かけはし重要記事

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フランス                      かけはし2002.7.15号より

新自由主義に屈服した伝統的左翼の道を拒否し100%左翼の道へ

右翼陣営の勝利に終わった総選挙

 大統領選挙に続いて行われたフランスの総選挙は、右翼陣営の勝利に終わり、ここに大統領は右翼、政府は左翼というコアビタシオン(保革共存)は最終的に終りを告げ、フランスは文字通り右翼が完全に統治する時代を迎える。政府の側からする、民営化、大量解雇、社会保障の削減、治安強化などの反労働者的攻勢が強まるだろう。
 大統領選挙第一回投票後、革命派票合計で一〇%以上という成果をさらに前進させるために、LCRは再度、総選挙に向けて「労働者の闘争派」に共同の選挙戦を呼びかけたが、「労働者の闘争派」(LO)はまたしてもこの提案を拒否した。この拒否を受けてLCRは、全国のほぼすべての選挙区に近い四百五十選挙区で独自候補を擁立して総選挙を闘った(一九九七年の前回の総選挙では百三十の選挙区での立候補であった)。
 革命派の選挙結果は、本紙の革命派の得票で示されているように、総選挙ではとりわけ既成政党への「有効票」という心理が有権者に強く働くことや革命派の分裂のために、大統領選挙での成果を前進させることができなかった。とりわけ、LOはそのセクト主義と社会運動からの孤立主義という自己の路線のために、苦い代償を支払わなければならなかった。総選挙において、LOはLCRの票にも及ばなかった。また、LO南仏アルルの組織の多数のメンバーが、立候補予定者を含めて中央のセクト主義を批判し、LCRに投票すると表明するといった事態も生れている。 (編集部)




