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                           かけはし2008.10.27号

給油延長法案を廃案へ



与党と民主党
との出来レース

 十月十七日、衆院テロ対策特別委員会で、アフガニスタンでの「対テロ戦争」を支援するために、海上自衛隊のインド洋での給油活動を継続する特措法案(洋上給油新法)の実質審議が始まった。昨年一月、衆院での三分の二での再可決という異例の手段で強行採決した洋上給油法の期限が来年一月にも切れるからである。
 政府・与党は、アフガニスタンでの「対テロ」戦争を強化するための米政府からの圧力に追随し、海上自衛隊の多国籍軍支援の給油作戦をさらに続けようというのだ。それは国際法や国連憲章にも違反する不正・不法なブッシュ政権のアフガニスタン侵略・占領をあくまで支持するという日本政府の態度表明である。
 衆院での「テロ対策特別委員会」の審議は十月二十日には委員会採決、二十一日には本会議で可決して参院にまわされ、参院で否決の後に、十月中には衆院で再可決して成立させるというスケジュールになっている。民主党は「早期解散」という戦術の下に、同洋上給油新法案のスピード審議と採択・成立に事実上応じるという方針を取った。
 十月十七日の委員会での審議では、民主党が昨年末に国会に提出し、継続審議となっている対案・「アフガニスタン復興支援特措法案」も平行審議された。民主党案は「国際的なテロリズムの防止及び根絶のための国際社会の取組に積極的かつ主導的に寄与することを含むわが国の安全保障の原則に関する基本的な法制の整備が速やかに行われるものとし」などと海外派兵恒久法の早期成立を主張している。また「テロ対策海上阻止活動」が「国際連合の総会又は安全保障理事会の決議に基づいて」行われることになった時は、「これに参加するため必要な法制の整備について、その要否を含めて検討する」となっている。つまり民主党案は基本的に自民党案を補完する性格を持っているのだ。
 したがって当日の与党と民主党とのやり取りは、全体として「出来レース」であり、自衛隊の海外派兵分野の拡大を競い合う性格を持っていた。たとえば民主党の「国防族」である長島昭久衆院議員は「ソマリア沖での『海賊』活動防止に対する海上自衛隊の貢献」を求めた。それに対し、麻生首相は待ってましたとばかりに「海賊行為は新たな脅威になりつつある。法制上どのようなものがあるか検討したい」「一つの艦船が航行するだけで海賊行為の抑止力が働きうる。与野党で検討する用意はある」とエールの交換を行ったのである。

国会前で連続
して抗議行動

 解散・総選挙への手土産として「洋上給油新法」をスピード審議で成立させようとする政府・与党のたくらみに反対して十月九日に続き、「11・3憲法集会実行委員会」に参加する諸団体の呼びかけで十月十四日十二時半から衆院第一議員会館前の歩道で、抗議の集会が行われ、五十人が参加した。
 司会の高田健さんが「洋上給油新法案の問題点をしっかり審議した上で廃案に追い込もう」と発言した後、共産党の山下芳生参院議員、社民党の保坂展人衆院議員が激励のあいさつを行った。山下さんは「ペシャワール会の伊藤和也さんの誘拐・殺害事件についてふれ、なぜアフガニスタンがそうした悲劇が起きる事態になっているのかをしっかり問う必要がある」と語り、保坂さんは「海上阻止行動で押収したとされているものの中で、はっきりテロリストによると分かるものがあるのか」という質問に対する政府側答弁が「ございません」だったことを紹介した。
 集会に参加した人びとから、キリスト者平和ネット、ふぇみん婦人民主クラブ、日本消費者連盟、憲法を生かす会、反安保実、元目黒区議の宮本なおみさん、VAWW│NETジャパン、許すな!憲法改悪・市民連絡会が発言した。つづいて十月二十日にも国会前行動を行うことが呼びかけられた。
 洋上給油継続法の成立を許さず、自衛隊のインド洋からの即時撤退をかちとろう。(K)


宮下公園のナイキ化計画反対
公共の公園がスポーツ施設に野宿者を追い出すつもりか!



