かけはし重要記事

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オランダ                      かけはし2002.7.15号より

政治的な混乱の中で情勢は右へ動く

極右政党指導者殺害と総選挙


 解説 ヨーロッパにおける極右の伸張と反資本主義左翼

 五月六日、オランダのアムステルダム郊外で極右の移民排斥主義者「ピム・ファルタイン党」の党首ピム・ファルタインが、銃撃を受けて殺された。同党は今年結成されたばかりの党であるが、三月のロッテルダム市議会選挙で三五%の得票を獲得し、第一党に躍り出てセンセーションを巻き起こした。警察当局は、射殺犯人が「極左の環境保護運動家」であると発表した。
 五月十五日の下院選挙ではピム・ファルタイン党の得票が注目されたが、百五十議席中二十六議席を獲得し第二党に躍進した。この移民排斥主義者の政治の前面への登場によって、第一党だった労働党など中道左派連立与党の三党はことごとく大きく議席を減らし、キリスト教民主勢力(CDA)、自由民主党、ピム・ファルタイン党の右派ブロックが七月中にも政権の座につこうとしている(キリスト教民主勢力のバルケネンデ党首が「組閣担当者」に任命された)。
 オーストリアの「ハイダー現象」に始まり、フランス、ポルトガル、デンマークなどで極右の排外主義勢力が大きく伸長し、その圧力によってEU十五カ国中十二カ国で政権の座についていた社会民主主義勢力が政権を手放す状況が相次いでいる。しかし同時に、オランダでも社会民主主義勢力の左に立ち、新自由主義的グローバリゼーションを批判する勢力が前進している。フランスLCRやイギリスの社会主義連盟、イタリア共産主義再建党などを中心とするヨーロッパ反資本主義左翼会議の参加組織である社会主義党(元毛沢東主義者)が五議席から十議席に倍増したことはそのあらわれである。また環境保護運動活動家や元共産党員の一部、平和運動グループなどによって構成されたグリーン・レフトも前回の十一議席を維持した。
 声明にあるように第四インターナショナル・オランダ支部(社会主義労働者党)は移民排斥反対運動の先頭に立ちつつ、今回の下院選挙では社会主義党とグリーン・レフトへの投票を呼びかけた。(編集部)



 五月十五日にオランダで行われた選挙は、右翼ポピュリストであるピム・ファルタイン殺害が引き起こしたきわめて特殊な状況の中で行われ、ピム・ファルタイン党は目を見張るような成果を収めた。以下に掲載するインタビューは、イギリス「ソーシャリスト・アウトルック」紙のテリー・コンウェイが、選挙の直前にオランダ社会主義労働者党(SAP、第四インターナショナル・オランダ支部)のピーター・ドラッカーに対して、選挙の背景や、この殺害事件がどのように表現されているかについて質問したものである。

――ファルタインとはどのような人物なのでしょうか。

 彼を政治的に特徴づけることは簡単ではありません。きわめて矛盾だらけの人物だったからです。彼が提起した最も右翼的な政策は、オランダのどの政党よりも右の側に位置するものでした。たとえば、彼はジュネーブ協定の廃棄を主張していました。これ以上一人の難民もオランダに入れさせないためです。しかし彼は殺される直前に、すでにこの国にいる「非合法」移民への「特赦」を訴えていました。
 彼は、医療や教育が恐るべき状況にある――これはその通りです――と語り、その解決策はこれ以上1ユーロも使わず、経営者たちの重荷を取り除くことだと主張していました。彼は王制の廃止に賛成していましたが、最近の皇太子の結婚式のようなイベントを大いに利用していました。彼は、オランダの強さは海軍力にあるという理由で、陸軍と空軍を廃止することを主張していました。しかし、最新鋭の戦闘機の購入には賛成するというのです。
 一人の個人としても彼は矛盾だらけでした。彼はきわめて左翼的な人物として活動を始め、右翼として生涯を閉じました。彼は野心満々でしたが、孤独な人という印象も持たれていました。
 またはっきりしていることは、彼はこうした相反する両面性を持っていましたが、今や後に残された彼の党の他の指導者たちはそうではないということです。最近の自治体選挙の結果を受けて、彼らがロッテルダムでキリスト教民主勢力とVVD(右派の非宗教的政党)との連立政権を組んだように、国会選挙後に連立政権を構成することになれば、この三十年間以上の間で最も右翼的な政権が出来上がるという結果になるでしょう。

――ファルタインは公然たるゲイでした。このことはどのように作用しましたか。

 私には、それが中和化させる要因だったと思えます。人びとは、彼がゲイであるとしたら、ゲイを悪者にすることはないだろうと話していました。また彼は自分のセクシュアリティーをシニカルに利用していました。自分はモロッコ人の男が好きなのだからレイシストであるはずがない、と言うのです。

