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アルゼンチン (下)                 かけはし2002.7.29号より

「数百万の人々の頭の中で、永久的な不断の革命が進行している」

ルイス・サモラ(「自治と自由」国会議員)に聞く

 昨年秋から始まったアルゼンチンの危機は、すでに二人の大統領が辞任し、三人目のドゥアルテ政権も立ち往生状態に追い込まれている。ブルジョア支配体制はほとんど力を失い、民衆の直接民主主義的行動が発展している。以下は、昨年十月の国会議員選挙で当選した元トロツキストで「自治と自由」(AL)の指導者であるルイス・サモラへのインタビューである(「自治と自由」については本紙1月14日号参照)。


――人民の自治と自己組織化の種々の形態の発展について、どう考えていますか。政治的文化的領域で、社会主義者は何か特別の貢献ができますか。

 私たちがしようとしていることをお話しましょう。「自治と自由」運動が推進している「五つのポイント」について会議を呼びかけています。この会議は、私たちと他の活動家を結びつけ、民衆集会のプロセスを推進し、私たちの提起している反資本主義的・反帝国主義的・社会主義的ポイントをいっそう強力に発展させ、自己決定と社会の水平化に関する私たちのアイディアを発展させるものになるでしょう。
 探求の一時期の後、あるいは行きつ戻りつした後、組織的機能に関しては、時間とともに意見をいっしょに交換することが容易になっていくでしょう。たとえば、われわれが参加している民衆集会で、あるいは活動家たちが活動している他の分野において、起こっていることについて意見を交換できるようになるでしょう。
 一部の活動家は民衆集会に参加していません。民衆集会がいまだ展開されていない場所に住んでいるからです。職場で活動しているために、あるいは「道路封鎖」運動やピケットで失業労働者とともに活動しているために参加していない活動家もいます。あるいは民衆運動の動員がはるかに遅れている場所で活動している活動家もいます。社会的プロセスに参加している活動家と結合することはまずまずの成果を挙げていると思います。活動家たちは手紙や電話をやりとりし、国のあちこちで起こっていることを知ることを要求し、次のような問題に集団的に答えようとしています。
「このプロセスは続くのか」
「民衆集会をどうのように防衛するか」
「民衆集会で行われている政治的議論をどのように刺激するか」
「他のセクターとどのように結合するか」
「進んでいる闘争のプロセスの強化をどのように支援し、拡大するか」
――この会議は厳密な「自治と自由」のプロジェクトですか、それとももっとオープンな性格で、活動の中で規定されるようなものですか。

 私たちは「五つのポイント」についての会議を呼びかけ、報告を用意しますが、「自治と自由」運動の権威を高めることや組織を建設することを目的としたものではありません。組織の限界があったとしても、結びつきを広げるためのものです。別の政治的組織を建設しようとしていない人々に向かって、結びつきを確立しようとしています。私たちは人々に耳を傾け、私たちのアイディアを提出します。社会的組織やグループや集団や労働組合地方組織や近隣組織に参加している人々と双方向の交流をはかりたいのです。文書を提起する人々や、経験を交流しようとする人々もいるでしょう。
 しかし、政治的観点からのアイディアは、最大限に豊富化されるでしょうが、政治的特徴づけや政策や方向性を承認する必要があるわけではありません。それは「五つのポイント」の推進というレベルをこえたものになるかもしれません。
 組織的観点からは、私たちは現在のコネクションを確立することを考えていますが、これは「自治と自由」への吸収や、「自治と自由」をいたるところに再生産することを意味しているのでなく、ある種のネットワーク組織を確立することです。この組織は、メンバー組織の自律を維持し、情報交換に役立ち、恐らく定期刊行物を出すことになるでしょう。これはネットワークを通じて販売され、闘争を結合し、そこから学ぶためのものになるでしょう。今日私たちはいたるところでこのアイディアを提起しています。人々はこういっています。「賛成、そろそろ正念場だ。」