総選挙第一回投票を終えて

LCR(革命的共産主義者同盟・第四インターナショナルフランス支部)政治局


 第五共和国史上かつてない大量の棄権票、これが今回の総選挙の最初の教訓である。三六%という棄権率は過去二十年間に展開されてきた自由主義的政策の直接的な結果である。この政策は、政府与党からの、そして何よりも伝統的左翼からの、人民大衆の深刻な離脱を引き起こした。第五共和制の諸制度と二回投票で多数派票を実現するメカニズムは、この動きを増幅することとなった。今回の選挙結果は、わが国の実際の社会的、政治的力関係に照応するものではない。六月九日は、わが国を襲っている社会的、政治的な危機を表現した四月二十一日の政治的大変動を消し去るものではない。
 この枠組みのもとで、総選挙の第一回投票の結果は、議会右派の大幅な増加を記した。社会自由主義的路線をとる左翼連合政府の経験を経た後、振り子の運動が再び右に向かった。これは全ヨーロッパで表現されている重大な傾向である。シラクと伝統的右翼は、議会の圧倒的多数に依拠することができるので、とりわけ体制の大統領化を促進することによって、社会的、政治的危機を食い止めようとするだろう。
 にもかかわらず、右翼のこの増大には限界があるという点をも推し測っておく必要がある。投票した有権者の四四%の票が右翼諸政党に投じられたとしても、右翼政党を支持しているのは有権者の三分の一を少し上回るにすぎない。右翼の勝利は、社会的、民主的成果に対する新たな攻撃につながっていくだろう。だが、この勝利は決して自由主義に対する社会の抵抗をなくすことはできない。
 今回の議会選挙では、極右勢力は、大統領選挙に比べてのみならず、前回一九九五年の総選挙に比べても後退した。
 これは、(大統領選挙第一回投票日の)四月二十一日以降の反ファシストの大衆動員の結果である。それは同時に、右翼への「有効票」の影響のひとつでもある。右翼および極右勢力の国民戦線を支持する有権者は、シラクの計画に支持を与えた。だが、この危機の情勢の中で、伝統的右翼の政策が国民戦線の温床となる社会的不正義と不平等を激化させるだけに、一二%の得票率を得ている極右勢力はいぜんとして、労働者、移民、青年にとって危険な存在である。
 伝統的左翼の後退はまず何よりも、この二十年来の自由主義に同調するその政策の結果であるが、それは同時に、統一左翼(総選挙における伝統的左翼の連合の名称)のすべての提案をジョスパン政府との継続性として提起した選挙キャンペーンの結果でもあった。この政策はとりわけ社会党の同盟者たち、緑と共産党、に打撃となった。一九九七の総選挙に比べて自らの票の半分を失った共産党は、その地位をさらに後退させた。社会党は議員団の半分以上を失いかねない事態になっている。この党は、多元的左翼内部では、唯一生き残り、その地位を保持しているのだが。
 革命派は大統領選挙での一〇%の得票率を打ち固められなかった。それは、大量の棄権票、伝統的左翼へ向かおうとする「有効票」、革命派の分裂の影響を受けた。実際、選挙結果は、比例代表制でないためにわが国の政治的現実が表現されなかっただけでなく、伝統的な大組織に有利となった。これは不可避的に小さな組織、とりわけ革命派には不利に働く。革命派はそれでも一九九七年に比べると、その表現を変えながら、その地位を維持した。大部分の選挙区で、LCRの候補者は「労働者の闘争派」の候補者よりも多くの票を獲得した。「労働者の闘争派」は、そのセクト主義と大統領選挙の第一回投票と第二回投票の間の時期にこの派がとった政策のために糾弾されたのである。
 多くの労働者と青年が直面するいかなる問題も解決されていない。総選挙の第二回投票日である来週の日曜日、左翼と右翼の決戦投票になっている場合に、LCRは投票の指示を打ち出さないだろう。有権者に対して自分たちへの投票が有効であると説得するのは多元的左翼の候補者であると考えるからである。もちろん、右翼に対しても極右翼に対してもけっして投票してはならないし、国民戦線が第二回投票に登場する場合には、LCRは第二回投票に残った左翼候補に投票するよう呼びかける。
 だが、労働者が自分たちの死活の問題を解決するために今日、登場しなければならないのは、社会的場である。右翼は、退職制度、週三十五時間労働制の見直し、公共サービスの民営化、公共部門でのストライキ権の見直しといった分野でその攻撃を倍加するだろう。あらゆる社会的後退を阻止するために、最も統一的で最も広範な社会の動員が必要となるだろう。
 政治面では、左翼の歴史の一頁がめくられた。多元的左翼の対策は通用しない。今や二つの左翼が存在している。社会党はいぜんとして左翼の主要勢力にとどまっているが、すでにこの党がもっと自由主義的グローバリゼーションに適応すべきであると主張する多くの声があがっており、党がこの道をもっと先へと進むよう圧力をかけている。そして、これとは反対に、もうひとつの路線がある。それは、百%左翼の路線、体制との決別の路線である。これは新しい勢力の土台を形成する路線である。今や、左翼を変革し、多元的左翼から収支決算を引き出す新しい勢力、すなわち急進的で反資本主義的な勢力、の道を進まなければならない。


