| ブラックマンデーから20年 かけはし2008.1.1号 |
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サブプライム問題に揺れるアメリカ経済と国際金融機関 |
ふたたびドルが没落
一九〇五年の第一次ロシア革命より時代をさかのぼる一八九八年には、西欧で始まっていた貨幣逼迫の影響で外国からの資本流入が減り、同時に高い金利が推移する。一九〇四年には、日露戦争が勃発し、一九一七年のロシア革命の勝利という世界的革命の波と反革命の波がぶつかりあう時代的気運があった。
一九二九年には世界大恐慌が発生し、米国にもそれが及ぶに至り、それをきっかけに世界は二つの通貨(ドルとポンド)をそれぞれ中心に持つ経済圏が形成される。こうして世界の帝国主義間内部にも互いを牽制しつつ不安定な二つの基軸通貨が併存した。
このドルとポンドの基軸通貨体制は、不完全なままヨーロッパ経済の混乱と混沌の中にあった。ドイツでナチスが三三年に権力を掌握し、一九三九年には、ポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まり、その基軸通貨体制は、終戦まで継続する。
その後の経過を故マンデルは、こう述べていた。
「一九四四年秋、ニューハンプシャー州の保養地ブレストンウッズにおいて四十四カ国政府の代表者は、『金と同様に良質のドル』を中心に置く新しい国際通貨制度の米国案を承認した。この計画によれば、ドルは一オンス三十五ドルで金と交換され、すべての他の通貨は固定為替レートでドルにくぎ付けされる。ドルは金によって確実に保証されているので、『準備通貨』としても使用され、どの国においても金とともに経常的な経済取引から生ずる国際債務を決済するために用いられることになる。英ポンドはドルによって保証されて、第二次的準備通貨に指定された。ドルに割り当てられた中心的役割は、第二次世界大戦終結時の世界貿易、世界金融に占めた米国の支配的地位と、米国が世界の金準備の大部分を保有していたという事実とに適合するものであった」。
「この新しい通貨取決めのいま一つの特徴は国際通貨基金(IMF)であった。ワシントンに本部をもつこの機関は、加盟国政府によって払い込まれた通貨および金をプールして保有し、このなかから一時的に国際収支赤字に陥った諸国に対し短期信用をあたえうることになった」(注1)。
そして、一九六〇年代後半、ベトナム戦争をその最大の打撃として、ドルの没落をかつて米国は経験していた。近年ユーロの台頭と各国のドル離れ、つまりドルの没落が、ここに来て加速している。(注2)
IMF自身が、世界各国の中央銀行の外国為替準備金がドルからユーロに転換しつつあることを明らかにし(図1)、さらに米国の景気動向が、世界に波及し、多大な影響を与え、景気後退を同期化することを動向分析している。(注3)
ユーロの台頭と発展途上国
伊丹敬之は、IMFのデータを基にこう分析する。
「二〇〇六年第4四半期ではユーロ―ドル比率は〇・四にまで上がってきている。つまり、ドルで外貨準備が持たれている残高の四割まで、ユーロが持たれるようになっている。この比率は、じりじりとこの七年間上昇してきている。しかも、発展途上国だけに限れば、〇六年のユーロ―ドル比率は〇・五にまでなっているのである。他方、先進国の外貨準備はまだ相当にドル依存度が高く、〇六年第4四半期でも〇・二八である。つまり、発展途上国のほうがユーロでの外貨準備を多く持ちたがるのである。
その発展途上国の外貨準備が、最近急増している。世界の外貨準備の中の発展途上国シェアは〇四年から急増して、〇四年第1四半期の四七・九%から〇六年第4四半期の五八・五%まで、一本調子で伸びている。図では、右軸の目盛り表された〇四年年初を底として一気に直線的に上がっているグラフがそれである。
