| 社労連事件はなぜ起こったのか? かけはし2008.10.20号 |
労働者階級の抵抗を恐れ、
戦略の転換をはかるイ政権 |
社労連事件とは
弾圧は現在進行形
8月26日、警察が社会主義労働者連合(社労連)の活動家らを強制連行し、事務所を押収捜索するという事件が発生した。警察がこの人々を緊急逮捕した容疑は国家保安法違反だった。8月27日、玉仁洞の対共分室前で緊急記者会見が開かれた。労働者の力、民主労働党、進歩新党、社会進歩連帯、民家協(民主化実践家族運動協議会)など40人が参加した記者会見で彼らは連行者の釈放と国家保安法の撤廃を要求した。さらに8月28日、「社労連弾圧粉砕および政治思想の自由を抑圧している国家保安法撤廃共同対策委」が結成された。
そして同日夜11時に裁判所は拘束令状を棄却し、7人の連行者全員が釈放された。裁判所は「国家変乱を宣伝・煽動するために結成されたという社労連の活動は国家の存立ならびに安全や自由民主的基本秩序に実質的害悪を及ぼす危険性を持っているとの点についての疎明(証明)が不充分だ」として令状を棄却した。だが警察は9月8日、令状を再申請する方針だと発表した。こういった点から社労連への弾圧はあくまでも現在進行形だと言えるだろう。(「労働者の力」第149号、08年9月22日付)
弾圧は単なるハプニングか?
社労連への弾圧は単なるハプニングなのか? 一部では北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)に対して批判的な社労連を利敵団体容疑で拘束したこと、そして裁判所がこれを棄却したことをめぐって、お笑い草となった公安事件程度に表現したりもするが、状況はそう簡単ではない。
例えば、キャンドル集会に対する弾圧が、そうだ。8月25日時点で逮捕1550余人、負傷2500余人、拘束49人、手配30余人に達する。さらに消費者運動とでも言うべき朝中東(朝鮮日報、中央日報、東亜日報を指す)の広告主に対するインターネット上での抗議行動をしたネッティズン(ネット市民)2人を拘束する事態が繰り広げられた。
そのうえ留置場に収監された女性に対する人権侵害までもが、ほしいままになされた。また拘束5万ウォン、不拘束2万ウォン、訓戒放免1万ウォンなどという報奨金によって人間狩りを煽った。それこそ公安弾圧と呼ぶことのできる局面だ。
このような政況によって市民団体や一部の運動陣営からは既存のBSE(牛海綿状脳症)牛対策会議に代わる民主主義守護などを掲げる新たな連帯組織を建設しようという主張も出てきているが、これは事態の本質ではなく現実だけを見ているものに他ならない。
イ・ミョンバク政権が公安弾圧を勝手気ままにしているのは、本質的に自分たちが強行している公共部門の私有化など、新自由主義政策を完成するためのものだ。昨今の状況は、より多くの利潤のために社会の公式領域や公的資源そして人間の暮らしの普遍的権利さえ破壊しようとする資本運動の結果だ。これは必然的にキャンドルのような大衆的抵抗をもたらすとともに、国家権力もまた新自由主義警察国家としての性格を強化させる。そうであるがゆえに、このような状況にあって人権弾圧に対する道徳的訴えや民主主義守護などのスローガンを中心に据えるのは階級対立の戦線をあいまいにする効果を生むことになる。
凶暴な弾圧によってキャンドルは消えるかのように思われたが、非正規職問題を掲げて再びキャンドルは燃え始まった。また地域のキャンドルも依然として健在だ。そして下半期の公共部門の私有化、経済危機に伴う物価上昇などによって大衆の不満は新たなキャンドルを予告している。
学校の市場化や一斉考試に反対する学生、父母、教師たちの連帯闘争が組織されており、ソウル地下鉄など構造調整と対決する労働者たちのストライキが準備されている。資本と政権の公営放送掌握と対決する闘いも現在進行中であり、BSE牛のキャンドルを超え、公共部門の自由化に反対する地域の連帯組織作りも徐々に形成されている。また先進的労働者たちは労働解放先鋒隊を結成して全国巡回闘争を決意している。
