| ベネズエラ 岐路に立つボリバール主義革命 かけはし2008.10.6号 |
憲法改正の国民投票を個人への投票に擬人化させた限界
フェルナンド・エステバン |
昨年十二月の憲法国民投票で「社会主義憲法」をめざしたチャベスの提案が敗北したことは、ベネズエラの「ボリバール主義」革命過程の重大な転換であった。チャベス派内部での右派と左派の相違の鮮明化、チャベスの「個人的」なポピュリスト的権威の強化の中で、新しい下からの闘いが問われている。達成した成果を維持するためには自治と民主主義に基づく動員が必要なのである。(編集部)
昨年十二月の国民投票におけるウーゴ・チャベス大統領の敗北は、十年以上前に始まったボリバール主義過程の重要な転換点となった。この敗北後、深刻な選択が生じた。すなわち、この過程を社会主義社会に向かって加速するのか、それとも反対に、現状に甘んじ、革命を大統領のイメージの周りにのみとどめるのか、という選択である。
十三回連続の選挙の勝利の後の十二月の国民投票の敗北は、ボリバール主義左翼全体にとってボディブローとなった。この十年間で初めて、広範に認識されている革命の獲得物にもかかわらず、ベネズエラ人民は不承認を表明した。
革命の獲得物
とミッション
石油輸出量世界第四位、石油埋蔵量世界最大級の国では、石油は非常に強力な財政的武器である。PDVSA(国有石油会社)が生み出す利潤は、革命の数々の「ミッション」をまかなうことを可能にしている。とりわけ重要なのは、教育に関するミッションである。
b ロビンソン・ミッションは、読み書きできない人々に読み書きを教えることを目的としている。
b リバス・ミッションは、中等教育を行っている。
b スクレ・ミッションは、旧共和国が排除していた学生たちに大学教育を受ける機会を与えている。この目的のために、全国各地にボリバール主義大学が設立された。ボリバール主義大学は、ベネズエラ中央大学(カラカス)やロス・アンデス大学(メリダ)のような有名な伝統的なベネズエラの大学と並行して機能している。
これらの教育ミッションは、大いに成功を収めている。学生はあらゆる年齢を含む膨大な数にのぼり、これを運営するセンターの数も増えている。この熱気の理由のひとつは、そこで行われている教育の方法にある。コースはビデオ・カセットで提供され、一人の教師がグループを支援するが、グループは常に非常に小さなグループである。そこには評価や処罰のシステムは存在しない。すべては学生の進歩を奨励するために行われる。結果自体が成功を物語っている。二〇〇五年十月、UNESCOは、ベネズエラを「非識字から開放された地域」と公式に宣言した。
もうひとつのよく知られたミッションは「バリオ・アデントロ(地域の中へ)」と呼ばれる医療ミッションである。キューバとの協定の枠組みの中で、今日では一万五千人近いキューバ人医師がベネズエラ政府に雇われている。このようにして、医療を受けることは完全に無料化された。同じモデルに基づいて作り上げられた診療所が設置され、これらの医師は住民を治療し、同時に人々に衛生と避妊の知識を教える。
彼らはまた、多くの統計を集め、住民の健康状態の変化を観察する。進歩が実現していることは明らかであり、全体としての住民、特に地区の住民の生活状態の改善が見られるが、これはほとんどこれらの医師のおかげである。
また、メルカル・ミッションについて語ることもできる。これは低価格で食料品を販売するものである。すべてのベネズエラ人に対して作られたものであるが、特に住民の最も貧しい部分を対象としている。
さらに、子どもたちの生活条件の改善を目的としたピアル・ミッション、生産協同組合の発展を目的とする「ブエルバン・カラス」、先住民の権利とベネズエラの共同体の回復のために活動するグアイカイがある。チャベスは、「貧困と闘うことが、貧しい人々に権力をもたらすために必要である」としばしば繰り返してきた。
これらのミッションはこのためのものであり、地域のひどく貧乏な住民を助けることを目的としている。彼らは、チャベスを再び権力の座につかせた二〇〇二年のクーデターのときに街頭を占拠した人々であった。
最後に、ボリバール主義過程の不可欠の改革のひとつである土地と漁業に関する法律について語らなければ、ボリバール主義革命の獲得物について語ったとはいえない。ベネズエラではわずか八家族が十五万ヘクタールの土地を所有している。これはベネズエラの首都(人口四百万人)の面積の十八倍に等しい。さらに、これらの膨大な所有地の大部分はほとんど耕作されておらず、しかもこの国の最も肥沃な領域に所在している。
