| 世界死刑廃止デー企画 かけはし2007.10.29号 |
響かせあおう 死刑廃止の声
「生きる」ことで公正な社会へ |
死刑制度廃止へ
世界的取り組み
十月十三日、江東区総合区民センターで「響かせあおう 死刑廃止の声2007」が死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90の主催によって開催され、二百人が参加した。
死刑廃止世界連盟(WCADP・2002年設立)が十月十日を世界死刑廃止デーと定め、世界各地で死刑廃止に向けたさまざまな取り組みがなされるよう呼びかけている。日本で死刑判決が次々と出され、執行も大量に行われている時、この呼びかけに応えて、死刑制度の廃止に向けた企画であった。ホールの外壁には、死刑囚が描いた絵画、イラスト、短歌が飾られた。
約四時間にわたる集会は三部構成で行われた。第一部、死刑廃止への取り組み 世界と日本。第二部、死刑囚の表現をめぐって〔大道寺幸子基金の発表とシンポジウム〕。第三部、鼎談・権力が死刑を求める理由
佐藤優・鈴木宗男・安田好弘。
大道寺幸子基金
死刑囚表現展
第一部の最初に、元冤罪死刑囚の免田栄さんが「裏づけのない一通の自白調書によって三年で死刑が確定してしまった。その頃は半年で、死刑執行がされていた。ある看守が『再審制度があるから、法律の勉強をしろ』と、彼が担当する昼休み時間帯に共産党員が入っている独房に入れてくれた。その後、再審決定がされ無罪になった。私の後に三人の死刑囚が無罪になった。生涯をつくして、闘いぬきたい」と語った。免田さんは国連での死刑廃止決議のために、集会を終えてすぐに旅たった。
次に、田鎖麻衣子弁護士が世界の動きを報告した(別掲)。
第二部で、死刑囚表現展への作品への受賞発表をした。池田浩士、加賀乙彦、川村湊、北川フラム、坂上香、太田昌国の各氏が選考委員になり、当日欠席された加賀さんを除き、選考について意見を述べた。北川フラムさんは「すべてが限定されていて、文芸作品のような形で創造することが難しい。改善のために次の三点を提案したい。@道具立てをそろえるA良い画集を差し入れるB作品を向上させるためにぜひ必要な、鏡を渡したい」と発言した。他の選者からも同じような感想が出された。
十月十日、キム・デジュン政権発足以来、十年間死刑が執行されていない韓国で、死刑廃止宣言式が行われた。この式に参加した安田弁護士が「式典に参加したキム・デジュン元大統領は『死刑が執行されていないのは民主主義、文化の成果であり、平和を作り出す』と発言した」と紹介し、死刑廃止国に近づく韓国に日本も続こうとスライドを交えながら報告した。
鈴木・佐藤・
安田三氏の鼎談
第三部で、鈴木宗男さん(衆議院議員)、佐藤優さん(外務省官僚、休職中)そして自らが受けた事件でデッチ上げ逮捕・裁判中の安田弁護士が共通の体験をもとに、権力がいかに裁判をコントロールしているかについて暴きだし、死刑制度が果たしている役割について明らかにしていった。
鈴木さんはアムネスティ議連、死刑廃止フォーラム90の最初からのメンバーであった。鈴木さんはやっていないものはやっていないと無実を主張したがゆえに、四百三十一日も勾留された。
鈴木さんは「検察が自分のつくったストーリーで、取り調べを行い関係者の自供をつくりだしていった。裁判所は客観的証拠がなくても、これを認めて有罪判決を出した。検察が権力を背景に全力で襲いかかる怖さを知らされた。日本では起訴されたら九九%が有罪にされ、一審無罪や量刑が変わるのが八割にものぼる。イギリスやアメリカでは四割が無罪だ。これで日本は法治国家といえるのか。死刑廃止は世界の趨勢だ。日本もこれに学ぶべきだ。冤罪で苦しんでいる人に勇気を与える行動をやっていくべきだ」と語った。
佐藤さんは「自らが権力側の官僚であったことにより、権力の発想はよく分かる。権力に屈服しないためには、権力にお願いしてはだめだ。保釈されなくても、獄中で勉強するとかまえていた」と自らの体験を語った。その上で、死刑制度に対する立場を変えたのは、東京拘置所で三人の死刑囚の姿を知ったからだという。ある死刑囚は猫や鳥の声になってうめく、机を投げる、おれは死にたくないよと叫ぶ。面会がほとんどない死刑囚の母親に息子さんの様子を知らせる手紙を書き、母親からまったく息子の様子を知ることができなかったので、たいへんありがたかったと返事があり、それだけでも、今回の長期勾留もムダではなかったと語る。
さらに、ある政治犯死刑囚が「オウム真理教事件について死刑によって葬り去ってしまうことではなく、死刑囚が真実を語り、二度と起こさないようにすること、これを社会に還元することが殺人を減らすことができるだろう」と言っていたことを知った。
今後の運動については、信念や宗教的観点で死刑廃止の結論を先に言ってしまうのではなく、統計や体験を通じて、死刑ではなく生かすことによる社会へのプラス面を語り、死刑存置論者と議論をしていくことが必要だと提案した。
安田さんが、鈴木議員にぜひとも国会で死刑廃止の論議をしてほしいと要請すると、鈴木議員はぜひ取り組みたいと答えた。安田さんは、死刑執行停止をなんとしてもつくりだしていきたいと提起して、会を終えた。 (M)
田鎖麻衣子弁護士の報告から
国連拷問禁止委員会が
日本政府に憂慮と勧告
二月パリで、第三回死刑廃止世界大会が開かれ、六百人が参加した。最終宣言で、以下のような内容が採択された。
