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天野恵一「〈テロリズム〉断想」に寄せて        かけはし2002.7.8号より

「未来への確信」の相対化か再獲得か


 反天皇制運動連絡会が編集する雑誌『季刊 運動〈経験〉』の第5号は「テロリズム再考」を特集している。
 昨年9・11のアメリカでの「同時テロ」、ならびに今日のパレスチナで続いている「自爆テロ」は、もちろん両者を同列に論じることはできないとはいえ、ブッシュやシャロンの「報復戦争」=「国家テロ」に反対する運動の陣営の中で、その評価をめぐって分岐と論議を引き起こしている。ここでは「運動〈経験〉」のこの号に掲載された文章の中で、天野恵一の「〈テロリズム〉断想」について取り上げてみたい。それが革命運動とテロリズム、あるいは革命と殺人という古くて新しい問題を取り上げているからである。
 天野が「国家に対する個人・集団のテロリズムの問題」を検討する上で俎上にのぼせているのは高橋和己の「暗殺の哲学」(『文藝』68年9月号)と埴谷雄高の「暗殺の美学」(『中央公論』60年2月号)、「目的は手段を浄化しうるか」(『講座現代倫理』第二巻、筑摩書房、58年)である。いずれの論考でも主要素材となったのはロシア社会革命党(エスエル)戦闘団のテロリストだったサビンコフ(ロープシン)の著作である。
 高橋は「結論がない」ことを「結論」とする「暗殺の哲学」の中で、「やはり人命を超えるいかなる思想もなく、罪の意識を相殺できるいかなる論理もなかった」と主張しつつ、「彼らが思想のために人を殺しながらも、いかなる思想も人命以上とは考えなかったことと、彼らが生きつづける限り遂に罪の意識から免れなかったことこそが、消極的、相対的ながらも、彼らの側にこそ幾分の正義と未来性があったことを意味する」と述べた。天野は、高橋がこの視点から「神や法律(国家)のかわりに『革命を絶対化』することで殺人を正当化した思想の批判的検証に向か」っていることを評価している。
 埴谷についてはどうか。「目的は手段を浄化しうるか」の中で埴谷は述べる。
 「目的と手段の問題点としてとらねばならぬ原則は、革命は制度の変革であって、人間の抹殺ではないということである。しかも、私達の眼前にある資本主義が階級対立を持つ最後の制度であって、次にもたらされるべきものが無階級社会だとしたら、そのために闘うものの態度もこれまた明らかに示唆されているはずである」と。埴谷は、この立場から革命が「人間の抹殺」であってはならないこと、「これまで敵と見られた者が一躍味方に転化するばかりか、敵一般の姿を人間の何処にも見出すことができなくなってしまうはず」と論じた。埴谷のこの主張は、革命という「目的」の「手段」として「敵」を抹殺することを正当化するスターリニズムを批判するものであった。
 天野は、埴谷の論理の中にふくまれている問題点を次のように批判している。
 「この無階級社会(革命)という未来からの批判、吉本隆明が『逆レーニズム』と名づけた方法は、彼が拒否した思想と共通の信念(『革命の絶対化!』)によって成立している。未来は革命され『無階級社会』になるという歴史についての絶対的信念がなければ、こういう『逆』(未来)からの批判はなりたたないのである」と。
 天野の「こだわり」は、「〈革命〉への〈歴史〉への宗教的信念それ自身が相対化されなければならないのだと、やはり思う。状況の中で動揺しつづけてこそあたりまえなのである。その動揺こそが、七〇年代以降に全面化した、多様なテロリズムの政治と私が一線を画すことを可能にした根拠だった」という「体験的結論」に根ざしたものである。
 そしてこの点にこそ、天野恵一の「『無党派』という党派性」の重要な要素があることは言うまでもないだろう。
 「目的」と「手段」の相互規定性においてスターリニズムを批判する方法論は、私たちにとっては、何よりもまずトロツキーのものであった。