そして、一部の大土地所有者、たとえば酒造会社のサンタ・テレサはアラグア渓谷に設立されているが、土地を占有する文書化された権原を持っていないことを強調しておく必要がある。法律は、国家土地機構を通じて農民の間での土地の分配を正規のものにすることにより、土地資源のより公平な分配の過程を開始することを可能にするものであった。
この法律は、基本的サービスを備え住民に医療と健康へのアクセスを提供し、尊厳を持ったより良い生活をおくれるようにする農村住民センターの設立を奨励している。この法律は貧しい農民を保護し、生産協同組合やその他の協同組織の結成を奨励している。そのために財政的および技術的支援を行い、また同時に生産物の輸送や販売手段の確立を通じて経済的に存続可能な条件を作り出す。
敗北した国民
投票について
これらのよく知られた獲得物にもかかわらず、昨年十二月の国民投票でチャベスが敗れたことにわれわれは驚いたが、さらにもっと驚くべきことは、大統領の提案の中に次のようなことが提案されていたのに敗れたことであった。
b 人民権力評議会(たとえば、学生評議会、農民評議会、など)を通じた、および労働者協議会、協同組合、共同体企業を通じた、民衆参加の認知。
b 労働の権利の強化。労働者が国家の支援を受けて退職、年金、有給休暇に関する広範な権利を活用することを可能にするための、労働者のための社会的安定基金の創設を含む。
b 一日の労働時間の八時間から六時間へ、週労働時間の四十時間から三十六時間への短縮。
b 先住民グループ、およびアフリカ強制移民の子孫のグループの特殊性の認知。彼らの権利の保証と法律による特別な配慮の保証。
b 人道主義的価値、共同、私的利益に対する公共の利益の優越に基づいた、国家生産経済モデルの創設。国家は、社会的、共同体的もしくは国家財産に基づいた特別な形態の会社や経済単位を推進し発展させ、社会主義経済の実現にとって最善の条件を創出する社会的生産および分配、国家と民間部門の混合企業を推進し、発展させる。
これらの社会的獲得物を見れば、人民階級はふたたびチャベスの提案に圧倒的に賛成投票をすると考えるであろう。しかし、そうはならず、まったく反対であった。国民投票は、反対派の勝利以上に、ベネズエラ大統領の敗北であった。この結果を前回の大統領選挙の結果と比べてみれば、前回はチャベスの得票率は六一・三五%で、反対派を四百万票上まわったが、チャベスは三百万票を失った。棄権率は四五%であった。最終分析によれば、憲法提案はわずか二十万票の差で拒否された。
西側メディアの大部分は、すばやくベネズエラ人民の知性を賞賛した。彼らにとって、この失敗の説明は単純かつ直線的で、以下の二点に集約される。すなわち、キューバ型社会主義モデルの拒否とチャベスが無期限に大統領になる権利の拒否である。
あきらかに、新憲法草案の第二三〇条は、大統領任期七年を提案し、再任の可能性を無限に認めている。このような提案は明らかに満足できるものではない。しかし、このことからメディアが言うようにチャベスがベネズエラの独裁制を望んでいると結論することは、これと同じような制度が、正しく思考するメディアの人々にとってほとんど問題を提起することなく、フランスや他のヨーロッパ民主主義においても実施されていることを忘れていることである。さらに彼らは、チャベスが敗北を認め、結果が明らかになった夜に反対派を祝福したことから、ベネズエラが実際に民主主義であるということさえ、忘れているのである。
この敗北の理由をあらゆる面から追求することが必要であることは、明らかである。
初めての後退
と敗北の理由
まず第一に、提案は広範な住民を満足させることを狙っていたが、結局誰も満足させなかった。大統領指令の更新は、ボリバール主義過程の穏健な翼を満足させるためのものであったが、彼らは社会主義なきチャベス主義を望んでいる。しかし、ボリバール主義過程の最も急進的な翼を満足させることはできなかった。
したがって、ベネズエラの主要労働組合連合であるUNTの指導部のメンバーであるオルランド・シリノのような人物が、公式に提案に反対を表明した。他方では、上述の改革の社会的側面全体は、社会主義を望んでいない新しいボリバール主義的ブルジョアジーにとっては受け入れがたいものであった。この観点からすれば、チャベスの古い仲間であるバデュエル将軍が改革に対する強い反対を表明したことが象徴的であった。