「我々は、死刑が世界において減少しつつある事実、及び、モントリオール大会(2004年)以後、ギリシャ、キルギスタン、リベリア、メキシコ、フィリピン、セネガルが死刑を廃止した一方で、死刑を再導入した国はなかった事実を歓迎する」。
「……また、中国、イラン、サウジアラビア、アメリカ合衆国、ベトナムを含む多くの国において死刑がいまだ大規模に適用されていることを遺憾に思う」。
「……以下のような決議が国連総会によって確実に採択されるよう、国連加盟各国が、必要なあらゆる措置をとることを要望する。b全世界における死刑廃止を視野に入れつつ、すみやかな、そして全世界における、死刑判決及び死刑執行のモラトリアム(停止)、そして既に下された死刑判決の減刑を求め、b死刑は人権及び基本的自由を侵害するものであることを想起し、b国連とその加盟国、及び他の関係する巨細組織、地域組織、地域内組織が、資源と専門知識を結集することを含め、このモラトリアムの実現を支持するよう働きかけること」。
今回のねらいは二つあった。世界の運動は、二〇〇八年オリンピック、二〇一〇年万博の開催地の中国とイスラム圏をターゲットにして、死刑執行を止めさせる。十二月の国連総会で死刑執行を停止する決議をあげるように全力をつくしている。急激に世界の流れはかわっている。
五月二十一日に、国連の拷問禁止委員会の結論及び勧告が日本政府に対してなされた。「19 ……委員会は、死刑を言い渡された人々に関する国内法における多くの条項が、拷問あるいは虐待に相当し得るものであることに深い懸念を有する。……締約国は、死刑の執行をすみやかに停止し、かつ、死刑を減刑するための措置を考慮すべきであり、恩赦措置の可能性を含む手続的な改革を行うべきである。……」
新しい監獄法によって、外部交通が少し拡大したが、拘置所当局は解釈を恣意的に行い、弁護人の面会に事前審査を行い、立会人を付けることなどを強制している。二〇一一年の修正期に、何としても自由な交通権などを獲得するために制限の定着を許してはならない。(発言要旨、文責編集部)
【訂正】「かけはし」10月15日号、2面「鳩山邦夫法相発言を弾劾する」声明は死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90、アムネスティ・インターナショナル日本、「死刑を止めよう」宗教者ネットワークの三団体が呼びかけ、賛同を求めるものでした。訂正します。
読書案内
樋口陽一著 柘植書房新社刊 1800円+税
『「共和国」フランスと私』
日仏の戦後デモクラシーをふり返る
十九世紀イギリスの自由主義思想家として有名なJ・S・ミルは「専制」が必ずしも国家権力によるものとは限らないことに警告を発した。すなわち「社会」による専制、自由の侵害についてである。
「社会はみずからの決定を実行できるし、実際にも実行している。その決定が正しくなく、間違っているか、社会がそもそも干渉すべきではない事項に関する決定である場合には、社会による抑圧は通常、政治権力による抑圧よりはるかに恐ろしいものになる。政治的な抑圧ほど厳しい刑罰を使うわけではないが、はるかに深く生活の細部にまで目を光らせ、人の心まで支配するので、抑圧から逃れる余地がはるかに小さくなるからである」(『自由論』 光文社古典新訳文庫)。
日本の憲法学の重鎮である樋口陽一は、彼の思想の根幹にあるフランスの共和主義・人権思想について簡明に語った本書の中で、そのことを違った角度から述べる。通常「国家権力からの自由」と考えられている自由権について、「共和国」の思想を支えるのは「社会によって侵害される自由を国家が確保する」という立場だと。つまり「宗教の力によって、あるいはお金の力によって、あるいは民族的な強制によって……侵食される自由に国家が割って入って、そこから個人を解放する」のが国家の役割であると。
当然にも樋口はフランスの「人権宣言」に代表される「人権」という考え方の「普遍性」に対して、植民地の人びとや女性からその「虚偽性」が批判されていることについて理解している。しかし彼はそれでもなお「単位としての民族性や、単位としての女性性、そういう縛りから離脱する可能性を一人ひとりの個人に保証できるかどうか、まさしくそこのところが、人権の最終的な効果の現れるところ」であることに固執する。それはさまざまな帰属集団のアイデンティティーを尊重する「多元主義」「多文化主義」が個々人を縛る機能を果たすことへの徹底的な批判である。
イスラム教徒の女生徒に「スカーフ」を禁止する公教育における徹底した「政教分離」と「信教の自由」が衝突した問題は、この「共和国」の原理のテストケースでもある。社会から差別・排除されるマイノリティー集団と、そのマイノリティー集団内部における共同体的・伝統主義的な「個人」への抑圧、あるいは「自由」と「自己責任」を旗印にした新自由主義の下での画一化と「個人」の人権の抹殺。だがそうした「社会」による個人の自由への侵害に対抗する「共和国」は原理としてしか存在しえない。
「日本を良くする」ためにはフランスのいいところから「栄養分」を取る必要があるという樋口の考え方には疑問もあるだろう。しかし二〇〇六年一〜二月の日仏会館の「教養講座」で語った内容をまとめた、樋口の考え方のエッセンスとも言うべき本書は、「憲法とは何か」を私たちが考える上で、一読に値する。(国富建治)
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