 「手段は、ただその目的によってのみ正当化されうる。だが今度は目的が正当化される必要がある。プロレタリアートの歴史的利益を表現するマルクス主義の見地からは、目的は、もしそれが自然に対する人間の力の増大と人間に対する人間の力の廃棄へと導くならば、正当化される」。だが「すべての手段が許されるわけではない」。「われわれが目的は手段を正当化するというとき、われわれにとっては、偉大な革命的目的は、労働者階級の一部分を他の部分に対立させるとか、あるいは大衆を彼らの参加なしに幸福にさせようと試みるとか、あるいは大衆の自己とその組織に対する信頼を低め、それを`指導者aに対する礼拝によっておきかえるとか、いうような劣悪な手段とやり方をはねつけるという結論が出てくるのである」(「彼らの道徳とわれわれの道徳」一九三八年二月、『トロツキー著作集』一九三七―三八・上、柘植書房)。
 この論文が、戦争とファシズム・スターリニズムの時代において、「革命」とそれが実現する未来の「無階級社会」に対する歴史的確信の上に成り立っていることは確かであり、天野が批判する埴谷のスターリニズム批判は、埴谷自身がトロツキーのこの論文を読んでいたか否かにかかわらず、ほぼトロツキーが組み立てた論理と同一の構造で成立していると言えるだろう。天野が違和感を持つ「革命の未来」に対する「絶対的信念」とも言うべき確信は、トロツキーの「遺書」の中に端的に表現されているし、戦後のトロツキー派の中心的リーダーだったエルネスト・マンデルの思考の中にも引き継がれている。
 「結局のところ私はマルクス主義者である。なぜなら、二〇世紀のいっさいの悲惨な経験にもかかわらず、アウシュビッツと広島にもかかわらず、『第三世界』の飢餓にもかかわらず、核による絶滅の脅威にもかかわらず、マルクス主義だけが、人類とその将来を幻想なしに信じ続けることを可能にするからである」「マルクス主義は、この進歩の中に存在した限りない困難と不可避的な後退を完全に自覚したうえで、曲解も幻想もなく、人生と人間を受け入れ、それらを愛することを受け入れるようにわれわれに教えている」(エルネスト・マンデル「なぜ私はマルクス主義者なのか」一九七八年。ジルベール・アシュカル編『エルネスト・マンデル』、柘植書房新社)。
 ジルベール・アシュカルは、マンデルのこうした思想傾向を特徴づけて「反語的な意味での括弧付き」で「科学的空想主義者」であり、「シャルル・フーリエが想像したものに近い社会を夢見る真のユートピア主義者でもあった」と述べている(前掲書のアシュカルによる序文)。
 私自身が、マンデルの超楽観的な「ユートピア主義」への違和感を抱き続けてきたことは事実である。マンデルの楽観主義は決して平板なものではなく、彼自身と彼の生きた時代の矛盾と困難と挫折をくぐりぬけたものであるのだが、それでもなおこの楽観主義は今日的に批判的に再検討される必要があると感じている。しかし、天野が「革命」や「歴史」への「宗教的信念」を相対化することによって七〇年代のテロリズムや内ゲバ主義と一線を画したのと同様に、私たちもまたトロツキーやマンデルが体現した「マルクス主義と革命への確信」の強い影響の下で、テロリズムや内ゲバ主義を批判し続けてきたのである。
 天野が「どういう手段が、どういう状況で正当化されるか否定されるかは常に、運動を担っている人々が具体的歴史的に検討し続けるしかないのだ」と言うとき、私はほぼ完全に彼に同意する。そして、その時、私たちは「宗教的信念」や「未来への確信」に安住するのではなく、具体的な現実との格闘の中で「動揺」していかなければならないのだと思う。「動揺」を経ない「確信」などほとんど何の役にも立たない。経験に裏付けられない「確信」は無意味かつ有害である。
 同時に、私たちは新自由主義的グローバリゼーションやブッシュの軍事的グローバリゼーションが解き放った、平和、人権、民主主義、環境といったグローバルな諸価値の危機と破壊に抵抗しようとする具体的な運動の中から、〈未来からの投射〉とも言うべき「作りだされるべきオルタナティブな世界」像を意識的に築き上げていかなければならない、と考えている。それは現実に存在したスターリニズム体制への徹底的な否定の上に新たな「革命への確信」を私たち自身によって作りだそうとする意識的努力なのである。この点ではおそらく天野と私たちの指向するものは、ズレざるをえないだろう。
 天野と私たちとのベクトルは異なったものになるのかもしれない。しかし、運動の軌跡中で交差した問題意識を共有しつつ、相互の論議を深めていくことは私たちにとってもきわめて大事なことなのだ。(平井純一)

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