さらに、チャベスが選択した方法に明らかに問題があった。チャベス大統領は憲法改正に際して、彼自身が選び彼の周りに集めた友人のグループのみと相談した。かくして、改正提案以上に、チャベスはこの革命の本来の形式を命令によって消失させた。すなわち、憲法制定の民衆的、革命的、民主的過程という形式である。
これまでの最大限の到達点は、一九九九年の憲法制定会議における公開討論であった。さらに前進することが可能になり、国中に対話のスペースを確立して改革を行い、権力を及ぼすことが可能になった瞬間に、チャベスはボリバール主義革命運動の挑戦課題を投げ捨て、彼に賛成するのか反対するのかという問題にしてしまった。
ここから抜け出す道はあり得た。すなわち、チャベスが提案した改革モデルを国中に組織された憲法制定スペースのための作業原案とすることにより、承認を求め、正統性のモデル、憲法制定と革命的民主主義の具体化を獲得することであった。
実際には、改革はほとんど背景に消え去った。なぜなら、キャンペーンの中で、チャベスは憲法改正の国民投票を個人への国民投票にまで擬人化してしまったからである。すなわち路線は、「ノーはブッシュへの賛成投票、イエスはチャベスへの賛成投票」というものであった。
この事態に直面して、反対派は非常に効果的なキャンペーンを展開した。テレビのスポット広告や人気コーナーで、改革が実現し「社会主義になると」、国家がすべての私的なものの所有者になり、家や車をまったく合法的に接収できるようになる、と休みなく宣伝した。社会主義はほとんど持たない、または何も持たない人々から奪うと説明することによって人々の恐怖を利用する点で、この路線による議論は非常に成功した。
最後に、この失敗の主要な理由は、疑いもなく、ボリバール主義陣営内のある種の対立の高まりである。ボリバール主義革命をチャベス個人の人格と同一化したいという願望、すなわちベネズエラ統一社会党(PSUV)の道が、十分協議されることなく形成され、この道に沿って改革を押し付けようとしたことが、この離反を説明する。
棄権率は高かった。なぜなら、チャベスの提案は、その形態においても、その本質的な内容においても、現実的な民主的、反覇権主義的展望を提起していなかったからである。セバスチャン・ヴィーユとフランソワ・サバドは、「ルージュ」第二二三〇号に次のように書いた。「この敗北は、政府とボリバール主義革命の最も戦闘的な部分との間の関係の悪化の反映である。」
今日のラテンアメリカにおいて上から社会主義を押し付けることができると考えるのは、ユートピア的である。課題は、根本的な民主主義を構築することである。それは、現状に反対し、参加者と民衆のイデオロギーに関して複数主義的なものでなければならない。この初めての後退に直面して、チャベス主義の穏健な翼の間には、社会化と社会主義的側面を弱めた新しい改革を押し付けようという強い誘惑が存在する。社会化と社会主義的側面が十二月二日の敗北の原因であるとされているからである。したがって、社会的運動にとって重要なことは、前進を続けることである。この観点からみると、幸いにもいくつかの積極的な点が見られる。
SIDOR再
国有化の闘い
まず第一は、もちろん、最近のSIDORの国有化である。三カ月に及ぶ断固たるストライキと闘争の後、四月八日水曜日、ウーゴ・チャベスがついに介入し、ベネズエラで最も重要な鉄鋼会社の再国有化に同意した。SIDORは一九九七年にカルデラ大統領によって民営化されていた。
論争の核心は、SIDORのベネズエラ労働法違反に対する労働者とUNT労働組合による弾劾であった。テルニウム│SIDOR経営陣は、集団労働協約を完全に無視して、一万五千人の労働者を十五か月間も絶対的な賃金不安定状態にとどめた。同社は資本の二〇%を国が、二〇%を労働者が、六〇%をイタリアとアルゼンチンのコンソーシアムであるテチントが保有している会社で、一万五千人の労働者のうち、九千人は労働契約を結んでいない。経営陣は、今日まで労働者の総会が合法的に決議した賃上げの実施を拒否しているだけでなく、反対に、人員削減、賃金カット、いっそうの不安定化の方向への労働契約の変更、元従業員への年金の減額修正を追求してきた。