先進国の外貨準備のユーロ―ドル比率は、〇〇年から〇六年にかけて〇・二から〇・二八へとゆるやかな上昇にとどまっているが、発展途上国のほうがユーロ―ドル比率の変化は大きい。同じ時期に、〇・二九から〇・五へと変化しているのである」(注4)。
基軸通貨体制の危機
こうしたドル離れ、つまりドルの没落には、大きく言って三つの理由がある。
かつてマンデルが繰り返し分析したように、通貨危機は単に近代資本主義に奥深く根ざした諸矛盾にすぎないし、これらの矛盾のなかで主要なものは、社会の生産能力と労働者の購買力との間の格差である。この格差は、資本主義的競争が激化するにつれ拡大する傾向にある。
資本主義のもとで国家は、格差をせばめ不況の到来をひき延ばすために、特に赤字スペンディングを通して経済に介入せざるをえない。ワシントンの対外政策によって要求される巨大な軍事編成は、このようなスペンディングのための豊富なはけ口を長い間提供してきた。
赤字スペンディングは膨張する公的私的債務のピラミッドと相まって、経済の内部に新しい購買力をつくり出す。このようなスペンディングと債務の増大は潜在的な不況を景気後退に転換させることはできるが、しかしそれには常にインフレーションという代償が支払われなければならない。第二次世界大戦以後、米国は、何度ともなく景気後退と引き替えに、また例外を除きほぼ毎年のドル購買力低下と引き替えに一九二九年型不況を回避してきた。
マンデルによれば、二つ目には、ドルの慢性的減価の矛盾は、ブレトンウッズで考案された通貨体制の衰退と崩壊の中心に横たわる矛盾をつくり出した。それは国際決済手段としてのドル―このことからは価値の安定したドルが必要とされる―と経済に対する国家介入の手段としてのドル―このことからは弾力的なドル、なかんずく持続的に増発されうるドルが必要とされる―との矛盾である(注1)。
伊丹敬之は、分析する。
「さらに先進国と発展途上国のユーロ比率は〇一年までは大して変わらなかった。しかし、〇二年から大きく乖離していく。その前の年の九月、世界貿易センタービルのテロ事件があった。それは、世界が新しい時代に入ったことを象徴する事件だった。一九九〇年代のアメリカ一国覇権時代がゆらぎ、世界の不安定さが明瞭になったとき、多くの国は、発展途上国も先進国もドルからユーロへと微妙にシフトしはじめたのである。そしてそのシフトは、発展途上国でより激しかった。それは、世界の不安定さの原因としてのアメリカへの不安が、彼らにより強かったことの表れのようである。
そして、〇三年三月にブッシュがイラク戦争を始めてしまう。それに反応して有事のドル依存という対応をとったのは、日本など先進国であった。彼らのユーロ比率はそれまで漸増していたのに、一転して大きく落ち込む。しかし、発展途上国はむしろ、ユーロ傾斜を高めていった。その傾斜の背後に、イラク戦争を強行する米国よりイラク戦争に反対するEUを支持したかに見える。そしてその後、イラク戦争は泥沼化し、米国にとってベトナム戦争の再来になってきている」(注4)(図1)。
つまり、三つ目の理由として前述した一九六〇年代後半のベトナム戦争をその最大の打撃として、ドルの没落を経験し、今日もまた、イラク戦争をその最大の打撃により、再び米国は、こうした政治的過程をとおして、ドルの没落に直面することになった。それに替わり、ユーロが台頭し、一方は凋落的にまた一方は、漸進的にあたかもかつての二つの基軸通貨体制のように並存が進行している。
また新興国の投資マネーが急増していることを追記しなければならないだろう。国際通貨基金(IMF)のデータを基に米連邦準備理事会(FRB)が推計した。
中国、ロシアや中東各国など百五十五カ国・地域から先進国に向かった資金は、二〇〇六年に前年比二五%増の計六千三百八十億ドル(約七十七兆円)にのぼり、過去最高となった。原油、鉄鉱石など資源や工業製品、サービスの輸出で急増した新興国の黒字が還流した。
投資マネーとは、国際収支のうちの資本の純流出額(流出額マイナス流入額)と外貨準備の増減の合計を言う。ただし、この中で、中東各国などオイルマネーが互いの利益のためにドルの買い支えをするが、ドルの没落への歯止めになっていない。