信頼と分裂―総選挙における革命派の得票

イヴァン・ルメートル


 総選挙の第一回投票の夜以来、革命派の選挙結果についてコメントするマスコミの記者たちは、あえて省略的表現を用いて「極度に(フランス語で極右派や極左派を表現するときに使われる同じ形容詞「エクストレーム」が使われている)押しつぶされたもの」というテーマを発展させた。この見方は、総選挙の第一回投票と第二回投票との間の期間の、「(左右の)過激派(エクストレーム)の対称性」という中心的考えを示すことができるだろう。少なくとも戯画化された読物ではある。
 「革命派はその票の三分の二を失った」と右翼系の『フィガロ』紙は書き、他方、『リベラシオン』紙は「(大統領選挙第一回投票日の)四月二十一日の革命派の躍進は短期的なものになるだろう」とコメントし、「二つのトロツキスト党派はその不和のために大きな代償を支払った」と付け加えた。共産党の『ユマニテ』紙は、「革命派は三%以下の得票によって数の上では出発点に戻った」と書いている。革命派の投票結果の疑いようのない後退は明日なき抗議票という考えを示すものだろう。
 われわれの候補者は全得票の一・二五%、三二万五九四票を得た(立候補した地域の平均では一・六四%)。「労働者の闘争派」(LO)は、一・一九%、三〇万四一〇〇票で、ランベール派は一九三人の候補者をたて、〇・三〇%、八万一五九七票を得た。革命派合計の二・七六%は大統領選挙で獲得した一〇・四四%をはるかに下回るものであったが、同類のもの同士を比較する必要がある。
 一九九七年の総選挙では、革命派は二・二%を獲得した。したがって、できるかぎり多数の候補者を立候補させることになった大きなライバル関係のためにこの数字上の前進が生まれたのである。この戦闘性の発展力学は統一的枠組みを見出すことができていない。この統一的枠組みがあれば、これらの選挙で反民主的人物によって行使された政治的圧力に抵抗することができていただろう。だがこの機会は失われた。
 われわれは大統領選挙の勢いを維持するという挑戦課題を実現できなかった。だが、革命派は影響力をもつ全国的政治勢力になったことを確証した。
 もし失敗があったとすれば、それは相対的なものであり、これまでの力関係やその発展という枠組みとの関連で分析されなければならない。極右勢力や与党右翼に対する革命派の分裂は、われわれの有権者の多くによって深く感じられていた。
 『ル・モンド』紙が指摘したように、「左翼における有効票の反映」もまた圧力となった。各選挙区に著名な候補者が不在であることも確かにひとつの要因であった。それは、逆に、オリヴィエ・ブザンスノーがパリ第十八区の自分の選挙区で五・四七%という多くの票を集めたことによって示されることとなった。
 この観点からすると、総選挙結果は力関係を示しているのである。革命派の発展力学は、地区基盤の弱さを埋め合わせるだけ十分ではなかったのである。多元的左翼の諸政党と決別しつつあった諸勢力を結集することを目指す大胆な政策のみが、おそらくこのハンディキャップを埋め合わせることを可能にしていただろう。われわれが「労働者の闘争派」に選挙協定を提案したのはこの理由からであった。
 しかしながら、LOは、自らがそうした協定へのイニシアティブを取ることができていたのに、むしろLCRとの対立の方を望んだ。「労働者の闘争派」は、アルレット・ラギエに人気があったので大統領選挙を利用して選挙戦線で優位を確保した上で、次に総選挙のすべての選挙区で候補者を持つ新しい党に類するものとして登場することができる、と考えたのである。この筋道は実現されなかった。
 問題は、大統領選挙の第二回投票でLOが棄権を呼びかけたことにあるのではなかった。なぜなら「労働者の闘争派」の論法の間違いを示すことになったのは、ブザンスノー候補への第一回投票の得票であったからである。われわれ二つの潮流の間の選挙での得票のこの再度の均衡化は、統一、開放性、民主主義の必要を求める主張に対応するものであった。LOが自分の立場を防衛したその攻撃的で、道徳主義的なやり方は問題を明らかにした。
 われわれが競合した選挙区の大多数で、われわれの得票の方がLOよりも少し上回っていた。この再均衡化は、同じ労働者階級や人民の有権者内でも働いており、開放性と透明性を求める意志、社会と政治の大きな発展に対応する刷新の必要をはっきりと指し示している。