仮に金融危機が実物経済の危機へと急速に広がり、大衆の生活苦が一層深まりゆくことになれば、これはもう1つの労働と資本との激突へと結びつくことになるだろう。こういった側面において社労連に対する弾圧は単に未熟な警察当局の粗雑な公安事件ではなく、キャンドル闘争に対する弾圧であり、労働者・民衆闘争に対する全面的な弾圧の予告編の性格を持っている。であるがゆえに労働者階級は社労連事件を「対岸の火事」ではなく自らの問題として認識し、弾圧に立ち向かい共に連帯しなければならないだろう。
もちろん社労連事件は機務司(国軍機務司令部)が展開したウォン・ジョンファ事件(北の女性スパイ事件)で確認できるように、キム・デジューン―ノ・ムヒョンへと連なる、いわゆる新自由主義改革勢力の執権下で過去の特権が縮小した公安警察、検察、国情院(国家情報院、旧KCIAの後身)などが自分たちの立場や位置を回復するための企画事件の性格も排除できない。だが、より重要なのは彼らの行為が単に突発的なものではなく、伝統的な守旧勢力(右翼)と資本家階級との政治的結合体とも言うべきイ・ミョンバク政権の性格上、充分に予見できるものだった。
例えば、焼酎会社も用いている聖公会大学硯座教授(企業や個人の寄金で研究活動をするように大学が指定する)、シン・ヨンボク教授の書体「初めてのように」を一線の派出所が使用することにしたあと、かつてのシン・ヨンボク教授の国保法の履歴を問題視して取り消したことだとか、2012年に戦義警制度(兵役服務を代替して機動隊に服務すること)を廃止することにした既存の決定を覆すなど、右翼の影響が大きくなっている。こういった点から今回の社労連事件は国家保安法撤廃闘争の重要性を改めて確認させるものであることに間違いない。
社会主義運動、舞台に上る
社労連事件以後、主要日刊紙が社労連の活動家オ・セチョル教授にインタビューをするなど、社会主義や社会主義運動が大衆言論のイシューとして扱われている。資本家たちの飽くことなきイデオロギー攻勢にもかかわらず、労働者・民衆は資本主義の弊害を暮らしの中で実感している。「社会主義」と言えば既存の社会主義国家の限界が思い浮かぶので、いざ資本主義の対案として「社会主義」をおいそれと答えられないのが現実だ。それでも社会主義が本来の持つ意味通りに現実化されさえすれば社会主義を支持できる人々も少なくないだろうと判断する。
これは87年の大統領選挙の結果から97年以降の民主労働党に対する支持によっても一定程度はその可能性が確認できる。さらにもう少しさかのぼって見れば、日帝の強占(植民治下を指す)から解放された空間の中で、国号を何とすればいいだろうか、という質問に対して「人民民主主義共和国」が優勢、という当時のマスコミのアンケート結果もあった。重ねて言うが、資本主義の矛盾や弊害を克服する現実的な勢力として社会主義陣営が大衆に認定され得るならば、状況は根本的に変わり得る、ということだ。
これまで少なからぬ人々が資本主義の対案として社会主義を模索してきたのに、いざ自らを堂々と社会主義者だと明らかにすることができなかった。これは、よしんば自らは社会主義者としては不充分だと考えるものの、社会主義(運動)を支持する意向のある人々も同様だった。
その理由は、国家保安法をはじめとする支配階級の暴圧によることでもあり、他の側面では現実社会主義国家の没落による対案的展望の不在に起因することでもある。だがかつてのロシア革命モデルや、植民地解放運動モデル、あるいは西欧社会民主主義モデルが21世紀の現在の韓国での変革モデルとはなりえないという点で、もはや現実社会主義国家の失敗を理由として社会主義と社会主義運動を棄却することはできないだろう。
