| 極右・高橋史朗が埼玉県教育委員長に かけはし2007.11.19号 |
「つくる会」元副会長と上田知事
のコンビで学校教育破壊を加速 |
6票中3票で委員長に
埼玉県教育委員会は十月二十五日の定例会で、新教育委員長に「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長の高橋史朗を選出した。実質的に元民主党極右の上田清司知事の圧力によって強引に就任させたのである。
すでに多くの反対があったにもかかわらず高橋は教育委員に就任(二〇〇四年十二月)していたが、扶桑社の公民教科書を監修していたことが分かり、〇五年の中学歴史と公民の教科書採択時には退席するところまで追い込まれ、不採択となった。その後も高橋は教委乗っ取り策動を続け〇五年七月に教育委員長職務代理者となったが、市民・諸団体の反対運動によって〇六年の委員長選に立候補さえもできなかった。
今回も選挙前から高橋教育委員長立候補反対運動が市民団体・教職員などによって果敢に繰り広げられていたが、委員長選挙は、六票中三票が高橋、二票が石川正夫(前委員長)、一票が白紙であった。つまり、改悪教基法と教育関連法の教育現場への具体化にむけた動きが強まっている流れに便乗し、高橋は念願の野望を達成するためのチャンスだと判断して、これまでの委員長選挙慣例である全員一致を否定し票割れを発生させてまで委員長職を「強奪」したのである。
国家主義とネオリベの合体
そもそも高橋は、「つくる会」、日本会議、統一協会など右翼潮流のオルガナイザーとして「活躍」し、日本の侵略戦争や「従軍慰安婦」問題などの教科書の記述が「自虐的・反日的」だとの主張を繰り返してきた人物だ。そして、「日本人としての誇りを取り戻す」教科書をつくるとして「つくる会」結成に参加し(一九九七年一月)、その後、侵略戦争と日本の植民地支配の正当化、性教育否定、ジェンダー・フリー教育反対、男女共同参画条例否定など、歴史の改ざん・反人権・差別運動をすすめてきた。また、改憲・教基法改悪派の「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)の運営委員長に就き(二〇〇三年一月)、教基法改悪運動を進めてきた。この運動体の実態は、「つくる会」と天皇主義右翼である日本会議が共同して結成し、日本会議に所属する自民党、民主党の国会議員たちも参加させていた。
高橋は、上田知事とともに埼玉県の教育破壊にむけて教育委員になるために、「つくる会」副会長に〇四年十一月まで就いていたが、退会している。しかし、主張は従来どおりであり偽装退会だった。事実、扶桑社版中学校歴史・公民教科書監修者だった。
当時、上田知事は高橋応援のため「これまでの歴史教科書は自虐的な史観でものごとが見られているきらいがある。『つくる会』教科書はきわめて新しい試みとして教育界全体の刺激になっている点を評価している」などと持ち上げていた。高橋委員長就任は上田の念願でもあったのだ。
高橋は、委員長就任にあたって「私の歴史観、個人の考えを強要してくるのではとの懸念があると思うが、私はそのつもりは毛頭ない。委員会は委員長の独断専行ではなく委員五人で合意するのが大事。いろいろな意見に耳を傾け、バランスがとれた教育行政をめざしたい」などとウソ発言を行えば、今度は上田が「委員長は一般的に委員を引っ張るというよりまとめ役。逆に高橋氏の個性が薄れる」とふざけきったリップサービスをするほどだ。
この上田と高橋コンビは、直轄の「親衛隊」教員の養成所である埼玉師範塾の設立でも見ることができる。塾長が高橋で、名誉会長が上田だ。〇六年四月に設立し、県内教員を対象に「師範力のある教育者を育成する」ことを目的に掲げているが、その実態は「グローバリゼーションの進む二十一世紀においては、国家としてのアイデンティティを明確にしなければ、国際社会において高い評価を受けることはできない」ことを強調し、新自由主義と国家主義が合体した改悪教基法体制を忠実に担いきる教員養成が本当のねらいだ。しかも「脳科学や生命科学という最先端の研究成果を教育に活かし」ていくことを公言し、新自由主義教育の差別・競争主義とともに優生思想を導入しながらエリート教育を推し進めていこうとしている。
高橋が教育委員長に就いたことによって、校長や教頭の人事介入を強め、塾生出身者を幹部候補として優遇していく可能性が十分考えられる。そのうえで教職員間において分断・分裂を発生させ団結破壊を策動させながら組合活動に対する規制、弾圧を行使してくる危険性もある。
「彩の国教育改革」プラン
高橋の数々の右翼言動と歴史改ざん圧力運動を行ってきた延長からすれば、埼玉県の教育破壊が加速化する局面に入りつつあると言わざるをえない。この事態を社会的に明らかにし、高橋によるやりたい放題の教育行政を許してはならない。