――「自治と自由」の「五つの出発点」は、現在非常な重要性と緊急性を持った政策問題、戦略および理論を公然と明示的に提起しています。この国で起こった事態の後、私たちの雑誌「エラミエンタ」も同様の問題に直面していることは明らかであると、私は思います。私たちの雑誌の誌上で多少とも系統的に「五つのポイント」に関する意見を交換し、あなたや他の人々の寄稿を得て「五つのポイント」について考え始めることは可能であり有益であるとお考えですか。

 はい、有益であると思います。私たちは正統的な旧来の左翼の中に疑問を見つけました。しかし、私たち自身は解けない問題があるとは思っていません。これらの「五つのポイント」はとりわけ非常に大切な興味深い問題であると思っています。なぜなら、現在進行中のプロセスに密接に同期しており、それらをめぐる何らかの形の議論を形成することは疑いもなく有益だからです。
――ドゥアルデは、自分は大統領にならずに、ピケット参加者になっていたかもしれないと言いましたが、同時に他の演説では一貫して次のように言っています。「国は無政府状態によって蹂躙されている」、「われわれは内戦に向かっている」、「大虐殺の危険が存在する」などです。これに似たことを「ポープ」、すなわちアルフォンシン(元大統領)も言っています。これらは単に言葉だけでしょうか、それとももっと深刻なことを表しているのでしょうか。

 短期的には、言葉だけのものだと思います。これらは動員プロセスと意識の革命を混乱させ弱めることを目的としたものです。しかし、いずれにせよ、これらは支配階級が別のことを検討しているという警告です。前に述べたように、ドゥアルデの唯一の力は、「私を選ぶか、さもなくば混沌か」と言って住民の一定のセクターを説得して支持させることができることにあります。これはアルフォンシンやメネムによって何度も使われましたが、現在は状況が異なります。なぜなら、今日ブルジョアジーは何ごとについても組織構造を持っていないように私には思えるからです。他の手段によって動員を弱めたり元気を失わせることができなければ、「無政府状態はどんな社会にとっても許されない」という思想はいずれかの時点で秩序を強制するだろうということを意味しています。
 彼らは人々の要求に対処することができず、したがって人々の元気を奪い、疲労させ、分裂を起こさせて、何とか動員を敗北させ、弾圧しようとしています。しかし今日、弾圧は政策の中心ではありません。ドゥアルデが弾圧を行った瞬間に、世界中が彼の反対に回るでしょう。他方では、アルゼンチンはグローバルな資本主義から「シャットアウト」された国であり、この意味で、脅迫は真剣に受け止めなければならないと、私は思います。短期的には、「強権的」プランがあるとは思いません。しかし、中期的には警戒が必要です。しかし、アルゼンチンで「中期的」とはどの程度になるんでしょうかね。
 現在とは非常に異なる状況、たとえば二年前のような状況になったとしましょう。現実には、大陸全体の状況が根本的に異なっており、流動的です。ペルー、ボリビア、ベネズエラの状況を見てください。ブラジルにも同じことが言えます。ブラジルも未知数です。コロンビアでは戦争が行われており、帝国主義はFARC(コロンビア革命軍)に対する戦争を行っているだけでなく、大陸全体に対するプログラムを開始しようとしています。この文脈の中では、アルゼンチンは重要な役割を演じることができます。なぜなら、アルゼンチンにおける政治的プロセスが、ラテンアメリカのすべての人民にとって有効で魅力的な、帝国主義と対決する道を示すことができるからです。
 コロンビアに関しては、そこで状況が進展すれば、重要な例として利用される可能性があり、アルゼンチンでも論争をもたらす可能性があることは明らかです。しかし実際には、アルゼンチンのプロセスは南米大陸南部の残りの国とは異なっており、ラテンアメリカにとって特別の意味があります。
 ポルトアレグレにおける世界社会フォーラムによって、真の中心問題であるこれらの問題がわきに追いやられたことは、注目すべきことです。FARCおよびサパチスタは参加を許されず、アルゼンチンの状況に関する政策決定も、できるだけ目立たないようにされました。
 私は、世界社会フォーラムに対して悪い印象を持ちました。公式イベントはいわゆる「より人間的な資本主義」の防衛からあまり離れようとせず、私が言及したような政治的偏りがありました。しかし、「非公式」活動や反グローバリゼーション運動の何千ものグループや活動家との接触の経験は価値がありました。その価値は計り知れません。もちろん、チョムスキーやウォーラーステインの講演を聞くことや、シェスネのような反資本主義活動家との討論に参加することも有意義でした。また、ブラジルの土地なき人々の運動(MST)のメンバーである貧民街の活動家と会う貴重な機会を得ました。フォーラムの組織者がサパチスタを排除したのと同じように、私はアルゼンチンについても意見をコントロールしようとしていると感じました。たとえば、私はパネルに招かれ、次に招待を取り消されてARI(平等の共和国のためのオルタナティブ)の代表と交代させられました。
――最後に、「権力問題」についてお聞きします。非常に一般的な用語ですが、もっとも複雑で、論争的な問題の一つです。これについて、何らかの進展がありますか。