さらに悪いことに、労働者が共同社長の一人を指名することを可能にする資本の二〇%保有という事実にもかかわらず、経営陣はこの投票権の有効性を認めることを無条件に拒否した。これまでは労働相ホセ・ラモン・リベロに擁護されて、同社の経営陣は、外国資本の利益を受けているのでベネズエラの法律を無視し続けることができると考えていた。リベロは、交渉を求めるのでなく、反対に昨年八月に公共部門のUNTの同志たちに対して行ったように、労働者を力で屈服させることを望んだが、チャベスによって容赦なく退けられた。
四月四日、UNT労働組合は全員投票を行い、工場の労働者に対して二つの質問が提出された。第一は、雇用主が交渉のテーブルで出した提案に同意するか否か、第二に、ストライキと交渉を継続することを望むかどうか、である。
三カ月も闘争が続いたにもかかわらず、労働者は最初の質問に対して三千三百三十八対六十五でノーと答え、第二の質問に対しては三千百九十五対九十七でイエスと答えた。四月七日月曜日に、労働者の抵抗にうんざりした政府は決定した。副大統領ラモン・カリザレスが自ら新しい交渉を招集した。今回のこの交渉にはホセ・ラモン労働相は招かれなかった。工場を常に防衛する六百人の労働者の絶えざる圧力の下で、四十八時間以内に危機は解決した。
労働相ホセ・
ラモンの没落
この闘争は、さらにホセ・ラモン・リベロの没落をもたらした。UNTの同志たちが彼と衝突したのはこれが初めてではない。昨年八月十五日、ベネズエラ労働省の労働者であるUNTの労働組合代表は、全公共部門労働者のための全国労働協約の原案を提示するために労働省の部長であるレニナ・ガリンドとの面会の約束をしていた。彼らが到着すると、彼女はホセ・ラモン・リベロ労働相と会議中であると言われた。そこで、労働組合代表団は待つことにした。その日の終わりごろ、大臣の命を受けた誰かがやってきて彼らに告げた。レニナ・ガリンドは彼らに会う権限を与えられなかった、と。
労働組合代表団は怒って、面会が実現するまで労働省を占拠することに決めた。かくして、四十五人の人々、男や女たちは待ち続けた。最初は、労働省の部長と副大臣が、頑固な労働者たちに退去するように説得するために送られてきた。
次に、対決を避けることができないことを理解した労働相は、ドアを閉鎖することを命じ、同時に水道と電気を止めることを命令した。このようにして六日間が過ぎたが、状況はなんら変わらなかった。消防署員も入ることが妨げられ、連帯のために食料を届けようと試みる労働省従業員とのあらゆる接触は禁じられた。
水、食料、医療品を奪われ、人間の基本的権利の尊重の重大な欠如に直面しても、それにもかかわらず勇敢な労働組合員たちは留まった。ついに、大臣は彼らを排除するために軍隊を招集した。兵士が登場し、占拠の事実を見たが、介入しないことに決定した。怒った労働相は、純粋な単純なやくざ的方法をとり、近隣の無法者を集めた。彼ら一人ひとりに五万ボリバール(約十五ユーロ)払うことを約束し、反チャベスの反対派だからと言って労働組合員たちを暴力的に放り出すことを頼んだ。暴力的な排除の後、労働組合員たちは拳銃で武装した暴漢たちに追い立てられた。しかし、この物語の最も面白いところは、排除自体ではない。
実際には、これらの労働組合の同志たちはすべてUNTのC―CURAおよびマレア・ソシアリスタ潮流のメンバーであり、その多くはトロツキストであった。そして、排除が行われていた丁度そのときに同大臣は、ボリビア共和国がレオン・トロツキーに初めて公式に敬意を払う式典の開会演説を行っていたのである。リベロのやり方はこのようなものである。
最後に、リベロは地位を奪われたとき、彼はUNTと真っ向から競合する新しい労働組合連合を設立しようとしていた。この労働組合連合は彼の命令に従うはずであった。このプロジェクトは彼の更迭とともに凍結されたようであが、いつの日かチャベス主義右派によってふたたび持ち出されないとは言えない。
PSUVの内部
的マヌーバー
今のところ、右翼はPSUVのことで頭がいっぱいである。PSUV、すなわちベネズエラ統一社会党は、チャベスの旧MVR(第五共和制運動)、ベネズエラ共産党の一部、PPTおよびポデモスの一部を統合した新しい党である。三月に、指導部の選挙が行われた。