内密で進めら
れてきた計画

 十月十三日、宮下公園のナイキ化計画に反対するデモが行われ、約二百人が参加した。九月二十八日に続いて今秋二回目で、主催は「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」。
 今、宮下公園のナイキ化計画が水面下で進められている。公共の公園である宮下公園が有料のスポーツ施設に作り替えられようとしているのだ。すでに作られているフットサル場に加え、スケートボード場やナイキのオープンカフェが作られ、周囲に囲いをし、夜間は施錠して現在三十数人が生活する野宿者のテントは排除する計画だと言われているが、これまでのところは区議会にはかられることもなく、区長とその取り巻きの議員によって密かに進められてきたというのが実情である。
 九月三十日から始まった渋谷区議会定例会では民主党の議員がこの問題について質問し、答弁に立った区長は計画があることは認めたもののまだ決まっていないと発言した。
 九月二十四日に守る会が行った渋谷区との団体交渉の席では公園課長が計画決定の手続きとして議会で区長が所信演説をし、公園課長が都市環境委員会で報告、審議した後、地域住民や宮下公園に暮らす仲間に説明をする、と話している。
 しかし、ナイキとの間で仮契約が済んでいるとの噂もあり、楽観することは出来ない。さらに野宿者のテント排除については自立支援センターを受け皿とする方針がほぼ確定的であり、こちらの動きについても予断を許さない。
 宮下公園はすでに東京都の地域生活移行支援事業、いわゆる三千円アパート事業の対象地区になり、この「対策」を受け皿とした排除の中で、多くの仲間がテントからアパートへと移り、残ったのが今、宮下公園に生活している仲間なのだ。
 ホームレス自立支援法のいわば目玉として作られた自立支援センターがほとんど目に見える成果をあげることが出来ない中で東京都が打ち出したのが、月三千円の家賃でアパートに入れるという地域生活移行支援事業であった。しかし、この事業も二年間限定であり、しかも定期借家契約であるため更新も出来ないというもので、生活支援はほとんどない中で、生活保護を獲得した人を除くと、多くの仲間が行き詰まって路上に戻らざるをえなかったのである。
 結局、事業による野宿者の排除以外には定期借家契約の乱用という「スマイル」や「レオパレス21」など現在問題となっている貧困ビジネスの先鞭をつけるという恥ずべきエピソードのほか、何の成果も残すことは出来なかったのである。
 そんな「事業」を拒否して公園に残ってきた仲間を自立支援センターを受け皿として公園から追い出すなどということを許すことは出来ない。

公園はみんなの
ものだ!とデモ

 三時からの集会に先立って二時より共同炊事が行われた。山谷で炊いていったお米をパックに盛り、渋谷のじれんの仲間の作ったあんかけの具をのせて完成である。
 野宿者も集会に集まった若い仲間もそろって食事をし、集会へ突入。
 まず最初に司会の仲間が、八月に行われた宮下公園夏祭り、渋谷区との交渉、九月二十八日に行われた第一波デモ、そして十月十六日に予定されている区議会への陳情とそれへの賛同署名など、この間の経過を報告。
 続いて一分間アピールとして参加者が自分の思いを発言。のじれんの仲間や争議団連絡会議、十九日の反貧困集会への結集を呼びかけた山谷争議団の仲間など「活動家」の発言の他、カエルの着ぐるみを着た人や、ネコのコスプレの女性などが「楽しくデモを盛り上げよう」と発言。
 デモの出発前には太鼓や鍋釜などの鳴りものや、コールの練習を行い、渋谷の町に繰り出した。
 着ぐるみや、コスプレの他、サックスや、ギターなど楽器持参の人も多い。にぎやかな隊列は原宿方面に向かいラフォーレのところで表参道へ代々木体育館の横を通って渋谷区役所前では「公園はみんなのものだ!」「宮下公園のナイキ化反対!」とシュプレヒコールを上げた。渋谷駅前を通ってふたたび宮下公園に戻り、この日の行動を終えた。       (板)
 今後の闘いについてはみんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会のブログ、
〈http://minnanokouenn.blogspot.com〉を参照。