社労連事件は逆説的ながらもイ・ミョンバク政権の弾圧が社会主義運動の存在を満天下に知らしめる形となった。そして今こそ社会主義をめぐる論争が広がるものと思われる。
社労連は北を利する利敵行為条項の適用からはまぬがれたものの、反国家団体容疑の国家変乱という争点は依然として残っている。実際に検察は大検(最高検)に公安課を復活させたし、検察庁の高位官僚は利敵容疑ではなく、国家変乱を目的とする反国家団体の容疑をかけることができると発言したりもした。
また裁判所が令状を棄却したのは「社労連の活動が国家の存立ならびに安全や自由民主的基本秩序に実質的な害悪を及ぼす危険性を持っているという点についての疎明が不充分だ」と指摘したことから明らかなように、仮に実質的危険性を持てば判断が変わり得る、ということだ。
さらにイ・ミョンバク政権が発足してから労働関連の判決が親資本的な方向へと傾いているが万一、労働事案のように検察と裁判所が同じ穴のムジナと化せば、問題は一層複雑になる。つまり、社会主義運動に対する攻防が広がっていかざるをえないだろう。
社会主義運動を全面化させよう
資本主義社会において政治は必然的に左翼と右翼の対立を作る。そしてその対立は本質的に階級間の葛藤だ。労働者・民衆の利益のための政治集団は左翼であり、資本家階級は右翼という政治集団を形成する。ところで資本家階級は選挙闘争と武装闘争を結合させる。右翼は民主主義に対して道具的観点を持つ。右翼は財産、秩序、安定の名によって中間階級に訴える。
右翼は左翼の登場に対して、その指導者を暗殺するために軍事集団あるいは準軍事集団を組織する。
特定の状況下では中産層の女性たちを動員して(食糧や生活必需)品不足やインフレに抗議するように組織する。また宗教集団を動員したりもする。資本家階級は軍事政権が新自由主義を拡大・深化する政治の道具として適合しないと判断するやいなや、社会経済的構造はそのままにした状態で選挙制度を活用する。こうして大衆運動の躍動性は左派の選挙政治への進入によって受動化されつつ、資本家階級は社会経済的権力の地位を維持する。
右翼は自分たちが野党である場合には民衆の不満を利用し、市民社会団体の外皮をまとった組織を利用して政府を攻撃する。そして権力を握れば民衆集団を徹底して周辺化し、法令を掲げて統制する。一方、選挙制度は議会主義的な左翼を周辺化された選挙野党へと転換させる。こうして右翼は大統領、大法院(最高裁)、司法部(省)、中央銀行、軍司令部、政府の主要部署で自らの支配力を維持する。これに立脚して右翼は階級闘争を強化し、主要公企業を私有化し、より多くの権力や経済資源を自分たちの手に集中させ強化する。
彼らは放送などのマス・メディアを市場化し、これを通じてイデオロギー的な統制力を強化する。また各種の法令によって左派の社会的土台自体を分解しようとする。昨今の弾圧は、このような資本家階級と右翼の戦略と連結している。
だが、資本家階級のこのような戦略は危機に直面している。それは、まさに労働者階級の抵抗だ。
公共福祉の縮小、失業問題に対する大衆的抵抗が西欧で展開され、南米ではさらに急進的な形をとって左派政権が登場してきた。そして危機は今や資本の中心部から広がっている。断言するが、社会主義と社会主義運動を切実に求めている状況へとつき進んでいる。
1980年以降、本格化した新自由主義は今や一定の終着点を目指して駆け続けている。手綱を放たれた駒のように跳びはねていた超国籍金融資本が資本主義制度それ自体の危機を作っており、今や資本自らがこれらを規制しなければならない、との声を高めている状況だ。
だがこれらの金融資本に対する国家の規制には根本的に限界がある。また現在の経済危機は過去のようにケインズ主義的なやり方で解決できる性質のものを超えている。さりとて再び世界戦争を通じて過剰資本を暴力的に解消する方式は人類全体を滅亡の危機へといざなうだろう。答えは1つだ。間違った世の中、ひっくり返った世の中を転覆させることだ。
