かけはし重要記事

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成田空港暫定滑走路廃止求めるシンポ         かけはし2002.7.29号より

人権破壊・環境破壊の「公共事業」をぶっつぶすために!


島野房巳さん(空港いらない静岡県民の会共同代表)

有害な公共事業の典型である静岡空港を国民的論議で潰せ


 県民の三人に二人は空港はいらない、反対という意思を明確にしています。そのようなものにどうして公益上の必要性があるのでしょうか。裁判所は、形式的な論理でもって、この空港は公益性があるんだと認定している。ここに典型的な権力によって認定された公益性が現れています。
 昨年七月、空港建設の是非に対する住民投票の直接請求が行われた。住民投票条例は、有権者の五%をもって有効が成立いたします。ところが静岡県では、有権者の四・五倍の署名による二十七万人の有効署名が集まった。直接請求が成立した。しかし、知事は住民投票に対して選挙対策としてイエスのサインを出しておきながら、当選すると、あれは選挙公約ではなくて公言にすぎないと言って逃げ切っています。
 このようにどこにも公益性がない。行政権力、裁判権力、議会の権力が言うことが公益性であるということを、これ以上許していいのか。市民が公の立場にたって認めるものでなければ公共性はありえないということを、はっきり市民の論理として確立する必要がある。
 裁判の過程でも国交省は成田において土地取得において強制力を発動しないと言ったが、あれは成田かぎりのことであって他の空港では適用しないんだと言っております。しかし、市民の立場からすれば成田で強制力を発動しえたことがいかに誤りであったか。国交省は成田かぎりの問題として片づけようとしていますが、そんなことを絶対に許してはならない。
 暫定滑走路や様々な公共事業のほとんどは、公益性がない事業として市民の上におおいかぶさっている。利益誘導、有害な公共事業の典型である静岡空港や神戸空港は、日本国民全体の論議をもってつぶさなければならない。静岡空港を「第二の成田」にしないために市民の力を結集して全国の皆さんに呼びかけて徹底的な論戦を展開したい。すでに土地共有化を始めていますが、さらに拡大することによって収用させないために全力をあげたい。



柳川秀夫さん(三里塚・農民)

「公共事業による経済発展」に代わる市民の新しい物差しを

 集会の最初に東峰部落上空の騒音状態を写し出したビデオが上映されました。大変な事態であると御理解いただいたと思います。東峰の人々は、じっと耐え続け、生活し続けています。
 公共事業によって経済が発展できるという物差しが問題です。私たちは、そういう尺度ではなくて新しい物差しを市民が持たなければならない。新しい価値観を作っていくしかない。こういうプロセスを作っていかなければ、六〇年代から様々な闘いをしてきましたが、結局、体制に流されてきてしまった弱さを克服することができない。
 三里塚は、一九九一年に政府と話し合いを持ちました。それは成田という一地域の問題としてではなく、民衆の新しい考え方を提起できるのかということが課題だったと思います。その一つとして「農的価値」を提起し、空港建設を批判していきました。
 三里塚闘争は、空港廃港が基本ですが、実際にA滑走路は供用されてしまっているという事実の上で「農的価値」の観点から空港批判を行いました。しかし、政府は、全く人間の信義、仁義を知らない。国会で扇国交省大臣が「空港反対しているのは、国の恥だ」と言ったらしいが、腹わたが煮えくり返ります。「国賊」になって闘っていきます。やはり世の中を変えるというはっきりとした目的を持ってやっていく必要がある。そのために三里塚は、世の中に提案していきたい。



岩永賢一さん(諌早市議)