原子力空母の今後を考える市民集会
「G・ワシントンの配備は横須賀市民への死刑判決」



 【神奈川】米原子力空母ジョージ・ワシントン(GW)の横須賀入港強行を目前に控えた九月二十一日に横浜市内で「原子力空母の今後を考える市民集会」が開かれた。主催はすべての基地に「NO」を・ファイト神奈川と横須賀住民投票を応援する会。緊迫する情勢の中、会場は百人を超える人たちで満杯となった。
 物理学者の今野宏さんからは「科学の目で見た原子力空母の危険性」について、巨大地震と原子力空母の災害を考える市民の会の小倉陽太郎さんからは「直下型地震と原子力空母の災害」について、弁護士の呉東正彦さんからは「空母の火災事故・原潜の放射能漏れが意味するもの」について、それぞれ専門的立場からの問題提起・指摘が行われた。
 小倉さんは神奈川県南西部から相模湾を震源として発生した関東大震災時の神奈川県下の被災状況をつぶさに振り返り(相模湾沿岸への津波の到来、三浦半島南部の隆起、城ヶ島と三崎の陸続き、浦賀港の干上がりなど)、首都圏直下型地震の可能性三十年内七〇%と言われている中でGWをはじめとする米日の軍艦が密集する横須賀で発生するであろう深刻な核災害を指摘、最後に「原子力空母の配備は横須賀市民に対する死刑判決だ」と怒りを込めて発言をしめくくった。
 呉東さんは@五月に発生したGWの火災事故の原因が特定された詳細な調査報告書の情報公開A客観的な再発防止対策が完全に実行されたことの確認B米海軍による横須賀市民への火災事故説明会、この三点が実行されるまではGWを横須賀に配備しないよう求める公開質問書に対して米海軍が事実上の拒否回答を送付してきたことを報告。日本政府、横須賀市が責任を持って米海軍に情報公開を求めることは当然の主権行使であり、それは神奈川そして首都圏に居住するすべての人々の生命・安全にかかわることだと強調した。
 こうした提起を受けた後に主催二団体から原子力空母GW母港化阻止に向けた今後の取り組みについて、そして多くの参加者からの母港化阻止に託す思いと決意が語られる中、九月二十五日の横須賀現地闘争への再結集を確認して集会を終えていった。   (N)

パンフ紹介 「かけはし」編集委員会/頒価500円
『菅野征二さんを偲んで』
68本もの本紙コラムを収録

 「菅野征二さんを偲んで」という小冊子が「かけはし」編集委員会から出ました。この小冊子の冒頭に菅野さんとともに約四十年余にわたって闘い抜いてきた福島の仲間、一九八〇年全電通の官僚統制・労使一体化路線と決別し、ともに結成した電通労組の仲間の追悼文が寄せられています。そこには誰もが「征ちゃん、しょうちゃん」と呼び、親しみと信頼に満ち、「そこにいるだけで人々を安心させることができる」生前の菅野さんの姿が浮かびあがっています。
 一九六〇年代後半の地区労青年部と反戦青年委員会の時代、七〇年代の三里塚闘争と総評労働運動右旋回との対決、八〇年代の電通労組の結成から新たな左派労働運動の模索と苦闘。それは労働組合運動を縦軸に、反戦・三里塚・反原発などの政治闘争を横軸とした菅野さんが駆け抜けた闘いと人生そのものです。その中に娘のこと、孫の話、家での出来事が垣間見え、なんとなくホッとします。
 しかし、小冊子の核心は死の直前まで十二年間、その間に定年退職という人生の岐路を挟みながらも二カ月に一回の割合で(高)の名で書き続けたコラム「架橋」です。それは実に六十八回にも及びます。コラムが始まった一九九六年夏以降、この欄はだいたい六〜七人の当番制で進められてきましたが、菅野さんは十二年間一回も自分の当番を休みませんでした。一回だけ「組合の都合」でその週は福島に居ないので一週間後と交代させてくれ」と言っただけです。入院する際には自分の担当をあらかじめ準備するという形でもその律儀さは表れていました。
 それ、単に「まじめさ」「責任感が強い」という水準ではなく今となっては「人間的すごさ」を感じさせます。「文章は書き手の考え方だけではなく、性格を表現すると言われていますが、菅野さんの場合には人一倍それがにじみ出ていると思います」(発行にあたって)。その上、菅野さんのコラムのネタは常に自分や自分のまわりで起きた出来事を題材にして「切り込んでいる」という点です。
 「満開の桜とブッシュ政権」(2001年4月23日号)は降りかかった家での「不幸な出来事」をブッシュ政権批判を落(おち)とする痛快さがあり、「入院で実感した医療改悪」(2003年4月28日号)は自らの入院に引きつけて医療の現状に切り込むという形で大胆に書かれています。
 これについては岩堀さんも追悼文の中で「菅野さんのコラムは、身近な出来事やだれもが知っていると思われる新聞記事から入り、社会・政治問題全般へと展開され、自分自身に言い聞かせるような形をとった呼びかけをもって結ばれる。このスタイルは終始一貫している」「菅野さんが扱ったテーマは実に幅広い。……しかも、けっして声高になることなく、もの静かに語っている」。
 そして死を意識していたのか最後のコラムとなった「高齢者はもっと発信を」(2007年7月9日号)では「歴史に『たら』『れば』はない……『たら』『れば』で若い世代の人に講じるのはいただけない」と結んでいる。十二年間の六十八回にわたるコラムは菅野さんの「人となり」を表現しています。新時代社で扱っています。是非読んでください。最後に編集部の『不注意』によってページが乱れてしまったことを心からおわびいたします。 (武)


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