ここで注意しておかなければならないのは、高橋を手先にした上田知事の教育行政が単なる思いつきや右翼思想の現れではないことだ。上田のバックボーンは、埼玉県、県警察本部、県教育委員会の合作である「彩の国教育改革アクションプラン」なのである。このプランは、「埼玉発の教育改革の推進」などと石原都知事と都教委による教育破壊の先例に続き、乗り越えていくことを意識しつつ、とりわけ警察権力を積極的に関与させているところに大きな特徴がある。プランは「地域と連携した安全・安心な学校づくりの推進」を掲げているが、この前提には外国人、子どもたちを含めた民衆全体を犯罪予備層と設定し、予断と偏見、排外主義に満ちた警備に協力させていくことにある。
さらに「学校の教育活動全体を通じた道徳教育の実施」を強調し、「日の丸・君が代」の押しつけと服従、愛国心教育の強化、社会奉仕と体験学習を通して国家主義者が求める集団訓練に動員していくことをカリキュラム化している。この要として「校長の学校運営に関する権限と責任を強化」し、「教員のより一層の資質向上のため、研修システムを充実」「指導力不足と認められた教員に対しては、適切な処置をとる」と述べ、これまでよりも教職員に対する管理・統制、長時間過密労働を行えと強調するのだ。改悪教基法と教育関連法の先取り的実施をすでに強行している。
右翼教科書採択許すな
新自由主義教育改革政策では、「小・中学校・高等学校通学区域の弾力化」を進め、学校間の序列化と競争主義の導入を大きな柱としている。また、「学校の規模の適正化を進める」「少人数の学校の統廃合など再編整備による規模の適正化」などと公然と教育の機会不平等を指針とする許しがたい内容となっている。まさに警察権力を治安対策上の観点から関与させ新自由主義教育改革路線の貫徹である。
高橋の委員長任期は〇八年十月二十五日までだが、中学校の教科書採択が行われる〇九年夏を射程にして再選工作を水面下で取り組むことは間違いない。教育委員会の完全制圧を当面の目標として設定しているはずだ。この手法は、「つくる会」が〇五年時の自民党、民主党右翼議員、首長などの圧力を動員することによって「つくる会」教科書採択運動を繰り広げたが、結局、目標の10%に程遠く、歴史教科書0・39%、公民教科書0・19%という低採択率だったことの総括でもある。教育委員会を「制圧」することによって「つくる会」教科書採択を強行する方針なのだ。
ちなみに「つくる会」は、「つくる会」教科書採択敗北の結果として、会内の諸派間で敗北責任を押し付けあい、泥沼の派閥抗争を繰り返し、分裂する事態にまで突入してしまった。結果として藤岡信勝(拓殖大教授)が会長に就任し、自由社から教科書を発行する(〇七年)。他方、分裂した八木秀次派は、「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(「教科書改善の会」)を発足させ、扶桑社のバックアップで「育鵬社」を設立した。二〇一一年度の中学歴史・公民教科書を発行し、教育委員会への教科書採択運動を取り組んでいく方針を確認している。
高橋教育委員長就任によって天皇制・侵略戦争を賛美する「つくる会」、「教科書改善の会」教科書採択の圧力が強まる可能性がある。反動教科書採択を許してはならない。埼玉県教委の右旋回を許さず、監視・警戒陣形を教基法・教育関連法改悪反対運動の実績とスクラムを土台にして包囲していこう。
沖縄県民の闘いに続け
福田政権は、文科省中教審と教育再生会議とのイニシアチブをめぐる綱引きを繰り広げさせながら、改悪教基法と教育関連法改悪をバネにグローバル派兵大国化の一環である教育行政への国家統制の強化を押し進めている。埼玉県教委の反動化への踏み込みは、埼玉県だけのエピソードではなく、文科省路線貫徹のプロセスにおいて全国的に発生している事態なのだ。
例えば、新自由主義教育改革推進と「日の丸・君が代」強制に抗議する教職員に対する大量処分を乱発している東京都教育委員会、神奈川県個人情報保護審議会の違反答申を無視して「君が代」不起立教職員の「ブラックリスト」作りによるどう喝と排除指導にひた走る神奈川県教育委員会、全国学力テスト実施強行の担い手としての教育委員会(愛知県犬山市教育委員会は参加拒否した!)に示されるように全国的な新教育再編が動き出している。
このような流れに抗して沖縄県民は、旧日本軍が沖縄戦において沖縄住民に集団自決を強制した記述を削除した文科省教科書検定に対して抗議し、ついに文科省が「教科書会社からの『訂正申請』があれば教科書検定審議会に諮る」と対応せざるをえないところまで追い詰めていった。教科書会社は、なんら歴史改ざん姿勢の体質を反省することなく、単に赤字を作らないために「訂正申請」を出すことによって対処した。