第一段階では、投票する権利を持つメンバーの指名が行われた。五百万人の党員のうち投票できるのはわずか八万人であるが、誰もこの選抜がどんな基準に基づいているかは知らない。第二段階では、チャベスがテレビの生放送で七十人の名前のリストを発表した。このリストから全国指導部となる三十五人を選択する必要がある。最後の第三段階では、三十五名の全国指導部が選出された後、チャベスがテレビの生放送で政治局のメンバーを指名した。そこには政府のメンバーしかおらず、社会運動や労働組合運動の代表は含まれていなかった。各大隊(基礎組織)の代表団の票は、結果が確認されることなく処理された。
官僚がこの選挙を処理した方法にもかかわらず、PSUV内部には依然として政治的空間が存在する。したがって、たとえば、全国指導部を構成する三十五人の選挙の際には、政府が作成したリストが出回り、投票すべき名前が指示される。残念ながら指名された八万人の選挙人は指示に従わず、自由に投票した。このことが、政治局の指名をチャベス自らが行った理由の一部を明らかに説明している。同じ意味で、マレア・ソシアリスタのメンバーである同志ゴンザオロ・ゴメスは、官僚に対する反対派であるにもかかわらず、代表のひとりに選ばれることに成功した。
明らかに、PSUVのようなビッグ・マシーンの中で活動する方法を学ぶことは、極度に複雑である。それにもかかわらず、マレア・ソシアリスタの同志たち、とりわけスターリン・ペレスが示したような政治的闘争の努力と鋭さは、彼らの意見が聞き届けられることを勝ち取ることを可能にしている。
これらの日常的政治活動の小さな勝利が、PSUVに入党し、前回の国民投票でイエス投票を呼びかけたことの正当性を後になって確認している。逆に、これらの二つの重要問題に関するC―CURAの同志たちやオルランド・チリノの立場は、彼らを政治的舞台から降ろすことになる傾向を持つ。
次の選挙までの
期間をどう使うか
この文脈の中では、十一月の自治体選挙は非常に複雑なものになりそうである。チャベス陣営が小数の町や市ではあるが敗北する強力な可能性が存在し、これはボリバール主義過程をさらに少し弱めることになるであろう。革命が息継ぎを求めているように見えるときに、日々の生活の問題がふたたび前面に出てきている。急激なインフレ(年率二〇%)、不安定な生活、ごみ処理問題、失業、腐敗は、ボリバール主義過程にのしかかる重圧に寄与する要因であり、投票時に圧倒的な役割を演じるであろう。
明らかに、これらの問題はボリバール主義革命によって生じたものではなく、前の共和国から受け継いだものである。しかし、チャベス主義は生活条件に関連する問題には応えなければならないし、同時に別の社会のためのプロジェクトを提案しなければならない。
十年にわたって、革命は資本主義的官僚制による攻撃を絶えず受け続けてきた。資本主義的官僚制は、産業化や国有化、地方における農工業の開発、そして特に民間銀行に関する戦略的問題を解決することを強いてきた。民間銀行は、今なお公共金融を支配しており、利率と貸し出しを支配している(貸出金利は約三二%)。ボリバール主義陣営がこれらの問題に取り組まなければ、シウダド・ガイヤナ(ベネズエラの最も重要な鉄鋼業地域)、プエルト・クルス(石油の町)、バレンシア(主要工業都市)や首都カラカスで敗北する可能性があり、それは革命的過程の停滞をもたらすだろう。
したがって、これまでにも増してボリバール主義過程を防衛することが重要である。もちろん、上述のような非難すべき決定を行うことは誤りであり、われわれは彼らを非難することをやめないであろう。それにもかかわらず、ボリバール主義革命は依然として存続しており、その誤りにもかかわらず、今日地球上で最も興味深い現象であることを繰り返し強調する必要がある。
アンデス地域とカリブ海地域の均衡がここにかかっている。致命的な打撃を受ければ、ボリビアとエクアドルの過程は崩壊するだろう。キューバの経験は終わるだろう。最も恵まれない人々に利益をもたらした否定しがたい獲得物にもかかわらず、国家機構の官僚主義的重圧と大陸的諸関係の重みは巨大である。しかし、団結こそ革命の能力であり、それが革命に息継ぎをを与えることを可能にし、依然として常にウーゴ・チャベス個人に依存しすぎている過程を急進化させるであろう。
▲ フェルナンド・エステバンは、ベネズエラで活動している第四インターナショナルのメンバーである。
(IV08年8月号)
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