し込みも日々増え続けている。実行委は連日のように議論を交わし、より広範な人々の結集をめざしている。 (S)
コラム
年のはじめに
年末の大掃除を終え、自転車で実家へ向かう途中、携帯電話のベルが鳴った。川田選対のスタッフからだった。
そういえば。選挙運動の記録集を作るというので「手伝える」と申し出ていた。すっかり忘れていた頃に、依頼の連絡だった。しかもゲラ校正を正月休みで仕上げてほしいという。困った。仕事が増えた。でもいまさら断れない。
二〇〇七年を振り返れば。一月「NHK番組改変裁判」控訴審での画期的な勝訴。三月、WPN日比谷集会。四月、石原が再選された無念の都知事選と、許すことのできない長崎市長射殺事件。注目度抜群だったフリーターメーデー。
精力的に街頭に繰り出し、みごと龍平さんの当選を勝ち取った七月の参院選、与野党逆転。八月、ビルマ反政府デモの拡大と、九月国軍による長井さん虐殺。続く日本での抗議行動。改憲を食い止めるべく一年の準備を経て発足した「平和憲法を守る会」。賛同要請で出会った地域の人々。未組織の組織化をめざした「ユニオンYesキャンペーン」の開始。十月、今年一月の「WSF世界行動デー」に向けた実行委の発足と開催地の決定。十二月、労働者の文化祭「レイバーフェスタ」の開催。「グローバルアクション・荒川スタディツアー」の成功。こうした運動や行動のなかで、実に多くの人に知り合うことができた。充実した一年だった。だが裏腹に体調は最悪。腰痛は悪化し、白内障の視力はさらに低下していった。
四十歳代は「働き盛り」だと言われている。企業では経験を積んだベテラン管理職。組織の中核を担い、仕事がもっとも充実している時期だと。だがいまや過去の話。終身雇用が崩れ、年功序列が破壊され、成果主義が幅を利かせている。学卒・新卒に代えて、派遣・契約社員が重用されている。正社員は緊張が解けない長時間労働を強いられ、サービス残業が当たり前になっている。
「『反貧困』に希望が見える」とは元日付の東京新聞社説。時の人となった湯浅誠さんと河添誠さんが登場する。経済のグローバル化は下方スパイラル現象をもたらし、貧困層の増加が止まらない。低価格低賃金への競争が国境を越えて進んでいる。
全員が非正社員の職場。店長以下過労死寸前まで働かされ、この「連帯感」が、巧妙に資本に利用されている。「やってらんないよ」と声をあげてはじけること。不正や理不尽に抗議の声をあげること。これが湯浅さんの提案だ。
さて私たちはどうか。本工主義に肩まで浸かり、革命を語る「サロン」に安住してはいないか。シンパや女性たちを見下してはいないか。周囲の人々の視線は鋭い。「活動盛り」の年男。さまざまな困難を抱えつつ、自戒をこめて年頭に。(隆)
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