 何かの進展があったかどうか、私にはわかりません。私たちはこのテーマについて語り、そう呼ぶことを好む人がいるので、「対抗権力」あるいは「反権力」の価値について強調してきました。具体的な例を挙げると、多くの民衆集会で、雇用局や雇用委員会を設立して近隣の人々の問題に対応したいと考える人々がいます。このようにして、人々は非常に豊かな経験を与えられ、資本主義的文化に反対する、分断や個人主義に対する闘争の連帯の実践を暗黙に意味する「対抗文化」の要素を形成する具体的な方法を考え始めるのです。これはあらゆる集団的行動に巨大な力を与えます。また、私たちは「対抗権力」の建設の開始を目撃しています。なぜなら、多くの点で、民衆集会は、現在のモデルや支配階級に管理されているモデルとは異なるモデルに基づく社会の編成を議論しているからです。
 私たちは、支配階級が権力を維持し続けようとしないと、というような無視すべきでないことを暗黙に言おうとしているのではありません。支配階級は、決定的にあらゆるところを支配しており、非常に現実的な緊張をもたらしています。しかし、「対抗権力」、非常に偉大で、資本主義権力を打ち負かすかもしれない権力によって資本主義を終わらせる方法の探究というアイディアを、私たちは再確認しています。私たちは今、カードルの党の問題を提起しようとは思いません。カードルの党は、ある決定的な状況、たとえば闘争の決定的な波の中では、首尾よく権力に挑戦します。大衆がまず下から対抗文化と「対抗権力」を構築し、ハル・ドレイパーが語ったように「下からの社会主義」をもたらす闘争のプロセスによって有利な状況をもたらすことなしに、それを行います。そのような党の問題を提起しようとしているのではありません。
 私はこの緊張がどのように解消するかを語ることはできないし、この緊張のために、ある時点で、過去に経験した組織と類似したある種の組織の必要性に到達する可能性があることを否定することもできません。しかし、いずれにせよ、われわれの活動の重心は、指導する党の建設ではなく、権力を生み出し支配階級の存在を許容できないものにする自治、例外的な局面で働く党ではなく、次第に耐えられなくなる状況で働き、道を指し示す自治にあります。
 私が言いたいことは非常に一般的で、多くの問題を含んでいます。サパチスタから示唆を得ましたが、やはり問題は別です。特定のグループの部分的な不満を解決することに限定することに比べると、ブルジョア国家権力を追い払うことは非常に異なった問題です。
 私たちが提起しようとしているのは社会と資本主義世界のグローバルな問題であり、私たちは世界資本主義を打ち負かす自治を推進しています。ロシア革命の長所と弱点に関する評価の問題はさておいて、たとえば、労働者階級が極端な少数派で、ボルシェビキ党が状況的にのみソビエトの多数派であったことについて、あの歴史的瞬間に今日繰り返されることはあり得ない条件が存在したことは明らかであると、私には思えます。
 今日、帝国主義の政治的、経済的、軍事的、文化的権力は、打ち負かすことを考えることが不可能なほど強力です。まず下部を、自己のために行動する人民を基盤とし、前進し組織化し、敵を解体することなしには、打ち負かすことを考えることは不可能です。これがすべての基礎であり、そこから出発して、われわれは組織的観点からあらゆる組み合わせを開拓する必要があります。