――ファルタインの死の直後、選挙を延期するべきかどうかの論議が起きました。選挙日時の決定は論争を引き起こすことになりましたか。

 ええ。とりわけ社会主義党(選挙前は議会の最大政党だった労働党の左に位置する元毛沢東主義者の最左派政党)の現指導部に関しては、そうでした。しかしファルタイン党が選挙を予定通り進めることを望むと述べた時、政府は代案はないと感じました。そうしなければ暴動が起きると恐れたのです。
 ファルタインと彼の死を悼む人びとの双方における矛盾にもかかわらず、彼の殺害が政治の右へのシフトに結果したのを疑うことはできません。ロッテルダムで極右政党は、極左の禁止を求めるリーフレットを配付しました。環境運動を行っている人びとだけではなく、反レイシスト運動や左翼の人びとも、「殺すぞ」という脅しを受けてきました。
――彼の死に引き続く民衆の動員について、本当にたくさんの報道がなされました。そうしたことを通じて、どういうことが起こりましたか。

 そうした感情の流出のよじれた糸玉を十分にほぐすには数週間、あるいは数カ月かかると思います。その一部は、特殊にオランダ的現象です。こうした集会は、「無分別な暴力に反対する行進」の伝統にそっています。ここ近年、有名人や政治家たちではない、まさに普通の人びとが、時には論争の後で、通例は深夜の街頭で殺されることが何度もありました。
 そんな時には、こうしたことがわが国で起きてはならないと訴える抗議のための沈黙の行進が行われました。「ファルタイン状況」でもこうした現象が続いたのです。
 さらに、それは九・一一の直後に起こったことと、ダイアナ王女の死への反応を交差させるようなものでした。動員は巨大なものであり、政治的・社会的にきわめてごたまぜでした。私はこの動員に加わった多くの人びとが、自分たちは彼の考え方を支持しないし、彼の党にも投票しない、しかし彼は死ぬべきではなかったと語っているのを、見たり読んだりしました。
 しかし、今までは社会主義党に投票してきたが今度はファルタイン党に投票すると言うような人びとがいます。したがって、投票では右翼が彼の死につけこもうと期待することになるのは間違いありません。(「インターナショナルビューポイント」02年6月号)



ピム・ファルタインの死について

社会主義労働者党(第四インターナショナル・オランダ支部)

 われわれはピム・ファルタイン殺害を糾弾する。こうした行為は、われわれが闘い取ろうとしている連帯と自由の社会の実現に決して寄与しえない。
 ピム・ファルタインの思想は、われわれの思想とは遠く隔たったものである。ファルタインは、ハーグの政治体制に対する彼らの――正当な――不満に基づいてだけではなく、「オランダは満杯状況であり、移民にとっての余地はない」「障害者手当をもらっている人びとは、裕福すぎる生活を送っている」「女性は台所に戻るべきだ」といった不合理な偏見に基づいて民衆を動員しようとしている。
 われわれはこの間、言葉や文章や街頭でファルタインの考え方に反対する活動を熱心に行ってきた。われわれはファルタインの左翼の側からの敵対者が、殺害をもたらすような雰囲気の形成に寄与してきたというあてこすりに強く抗議する。ファルタインの綱領と公式声明は、われわれならびに多くの人びとを怒らせ、連帯のために、そしてレイシズムに反対して闘い続けることを決意させた。
 九月十一日のテロ攻撃の後に起こったように、彼の死から利益を得ようという試みが行われるだろう。われわれはすでにその最初の例証を見ている。保守派の日刊紙「デ・テレグラーフ」は、左翼を犯罪者に仕立てようとしている。TVリーンモンドは、何人かの若いモロッコ人に、彼らが動転していないという事実への嫌悪感を表現するだけの目的のためにファルタインの死への反応を質問した。
 いまや、当面する一時期、われわれは以前にも増して、選挙以前にも、選挙中も、そして選挙後も、大量かつ刷新されたエネルギーを込めて、社会的・多文化主義的オランダのために闘わなければならない。ファルタインの「殉教」は、右翼へのよりいっそう大きな流れをもたらしうる。われわれは、いっそうの緊急性をもって、すべての人びとに左翼政党――社会主義党とグリーン・レフト――への投票を呼びかける。
 三月の地方選挙以来、われわれは「レイシズムに一票たりとも投票するな」というスローガンの下、五月十一日にロッテルダムで行われるデモへの動員と組織化に向けて活発に活動してきた。われわれはその組織化のための連合である「ネーデルラント・バケント・クレール」が、予定通りのデモを行うことは逆効果をもたらし、レイシズムに対する広範な運動を構築するのに役立たないという理由で、デモ中止を決定したことを支持する。
 デモを行わないというこの決定は、すでに対抗デモを表明している極右が、われわれを脅迫するにまかせるということを意味しない。それはまた、多文化的社会のための行動がもはや不必要だということを意味するものでもない。われわれは当面する一時期において、以前にもまして、われわれは大量、かつ刷新されたエネルギーをもって社会的・多文化主義的オランダのために闘い続けなければならない。
(「インターナショナルビューポイント」02年6月号)


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