急増する投機マネー
一九八〇年代、米国は、経済収支と財政をともなう双子の赤字を抱え、その対応策に追われた。その後、米連邦準備理事会(FRB)は、一九九〇年代半ばにかけて、新しい金融政策を打ち出した。ボルカーから八七年に議長を引き継いだグリーンスパンが、金融政策貯蓄貸付組合(S&L)の破綻に代表される金融システム不安の対応策に追われた時期と重なる。
当時、FRBは、一九九〇年の想定しなかった景気後退および減速や一九九一年に広まった金融危機に対して、小刻みに金融緩和を繰り返した。一九九二年から九三年にかけて、FRBは名目短期金利からインフレ率を差し引いた実質金利をゼロ%にする金融緩和を実施した。金融機関の不良債権処理への対応策である。そして、一九九四年から実質ゼロ金利の解除を決断する。金利をこうした状況に戻し、米国は、ニューエコノミーを追い風に高度成長を進行させた(注5)。
その特徴として、多国籍企業のグローバリゼーションの活動による業績の伸張と世界貿易機関(WTO)による市場圏の独占的運営などが上げられる(注6)。
近年、一九八七年十月のブラックマンデー(世界同時株安)から二十年が経過し、前述した景気上昇から下降局面に入り、再び金融不安と米国経済の景気悪化に見舞われている。さらにバイオ燃料や投機的要因による石油価格高騰の余波から多くの工業関連商品の物価上昇があり、運輸関連では、燃料費の価格上昇、鉄鋼などの工業原材料や食品の価格上昇などが代表的に上げられる。国際資本主義は、原油市場の不確実性とこの先も共存していかなければならない。
特にまた二〇〇七年七月から住宅バブルの崩壊、いわゆるサブプライムローン債権の急落が引き金となり、投資対効果(ROI)を目的とした社債市場、株式市場も評価損をともなう趨勢的下落、さらにヘッジファンドの経営破綻まで引き起し、世界的に証券化されていたこの債権が、関連損失により、次々とその余波が継続し、拡大している。
二〇〇七年十月に日米欧七カ国の財務大臣並びに中央銀行総裁は、いわゆるG7を開いた。ブラックマンデーから二十年のこの月に世界同時株安の再来の回避をいかに阻止するかに躍起であった。それも同期化するサブプライムローン債権の急落の余波からかつてのブラックマンデーの悪夢が蘇るからだ。
二〇〇七年十一月二十九日、米連邦準備制度理事会(FRB)議長バーナキンは、サブプライムローン債権の急落の余波を受けて、「FRBは異例の警戒態勢と柔軟性を維持する必要がある」とし、「個人消費も軟調である」との見解を表明した。さらに一部返済金利の五年間据置き、凍結を決定した。社会の生産能力と労働者の購買力との間の格差を埋める強引な手段としてのサブプライムローン市場。そして、今回のFRBのこうした危機回避は、一九二九年型の恐慌を回避することと引替えに景気後退を選択せざるをえない(注7)。
だからこそ一方では、帝国主義間の対立抗争が激しさを増しながらも、いったんサブプライム問題などの不安定要因が立ち昇るとFRBや中央銀行に対する依存度を世界的に深め、その妥協案に拠る収拾を繰り返す。
こうした悪循環とその世界的な危機の波及こそが、国際資本主義の危機の性格的特徴と言えるだろう。(浜本清志)
注
(注1)エルネスト・マンデル『ドルの没落』柘植書房
(注2)「ニューズウィーク」07年11月28日号、ウィリアム・アンダーヒル「ドル安で始まる帝国の終焉」
(注3)IMF「World Economic Outlook」07年4月号
(注4)「プレジデント」07年6月18日号、伊丹敬之「途上国のユーロシフト加速が意味するもの」
(注5)地主敏樹『アメリカの金融政策』、東洋経済新報社刊
(注6)「経済」08年1月号、増田正人「グローバリゼーションとアメリカ経済」
(注7)あのジョージ・ソロスでさえ『国際的意思決定機関による市場規制の必要性』を訴えている。『グローバル資本主義の危機』日本経済新聞社 |