権力が「やりたい事業」ではなく民衆のための公共事業を

 諌早の歴史と干拓は切っても切れないということだけは御理解いただきたい。干拓は必要なのです。この点は他の多くの公共事業と決定的に異なる。
 諌早湾の「潟」は阿蘇、九重山系の火山灰が、有明海の潮流に乗って、諌早湾奥に堆積したもの。その処理法が古くから行われてきた。この方法に私も異論はない。
 しかし、この方法が大規模な干拓計画によって中断された戦後の五十年間、地元農民は不備な堤防による洪水、高潮の恐怖におびえ、人災とも言える被害を受けてきた。加えて潟の堆積による農地の排水不良がある。彼らが望む唯一点は現在の自分たちの農地の排水不良の解消に他ならない。この排水不良の解消が防災と結託して事業を推進している。一九五七年七月二十五日、未曾有の大水害が諌早を襲い、五百三十九名の犠牲者を出した。これが防災の出所であり、干拓の大義名分です。「住民の生命・財産を守る諌早湾防災総合干拓事業」である。
 干拓をしたいがために土地改良事業を防災干拓事業という「愛称」で呼び、百姓を生かさぬよう、殺さぬよう育ててきた農林水産省。現状のままでの常時開放は災害のもとだ。海水を入れて低水位に管理し、干潟を再生するのがベスト。そのあとは潮受け堤防上の排水門増設、そして全面排水門化をはかるべきだ。膨大な公共事業になるがそれこそが住民の生命・財産を守りうる唯一の方法です。
 公共事業を大別すると例えば、成田空港のような公共性を無視した権力の押しつけ、国営諌早湾干拓事業のような地元の要請を手玉にとった「やりたい事業」、そして本当に地元に必要ないわゆる公共の福利のための事業がある。民衆のための公共事業にしていくためには色々な方法がありますが、最低限、議会で発言できる議席の獲得や、必要ない公共事業を議会で否定し、公式文書として残していく必要がある。


影山健さん(愛知万博中止の会代表)

環境も民主主義も財政も破壊する愛知万博は必ず阻止する

 愛知万博(05年3月25日開催予定)反対運動を取り組んでいますが、腹が立つことがいっぱいです。今、情報公開をめぐる裁判を行っています。九九年に国際博覧会協会(BIE)が日本に視察に来た。その時に知事に調査目的書を渡しているわけです。その中には住民合意がとれているのかという内容が入っていたそうです。私たちはその中身をぜひ見てみたいということで情報公開を請求しました。ところが信頼関係を損なうおそれがあるからだめと拒否されました。こんな文書でさえも公開しない。愛知万博の開催目的の文書でさえ最近ようやく明らかになった。
 万博は、愛知県・中部地域の経済的沈下を回復するための事業として行おうとしている。さらに中部空港、第二東名のための起爆剤にしようとしている。さらにもうひとつの特徴として、「トヨタ」万博の傾向が強く、トヨタ資本の人材が多く参加してる。
 万博をめぐって迷走が繰り返されてきた。テーマをころころと変えているように、万博に対する歴史哲学が存在せず、市民の批判を受け止めようとする姿勢がない。最初は「産業博」と言い、今度は「文化博」と変わっても経済的動機目的は変わっていない。市民参加を強調しているが、推進派の路線に反対する者は排除するという非民主的なことが行われている。
 愛知万博推進派は、様々なごまかしをしてきた。緑という名によって緑を破壊してきた。さらに県民生活・文化を破壊している。例えば、環境博と言いながら愛知の環境政策と日本の環境政策の整合性を考えないわけです。片方で環境博をやりながら、片方で中部新空港を作ろうとしている。これは緑と海洋破壊だ。
 私たちは、万博に対して二回にわたって「県民投票直接請求」(一九九七〜八と二〇〇〇)を行った。一回目は、有権者の二・四%、二回目が五・七%を集めた。このような批判が明確にあるにもかかわらず県は少しも聞こうとしない。このように民主主義が破壊され、財政も破壊されている。
 私たちは、「愛知万博中止の会」(01年8月)を結成し、現在@「条件闘争」から「中止、返上運動」にジャンプアップA「万博」そのものの「権力性」を問うB万博反対を司法の場で問う運動を実施している。万博は、これからの地方政治から逆行し、無駄な公共事業だ。

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