沖縄県民の闘いは、文科省の歴史改ざん教科書検定に楔を打ち込み、民衆の力によってはね返していくことを指し示した。同時に福田政権の脆弱性の一面を露呈させた。この決壊を拡げていくことが求められている。改悪教基法・教育関連法に基づく教育再編に反撃していこう。 (遠山裕樹)
成田バスツアーの会
三里塚・東峰部落芋掘り&収穫祭で楽しく交流
共同声明運動
からスタート
十一月四日、成田バスツアーの会は、「鎌田慧さんと行く三里塚・東峰部落 芋堀り&収穫祭ツアー」を行った。この会は、成田空港暫定滑走路供用が二〇〇二年四月十八日の強行に対して「暫定滑走路が使用されてしまうならば、滑走路の南端に住む人たちの頭上わずか四十メートルをジェット機が飛びかい、轟音と排気ガスが人や鶏や野菜の上に降りそそぐことになります。人間と生き物の生存を脅かし、人権を踏みにじる暴挙です」と抗議し、全国的な「成田空港の暫定滑走路の供用中止を訴えます」共同声明運動の展開からスタートした。当時の運輸省への暫定滑走路供用中止申し入れの取り組みを行ったり、供用後も、『着陸不可』(七つ森書館)を発行したり、三里塚バスツアー、竹の子・芋掘り、バーベキュー、木の根ペンションでの学習会などを企画し、三里塚の人々との交流を深めてきた。
なお三里塚バスツアーをはじめ現地交流会などを毎年続けてきたが、決意あらたにこの企画の呼びかけ主体名を「成田空港の暫定滑走路の供用中止を訴えます」事務局から「成田バスツアーの会」にリニューアルした。
頭上40rを飛ぶ
ジェット機の轟音
この日は太陽光線が眩しい秋晴れだった。東京駅丸の内南口に停車しているバスには、三里塚に思いを寄せる仲間たちが集まってくる。バス待機中、仲間たちは、会が作製した三里塚資料などを読みながら、三里塚マップにもとづいてツアーコースのチェック、暫定滑走路北伸工事の進行状況、空港会社の三里塚農民の人権無視の追い出し状況などの認識を深め合っていた。
バスの移動中、中里英章さん(七つ森書館)の司会でディスカッションが始まった。メインゲストの鎌田さんは、「三里塚現地に行くことは大事だ。現地を知るところから行動が始まり、三里塚の人々に対する励ましになる。そもそも空港の中に農地があって人間が働き、生活があるというのは世界中どこにもない。政府は農民の生活を力づくで潰し、追い出してきた。静岡空港、石垣空港、神戸空港などほとんど無駄な空港だ。赤字になるのがわかっているくせにゼネコンのために乱開発してきた。今日は東峰部落の人々との交流をして現地の現実と農民の思いを感じてほしい」と発言した。
続いて、青森六ヶ所村で反原発運動を取り組んでいる仲間、韓国・平澤基地移転阻止闘争に連帯する韓国の仲間たち、「労働情報」編集部の浅井真由美さん、郵政ユニオンの仲間などから現場報告とアピールが行われた。
約一時間半ほどして成田市十余三の芋畑に到着。東峰地区の石井紀子さん、芋クラブの皆さんが出迎えてくれた。石井さんから芋掘りレクチャーを受ける。畑に向かって縦ならびにシフトし、一斉に作業を開始。大中小の芋が続々と登場し、袋の中に納まっていった。「友人たちへのお土産です」と満足げに語りながら二袋、三袋と大量に抱えている人もおり、ほぼ第一ハードルをクリアーした。
正午過ぎ、東峰地区に移動し、ワンパック野菜グループの収穫祭に合流した。暫定滑走路南端に着陸しようとするジェット機がまき散らす轟音、頭上四十メートルを通過する。仲間たちは、この体験を通して次々と怒り、驚きを現していた。会場では、すでに収穫祭が開始され、東峰の人々、ワンパックスタッフ、会員の収穫を祝う発言が続いた。すでに創作野菜料理、蕎麦、バーベキュー、竹細工・竹パン体験、餅つきなどの各エリアではワイワイやりながら食べていた。
収穫祭後、木の根ペンションに移動。ペンション二階からA滑走路を一望し、あらためて成田空港の存在を直視する。巨大空港とペンションのアンバランスな存在を見つめることを通して、三里塚農民を追い出してきた歴史上の一端を知ることによって今後の闘いの方向性を考えることができる。ペンションは、成田空港に突き刺さる巨大な杭として力強く世界にアピールし続けているのだ。
A滑走路視察後、一階ではらっきょう工場の平野靖識さんのミニ講座が始まった。成田空港建設によって破壊された土地、環境を取り戻すために実験村をスタートさせたことや暫定滑走路北伸工事を強行し続ける空港会社批判が提起された。参加者は、平野提起によって三里塚闘争の現在的意義を深めていった。最後にスタッフからバスツアーのまとめと次回の参加要請が行われた。
バスの帰途、各自のさまざまな三里塚体験の感想を出し、再会しようとエールの交換をした。 (Y)
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