韓国社会はどうか? 97年の通貨危機以降10年、構造調整と労働柔軟化は労働人口の半分を非正規職へ、そして職場から追い出された労働者たちは零細自営業者へと追い立てられた。そして漸増する経済危機にあって人口の多数は不安な未来への思いの中で苦しい日々を送っている。
農民や青年層の状況もまた同じようなもので、今やその臨界点は遠くない。そしてこのような危機を一層加速化させているのが現政府だ。階級の葛藤を緩和しようというNGOなどの懇請には耳を貸さないこの資本家政府は、ただただ財閥や持てる者たちのための政策で一貫するばかりだ。
こうして今や運動自体が一層急進化する状況へと変わっている。もはやこれ以上、政策中断だとか反対というレベルにとどまることなく、階級大衆は自らの権利を要求しており、資本主義の根幹に対する問題提起へと歩み出している。公共部門の私有化に反対し、公的資源や公的部門に対する民衆的統制、産業全般に対する社会化を要求する数々の声が出てきている。
教育の分野の場合にも、かつてのように政府への政策批判にとどまらず、各主体の直接行動、拒否などとして現れており、入試撤廃・大学平準化のように知識の位階化自体を問題提起する運動が展開されている。そしてここに左翼らしい左翼の登場、すなわち労働者階級の政党建設が本格化しているのだ。
資本主義の歴史において公衆(Public)から大衆(Mass)への移行は一方的意思疎通の増大、そして対話と集団討論の衰退と共に進行した。だがキャンドルで確認できたように、逆説的ながらも資本が作った「ポータルサイト」などが疎通の空間となり、大衆をもはや受動的主体ではなく、政治の主体へと変化させた。これをよくよく承知している右翼はインターネットに対する統制、公営放送に対する掌握、社労連事件やキャンドルに対する国保法の適用など、あらゆる手段を動員しているが、決して彼らの思い通りには事態が展開されえないだろう。
社会主義者は弾圧されても良い、だと? 国家変乱、だと? 真実、大韓民国を危機に陥れているのは誰なのか? 自らの正当な権利を要求している労働者たち、学生たち、主婦たちなのか? それとも水、エネルギー、医療、教育、銀行、放送、公企業など何もかも売っ払って自らの懐ばかり肥やそうとする資本家階級や右翼政治集団なのか?
奴らこそが国家変乱の罪で監獄に入らなければならないのではないのか? また、国民の正当である集会・デモの自由を踏みにじり、子どもと言わず年よりと言わず警察の暴力を振りかざしているイ・ミョンバク政権こそが公共の敵ではないのか? また、民主主義を破壊し、経済の危機を深化させ、物価の高騰を助長する各種の政策をたれ流し、財閥や金持ちだけのために国民の多数を貧困へと追いやっている政府、国家権力であるならば、それを否定すべきではないのか? それが本当の民主主義と言うものではないのか?
万人が幸せになる世の中、働く人が主人となる世の中、差別や不平等を打ち破る世の中を願い望んで実践することが国家変乱だと、反国家団体の活動だと? よっしゃ! そうだとしたら、われわれはみんな堂々と社会主義者にならなければならないだろう! 本当の闘いはここから、今からが始まりだ! 社会主義運動を全面化しよう! 恐れることなく、踏みとどまることなく、前進しよう!
「最後の資本家が最後の官僚のはらわたで首をくくるまでは、人類は解放されないであろう」―フランス68革命当時、情況主義インターナショナルのメンバーが5月17日、ソ連共産党に送った電文から。(「労働者の力」第149号、08年9月22日付、キム・テジョン/宣伝編集委員長)
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