 アルゼンチンでは、人々の日常生活が変わり、彼らは別の世界の可能性について考えることができるようになった、と私たちは言っていますが、人々は街頭で変化のプロセスを短くできる方法を知りたいという強い圧力を感じています。このことは、ラテンアメリカの政治局面に反響を与えています。社会の変革の問題を具体的に考え抜く必要が存在しており、これは社会の変革を、一国のスケールではなく、地域のスケールで考えることを暗黙に意味しています。アルゼンチンの危機は、ラテンアメリカ革命、少なくとも南米大陸南部の革命を考えることをわれわれに迫っています。アルゼンチンの持続的な革命的変革を考えることは、それがラテンアメリカの決定的要因であるブラジルの大衆との連動を達成しないとすれば、まったく非現実的です。
 左翼の大部分に対して、彼らが現在の状況に非常に迎合的であるという意味で、私は彼らも非常にナショナリスト的になったという印象を持っています。これには、「外国負債に対する支払い拒否」のような反帝国主義的要求も含まれます。これは選挙の要求のように取り扱われ、全般的な枠組みに結び付けられていません。彼らは、この要求を弱めるような仕方で「外国負債に対する支払い拒否」に賛成投票を提起しています。とりわけ、彼らがマスメディアで語る場合にそうです。
 私はARIと下院で論争しましたが、実際、私は左翼の複数の組織に反対してきました。マリオ・カフィエロ(ブエノスアイレス選出のペロン党下院議員)は、負債の支払いと国の外国支配を問題にし、次のように演説を締めくくりました。「われわれはIMF反対でもなく、IMFに協力もしない。IMFなしでやっていくことがわれわれの立場である。……われわれはわれわれの財産の枠内で分相応に生きていく」。私は彼に反対するのに、これらの演説が闘争を弱めることを人々に指摘するための論法が必要であると感じました。なぜなら、現実にG7のヨーロッパ諸国では、みんな「IMFを切り抜けろ」といっています。人々はわれわれにIMFと対決するように要求するでしょう。次のように言う必要があります。「よろしい、われわれはIMFと対決し、帝国主義諸国と向き合おう。つまり、われわれは帝国主義世界に立ち向かい、世界グローバリゼーションと資本主義の野蛮に立ち向かわなければならないのだ」と。
 「分相応に生きていく」ことに関しては、アルゼンチンは他の国が持っていない可能性を持っていますが、過渡的なものに過ぎません。なぜなら、米国が「分相応に生きていく」ことを受け入れないでしょう。彼らは「そうかい、われわれを必要としないのかい。いいよ、勝手にやりたまえ」とは言わないでしょう。
 われわれを孤立させる政策や苦しめる政策や戦争の政策が現れるでしょう。提起されているのは闘いです。このために、「支払いを拒否する」というスローガンのための枠組みを用意することが必要です。帝国主義、資本主義とグローバリゼーションの野蛮に対する闘争の一部となる枠組みです。
 彼らに立ち向かう方法、彼らに反対してラテンアメリカの人々と団結する方法について考えることが必要であるだけでなく、何よりも労働人民を獲得してこの闘いに立ち上がらせることが必要です。それには真剣な政策、世界で起こっていることの認識が必要であり、これにはラテンアメリカで米国が描く世界に反対する道を開く統合した闘いのためのあらゆる条件を知ることが含まれます。これは左翼の間の基本的な議論であり、アルゼンチンのわれわれに提起されている偉大な挑戦課題です。世界のさまざまなの部分の他の活動家が、このプロセスを引き継ぎ、支援してくれるなら、すばらしいことです。
(「インターナショナルビューポイント」02年5月号)


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