 LOとLCRの間のこの再均衡化は、一九九五年の十一月と十二月の(公共部門のゼネストの)巨大な運動の爆発を受けて、(「労働者の闘争派の」)アルレット・ラギエが初めて五%以上の票を獲得して以来の事態の発展の脈絡の中で理解されなければならない。
 これらは、社会対立の復活と左翼政府に入っている諸政党への決別を示す最初の二大表現であった。この復活は限界を持っていたが、これはまた、政治レベルでの革命派の前進ならびにあらゆる形態をとった社会運動の発展によっても確認された。
 LO指導部はこの発展に不意を打たれた。その指導部は、社会党、共産党、労働組合官僚に対する少数反対派として自己を登場させることにあまりにも慣れすぎていて、新しい社会運動とどのような関係を持つべきなのかが分らないのである。反対に、その指導部は自身の中に後退し閉じこもる傾向を示している。
 社会民主主義が新自由主義路線に傾斜しつつあり、スターリニズムが崩壊しつつある今日、労働者階級と人民の新しい勢力の建設が日程にのぼっている。大統領選挙と総選挙の結果はこの光に照らして評価されなければならない。
 今日、われわれは、戦闘性の現実に依拠してこの勢力の出現を助けるために必要なイニシアティブを取らなければならない。これらの選挙は、二十年間の支配階級の攻勢によって作り出された力関係にもとづいていた。しかし、そうした力関係は、選挙結果という歪められたプリズムを通してだけでは見ることができない。選挙結果は指標にすぎない。
 事態は、労働界にとって見た目ほど不利ではない。事態は、一方における社会運動の潜在的な力やその戦闘性の現実と他方におけるそこから導き出されるわれわれの任務との間のギャップを主として示している。今や、討論し、評価を行い、これを通して前進し、与党左翼の諸政党と決別した人々を結集する政策を定式化すべきときである。
(「ルージュ」6月13日号)



総選挙に向けた100%左翼候補者の10の提案

 一、大量解雇を禁止する法律を。経営者や株主が地域全体に被害を及ぼすこのような大量解雇を許すことなど認め難いからである。仕事は権利であり、われわれは失業に反対して闘わなければならない。
 二、公共サービスの防衛、民営化の停止、医療、教育、交通の分野で三十万人の雇用の創出を。
 三、富の再分配のために、すべての賃金、社会的手当、年金の月二百三十ユーロの即時引上げ、男女間の賃金の完全な平等、基礎的生活必需品に対する付加価値税(消費税)の撤廃。
 四、不安定雇用や職場での搾取に苦しみ、人種差別主義と差別の被害を受けている青年の権利の尊重。大麻の合法化、新規採用を目指す学生と高校生への月七百ユーロの自立手当の支給を。
 五、押しつけられたパートタイムの解消、常勤雇用の創出、賃金の平等、無料の公共の保育サービスの通じた職場と家庭での平等の実現。
 六、権利の平等の実現。すべての人に住宅の権利を、サンパピエ(滞在許可証を持たない移民)に正式滞在許可を、ホモセクシュアルに対する差別撤廃、移民に投票権を。
 七、「治安」問題については、一方的に治安強化だけに偏った治安対策反対し、社会サービス、予防、犠牲者への支援、教員や教育者の新規雇用を通じてよりよくともに生活できるようにすること。
 八、六十歳での完全な年金と退職の保障。失業を減らし、雇用を創出することによって、より多くの人々が年金を支払えるようになるだろう。公共と民間の労働者の平等および全員三七・五年の勤続年数と年賦支払いへの復活を通じた年金制度の防衛と強化。
 九、 利潤の論理と決別した環境政策の実施。これは、一般の健康を守る法律(遺伝子組み換え食品の禁止)、産業災害からの住民の保護、公害に対する闘いを意味する。原子力発電からの脱却の即時決定。
 一〇、資本主義的グローバリゼーションに反対する大衆動員全体に呼応して、マーストリヒトのヨーロッパが命じているすべての反社会的決定を再検討し、他地域との正義と連帯にもとづく関係を築く社会的、民主的ヨーロッパの建設を。

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